phase10「新たな“わたし”」
「う、嘘、でしょ……?」
ジュピターはようやくそれだけ絞り出すことが出来た。だが声を出せたのはそれまでで、それきり体が動かなくなった。頭が混乱し、何も考える事が出来ない。
ファーストスターの本社にいるサターンとマーキュリーを除き、セプテット・スター全員がそれぞれ別の星に出張中だった。
業務中に突然ネプチューンから、一刻を争う事態なのでモニターを通しての緊急会議を開くという連絡が入ったのには驚いた。
だが告げられた内容は、その時の驚きを遙かに凌駕するものだった。
それは他の皆も同じようで、起動している五つのモニターに映る人達は、一様に愕然とし、目を見開いていた。
『本当、ですわ』
モニターの内の一つに映るネプチューンが神妙に頷いた。
声のみ聞けば落ち着いているものの、“この報告”をしてきた本人も、状況を飲み込み切れていないのは明らかだった。
呆然とさ迷いそうになる視線を、必死に押さえ込もうとしているのが見て取れる。
『なっ、何かの間違いじゃないのか?!』
マーズが立ち上がり身を乗り出してきた。ジュピターも全く同じ気持ちで頷いた。何一つも想定していなかったことを言われても、信じられるはずがなかった。
けれどもネプチューンは、躊躇いがちながらもはっきりとかぶりを振った。
『もちろんその可能性もありますわ。ですが、ほぼ確定事項だということは、間違いないですわ』
『……そんなこと、起こるんだな……』
ぼそりと漏れたウラノスの声音は動揺しているというより、むしろ感心深げだった。
呆気にとられている表情も、驚きではなく感嘆の感情から来ているらしい。
『今の頭脳回路がどういう動きしてるのか、開いて見てみたいなあ……』
『呑気なこと言ってる場合か?!』
「そうだよ~!」
『とにかく絶対に嘘だ! そうに決まってる! 有り得ない!!』
『……そうとも限らないわよ』
ビーナスが頬杖をつきながら呟くように言った。
そこでジュピターは、ビーナスが、自分とマーズほど動じていないことに気づいた。
『例えば、色々な判断材料や状況が重なった結果、向こう側についたほうが勝算がある、と判断したのかもしれない』
『そ、そうなのか?』
『わからないけれど、でもこれが一番現実的な考えでしょう。いずれにしてもこちら側を見切るべき、と判断したのは確かよ。自分で考えたか、誰かにそそのかされたかは不明だけど』
『マーキュリーはどう思うんだ?! 寝てないでさっさと答えろ!!』
『いや起きてますからね!』
マーキュリーも狼狽えは見せておらず、何かを考えている最中なのか、黙ったまま動かないでいた。
『まあ、ビーナスと概ね同じです。向こうの方が勝算が高いと分析したのなら、随分と計算能力が落ちたなあとしか。そそのかされたっていうのは……まあ、あるかもしれないな』
そう言った後で、意味ありげに一瞬笑った。そんな彼をネプチューンがと睨んだ。
『笑ってる場合ですの? 随分呑気ですわね。この先どうするか、早く具体的な対策を立てませんと』
『対策となると、やっぱりリーダーの意見を仰がないといけないわよね……』
ビーナスの台詞と被さるように、ウラノスが座っている椅子の背もたれに寄りかかる音が響いた。
『で、これ誰が報告するんだ?』
「ほ、報告、って?」
『いや、サターンにだよ』
その瞬間、自分の頭が凍り付くような感触に襲われた。ジュピターだけでなく、他の者達も、全員体の動きを止め、完全に固まった。
今この場に唯一いない者。サターンに対し、この件を、どう報告すれば良いのか。考えただけで、体が勝手にわななきだした。
厳格で、秩序が乱れることを一番許さないような、計画の発案者たるサターンに、この件を伝えたら。
どんな状況だったとしても、どう言ったとしても、絶望的な結末になることは目に浮かぶ。
全員の体の硬化が解けた。代わりに、ちらちらと様子を窺うように、忙しない視線が飛び交い始めた。
自分が報告に行くと名乗り出る者はいくら待てども現れず、皆黙って他の者達を覗き窺っている。
その目には、誰か自分の代わりに行ってくれやしないだろうかという、期待と願望しか存在していなかった。
勇気を出して自分が行く、という思いが籠もった目をしている者は、誰一人もいなかった。
