phase3.1
クラーレとアイの後を追いながら、すぐに話しかけるかどうか迷った。この場合、話しかけるべきなのだろうか、それとも下手に間に入らないほうがいいのか。
答えが出なかったので、とりあえず様子を見ることにしようと、距離を置きながら二人の後をついていった。
クラーレは黙々と前だけを歩いて進んでいき、アイも黙ってそのすぐ後ろをついている。
クラーレが振り返ることもなければアイが何かを話しかけることもなく、両者共に無言だった。
ただクラーレはアイのことを少なからず鬱陶しいと思っているらしいことは伝わった。
歩く速度は早めな上、平坦で進みやすそうな道ではなく、でこぼことしていたり湿っていたりする道だったりと、歩きづらそうな道を優先的に選んで進んでいる。
本人があまり体が強いとは言い難いため、そこまで険しい道ではないものの、これはクラーレの無言の訴えに違いなかった。
しかしアイには訴えが届いていないのかそれとも無視しているのか、歩きにくい道でも表情を崩さず平然とクラーレの後をついて行っている。
美月は息を切らしながら、どっちも凄いなあ、と場違いなことを考えた。
クラーレの選んだ進みにくい道は後を追っている美月も歩かざるを得ないため、こちらはすっかり疲れが滲みかけていた。
浅く狭い川にある石を飛んで渡ったり、やや急な傾斜を登ったり、果てにはちょろちょろと流れる小さな滝を登ったり。
しばらくの間、そうやって歩いて行った時のことだった。ふいにクラーレが立ち止まった。
「どこまでついてくるんだ!」
「クラーレさんこそ、どこで木を採取するんですか。それともまだ目当ての素材が見つかっていないのですか?」
「俺のことはどうでもいい、今はあんたのことだ!」
ようやくクラーレは振り返り、アイと目を合わせた。美月は近くの木の陰に身を潜め、様子を窺った。
「そもそもここ数日、なんなんだよ一体!」
「わたし、何かしましたでしょうか」
「してるわっ! どうして、なんで、俺の後を、ずーーーっとついてくるんだよ!! ハルの後をついていくのをやめたと思ったら、今度は俺かよ!」
ずっと、とアイは首を傾げた。その反応が気に入らなかったのか、クラーレは目を剥いた。
「ほぼ一日中背後から視線を感じる人の気持ち考えた事あるか?! ぱって振り向いたらすぐ後ろにいつも自分のこと見上げてくる奴が存在している人の気持ち考えた事あるのか?! それでいて何か話しかけてくるわけでもなく、何かしてくるわけでもない。でも後をついてくる! ……トイレにまでついてこようとする! 一体何がしたいんだ、今ここで言え!」
クラーレがアイに詰め寄る姿は形相も相まって非常に迫力があり、美月ははらはらした思いで眺めた。
だがアイの背中から漂う空気は、どこまでも落ち着いていた。
「クラーレさんと、仲良くなりたいと考えているからです」
「……は?」
美月としても思いも寄らぬ言葉だったのだから、当人は尚更驚いただろう。案の定クラーレは、たちまち鳩が豆鉄砲を食ったような顔に変化した。
「先日ミヅキさん達、ピザの件で軽く争ったじゃないですか。あの一件は、わたしとクラーレさんが不仲なのを気にしたミヅキさんが言い出したものだと、本人から伺いました。つまるところ、原因はこちらにあるのです。
わたしとクラーレさんが不仲のままでしたら、ミヅキさん達の間に存在する絆にもいつか亀裂が入りかねない。それはあってはなりません。
由々しき事態だと考え、改善を図る目的で、お互いのことを知るため、クラーレさんと共有する時間を増やそうと考えました」
「……」
「だからわたしは、クラーレさんと仲良くなりたいのです」
「……待て」
口から発せられた声は、非常に低かった。
「つまりあんたは、ミヅキ達の為に、俺と距離を縮めようとしている、ってことか?」
「そうです」
「……ミヅキ達のことを、抜きにしたらどうだ? あんた本人の心はどうなんだ?」
アイが腕を組んだのが見えた。そのまま時間が経過した。しいんと静かな時間だった。
「特に、なんとも」
腕を解いたアイが、実にあっさりとした口調で言った。秋が深まってきた頃に吹く風よりも涼やかな声だった。
「……なんとも?」
「はい、なんとも。距離を縮めたいも距離を取りたいもありません。クラーレさんがわたしとどうなりたいかで、わたしの態度も決めさせて頂こうと思ってました。
ですが、わたしとクラーレさんの仲が悪いと、ミヅキさんが悲しむようです。それは嫌なので、だから仲良くなってみようと」
