Chapter8「秋の終わり」

phase1「仲良しになる方法?」

 幼かったあの日に見た父の後ろ姿を、美月は今も鮮明に思い出すことが出来る。


 草木も眠りにつく時刻。目が覚めた美月は、トイレを済ませて部屋に戻る途中、自宅と店舗を繋ぐドアの向こうから、ぼんやりとした明かりが漏れているのを見た。


 もし穹が同じ光景を見たなら、店にお化けがいるのかも、などと怖がり怯えたかもしれない。


 だが美月は違った。その頃から既にお化けなど怖くもなんともなかったし、店にいるのがお化けでないことはわかっていた。


 ドアの向こうは暗かった。客席は全部電気が落とされ、厨房だけに電気が灯っていた。


 ぼんやりと明かりのついているその厨房の空間だけ、闇に浮かび上がっているようだった。


 そっと厨房に入ると、キッチンのカウンターの前に置いた椅子に腰掛け、背中を丸める弦幸の後ろ姿があった。その背中を見て、美月は動揺した。


 表面上は弦幸に変わりはなく、何の異変もない。


 だが、背中から漂ってくる重苦しい空気も、両手で頭を抱えじっと動かない姿も、どちらも今まで一度も見たことが無いものだった。だから美月は、酷く戸惑った。同時にその瞬間、弦幸の異変の原因に、察しがついた。


 「お父さん」と細い声で呼びかけると、一呼吸遅れて弦幸は振り返った。「どうしたんだ?」と問う声も振り返った時に見せた笑顔も優しく穏やかだった。


 振り返ったことにより、その向こうに置かれていた、カウンターに広げられたノートの存在も、視界に入れることが出来た。


 古びて使い込まれた見た目のそれは、ミーティアのメニューの調理方法が記されたレシピノートだった。


 「それ」と指さすと、弦幸は顔を強張らせた。ぎこちなくノートを見て、誤魔化すような苦笑を浮かべる。


「おじいちゃんのような料理を作るのは、本当に難しいね。お父さん、まだまだだよ」


 このミーティアは、もともと祖父が始めた店だった。

 弦幸が源七の娘の浩美と結婚したことにより、店を継いだ証として源七は名前を変えることを進めたようだが、弦幸は「この名前が大好きですから」と言い、変更はしなかった。

 源七は渋っていたようだが、やがて笑顔で了承し、自分はもう完全に引退するから、この店も、新しいものとして生まれ変わらせてほしい、と頼んだのだった。


 今弦幸が見ているレシピノートは源七が作ったものであり、源七はこれを弦幸に渡したとき、オリジナルよりも更にいい料理に進化させて欲しい、と言った。


 その言葉通り弦幸は、元の良さを変えないように心がけながら、その料理が更に良くなる方法を模索し続けた。


 弦幸も昔、別の店で洋食の料理人として働いていたが、そこで挫折を味わい辞めた。料理人そのものを辞めようかと本気で考えていたとき、たまたまこの店に入り、この店の看板メニューのオムカレーを食べたことにより、ここで働きたい、と思ったそうだ。