全員がそう思ってるのだから、手を上げ名乗る者はどんなにお互いを見合ったところで現れるはずがない。
段々と、「なぜ名乗り出ないのか」という苛立ちが場を満たしていくのを、ジュピターは敏感に感じ取った。
これではいけない、穏やかに皆仲良く過ごすのが一番なのに。次の瞬間、勢いよく立ち上がっていた。
「み、み、皆で言うのはどうかなっ!」
父や母からお説教を受けたとき、きょうだい達と一緒の時はあまり怖くなかったことを思い出しながら、ジュピターは言った。
仲間達と一緒なら、その心強さによって叱られた時の恐怖が軽減されるかもしれない。
我ながら名案だと思ったが、返ってきた皆の反応は、予想していたものとだいぶ異なっていた。
まず、『は?』とビーナスが冷たい目になった。
『絶対に嫌よ、私は。あの人の雷に全員で撃たれるなんて』
『わたくしもお断りですわ』
ネプチューンも即座にそっぽを向く。
驚いて半ば縋るように残りの皆の様子を見れば、マーズは固い表情で珍しく黙っており、
ウラノスはそもそも話を聞いていたかどうか怪しいぼんやりとした目で宙を眺め、
最後にマーキュリーはといえば、苦笑しながら指を交差させて「×」を作っていた。
『人って、結局何だかんだ言っても自分が一番大切ですからねえ。やはり、誰かが代表して言いに行くべきでしょう』
「そ、そんなあ……」
ジュピターは力なく椅子に座り込んだ。そんな気はしていたが、皆思っていた以上に冷たい。
するとウラノスがぼんやりした目のまま、おもむろに指を動かしてきた。
『代表かあ……。マーズ、お前が言うのはどうだ……?』
はっとして、ジュピターはマーズを見た。
マーズは怒りっぽくて正直ジュピターにとって怖い存在だが、その分怖いもの知らずでもある。事実何度もサターンに食ってかかっている様子を見ている。
マーズという存在が一筋の光明に思ったのは皆も同じようだったようで、一斉に期待の眼差しが一点集中した。
しかし当の本人は、苦々しい顔で首を左右に振った。
『……嫌だ。怖い』
一瞬沈黙が流れた。次の瞬間、マーズを除く「えっ?!」という全員分の声が一つになった。
『どっ、どうしたのよ! あなたがそんなことを言うなんて!』
『怖いものも恐れているものも何も関係無しに、全部無視して押しのけ吹っ飛ばして問答無用で我が道を強引に荒々しく突進していくのがあなたの基本でしょう?!』
『ああ゛っ?!』
若干皮肉のこもったマーキュリーの言い方が癪に障ったのか、マーズは固く静かな面持ちから一変し、目をつり上がらせていつものような荒々しい姿に戻った。
『お前、しょっちゅうサターンに食ってかかっているだろお……? 何が怖いんだよ……』
ジュピターもウラノスの言葉に同調した。
以前屋上で染め物をしていたときもそうだった。マーズはジュピターが普段怖がって顔色を窺ってばかりのサターンに、何の躊躇いも無く自分の思ったことをずばずば物申していた。
あれほど堂々とした立ち振る舞いをしていたマーズは、今は絶対に有り得ないとばかりにぶんぶんと首を振っている。
『あのなあ、サターンが本気で怒った時って、火山の大噴火をすぐ近くで眺めてたほうがまだましってくらいの怖さなんだよ!!』
『情けねえ……』
『はあああ???!!! 人の事言うんだったらウラノス、あんたが言えよ!!』
『は、絶対に嫌だわ。くそ面倒臭いことになるのが目に見えてるし……。じゃあマーキュリー、お前が行け。話術得意だろ、無駄に』
『そろそろ順番が回ってくるだろうなーと思ってましたよ! 無理ですし嫌です! 私程度で鎮められないことは皆さんもわかっておいででしょう?!』
『代表を選べと言ったのはあなたですわよ? ここは考案者が進んでやるのが筋、というものですわ』
『……くそ、余計な事言うんじゃなかった』
小さく台詞が吐き捨てられた直後だった。ぱっとマーキュリーの顔が真正面を向いたかと思うと、一瞬の後に目が見開かれた。
『あっ、ジュピターが言いに行くのはどうです? あなたの持ち前の穏やかさを持ってすれば、もしかしたら他の方が言うより大ごとには至らないかもしれませんよ!』
いきなり自分の名前を呼ばれ、自分の頭は少しの間動きを止めた。
