phase3.1

 宇宙船を出た勢いに任せてハルとアイが遭遇したという町に来たはいいものの、美月は途方に暮れていた。


「何をどうすれば良いんだっけ……?」


 冷静になってみれば、アイが今どこにいるか知らないことを思い出した。涼しい秋風が吹き抜ける中、町中で立ち往生していた。


「ミヅキは行き当たりばったりすぎんだよ」


 クリアカプセルを付けたクラーレが呆れたように呟いた。同じくカプセルを装着しているシロも、クラーレの腕からうんうんと頷く。

周囲の人の目もあるため、小声で「何よ……」と訴えるしか出来なかった。


「アイちゃんが本当にロボットなのかどうか、決定的な証拠をどう掴めばいいんでしょう?」


 未來がクリアモード中のハルに聞くと、相手はしばらく考え込んでから言った。


「一番は内部を露わにすることだ。体内で血液の作られるロボットはいない」

「け、怪我をさせるってことですか? それはちょっと……」

「恐らく少々の衝撃では破損しないようにできているだろう。機械であることがばれないようにするために。だから少し転んだ程度では何も起きない。やるんだったら思い切り襲いかかる勢いがないと多分……」

「そんなことしたくないんだけど?!」

「私もお勧めしない」


 そこでココロが抱っこ紐の中でじたばたと動いたため、ハルが宥め始めた。


 ハルとココロを見比べながら、人とロボットの違いはなんだろうかと改めて考えた。

 一番は構造の違いだろうが、他にはどんな違いがあるのだろう。


「何かこう、危なくない方法はないんですか?」

「ロボットとしての機能を明らかにさせること、だろうか。人間には出来ない事が、ロボットには簡単に出来る事。それを浮き彫りにすれば、確証は得られるだろう」


 ハルは地面を指さした。そこにはアスファルトの敷かれた道路しかなかった。


「例えば私なら分析だ。その気になればこの道路を184675通りの項目に分けて分析出来る。このように、人とロボットの大きな違いというのは存在する。

しかし機能面で判断するのも難しいかもしれない。潜入しているのなら、ロボットとしての機能の高さを隠すプログラムも存在している可能性が高いからだ」


 ではお手上げなのではと、唸り始めたときだ。クラーレが息を飲む音が聞こえてきた。


 見ると、クラーレは黙ったまま、一点の方向へ指を指した。目線を辿っていくと、美月も息を飲むこととなった。


 秋の花が咲き乱れる花壇。その縁に、黒い髪を風に揺らす人影があった。


 アイが、背後に植わる花を見下ろし、座っていた。


 美月は未來と目を合わせた。未來も驚いていた様子だったが、すぐにその目つきに真剣味が宿った。お互いにその目を確認し、頷き合った。


「まだ向こうは正体に気づいていないと考えている。なので二人とも、あまり考えすぎないように」


 心を落ち着かせる如くハルが冷静に述べた後、明らかに敵意の籠もった視線をアイに送るクラーレの肩を叩いた。


「私達は隠れていよう」

「なんでだ……ってそれもそうか……」


 見えているかもしれないしな、と、クラーレは身を隠さなければいけない自分をどこか不甲斐なく思っていそうな声で呟いた。


「何かされそうになったらすぐに逃げるんだぞ、わかったな? いいな!」

「クラーレさん、心配性ですね~」

「仕方ないだろ!」


 アイに対する警戒と、美月達を案ずる気持ち、両方を抱えたクラーレを引っ張りながらハルが物陰に隠れたのを確認し、美月と未來はアイとの距離を詰めていった。


 すぐ傍まで近づいても、アイはずっと花を見ており、振り向かなかった。美月と未來がいることにまるで気づいていない様子だった。


 美月はゆっくり息を吸い込んだ。それまでアイに話しかけるときは緊張などするはずもなかったのに、今や心臓は口から今にも飛び出しそうになっていた。


 このまま喋ったら動揺が間違いなく伝わるのではと不安を抱いた。なので美月は口を開けたまま、固まってしまった。


「アイちゃん」


 見かねた未來が、アイの背中に声をかけた。

 アイは大きく肩を震わせ、そのままゆっくりと顔をこちらに向けていった。

 藍色の目に、さざ波が立っているように見えた。


「ミヅキさん……? ミライさん……?」


 緩慢な動きで顔を見ながら名前を呼んだ声は、細く弱々しかった。顔色は蒼白で、目には光が宿っていなかった。軽く肩を揺らしてみると、体に全然力が籠もっていないことが伝わった。