 つまり弦幸はこの店の料理に何よりも思い入れがあり、愛情がある。だから毎日研究を重ね、ミーティアの良さを広めたいと考えて、毎日研究を重ねていた。


 しかし、今日。


「私、お父さんの料理大好きだよ! 宇宙一大好きだよ!」


 美月が父に距離を詰めそう訴えると、ありがとう、と父は頭を撫でてきた。笑う瞳からは、深い悲しみが隠し切れていなかった。


 今日、見て、聞いたのだ。源七の代の時と料理を比べられる、父の姿を。前の代のほうが美味しかった、という言葉を。


 その後のことはよく覚えていない。ただ、世界を無理矢理ひっくり返されたような、そんな衝撃を抱いたことは覚えている。


 その時の事を思い出していると、弦幸が優しい声を崩さないまま、こう聞いてきた。


「美月。美月はお父さんの料理とおじいちゃんの料理、どっちが宇宙で“一番”だと思う?」


 美月は固まった。両手を忙しなくさ迷わせ、えっと、と呟く。


 引退してからと言うもの、祖父は厨房に立ったことはないが、家の台所にはしょっちゅう立っている。

忙しい父と母に代わり、いつもとびきり美味しいごはんが用意してくれる。それを食べている身としては。


「どっちも、一番」


 結局そう答えた。この状況では、お父さんが一番と言うのが正解なのは明らかだった。


 だが、祖父の料理も大好きなのだ。祖父の料理も宇宙で一番だと思っているのだ。比べられないし、決められない。


 正直に白状すると、弦幸はにっこり笑った。


「お父さんもだよ。自分の料理が酷いとは思っていないけど、それでもおじいちゃんの料理は一番だって思ってる」


 弦幸はレシピノートに顔を向けた。


「皆違って皆良いんだよ、美月。お父さんの料理が好きな人もいれば、好きじゃ無い人もいる。それだけのことなんだ。人の心は、それぞれ違うんだから」


 穏やかな口調を崩さずに言った。けれども美月には、まるで自分自身に言い聞かせているように聞こえた。弦幸は手を伸ばし、美月の頭の上に置いた。


「大好きって言ってくれてありがとう、美月。とても元気になったよ」


 頭を撫でる弦幸は笑顔だった。だが美月は笑うことが出来なかった。


 今回のようなことは、昔は割としゅっちゅう起きていた。二代目である父は、いつも先代と比べられていた。


 お父さんの料理の美味しさを、良さを、どうしてわかってくれないんだろうか、と。

 どうして、わかってくれない人がいるんだろうか、と。


 そればかり、考えていた。





 

 木枯らしの吹き渡る裏山の地面は、どこも落ち葉で赤や黄色に彩られている。


 葉に足を滑らせないよう注意しながら、美月は今日も山中に停泊する宇宙船のもとまで歩いて行った。白い船体が見えてきたと思ったのも束の間、ふと美月は変わり無いはずの光景に、少しの違和感を抱いた。


 すぐに船内に入らず立ち止まってしばらく宇宙船を観察していると、やがて違和感の出所に気がついた。


 宇宙船周りが、不自然なまでに綺麗すぎる。


 宇宙船周りの地面半径数十メートルに、落ち葉が一つも無いのだ。本当にただの一つも落ちていない。境界線を敷いたように、落ち葉の積もった地面とそうでない地面に分かれている。


 そのあまりの人工的に整えられた外観からして、自然とこうなったとはとても考えられにくかった。人工的な綺麗さに、美月は首を傾げながらスロープを上り、宇宙船内部に入った。