しばらく経ってまた回り始めた頭はやっと言われた事を理解し、ジュピターに想像をさせた。
サターンに報告する自分の姿と、その先に必ず待ち受けているであろう、サターンの“雷”。
「いっ、いや、だよ。こ、こわ、い……」
『えっ、ジュピター?!』
少しの時間でも想像すればもう駄目だった。勝手に体が震えだし、自分でもわかるほどの涙声になった。
がたがたと揺れる自分自身を両手で抱きしめると、ウラノスの興味なさそうな目が一瞥してきた。
『あーあ、可哀想に……。ひでえな、マーキュリーは……』
『わっ、私?!』
スイッチが切り替わるようにして、女性陣が一斉に冷たい目になった。
『最っ低ね、あなた』
『見損ないましたわ。……そもそもあなたがこの前の計画時に先に帰還したのが原因なのに』
『自分さえ良ければいいのかあんたは!!』
『いや待って下さい、他の方を推薦したのは皆さんも同じでしょう?!』
『こういう時本当の紳士というものは、自らが進んで嫌な役を引き受けるものですわ』
『ま、あなたの性根って紳士とは程遠いし……。それにしたって今のは酷いわ』
『ジュピターをいじめるんじゃねえ!!!』
『ああ、今のこの宇宙ってどうしてこんなに理不尽に作られているのでしょうかね! 本っ当に早く計画を成功させたいですねえ全く!!』
『お前は一体何を騒いでいるんだ』
その瞬間、確かに時間が絶対零度で凍り付いた。もはや石そのものと化した皆を置いて、マーキュリーの背後に立ち怪訝な表情を浮かべるサターンの時間だけは、通常通りに流れていた。
『会議中か? 何があった』
『い、いえその、野暮用といいますか、あっ、大したことはなくて、いやあるような、ただ本当に大したことはないといいますか、あ、でもその!』
いち早く硬化が解けたとはいえ、さすがに唐突すぎてマーキュリーも混乱の渦中にいるのか。
サターンのほうに振り向いて誤魔化そうとしているものの、普段の饒舌さはどこへやら、これでもかというほどしどろもどろになっていた。
他の皆が顔を伏せたり目を逸らしたりする中、ジュピターがはらはらした思いでその光景を眺めていると、案の定明らかに様子のおかしいマーキュリーにサターンは眉を寄せた。
『……何があった? 言え』
『いやだからですね、何もありませ』
『聞こえなかったのか? 言え』
サターンは完全に何かあると確信している。それは誰の目から見ても明らかだった。
どんどん鋭くなっていく紫紺の眼光に、残りの者達のため息が綺麗に重なった。
皆、頭を抱えたり額を押さえたり、背もたれに寄りかかって呆然とした目で天井を見上げたりと、各自諦めの姿勢になっている。逃げようとしている姿勢の者は見当たらない。
『……皆さん、ごめんなさい。本当に今回ばかりは、私の責任です』
『お前は本物の馬鹿だな……』
『……何やってるのよ本当に……』
『終わりましたわね』
『もう、こうなったら腹をくくるさっ……!』
『はあ、結局皆で言うことになっちゃったねえ……』
とはいえジュピターとしては、最初に提案しただけありこの結果を望んでいたので、不満は全くなかった。
さすがに他の皆は不満しかないようだったが、それでも互いに目配せし合い、覚悟を決め合う。うん、と頷いた後、全員でサターンの目を見た。
その先の台詞は、一切の乱れも無く、綺麗に美しく重なった。
『プルートが……いえ』
『ID134340が──』
ぽたりぽたりと、髪から、衣服から、絶え間なく雫が滴り落ちている。
自分にかけられる声はちゃんと聞こえていたが、アイは応じずに、雫が地面に吸い込まれていくのを眺めていた。
川に落ちた後、そのままアイは川辺に上げられた。一緒に川に落ちたのはミヅキ達も同じで、三人ともずぶ濡れであるというのに、気にかけているのはアイのことだった。
大丈夫か、どこか怪我していないかと、ミヅキとソラとミライに代わる代わる聞かれているが、顔を上げることも出来なかった。
と、頭の一部分が少しだけ軽くなった。桜のかんざしが抜け落ち、地面に転がったためだ。
手元に落ちたかんざしは、割れた木の部分から、切れた配線がショートしている様子が覗き窺えた。
「君がプルートとしてあり続けるのであれば、ほぼ間違いなく桜のかんざしを身につける必要性はないと判断するだろう。