「……あんた、よっぽどミヅキ達のことが好きなんだな」
クラーレの言葉には若干の嘲笑が入っていたが、アイは意に介さず、きょとんと頭を傾けた。
「クラーレさんがそれを言うんですか? あんなにミヅキさん達のことを大切に考えているあなたが」
「……そうだよ、大切だよ、大好きだっ!!」
てっきり真っ赤になり早口で否定の言葉を紡ぐかと思っていたのに、クラーレは予想外にも、堂々と肯定をしてきた。
「俺は、今までどこにも居場所がなかった、誰からも求められてこなかった。抜け殻のようだった俺に、居場所を、ずっと探していた居場所を与えてくれたんだよ! 大切に思わないわけがないだろう?!」
「それを言うならわたしだって同じです、わたしはミヅキさん達のおかげで救われました。ミヅキさん達のおかげでわたしは知らなかったことを知れた、その中には知りたくなかったこともあったけれど、知って良かったこともあった。
ミヅキさん達は恩人です。なので恩を返したい、少しでも役に立ちたいと思うのは普通のことでしょう。大切なんですから。だからミヅキさん達の為に、わたしと仲良くなりましょうよ」
「それとこれとは違う。 いいか? 俺はな、嫌いな奴と仲良くする努力をする程性格良くねえし、仲良くする演技が出来るほど器用でもねえんだよ」
「……だったら、ミヅキさん達への思いはその程度だった、と見なしますよ」
「はあ゛っ?!」
クラーレが声を荒らげた。空気が震えたのではないかと感じた程大きい声だった。
「んなわけあるか、俺のほうがミヅキ達のこと好きだ!!」
「違います、わたしです。わたしのほうが大切に思ってます」
「たとえでもなんでもなく、ミヅキ達の幸せのためなら喜んで火の中水の中飛び込む!」
「ミヅキさん達が言うのであれば、わたしは喜んでこの身を差し出しますよ」
「ミヅキ達がんなこと言うかよ、あんまりよくわかってねえんだな」
「クラーレさんこそ、ミヅキさん達が、クラーレさんを犠牲にしてまで幸せになりたいなどとは微塵も思わないのでは。これはクラーレさんのほうがミヅキさん達のことを理解してない証拠です」
「黙れ、絶対に俺のほうが好きって気持ちが上だ!!」
「99.9%、わたしのほうが上です」
「やめてーーー!!!!!!」
二人の間に強引に割り込むと、クラーレは動揺を露わにしたが、アイの表情は変わらなかった。
「何について争っているの二人は!!」
「い、今の聞いてたのか?!」
クラーレは羞恥からかどんどん顔に赤が差していったが、アイは顔色を全く変えなかった。
「別に聞かれても良いではありませんか。むしろどちらの思いが本物かを決める、良い機会なのでは?」
「そんなこと言ってる場合じゃねえだろ!」
「照れる必要性がわかりません。ほぼばれているのに」
「はあっ?! なんなんだあんたは一体!」
「いい加減にしてーーー!!!」
山の中に、木霊が延々と響いた。クラーレとアイの肩が軽く跳ねた。
「私はね、とにかくね、二人に仲良くなってもらいたいの! それ以外無いの!」
「……なんでだよ」
クラーレが腕を組んだ。美月の台詞に納得がいっていないとよくわかる不満げな声だった。
「わたしは、仲良くなることそのものに不満は無いのですけれどね。ですがクラーレさん本人が望んでいない以上は、どうしようもできません」
「あんたが何も行動に移してこないからだろ? ミヅキ達が俺に話しかけてきてくれた時と違って、あんたからはこっちに歩み寄ろうとする意思が全然感じないんだよ」
「仮に、歩み寄ろうとする意思を持って接したとしても、やはりクラーレさんはそれに応えたくないと思うでしょう」
「それとこれとはだな……」
「ほらまたそうやって!」
再び殺伐した空気を感知してたまらず声を上げると、クラーレは気まずそうに、というよりアイから離れるように、一歩後ずさった。
「私はクラーレのこともアイのことも大好きなの! 大好きな二人が仲良くしてくれると私が嬉しい、だから仲良しになってもらいたいの! それだけなの! だからその為なら私、色々頑張っちゃうんだからね!」
「……俺とアイが今のままの状態でも、あんまりこれといった支障は出てないだろ?」
クラーレが気まずそうに目線を逸らしつつ、言った。
「どっちにも歩み寄る意思がないなら、これ以上の進展は難しいだろ、普通に考えて。……場の空気が悪くなるようなことはしないし、今のままでも問題ないようにするから、だから気にするなよ」