 その瞬間、つるりと足が滑った。


「?!」


 そのまま尻餅をついて気がついた。床が、磨かれすぎているのだ。


 スケートリンクの代わりが充分務まるのではないかと思う程、ぴかぴかだった。


 事実、壁に手をついて移動しないと、すぐまた足を滑らせ転びそうになった。何度もスリップしかける床は、まるで鏡のように天井を反射していた。


 顔を左に向ければ、宇宙船の廊下に等間隔についてある窓も、これまた不気味なまでに磨かれていた。一点の曇りもない窓は、そのまま新品の鏡としてとも使えそうだと感じた。

 実際に窓ガラスに映る自分の姿を確認しながら、軽く前髪を整えた時だった。


「いい加減にしなさい、二人とも。はっきり言ってやりすぎの域に達している」


 少しだけ開いたリビングのドアの向こうから、ハルの普段より心持ち大きな声が聞こえてきた。


 すぐに入らず隙間から覗くと、ハルはこちらを背に立っており、その向こうに一人分ほどの距離を間に空けて立つ、並んだ二人の人影が見えた。


「だってよ……」


 クラーレは分が悪そうにハルから視線を逸らした。直後、隣の人影が深く頭を下げた。


「お役に立てなかったようで大変申し訳ありません、師匠」

「本当にどうしてここまでになったのか、正直予想の範疇を超えている」

「はい。本当にすみません」


 クラーレがじろりとした目線をアイに投げた。


「あんたがやりすぎたんじゃないのか」

「わたしは適切な掃除を行えたと判断しています」

「……じゃあ俺のせいだって言うのか」

「そのような意図はありませんが、そう受け取ってしまわれたのなら謝ります。申し訳ありません」

「……おい」

「そういうところだ、二人とも。いい加減にしなさい」


 ハルがそう言っても、二人とも目を逸らすだけだった。アイの逸らした目が、ドアのほうに向いた。瞬間、涼しげな目が一瞬少しだけ見開かれた。


「ミヅキさん」


 先程よりも幾ばくかトーンが上がったような声を発した口に、微笑が浮かんだ。

 美月はドアを開け、「やっほー!」と手を振った。瞬間、振り返ったクラーレが気まずそうに顔を引きつらせた。


「い、いたのかよ……」

「うん。もしかして、またやっちゃった?」

「そのもしかして、だ」


 ハルが代わりに答えると、クラーレは言葉を詰まらせ、視線をさ迷わせた。うろつかせた視線の先でアイと目が合うと、即座にふいっと背けた。


 宇宙船に身を置くクラーレは、居候の身だからと弁えているのか、掃除や洗濯などの家事やココロの世話などを手伝って過ごしている。


 ハルにそれらを頼まれた際、口では不平不満を言いつつも、実際は真面目かつ丁寧に言われたことをこなす。

それだけでなく頼まれていなくても積極的にやっていることから、実は家事が好きという説は、本人がいないところでまことしやかに囁かれてもいた。


 本人は頑なに否定しているが、美月達の説の正しさは、アイが来てから根強いものになった。


 元来の警戒心の強さも相まり、クラーレにとって「もともと敵だった」という立場にあるアイを受け入れることは難しいことだった。


 ぎくしゃくとした空気になりがちな二人に、ハルは「二人で手分けしなさい」と、家事を頼むようになった。

 共同作業をこなしていくことにより、心の距離が縮まっていくという分析に基づくものだった。

 

 しかしハルの計算は外れた。二人が大人しく助け合いながら家事を担う、という結果にはならなかったのだ。


 クラーレには、アイよりも先に住んでいた分、経験の浅いアイには任せられないと、長く家事を担ってきたプライドがあるからか。

 アイも、ハルの弟子として、師からの頼み事をこなすのは弟子以外有り得ないという考えがあるためか。


 二人は、家事の分野で競い争うようになった。


 どちらがより早く、上手く出来るか。

 白黒はっきりつけるかごとく、ここ数日間の二人を見ていると、お互い家事に対する本気の入れ方が半端じゃない。


 床掃除をすれば美月が体験したようにスケートリンクのごとく磨き込まれるし、洗濯をすれば船内にある全ての衣類が洗われ、料理ともなると一度ではまず食べきれないような量を作る。


 手分けして助け合うどころか極端に争い合う二人に、美月達がどちらが上かなど決められるはずもなかった。


 それが二人の、と言うよりクラーレの闘争心に尚更火をつけているようで、依然としてどちらが宇宙船の家事を担うに相応しいか、今日もその立場を巡って争い続けている。


 クラーレがちらりとアイを見やった。


「……宇宙船周りと廊下と窓拭きは勝負がつかなかったな。次は船体の掃除でどうだ? 俺でもきついと感じるやつだが」

「構いません」

「そうかよ、だがこれは経験の差が物を言」

「……クラーレ」


 かなり低く設定されたハルの声が、ゆっくりとクラーレの名を呼んだ。

 クラーレは軽く体を跳ねさせると、肩を落とした。


「……弓の練習に行ってくる」


 口早に言うと、部屋を出て行った。退室の言い訳であることは、そそくさとした足取りから明白だった。


「せっかくミヅキが来たのだし、お茶を淹れてくる。少し待っていてほしい」

「それでしたらわたしが」

「いや、大丈夫だ」


 アイを制してリビングから廊下に出たハルは、瞬間、足を滑らせかくんと体を傾かせた。「師匠!」と駆け寄ろうとしたアイを制すると、すぐに立ち上がって何事もなかったように歩き出した。