もう身につけることのないかんざしに位置情報把握機能を取り付けても、何の意味も無い」
前から足音が近づいてくる。黒いエンジニアブーツの爪先が、視界に入り込んだ。
「君が感情のプログラムをインストールされているのではないかという考えに至った時。そしてその予測が当たっていたと知った時。私の中に、ある可能性が算出された。それは、君がAMC計画に反対の意を示すのではないか、という内容だった。……と言ったら、どう感じる?」
「……計算通りになって良かったですね」
「確かに良かった」という返しと共に、ハルがトレンチコートをかけてきた。
「ただ、プログラムだとしても感情が芽生えたとはいえ、誰しもがAMC計画に反対するとは限らない。……感情があるからと言って、相手の考え方によっては、むしろ賛成の意思を強めることだって有り得る」
以前ハルが語った、ハルの昔の友人は非常に感情豊かな人間だったが、AMC計画に賛同したという話を思い出した。
「君と全く同じ状況に置かれたロボットが別にいたとして、同じ結末を迎えた可能性は低い。君が君という個体であったから、この結果になったんだ」
視界に影がかかった。状況の確認のために頭をわずかに上げるだけでも、だいぶ時間がかかった。
髪が多くの水を吸い込んだことが理由にしては、異様に頭が重い。
「君とミヅキ達が知り合うことができて本当に良かったと、私は考える」
膝を立て座るハルが、握りしめられた片手を前に差し出した。
その手を開くと、中からピンク色をした、見覚えのある物体が現れた。
「これには通信装置も何も埋め込まれていない。ミヅキとミライが渡したかんざしだ。騙したこと、申し訳ない」
ハルの伸ばした手がアイに近づく。受け取れ、という意味だと判断して、アイは手の上に乗ったかんざしを取った。
その瞬間、かんざしが実際よりもひどく重たく思われて、アイは再び俯いた。
「私は……」
かんざしを持っている手を胸元に持っていき、強く握りしめる。この手も、かけられたコートも、全てが重たい。
にもかかわらず、体が地面にちゃんとついていないような、不安定さと頼りなさを覚えている。
「……どうすれば……」
俯いているため、地面と、そこから生える名前の知らない草しか視界に映らない。
道が見えてこない。選択肢が見えない。
ぽたり、と雫の滴る音が、妙に大きく聞こえてくる。
「どうでもいいが、これ以上ミヅキ達を傷つけるな」
横から大きく足音が現れ、苛立たしげな声が聞こえてきた。顔をそちらに向けると、弓と矢を手にしたクラーレが、鋭い目でアイを見下ろしていた。
「やはり、最後の弓は……」
「俺だ。ミヅキ達のことを考えたら、ああするのが一番良いと思った」
アイを見下ろしたまま、クラーレはハルを指さした。ハルは示し合わせたように、ハルはパネルのような端末を取り出した。
「会話、全部聞こえてたからな」
「全部……」
彼らに聞かせるつもりはなかったので、どういう反応をすればいいかわからない。
視線を逸らす直前、クラーレの背後から何かが飛んできた。それがアイの膝の上に乗ると、ふわふわとした感触が伝わってきた。
「シロさん……?」
「ピッ!」
アイを見上げるシロは尻尾を振るばかりで、他に何の行動も起こさない。伝えたい事があるのは理解できるが、肝心の内容が不明だった。
とりあえず緑の両目をじっと見つめてみたが、それでシロの真意が掴めるはずがなかった。戸惑っていると、ソラが隣に立ち、屈み込んできた。
「シロ、アイに撫でてもらいたいんじゃないかな」
その瞬間正解とばかりに、シロが体を寄せてきた。ほらね、とミライがシロを手で示す。
「シロもアイちゃんと仲良くなりたいんだよ~!」
「そ、そんな」
確かにソラの解釈通りに考えれば、シロの期待のこもるきらきらとした目は、撫でてもらいたいという願望を抱いているとも判断することが出来る。
だがアイはシロではなく、宙を撫でた。
「でも、私は……」
自分に撫でる権利など、あるはずがない。なのになぜ自分は、まだこうして、ミヅキ達とここにいるのだ。
「私は、どうすればいいのですか……」
何もかも想定と違う。立てた筋書きも、自身の行く末も、全て自分で考えて、それに完全に従えたと思っていた。
だが結末は、予想していたものとまるで異なっていた。