「支障は既に出ている! ここにいる! 私という私が! 仲良くなってほしいと! 思ってるという支障がねっ!」
どんと自分の胸の辺りを思い切り叩くと、クラーレが呆れたように目を見開いた。
「あのなあ、どちらかというとミヅキはあんまり関係無いだろ? 俺とアイの問題であって」
「駄目!!! 無理!!! 関係無くないっ!!!」
ばっさり言い切ってみせると、クラーレは長い長いため息を吐いた。
「この前のピザの時といい、どう生きてりゃそんな自分の心を貫き続ける生き方になれるんだ真面目に……」
「どう生きてれば、って……」
その言葉がやけに耳に残った。どう生きていれば。考え、辿ると、すぐに答えがわかった。
「家訓」
「え?」
「はい?」
「ありがとうとごめんなさいは相手が誰であってもちゃんと言うとか。感謝の気持ちを忘れずにごはんを頂くとか。そんな風に色々、昔からお父さんやお母さんやおじいちゃんに言い聞かせられてきていることがいっぱいあるんだけど。中でも一番言われてきたことが、自分の心に従え、なの」
自分の心を大切に。自分の心に正直に。
幼少の頃から言われてきたことだったが、そういう風に言い聞かせられるようになったきっかけ、いわば原因なるものがあることも、美月は知っていた。
「私は、ミーティアが大好きなんだ。でも、そう思わない人も、信じられないけど、いる。そういうとき、お父さんもお母さんも、私と穹の見えないところで、凄く辛そうにしてた」
批判だったり、クレームを受ける時だって存在する。思うように新規の客を獲得できない時だって存在する。
自分が幼少の頃ということは当然父も母も若くてその分経験が浅く、悩む事も多かった。
特に弦幸は本格的に店を継いでまだ数年しか経っていなかった為か、幼い頃に見た記憶を振り返っても、店の在り方に苦悩している様子だった。
自分のスタイルを貫いていいものかどうか悩み、結果迷走し、客足が遠のいていた時期もあった。
「落ち込んでる姿見る度に、むかむかして物凄く頭にきたんだ。もちろん、お父さんとお母さんにじゃない。
わからない人のほうがおかしい、私は何があってもミーティアが好き、ミーティアは絶対に世界一いや宇宙一だって、二人に対してひたすら言いまくった。そうしたら、二人とも笑ってくれた。
それで私に、そのミーティアが好きって気持ちが詰まった心を貫いてねって言ってきた。多分、それが始まりだと思う」
自分が美味しいものや食べることが大好きになったのも、このミーティアがあったおかげなのだ。
ミーティアの料理も、ミーティアという場所も、大好きだった。この店で、この店が作ったごはんを食べること、それそのものが何物にも代えがたい幸せに繋がるのだという持論もあった。
このミーティアの凄さを、ミーティアの良さをもっと色んな人にわかってもらいたい。
自分という存在を形成した場所。ミーティアの力になりたいと、自分の心はそう思っているのだ。それは昔から変わらず、その思いをずっと伝え続けてきた。
そして両親の言われたとおり、ミーティアに対する思いは現在も変わっておらず、貫き続けている。
「ミヅキらしい、と考える」
クラーレもアイも黙っていたところに生じたのは、無機質な声だった。木の陰から出てきたテレビ頭に、思わずぎょっとした。
「ハル?!」
「ミヅキの後をつけていた。クラーレとアイ二人だけでは心配だという理由で追いかけたが、正直ミヅキ一人だけでは別の意味で不安点が残った。だからついていった」
「ふ、不安点?」
「案の定、クラーレと若干揉めそうになっていただろう」
あ、と声を出してクラーレを見れば、向こうもぎくしゃくとした動作でこちらを見てきた。なんとなく微妙な沈黙が流れた。
「師匠、他の皆さんは?」
「ミライは写真を撮りに行ったきり戻ってきていない。ソラはシロと共に近くの渓流で石を拾っている」
ハルとアイの受け答えを傍で聞きながら、美月はもう一度クラーレの目を見た。
「えーと。なんか、ごめんなさい」
「あ、いや、えと、いい。……にしても、そうか。今のミヅキが出来上がったのは、ミーティアのおかげなんだな」
クラーレはわずかに笑みを浮かべた。美月は大きく頷き、ぐっと胸を反らせた。
「その通り! 私はミーティアが大好き!! ちなみに地雷はミーティアを貶されることです!!」