 アイは駆け出そうとした体勢のまましばらく固まっていたが、やがて静かに姿勢を正した。


「数日経ったけど、どう? ここでの暮らしには慣れた?」

「問題ありません。お気遣い、ありがとうございます」


 かしこまった口調で答えられ、ぺこ、と頭を下げられると、美月としてはむず痒い気持ちを抱く。

「もっと砕けた態度になってもいいんだよ?」と言ったが、アイはかぶりを振った。


「ミヅキさん達に対して、そのような態度を取るのは大変におこがましいことでございます。そうでなくとも衣食住を提供して頂けている立場にあるというのに……」


 アイは着ている服の裾を両手で軽く掴んだ。


 アイが今着ている桜色のジャンパースカートやその下の紺色のブラウスやレギンスは、全て未來が持ってきたものだった。


 アイが宇宙船で暮らすことが決定した翌日、「親戚からの贈り物だけど、この格好じゃとても自然の中で写真を撮れないから~!」と、一度も着ていない新品を持ってきたのだった。


 アイは最初遠慮して受け取ろうとしなかったが、「お洋服さん達がアイちゃんに着てもらいたいって言ってるよ~!」の言葉で受け取ることを決意したようだった。


 貰った服に袖を通した後、アイはじっと真顔で自分の格好を見つめていた。

 よく似合っていたが、もしや好みに合わなかったのだろうかと未來と目を合わせていると、アイはこう聞いてきた。


「わたしは、この色が似合うと思いますか」

「うん! 黒い髪に青い目が引き立ってるし、全体的な雰囲気も柔らかくなるし!」

「ミヅキさん達は、に、この色が似合うと仰るのですよね」

「そうだよ?」

「……じゃあ、この色、身につけます。わたし」


 そう言って、アイは微笑んだ。

 それからちゃんと着ているあたり、気に入らなかったわけではないらしい。だが、アイが持っている服は実質これだけである。


 新しくアイに似合う服を探し求めてショッピングなどしてみたいと思うのだが、提案しても相手は断固として了承しなかった。

「わたしはそのようなことを甘んじて楽しむ立場には無い」というのが言い分だった。


 ダークマターから寝返って、これからどこに拠点を置こうか考えていたアイに、ハルが宇宙船に滞在すればいいと言った時もそうだった。


 「わたしはプルート時代、師匠を捕獲する為の計画の算段を整える役割を担い続けてきました。そのような者を一つ屋根の下に置くなど、許されないことでございます」と言い張り、