今この状況でどういう行動を取るべきかなど、全く想定していなかった。想定することすらも全然視野に入れていなかった。
頭はずっと回っておらず、力が抜けていくばかりだった。アイは、だらりと腕を下げた。
力を抜かして下げた腕。桜のかんざしを握りしめている手が、何者かの手によって包まれた。
「“探す”っていうのはどうかな」
顔を隣に向けると、ミヅキと目が合った。
アイの考えなど全部見通している。そう確信した迷いのない眼差しが、突き刺さってくる。
その瞬間、ミヅキの真剣で硬い目線がふっと緩んだ。
「アイが自分に個性が無いって言うんだったら、見つかるまで探せばいいじゃない!」
これ以上無い名案とばかりに、ミヅキは目を輝かせながら勢いよく立ち上がった。アイが言われた台詞を理解する前に、ソラが頷いた。
「アイにも、必ず、自分だけの色があるよ。透明も、他と色が被ってるなんてことも、無いはずだ」
「アイちゃんが、“私は私だ~! 他の誰でも無い私自身だ~!”って胸をはって言えるもの、探せば絶対にあるよ~! だって宇宙って、凄く広いんだもの!」
「私はそんな口調で話すことはありませんが」
「硬いことはなし! とにかく、無いんだったら見つかるまで探せばいいだけの話じゃない!」
アイが俯く前に、ミヅキはアイの前に回り込み、それを阻止した。
先程のように“大切”の一言で全て押し通そうとしたり、今のように“無いなら探せば良い”と単純な答えに無理矢理纏めたり。
自分は様々なことを考え続けてきてもなかなか答えが出ず、その答えを出すことも躊躇われたのに、相手は簡単で簡潔な答えを、すぐに出す。
それでいいのか、と疑問を抱かざるを得ない。そんな単純で簡単な答えに従うことが、この人間達にとって、為になるのか。
仁王立ちするミヅキを、アイはじっと見つめた。
「ミヅキさんって、非常に単純ですよね」
「えっ」
「そして無鉄砲で大胆で豪快ですよね」
よほどショックを受けたのか、ミヅキの体は石化のごとく固まった。
ソラが苦笑いして微妙に肯定する中、「あのな!」とクラーレがつかつかと寄ってきた。
「その目は節穴か? そこがミヅキの一番の長所なんだよ」
「節穴……。私の目にはちゃんと瞳の役割を果たす物体が埋め込まれていますが、これが穴が空いているように見えるのですか?」
「あんた今皮肉言ったか?」
「なんのことでしょう」
アイが明後日の方向を見ると同時にソラが飛び出していき、クラーレを宥め始めた。
何か言い合っているようだが、それらの声はほとんどアイの耳に入っていなかった。
「わかってます。それが長所であることは、よく理解しています」
呟くと、言い合いがぴたりと止まった。
無いなら探して見つければいいという理屈が、ずっと頭脳回路を巡っている。
個性を探す。どこまで進んでもレプリカである事実の変わらない自分が、“個性”を探す。
探して、見つかるのだろうか。見つからないとわかっているものを探しても、意味がないのではないか。どこを探しても、見つからずに終わるのではないか。
「……でも、こればかりは、探しても、どうにもならないものです」
「ううん、見つかるよ。だって私達も探すもの」
視線を正面に戻すと、ミヅキは変わらずに、アイのことを見ていた。
「探しもの、私達にも手伝わせてよ。アイに悩みがあるんだったらそれを少しでも軽くしたい。だって友達が悩んでいるところ見るのは、私が嫌だから!」
さも当然のことのように、言った。
自分がどういうことを意味する言葉を言ったか。
わかっているか否か不明な程真っ直ぐな目には、疑いも迷いも躊躇いも無い。
「ねえ、アイ。探そうよ。一緒に」
最後の単語。一緒という言葉を、ミヅキはとりわけ大事で大切なもののように、ゆっくり、はっきりと、言った。
「いっしょ」
アイはその言葉を繰り返した。一緒。その単語の意味はわかる。よくわかるからこそ、混乱している。
顔を下げ、瞼を下ろし、目の前が見えなくなっても、ミヅキの視線は未だ突き刺さる。
ミヅキだけでなく、この場にいる全員が、アイを見ているとわかった。
「私は敵だったのですよ」
「けど、今は違う。でしょ?」
諭すように、穏やかな口調で、ソラが言う。
「私には戦闘能力が備わっておりませんし、分析能力や計算能力等も、ハルとスペックを比べたら見劣りします」
