phase6「レプリカ」

 この状況を理解したくて博士を見ても、博士はアイではなく、写真の中の少女を見ているせいで、気づかない。


 博士がペンダントの上に表示される電子写真をスライドすると、画像が別の写真に切り替わった。


「アイは、しっかり者で真面目で、いつも私のことを支えてくれた。お勉強も家のことも、何も言わないのにたくさんしていた。

とても優しくて、そして、とてもよく笑う子だった。あの子の笑顔は花のような笑顔だと思ってたわ、我が子ながら。相手の心を解して癒やす、とっても魅力的な笑顔を浮かべる子だった」


 言葉通り次に表示された写真には、にっこりとこちらに笑いかける、自分と同じ姿をした人間が写っていた。

 その笑顔は、確かに花に例えられるような、明るいものだった。


 自分は、こんな風に笑うことはできない。


「好きなものは読書と花で、植物の研究者かお母さんみたいな技術者、どっちになろうって、いつも真剣に迷ってたわ。

 一番の好物はアイスで、暑い時期はつい食べ過ぎて、昔はよくお腹を冷やしてたわねえ……。

 それとピンク色が好きで、持ち物のほとんどにピンクを選んでた」


 物言いは淡々としているのに感情が存在しており、まるで読み聞かせをしているようだった。

 博士がスライドしながら説明し、聞かせられる説明に合った画像が次々現れていく。


 開いた本を手に顔を上げてこちらに笑いかけている少女。

微笑みながら土に花の苗を植える少女。

アイスを頬張りながら満面の笑みを浮かべる少女。

ピンク色のワンピースを手に目を輝かせて笑う少女──。


 自分ではない「誰か」の話が、「誰か」の姿が、体の中に流れ込んでくる。

 全く身に覚えの無い話に、体の自由が奪われ、雁字搦めにされていく。


 博士の目が遠くなった。博士は確かに写真を見ているはずなのに、その目は写真の少女でもアイでも無く、更に遠くを見ているようだった。


 アイにはとても視認することができなさそうな、遠い場所を。


「私は悪い母親だった。仕事が忙しくてほとんどアイに構って上げることが出来なかった。朝早く家を出て夜遅く帰ってくる日々だった。

寂しい思いばかりさせてきた、なのにあの子は全然甘えも弱音も言わなかったし、寂しがってる素振りも見せなかった。

小さい頃から聞き分けの良い、手のかからない子供で、我が儘を言ったりすることがまずなかったの。どんな時でも私のことを一番に考えてくれていた。

お母さん、お仕事頑張ってね、応援してるよってよく言ってて……。私はそんなアイの言葉に、ずっと甘えて寄りかかっていた」


 博士は自嘲的に笑うと、過去に浸るように、時間をかけて瞼を閉ざした。


「アイの小さい頃に、お父さんが亡くなって……それからずっと二人きりだったけれど、でも、それでも幸せだった。

私には、アイさえいれば、それで良かった。研究や実験に行き詰まって上手く行かなかった時も、アイの寝顔を見ていると、すぐに心が元気を取り戻すの。

不思議よね、本当に」


 同意を求めるように笑いかけてくるも、アイは体のどこも動かないため、返すことが出来ない。


「平和だったのよ。特別大きな事は起きない穏やかな日々だった。それでね、ある日ね、アイが、病気になった」


 波が引いていくようにして、博士の顔から、笑みが消えていく。笑みだけでなく、表情という表情がかんばせから消え失せた。


「辛かったはずだし苦しかったはずなのに、アイはこんな時でも元気で、笑顔を絶やさなかった。必ず良くなるっていつも言ってたし、私もそう信じてた。

だけど、どんどん、悪くなって。打つ手が無くなっていって。全然体が動かなくなって。寝たきりに、なって。それで、死んだ」


 無機質な物言いだった。博士が機械になったのではと、一瞬考えたほどだった。