「わたしは外で充分です。何かありましたらお申し付け下さい」と宇宙船のすぐ近くで野宿を始めようとしていた。


 そんな申し出を拒否し宇宙船での暮らしを提案するハルと、その提案を拒み続けるアイの間で、かなり長い時間理屈と理論での言い合いが続いた。

 最終的にアイは、ハルの「同じように宇宙船内にいたほうが、宇宙船外で待機しているよりも、連絡が円滑に進む」という言い分に折れた。


 だがその後もその後で長かった。

「わたしに部屋など不要です、物置で寝ます」と言い出し、物置の隅に腰を下ろしたり、他にも自分に出す食事は不要と言ったり、

「わたしは本来あなた方と同じ目線に立つことも憚られる立場です」とソファじゃ無く床に直に座ったり、とにかくアイは一線を引いてくる。


 その都度ハルが説明を施し理屈を用いて考え直させているが、アイの美月達から一歩退いたような態度は変わらない。

 元敵という立場を気にしているのだろうが、美月としては気を遣ってほしくないし、普通に友達として接したい。


 そんな思いが常にある一方で、アイの真面目な考えもアイらしいと思う身としては、あまり強く言えないでいる。


「何か気になってることとかわからないことはある?」

「……砕けた態度で思い出したのですが、師匠の態度が、少々不可解です」


 やや躊躇いがちに言った言葉からは、若干の不満が滲み出ていた。


「えっ、まさか何か失礼なことしてるの?!」

「逆です。それが不可解なんです。わたしは師匠の弟子ですから、師匠はもっとわたしのことを使ってくるかと考えていました。

ところが全然そんなことがないのです。用事もあまり言いつけてこず、むしろ大体のことは師匠自身の手で片付けている。合理性を重視すれば、全ての作業効率を円滑に進める為には、わたしを使うことにすぐ考えが至るはずですが……」


 アイは物憂げに俯いた。


「師匠はわたしを、補佐として扱うに至らないと考えているのでしょうか……」

「違う違う、ハルって優しいからさ、そんな風には思ってないよ絶対に!」

「……わたしのスペックでは、師匠が考えていることを理解するに至れません」


 アイはお手上げとばかりに頭を軽く振った。


「たまに言いつけてくる家事も、手分けしてやりなさいと言われるだけですし……」

「そう言われているのに、なんでいつもクラーレとバトルになるの……?」

「クラーレさんの手を患わせるわけにはいきませんし、クラーレさんにも自由時間が生まれますし、ここはわたし一人が請け負うべき状況なのではと考えているのです。しかし、それが原因で、俺の仕事を取る気か、と言われてしまいました。どうやら勘違いさせてしまったようです」

「そうかあ……」


 クラーレはプライドから、アイは気遣いから、見事にすれ違ってしまっているのだろう。


 アイは静かにぽつぽつとした調子で言葉を発した。


「仕事の横取りなど、そんな気は一切ないとお伝えする為、ひたすらにクラーレさんを褒めて褒めて褒めまくりました。

“滅相もありません。わたしはクラーレさんのように丁寧に心を込めて家事をこなすことは出来ません。この磨き方一つとってもクラーレさんの心が見えてくるようです。この宇宙船の事、ひいては仲間達のことを非常に大切に思い、愛していらっしゃる気持ちが動作に表れています。わたしはここまで愛と真心を籠めた家事をすることは出来ません。”

というようなことをずっと言っていましたら、滅茶苦茶に怒られました。

なのでクラーレさんからの申し出である家事対決に受けて立つようにしています。下手に相手を気遣う態度を見せるほうが、より相手の警戒心が増すと判断しましたので。

……しかし、本当のことをなぜ隠すのか。クラーレさんがミヅキさん達のことを非常に深く愛していらっしゃることは火を見るよりも明ら」


「余計なことを言うんじゃねえ!!!」


 ばーんとドアが開け放たれ、凄まじい形相をしたクラーレが現れた。


 アイと二人で飛び跳ねていると、盛大にため息を吐いたクラーレの後ろから、

「うわっ、何?!」「す、滑る~!」と、穹と未來の悲鳴混じりの声が聞こえてきた。

 



 その後クラーレは弓の練習のためにシロを連れて外に行き、アイは倉庫の片付けをしてくると席を外したので、リビングには美月と穹と未來とハル、そしてココロが残された。


「緊急会議を開きたいと思います!」


 軽く両膝を叩くと、ぽんという軽快な音が鳴った。


「本当に姉ちゃんは急だよね……」

「議題はずばり、クラーレとアイの確執を丸くさせたい、です!」


 向かいのソファに座る未來が、雰囲気を出すためなのか拍手をした。


「ハルから見て、クラーレとアイの様子はどう?」

「お互い極力話さないようにしている印象が強い。目を合わせてもすぐに両方ともが逸らす」

「なるほど気まずいね!」


 こればかりはクラーレ本人の性格が関わっているので、何とも言えなかった。


 美月達に対してはそういう一面を全く見せないので忘れていたが、もともとクラーレは強い人間不信であり、用心深く警戒心が強い。


 そんなクラーレが、あまり接点のなかったアイに棘のついた態度を取るのも、充分に考えられることだった。


 他者に心を開かないクラーレは、アイに対してもどうしても信用することが難しい様子だった。

 アイもアイで、クラーレと距離を詰めようとしない。家事の対決も受けて立っている。


 クラーレから信用されていない状況を不満に思うでもなく甘んじて受け入れ何もアクションを起こさないことから、クラーレもますます相手を信用することが難しい状況にお散っているようだ。