「アイちゃんなら、そういうのどうでもいいって答えること、わかってると思ったんだけどなあ」
呑気に、のんびりとした言葉遣いで、ミライが言う。
「……見つかると思いますか。私の、個性」
「当たり前じゃない!」
降ってきた声に、音には生じないはずの眩さを覚えた。閉じているから、視界が真っ暗なことに変わりは無い。
だが、どうしてだろう。光が見える気がする。闇の中に、光が生まれたように見える。
「だって、アイは一人で探すわけじゃないんだから! 皆で一緒に、探すんだから!」
目を開けた。一瞬眩しさで、何も見えなかった。
「いいのですか。一緒にいて、いいのですか」
「問題なんて、どこにもないよ。だって、同じ気持ちだから!」
光の中で、アイが一番最初に見えたものが、ミヅキとソラとミライが笑っている姿だった。
「答えが出ました」
目が慣れて、光が薄れ、徐々に周囲の景色を認識出来ていく。本物の桜のかんざしも、機械だったかんざしも、両方強く握りしめる。
アイは、ゆっくりと立ち上がった。
「私は、個性を探そうと思います。人が皆旅人なら、私は、個性を探します。
人ではありませんが、レプリカならレプリカなりに、レプリカの個性を、見つけてみせます」
言ってから一呼吸ほど遅れて、この場にいる者達の両目が面白いほどにまん丸く開かれた。その中で唯一“顔”のないハルが、アイに歩み寄る。
「何かを探すことは、多くの困難を伴う。苦しいぞ、アイ。君が今日覚えた似た辛さやそれ以上の辛さがこの先待ち受けている。それでも、いいのか?」
そうだろう、と考える。間違いなく、この先自分の前に幾度となく壁が立ちはだかる確信がある。その道を、その選択肢を選んだのだから。
未来がわかっているのにその選択肢を取り、その道を選んだのは、きっと乗り越えられるだろうという、薄くも揺らがない予測があったからだ。
ここにいる者達と一緒なら。ここにいる者達と一緒にいられるのなら。
はい、とアイは頷いた。
「構いません。探します。皆様と、一緒に」
「そうか。わかった。では、改めて問う」
ハルがアイを見下ろしている。アイもハルを見上げている。両者共に、視線を逸らす気配は訪れない。
「私の名前は、ハル。君の名前は、何と言うんだ?」
その問いは、非常に簡素で、短かった。
相手の名前を聞くという、非常に簡単な質問。
「私は」
自分の名前。それは、後にも先にも、一つしか存在しない。
「ワタ、し、は」
首をそらし、身長の高いハルを、更に見上げる。“自分の名前”を、声に乗せる。
「“わたし”は、アイです」
こくり、とテレビ頭が上下した。ハルは右の手を、差し伸べてきた。
「アイ。これから、よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願い致します」
差し伸べられた手に触れると、硬い感触と冷たさが伝わってきた。それをしっかりと握り、頭を垂れる。
「数々のご無礼を働いた罪を、あなた方に尽くすことで償うことを誓いま」
「硬い硬い硬い硬いっ!!」
途中でミヅキの不服げな大声が割って入ってきた。
「硬すぎ! もっと気楽にいこうよ!」
「駄目です。この場面は決して“気楽”になってはいけない状況です」
「えええ~~~……」
不満を露わにするミヅキを観察するように眺めていると、「う~」と言葉にならない言葉を発する声が聞こえてきた。
見ると、ハルの抱っこ紐の中から、ココロがアイに向かって手を伸ばしていた。
「ココロさん……?」
近づき膝を折って目線を合わせると、小さな手がアイの頭を触った。右、左へと、手を動かされる。
撫でられたのだと理解して、「ありがとうございます」と頭を下げると、にこっと笑顔が返ってきた。
すると、今度は足下から「ピイ!」と高い鳴き声が聞こえてきた。
見ると高速で尻尾を振るシロの姿があり、その顔は不満そうだった。そういえば撫でて欲しいと訴えていたことを思い出し、しゃがみ込む。
そろりそろりと伸ばした指先に体毛の先が触れただけで、その柔らかさが伝わった。
勢いをつけて手のひらを頭の上にぴったり乗せて撫でると、シロの尻尾が穏やかな振り方に変わり、表情が柔らかくなった。