家の中に店がある。そんな風に、普通とは少し異なる家に生まれた。店を覗けばいつも弦幸と浩美はそこにいたものの、どんな時も二人は忙しそうにくるくると動き回っていて、とても話しかけたりすることは憚られた。
源七が代わりにずっと傍にいたが、それでもお仕事で忙しそうな父と母に、物足りなさや、言うなら寂しさを抱いたこともあるにはあった。
それでもミーティアのことが大切だという心は作り上げられた。常連客との会話で様々な情報を入手できるのも面白かったし、まだ店に出ていない新メニューの味見が出来るのも特別感があって嬉しかった。
何よりも、弦幸と浩美の姿を見ていることが楽しかった。人を笑顔に出来るごはんを生成する二人は、本当に格好良く映った。
自分の心を貫けるようになったきっかけも、今の自分が存在しているのも、ミーティアがあるおかげだった。
「……ココロさんも、ミヅキさんのように、自分の心を貫ける子になってほしいですね」
ふいにアイがそう言い、ハルの腕の中にいるココロを見た。当のココロはきょろきょろと辺りを見回しており、興味深そうに秋色に染まる山の中を眺めていた。
「ふふふ、だよね! 本当、私みたいになってほしいね、私みたいに!」
「それはそれで、苦労が降りかかることがあるかもしれない」
ハルがココロを見下ろしながら、一人言のように言った。え、と聞き返すと、顔を上げて真っ直ぐこちらを見てきた。
「ただ、確かにミヅキのように、自分の心に正直に生きる子になってもらいたい。……だが、どうなのだろうか」
「どうって?」
「心の無い私に育てられて、自分の心に素直になれる子に育つのか、ということだ」
ココロは首を捻って目線を落ち葉の積もった地面に向けていた。そんなココロを見ながら、ハルは口を開いた。
「私は人間ではないし、育児用に作られたロボットでもない。育児方法に不備はないはずだが、本当にココロが満足しているかどうかは、正直わからない。もしかすると私は、保護者として至らないのかもしれないと、その可能性についていつも考えている。
だからこの前抱っこを明確に拒絶された時は、私は保護者失格だったのだろうかとかなり考えた」
「あれはたまたまでしょ……。なんでそんなに難しく考えるのさ」
「赤子というのは、ふれ合いや抱っこを一切しないと死ぬ、と言われている。だからこうやって抱っこの時間を多くとっているが、ココロのためになっているかどうかはわからない。人間を抱きしめたことがないロボットの私に抱っこされて、満足なのだろうか、と」
「抱きしめたことがない?」
「機械の手では、人間に温かみを伝えることが出来ないからな。昔博士に抱きしめられたことはあるが、その時も抱きしめ返すことはしなかった」
ハルは静かな口調で言った。アイがふと、自分の手に目をやっているのが見えた。
美月はハルとココロを見比べた。ココロはともかく、ハルはココロに対して、感情や気持ちを向けるという事が、物理的にも不可能だ。
それでも、ハルがココロを守っている事実は変わらない。
地球に訪れる前は、ハルは一人でダークマターから逃げていた上に、一人でココロを守っていた。それだけでなく、ココロを育てるという役目まで背負っていた。
ココロを守り育てるということを、たとえ計算の上であったとしても、ハルはちゃんとやり遂げてきたのだ。
「大丈夫じゃないかな? ココロはちゃんとハルのこと大好きだと思うし、ハルは立派なお母さんでお父さんだよ! 私がココロと同じ立場だったら、ハルが保護者で嬉しいと思ってるよ!」
なのではっきりそう言うと、そうか、とハルは短く言った。
「だったら望ましい。ココロが私のことを、本当はどう思っているか、叶うものなら知りたいところだ。だが、それは難しいので、せめて理解しようとあれこれ模索している」
ハルはクラーレとアイのほうへ、頭を向けた。
「相手の心を理解し合おうという意思を持ち歩み寄らないと、何も進むことはできないからな」
ぴく、とクラーレとアイの体が微かに反応した。二人ともちらりとお互いの目を見たが、すぐさまどちらからともなく逸らされてしまった。
「私も人のことは言えないがな。今のココロは、何を思っているのか」
ハルはココロを自分の顔の位置まで抱え上げ、ココロのオッドアイを真正面から見据えた。
「ココロ、君は私のことをどう思っているんだ? お互いのためにも教えてほしい」
「う~あ~!」
途端、ココロはじたばたと体を動かした。下ろしてほしそうに手足をばたつかせるココロをそっと地面に下ろすと、這い這いをして移動し始めた。だが、どこに行くでもなく、同じ場所をぐるぐる回っていた。