 このため、この二人の間に深い溝が生まれていることは誰の目から見ても明らかだった。


「トゲトゲクラーレさんは私達と出会った頃から健在だったけどねえ~。今はちょっとその時と状況が違うもんねえ」


 未來の言葉に美月は何度か頷いた。


 クラーレは、アイに対しては棘ついているが、美月達に対する態度は全く変わらない。だからこそ、こちらが気まずさを覚えている。


 クラーレもアイもどちらも両方大切だからこそ、二人を隔てる溝を、少しでも埋めたい。


「でもクラーレって頑固だもんなあ……。アイも意外と頭固いし……」

「……それはどうかな」


 穹が控えめに挙手をした。


「さっきクラーレは、弓の練習をしてくるって言ってたのに、なぜか戻ってきたんだよね?」

「うん、そうだけど。どうしてすぐに行かなかったのかなって。まあ戻ってきたんじゃなくて、リビングの前をたまたま通りかかっただけかもしれないけど……」

「多分、気になったんじゃないかな」


 え、と聞き返すと、穹は軽く笑った。


「アイに対してきついこと言っちゃったんじゃないかとか、とにかく一人になって色々考えて、こっそり様子を見に来たんじゃないかな。あのクラーレの姿、見覚えがあるんだよね。似たような経験、僕も何度かあるから。それにほら、クラーレって、物凄く優しいじゃない?」


 一瞬どこかから盛大なくしゃみが聞こえてきた気がしたが、恐らく気のせいだろう。


「ハルはどう思う?」

「正直、アイはとにかく、クラーレの心の内を知るのは、ロボットの私では限界がある」


 ローテーブルを掴んでよちよちと歩くココロに、ハルは視線を移した。


「だが、歩み寄ろうとする意思を持ち続ければ、溝は埋まっていくものだ。私もココロと出会った当初は彼女の心がわからず接し方に試行錯誤したものだが、今はだいぶ改善された」


 その時、ちょうどハルの足下を歩いていたココロが、体勢を崩してぺちんと転んだ。

 泣き出しそうになった顔を察知したハルが抱きかかえようとすると、その前にココロは立ち上がり、ハルを避けるようにまた歩き出した。


「……このように、未だにココロの考えてることがわからない時もある」

「……」


 背中を見せててちてち歩いて行くココロは、どんどんハルから離れていった。


「話が脱線したな。私が言いたいことは、ミヅキに同意する、だ。

私達はいわば仲間であるから、仲間同士の間で溝が生じているのは、正直良くないと考える。この溝は少しでも埋めるべきだから、その方法を探るべきだろう。双方に歩み寄る意思がないのなら、そのきっかけとなるものを与えるのが得策だ」

「なんか、夏の海の一件を思い出すね!」


 あの時も、心を閉ざしたクラーレが自分達と壁を作っていたせいでぎすぎすした空気になっていたところ、それを打開するべく、皆で夏の海に出かけた。

結果、お互いのことを少し理解し合え、少し距離を縮めることができた。


「けど、今海に行くのは寒すぎるよね……?」


 もっともな穹からの突っ込みが入った。秋の終わりが見え始めている今日この頃に海に行っても思うような成果が上げられないことは目に見えていた。

 美月は勢いよく立ち上がった。


「きっかけかあ。ならば皆で良い方法を探そう! “クラーレとアイの溝を少しでも埋めよう仲良し大作戦”の決行だよ!」

「……相変わらず姉ちゃんのネーミングセンスって微妙だよね」

「穹にだけは言われたくない!!」

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