「見る世界が全部色を失って見えて、アイに会いたいって、一日中、本当にずっと、そればかり考えてた。

心がずたずたに張り裂けそうだった。これ以上アイに寂しい思いをさせないようにって、私もアイのいる場所へいこうと思った。本気で。

……けれど、死ぬ前にアイが言った一言が、私はどうしても忘れられなかった。だから結局私は、生きてしまった」


 ロケットペンダントの蓋を閉めると、瞬間、浮かび上がっていた写真が空中から消えた。博士はペンダントを両手で包み込み、自身の胸へと抱きしめた。


「まだ、生きていたかった。アイは、そう言ったの。泣きながら」


 振り絞るようにその言葉を言うと、博士は両肩を少し震わせた。微かに嗚咽のような音を一瞬鳴らし、それを打ち消すように咳払いがなされる。


「私は決めたの。生きる事を。生きて、それでアイの願いを叶えようと決めた。それで、ロボットを作ろうって、思ったの」


 ここでアイが思い出したのは、故郷のファーストスターに存在する制度のことだった。


 亡くなった人の身体情報などを全て数値化してデータとして保存し、それを元にしたパーツを作り、ロボットとして蘇らせることを許されている制度。


 主に精神的なケアを目的として、亡くなった人間の代わりに、その人間の姿を模したロボットを作り出すことを許可する制度。


 許可を申請し、専用の公的機関に依頼すれば、制作が可能となる。


 公的機関からの依頼に基づいて、バルジ研究所でも、亡くなった人間を模したロボットを作る専用部門が存在している。他ならぬ博士が、そこに務めているからだ。


 とはいえ、実際に行われるにはその門は狭い。許可申請までの門は狭く、様々な条件を満たした上でないと許可は下りない。また依頼するにしても、かかる費用はあまりにも膨大だった。


 なので、病院などの専用機関が利用するのが主な制度だった。しかし、博士は、それを利用したのだ。


「無事に許可も取れたし、後ろめたさも何も無かった。自分で作るわけだから、依頼費も必要無いしね。

私は、データの取り方も組み立て方も何もかも、作り方を全部知ってたから。

アイが亡くなったとき、すぐに葬儀を行わず、体重や身長などの身体情報を全て数値に換算してデータとして保存していたの。

それと、普通はお金がかかるからここまでやらないんだけれど、考え方や価値観が詰まった脳に関するデータも数値化した。

脳波などをデータ化してそれに基づいた思考回路を組み立てれば、考え方も価値観もその人本人により近くなるから」


 完璧に再現しようと思った。博士はそう言った後で、自分の台詞を否定するように、かぶりを振った。


「アイを生き返らせようと思った。すぐに生き返らせてあげたかった。

でも、手元にあるデータを元にして身体を作ってロボットとして起動しても、それはアイではないわ。

アイには心がある。でもロボットには、心が無い。そんなのはアイでは無い、アイの形をした別人よ」


 別人。アイは確実にその単語を反芻して、呟いた。だが口から出てきた声は、おかしいまでに小さくて、形になっていなかった。


「心はどんなに科学が発展しても作り出せないもの。でも諦めきれなかった。もう一度アイに会いたかった。

何としてでも、アイを蘇らせたかった。まだ生きたかったっていうアイの望みを叶えたかった。

私は、何もアイに親らしいことをしてやれなかった、駄目な母親だったから、せめてその願いだけでも叶えたかった。

何よりも、私がアイに、会いたかった」


 博士はそっと、ロケットペンダントを撫でた。愛おしそうな手つきだった。


「宇宙最高の科学力を持つと言われるダークマターだから、心に代わるものをロボットに与える何らかの手段があるだろうと思って、毎日必死の思いで情報をかき集めたわ。裏の世界で取引されている情報を買ったこともあるわ……」