何をしているのかと注意深く見ていると、どうも手のひらや膝を動かす度に擦れる落ち葉の音を楽しんでいる様子だった。落ち葉を踏む度に、ココロの目が輝くからだ。
「おお。落ち葉の上を這い這いしてみたかったみたいだな」
「ふむ、やはりココロとの意思疎通は難しい」
「師匠でも難しいのですか……」
観察するようにココロを眺めるハルとココロごと、二人の様子を見ているときだった。
突然、地面ばかり見ていたココロの顔が上がった。瞬間、這い這いの速度が上がった。だだだ、という擬音が聞こえてきそうな勢いだった。
「ココロ?!」
「どうしたんだ一体」
一目散でココロが向かった先にあったのは、少し高めの崖だった。下の方につたなどの植物が垂れ下がっており、鬱蒼と垂れ下がる茂みの後ろには暗い穴が広がっていた。
美月が四つん這いになってなんとか入れる、というくらいの小ささだが、洞穴のようだった。
ココロはそこに、真っ直ぐ飛び込んでいったのだ。
美月は穴の入り口近くに座り待ったが、入ったきりなかなか出てこなかった。
「ここに入りたかったのかな?」
「そのようだ。しかしココロには悪いが危険だな」
ハルが入り口を遮るつたをかき分けると、真っ暗闇だった洞穴の中に光が差し込んだ。美月は身を乗り出して、中を覗き込んだ。
そこにココロはいなかった。
「……」
穴の中は非常に天井も低く、幅も狭かった。
真っ直ぐ進んだ先に、出口と見られる光が一つだけ漏れていた。
這い這いをしたココロが、どうにか通り抜けられるくらいの小さい穴だった。
「コ、ココローーー!!!」
「はああああ???!!!」
「ココロさん?!」
「コ、ココロ、ココ、ロ、ココロが」
がんがんと岩肌に硬いものがぶつかる音が響いた。ハルが頭を洞穴の中に突っ込もうとしている音だった。
もちろんハルのほうが大きいので進んでいけるはずもないが、ハルは強引に自分の頭を押し込んで突破しようとしている。
トレンチコートを引っ張って無理矢理外に出したものの、ハルはまた穴の中に体をねじ込もうとした。
「向こう側に回り込みましょう、赤ちゃんの速度ですからすぐ追いつけます!」
アイが崖を指さした瞬間だった。あっさりとハルは穴から出てきて、すっと立ち上がった。そしてそのまま、走り出した。
「ちょ、ちょっと待ってよーーー!!!」
「おい落ち着けって!」
「師匠ー!!」
好奇心の赴くままに暗い穴の中を抜けて外に出たとき、周りには誰もいなかった。
辺りを見回してみても、ざわざわざわという音がするばかりで、ココロの知っている音や気配はどこにもなかった。
とりあえず前に進もうと、手足を前に出して這い這いを再開する。
「──あれ? きみ」
その時だった。体全体に影がかかった。ココロにとって馴染みのない声が、背後からかけられた。
「どうしたの? 一人? 皆は?」
おっとりしており優しい声だった。背後を振り返ると、声の主は両膝を折り、ココロを見下ろしていた。
しかしその人物の身長が非常に高いためか、ココロは顔を視認することができなかった。
顔の見えない青年は、「あ!」と両手を叩いた。
「もしかして、迷子なのかな? 実はね、僕もなんだよ」
苦笑いが降ってきた。ココロは首を上に向けた。赤や黄色に鮮やかに色づいた木々と反して、青年の髪の毛は深い緑色をしていた。
「こんな山の中、きみ一人だと危ないよ。でもね、もう大丈夫。僕が一緒に、いてあげるからね」
その人は両腕を伸ばし、ココロのことを抱え上げた。
慣れた手つきで腕の中にすっぽり収まった瞬間、ココロは本能で体を堅くしたが、すぐに力を抜いた。抜けていった、というほうが正しい。
見上げると、先程まで上手く見えなかった青年の顔が見えた。
伸びた前髪は片側の目を隠していたが、もう片方の目は出ていた。濃い橙色をしていた。穏やかな声と暖かい眼差しに、ココロの体の力はすっかり抜け落ちたのだ。
ぱちぱち、と瞬きをすると、青年は慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「迷っちゃってどうしようって思ってたけど、まさかきみに会えるだなんてね。本当に、良かったなあ」
とんとんと、優しい手つきで青年はココロの背を叩いた。橙色の瞳が、瞬いた。
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