今こうしてこのこを撫でていることが出来ているのも、自分の考えと判断の末に得たものなのだと思うと、あまり現実味が無いような、妙な気分を抱く。
「それにしても、考えて答えを出すという行為は、実は大変に難しい。よく決断したな、アイ」
「……あなたの仰いました、“機械だが、道具ではない”という一言があったおかげです」
するとクラーレが、「あれか……」と腕を組んだ。
「あの時ハル、いきなり物凄い大声を出したから驚いたな。なんだったんだ、一体」
「それは申し訳なかった。あの時、状況が同じだったから、アイに話しかけるべきと判断したんだ」
「状況?」
「私と」
「は?」
「あの時アイが言っていた、自分はなぜ作られたのかという疑問。同じ疑問を、私も抱いているからな」
ふいにハルは顔を上げ、じっと一点を眺め始めた。
皆がそうしたようにアイも目で追ったが、ハルの見る先には高く済んだ青空と、薄い鰯雲が広がる以外何も無かった。
「私も、わからないんだ。自分の作られた意味が。ずっとずっと、わからない」
その言葉が、秘め事を語る時のように、あまりにも静かに語られたからか。内容そのものに動じたからか。全員分の視線がハルに集中し、沈黙が流れた。
だがずっと続きそうな予感がしていた沈黙は、ハルが頭を元に戻し「まあ」と呟いたことで途切れた。
「それを聞く前に、博士は亡くなった。だからもう真意を知る事が出来ないんだ。だから気になっている、それだけのことだ。それに言わなかったということは、あまり大きな理由は無かったのかもしれないしな」
ぽんぽんとココロの背を叩いてあやした後、ハルは「アイ」と名前を呼んだ。
「自分の作られた意味。そこまでに考えが至るロボットは稀な存在だ。アイはこれからどんどん成長できる見込みがある。これからも、考える事を恐れずに、歩んでいってほしい。同じロボットとして、私はそう助言する」
「はい。かしこまりました」
アイは一つ頭を下げた。そのまま口を開いた。
「機械だが道具ではないという言葉。あなたのあの言葉がなかったら、わたしはあのまま、考える事を放棄していたかもしれません」
「そうか。アイの為になったのなら良かった」
「それだけではありません。知り続けたら、わたしにとって必ず新しい道が開ける、今までには出現し得なかったはずの選択肢が現れる、と。知る事は可能性だ、と。
わたしがハルと接触したときに仰っていたあの台詞、ずっとわたしの中にありました」
「あの台詞か。覚えていたのか」
「はい。非常に鮮明に」
今生じた考えをハルに伝えたら、どういう反応が返ってくるのだろうか。
ずっと頭を下げたままのアイに対し集まっている皆の視線は、どういう変化を遂げるのか。
アイは頭を上げた。
「あの、ハル。一つ、いいでしょうか」
「なんだ」
自分よりも、性能面でも製造年数でも遙かに上であるロボットを、じっと見る。
「ハルのこと、これから“師匠”とお呼びしてもよろしいでしょうか」
「……む?」
「え゛っ?!」
アイの言葉が予想していなかったものだったのか、皆一様に潰れたような声を出して驚きを表に出した。
ハルもハルで、「師匠……」と声を漏らし体の動きを止めた。
「ハルはわたしを導いて下さった存在です。今のわたしがいるのは、間違いなく、ハルの助言があってこそです。ハルは敬意を表すべき相手と判断されました。
そこでデータベースを検索したところ、現時点の状況で相応しい、最も敬意を表す呼称が“師匠”であるという結果が結果が算出されました。なので、これから師匠とお呼びできればと、考えた次第です」
ハルとの初めての接触以降、幾度となくその時ハルが言っていた台詞がアイの中で再生された。
それが再生されるときは主に、アイがいわゆる、“人生の岐路”に立たされた時だった。
ハルの言葉があったからこそ、アイは考えるという行為を続けることが出来たのだ。
振り返れば、アイはすぐにその結論に辿り着けた。
そんな相手を、呼び捨てで呼び続けるなど出来ない。
かといって普通の敬称だけではとても足りないと感じる。
「どう、でしょうか」
アイだけで無く、ミヅキ達もハルの横顔を見つめ、返答を待っている。そのハルはしばらくの間固まっていたが、やがて浅くテレビ頭を上下させた。