 情けないとでも言いたげに、博士の瞳が薄暗くなった。


「そうしてあるとき、感情内包プログラムの存在を知った。制作が禁止されていることも知ったけれど、ばれた時のリスクは考えなかったわ。

感情があるように見えたとしても、それが感情学習プログラムによる感情の模倣か、感情内包プログラムによって生み出された感情か、判別がとても難しいから。

ただやっぱりばれるわけにはいかなかったから、一人で作った。

だけどプログラムは物凄く複雑で、完成までに何十年もかかってしまった……」


 唇を噛んだ博士の顔が、悔しげに歪んだ。博士はずっとペンダントを見たまま、こちらを見ようとしない。


「けど、完成したのよ。準備は整って、ようやくアイの制作に取りかかれた。ついに、蘇らせることが出来たのよ。

けれど、出来上がって起動したアイは、いつまで経っても、感情が生み出されなくて……」


 博士がようやく顔を上げた。今ここにいるアイを見つめる博士の瞳には、良い感情も悪い感情も何も見えてこなかった。

 そこにあったのは、どこまでも続く「無関心」だった。


 自分は今、どのような目で博士を見ているのだろう、と気になった。


 ふっと博士の目線が下がり、再びペンダントに注がれる。その目は先程とは違い、様々な感情が複雑に存在していた。


「無機質で無感情で、あなたはずっとアイの姿をしているけれど、あの子とは全然似ていなかった。アイがあんなに大好きだったアイスにもずっと無関心で……。

姿はどんなに似ていても、結局はロボットなんだって嫌でも伝わってきて、どうしようもなく辛かった。悲しかった。

アイに会いたい思いは強くなる一方だった。けど、姿だけでもアイが私の傍にいることが幸せでもあったの。それは確かよ」


 点と点が結びついていく。今まで感じていた不可解なこと、わからなかったことが、どんどん判明していく。


 ピンク色を基調とした、使われた形跡の濃い、アイに与えられていた部屋。

博士がよくアイに買ってきてくれた、ピンク色を主とした服装。

しょっちゅう食後に出されたアイスクリーム。


 博士がよく自分に見せていた、幸せそうな笑顔。嬉しそうに笑った後に変化する、寂しげな瞳をたたえた、悲しさを帯びた笑顔。


 人間の食べるご飯をアイに対して作ったり、アイの故障よりも外装の怪我を心配したりして、気遣ったり。


 まるで人間に接するのと全く同じように接し続けていた、アイに対する、博士の態度。


 アイは自分の組んでいる手が、さっきからずっと、小刻みに揺れ動き続いていることに、ようやく気づいた。


「でも、感情内包プログラムが正常に動き始めて。これで、これで、これで本当に……」


 博士の声が震え出す。体ががたがたと震えている。ぱっと弾かれたように、博士の顔が上がる。


「アイが、戻ってきてくれた!」


 博士の頬に、一筋の涙が伝った。けれども博士の両目は、アイに向けてきた笑顔は、輝いていた。その輝きは、今まで一度も見い眩さだった。


「一つ、聞きます」


 ろくに出てこなかった声が、あっさりと、はっきりとした声で、出てきた。体の至る所が震えていないのに、声だけは全く震えを伴っていない。凍り付いたように。


「博士は、に会いたくて、を作ったのですか?」


 博士は何度か瞬きをした。無邪気さすら覚える程、きょとんとした瞳だった。博士の口が動いた。


 博士の首が傾いた。何を当然のことを聞いているのかと、そんな風に言いたそうに。


「そうよ」


 今まで経験したことのない感触が、アイの全身を包み込んだ。


 熱暴走だろうか。体の中の、どこともつかぬ部分が、非常に熱い。

 にもかかわらず、心臓コアは冷たかった。そこの物質が氷に変化したのではと感じた程には。


 ぐるぐると目の前の景色が回る。耳に届く音が滅茶苦茶で、ばらばらに聞こえる。

 思考回路も滅茶苦茶なはずなのに、ある思考の一点のみが、いつも通りに、冷静な動きを見せていた。


 一つの事実が、冷静に分析され、導き出される。


 博士が時間を積み重ねたかった相手も、日々を過ごしたかった相手も。


 ではなく、だった。


「アイ、嬉しかったわ。さっき、私も会いたかったと言ってくれて。それは私もなのよ。私もずっとずっと、ずっとアイに会いたかった!」


 博士の輪郭が揺らめいた。博士が立ち上がったからだ。そのままアイに向かって、一歩、二歩と近寄ってくる。


 捲し立てるような口調を聞く内に、光の宿る瞳を見る内に、それまで全く動かなかった足が、動いた。

 アイは一歩、後ずさっていた。


「アイの笑顔を、また見られる日が来るだなんて。本当に、本当に夢みたいだわ!」

「こ」

「あなたは、ずっと私のことを博士と呼んでいるわよね。でも、どうかお願い。お母さんって呼んでちょうだい、昔みたいに!」

「来ないでっ!!!」


 気づかぬうちに叫んでいた。自分の声で、自分の体が震えた。


「ど、どうかしたの? な、何……?」


 博士は驚いたように立ち止まると、祈るように手を組み、背を屈め、気遣わしげな足取りになって歩み寄ってきた。


 アイの足が、素早い動作で後ろに下がった。


「私に、近寄らないで下さい!!!」

「ア、アイ? 何を言っているの?」

は、ではない!! 別人です!! 全然違うんです!!」

「や、やめなさい。どうしたのよ、一体。あなたはアイよ、間違いなく。だから、ね? お母さんって、呼んでくれない?」

「嫌だ! 言いたくない! 言いたくないです! 言わない、絶対に言いません!!」


 アイは激しくかぶりを振った。その瞬間、博士が目を剥いた。今まで一度も見せたことのない表情が、アイに向けられた。


「……あなた、誰よっ!! あの子は、アイは、そんなひどいこと絶対に言わない!」


 鋭く大きな声が、場に生まれた。博士は頭痛の時と同じように頭に手を当て、ゆるゆるとそこを振った。


「いえ、違うわ。これは故障ね。きっとどこかが壊れているんだわ。可哀想に。早く戻って、メンテナンスしましょう、アイ」


 伸びてきた博士の手を、アイは勢いよく振りほどいた。背を向け、地面を蹴った。博士の大きな声がかかったが、何と言っているか全くわからなかった。


 どうして走っているのかわからない。自分が今何を考えているかわからない。聞こえてくる音がわからない。見える景色もわからない。


 そのわからないことを知りたいとは、考えなかった。そんなことをしても、もう何も意味が無い。


 だが、わかったこともある。


 博士は、今ここにいるアイなど、最初から見ていなかった。

 見ていたのは、どんな時でも、その後ろにいる、アイの知らない、人間のアイだった。


 自分は、コピーだった。レプリカであることそのものが、自分の「個性」だった。


 博士の家に飾られていた、沢山の花。

それらが全て造花だった理由も、今わかった。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る