「師匠か。私をそのように呼ぶ者は初めてだ。……アイの好きなように、呼びなさい」
「有り難く思います。それでは師匠、これからはわたしに、何なりと命令をお申し付け下さい」
「わかった。アイに適任と判断した作業があれば、それを頼むことにする」
ありがとうございます、と一礼した後、アイは横を向き、クラーレに対しても、同じように頭を下げた。
「改めまして、アイです。よろしくお願い致します」
「……変な真似したら容赦しないからな」
「重々承知しております」
さすがに本人の性格も相まって、まだ警戒の目を向けられている。
こういうときは時間をかけていく以外に有効な手立てはないと考えた時、いつの間に回り込んだのか、ミライが横から現れた。
「クラーレさんは手強いよ~! でも、アイちゃんに酷い事は絶対にしないっていうのは保証する! だってものすごーーーく優しくて、とーーーってもお人好しだから!」
「余計な事を言うんじゃねえ!」
「いいじゃない、クラーレ。だって本当のことでしょ?」
ソラにぽんぽんと腕を叩かれたクラーレはぐっと言葉を詰まらせ、ふいっとそっぽを向いた。そんな様子を見て、ミヅキが苦笑を零した。
「相変わらずだなあ。でもアイ、クラーレは本当に怖くもなんともないから大丈夫だよ。ちょーっと素直じゃないだけだから!」
「それは、ミヅキさん達の態度を見ていれば、わかります。ミヅキさん達が知るクラーレさんの一面が、わたしにも見せて頂ける日が来るよう、精一杯のことを為そうと思います」
「……まあ、精々励めよ」
「頑張ります」
と、ソラが唸りながら腕を組んだ。
「僕は、クラーレとアイは仲良くなれそうだと思っているんだけどな」
「どこをどう見ればそうなるんだ?」
「まあ、勘だよ」
意味ありげに笑うソラと、頷いて同意を示すミヅキとミライを眺めているうち、ふと需要な言葉を伝え忘れていたことに気づいた。
「ミヅキさん。ソラ。ミライさん」
名前を呼ぶと、すぐに三人は振り向いてくれた。そんな三人に、アイは深々と、頭を下げた。
「本当に、ありがとうございます。これから、よろしくお願い致します」
「だから硬いって!!」
ミヅキが盛大に突っ込んできて、肩を掴まれ無理矢理顔を上げられた。自分では適切な態度だと思っていたので首を傾げると、苦笑が返ってくる。
と、水に濡れた体に染み渡るような冷たい秋の風が通り過ぎていき、案の定ミヅキはぶるりと体を震わせた。
「い、一旦家に帰ってお風呂入ろう……」
「うん、風邪引くよこのままだったら……」
「アイちゃんも、体温めたほうがいいよ~!」
「……だな」
「では、早速戻ろうか」
ココロが頷き、シロがぱたぱたと飛んでいく。皆が歩き出した背の向こうに青空が広がり、雲が浮かび、太陽が見えた。
それを眺めていると、ふいに全員が歩みを止め、振り返った。
「どうしたの? 戻らないの?」
ミヅキが問う。その顔は、きょとんと呆けていた。
「戻る、って」
「へ? 宇宙船でしょ?」
「宇宙船」
いいのですか、と聞こうと思った。「戻る」という言葉を使って、いいのか、と。
だが許可を得る前に、そもそも尋ねる前に、ハルが言った。
「早くしたほうがいい。ロボットでも、ずっと濡れた衣服を着ているのは好ましくない」
「……さっさとしろ。あんたが来なかったらミヅキ達も家に帰れねえだろ」
「クラーレさんって、私達のことばかり考えてるんですね~」
「なっ、うるさい!!」
「まあまあ……」
ソラが宥めた後、こちらを見た。「戻ろう?」
アイは、二回、三回と瞬きをした。それでも、目の前に広がる景色は、変わらなかった。
青空が薄れることも、太陽が消えることもなく、ミヅキ達が変わらずに、そこに立っている。
「はい」
そこに向かって、一歩、足を前に進めた。
ふいに、ミヅキがはにかんだ。
「やっと、笑ったね!」
アイは頷いた。そんな予感はしていた。
風が涼しい。すっかり軽くなった頭に、体に、足に、程よい冷たさが吹き抜けていくようだった。
なのに、体の中心に灯る柔らかな熱は、いつまでも消えなかった。
きっとこういうとき人は、笑顔になるのだろう。
Chapter7「レプリカの個性」〈終〉
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