「具合悪いの……?」

「……休息を取っていませんので」

「駄目だよそんなの、寝不足は体に悪いんだよ?」

「……病気にはなりませんよ。私は」


 俯き、風に紛れるような小さな声で呟いた。それでもちゃんと聞こえた言葉に、美月は息を飲みそうになったのを寸前で堪えた。

 体が強いという意味なのか、機械だから病に冒されることがないのか。


 ふとアイは、背後を振り返った。花壇に咲き誇り風に揺れるコスモスに視線を落とすと、何も言わなくなった。


「お花を見てるの?」


 未來の言葉に黙ったまま、アイは傍に生えていたコスモスを一本手にし、花を自身へ向けた。


「こうして眺めていると、同じ種類の花でも、微妙に違うのだと気づきます。花にも個性があるのですね……。無機物ではないから、当然でしょうね……」


 アイの言うとおり、種類こそコスモスで統一されているが、よく見ると花達は微妙に異なる形をしていた。大きさが違ったり、花びらの数が違ったり。

 その花びらに至っても、よく見ないとわからないくらいだが形が違っており、全く同じコスモスが二つあることはなかった。


「アイちゃん、よく観察してるね~。確かに綺麗なお花さん達だね~! 写真撮りたいな~!」


 カメラを探したものの今日は持ってきていないことを思い出したのか、落胆気味に肩を落とした。そんな未來をアイが見上げた。


「ミライさん、仰ってましたよね。どんなものにも心はある。私達がわからないだけで、花にも心がある気がする、と。あの言葉の意味、わかってきたような気がします」

「言ったことある気がするようなしないような……?」


 よく覚えてますよ、とアイはその時の事を思い出したのか、一人頷いた。


「初めてミライさんと顔を合わせた日。ミライさんが写真を撮りながら言った台詞です。その際、芸術のことについても言ってましたよね。人の心をわちゃわちゃのぐるぐるにする。それが芸術なのだと。……印象深い出来事でしたので、よく覚えているのです」

「あ~、なんか思い出したよ!」


 未來は感慨深げに目を輝かせた。未來が言いそうなことだと、美月は顔を綻ばせた。


「ミライさんの仰っていた心をわちゃわちゃのぐるぐるにする芸術、私にはまだわかりません。ですが……そんな風に言っていたミライさんの写真を見たら、わかる気がします。

どんなものにも心はあると知っているミライさんが撮る写真なら。私はまだ、写真をきちんとご覧になっていませんが……」

「見たいんだったら、いつでも見せてあげるよ~! なんなら一緒に写真撮ろうよ! 教えるよ~!」


 気の早いことに早速どういうカメラを使うのが良いか説明を始めた未來に、アイは首を左右に振って制した。


「対象の心が見えない私が撮っても、それはただ物体を写しただけにすぎない代物になると考えられます」


 けれど、と呟きながら、アイは再びコスモスに視線を移した。


「こういう花にも、心があることはわかります。こうして一つ一つ違う花を見ていると……それぞれに個性があるのだと……個性とはつまり心のことなのだと……」


 話しているうちに徐々に声が小さくなっていき、やがてネジが回らなくなったように口を閉ざした。


「本当に大丈夫……? 凄く具合が悪そうに見えるよ」


 その時アイが、実際よりもずっとずっと小さく見えた。触れば途端に壊れてしまいそうに映った。

 なので美月は膝を折り、アイの目線と少し合わせるだけにとどめた。


「ただ考えてるだけに過ぎませんよ……」


 顔を上げずにアイは言った。膝の上に乗る両手が、微かに震えていた。


「昨日からずっと、同じことばかり考え続けているのです。答えがわからないことばかりずっと考えてる……。考えても考えても考えても、何もわからないんです。

……いえ、昨日からじゃないですね。最近、考えなかったことばかりやたら考えるようになりましたね……」


 頭が抱え込まれる。髪に挿された桜のかんざしに触れた途端、アイの手が不自然に止まった。


「私は、どこかが、おかしい。どこかが壊れている、でもどこが壊れているかわからない。けれど壊れているのは絶対なんです、なのに……」


 そのままアイは自分で自分を抱きしめると、背を丸めたきり動かなくなった。


 どこからどう見ても、様子がおかしかった。普段とまるで違うアイがそこにいた。アイの身に何が起こっているかまるでわからないことが、純粋に心配の感情を抱かせた。

 こんなに具合が悪そうにしている人を放っておける心など、美月は持ち合わせていなかった。


「アイ! 考えすぎてるときはね、甘いもので気分転換に限るよ!」


 気がついたら大声を上げていた。


「頭がお菓子を欲しているんだよ! もし気持ち悪くないようだったらね、何か食べるといいかもしれないよ! ちょっと待ってて、今お勧めのおやつ調達してくるから!」


 勉強をしているとき、いくら考えても頭が回る感覚が無く、何も思いつかない時がある。

そういうときは、間食を挟むと捗ることが多い。恐らくアイの状態はそれに近いのだと美月は考えた。


 この近くにある美味しいものを売ってる店は、と考えながら駆け出そうとしたときだ。「ミヅキさんらしいですね」と名前を呼んだ声が、足を止めた。


「ミヅキさん、美味しいものを食べると幸せーとなる、と仰ってましたね」

「言ったかな……?」

「仰ってましたよ。私がミヅキさんと初めて顔を合わせた日、私にお芋とバニラのアイスクリームをご馳走して下さいましたよね。その時仰ってました」


 その出来事はよく覚えている。だが言った台詞までは覚えていなかった。

 美味しいものを食べると幸せになるのは美月の昔からの持論であり、そこかしこでしょっちゅう口にしていることであるためだ。


「あっという間に人と仲良くなれる。人と距離を詰めるにはごはんが一番、だから大好き。何よりも、美味しいって幸せ。この言葉、私にとって、印象的でした」


 実際にアイスがそこにあるように、アイは何も持っていない手を見つめた。


「……失礼しました。少々記憶を遡っておりました。ミヅキさん、お気遣いは無用ですよ。恐らく糖分を摂取しても、頭が回ることはないとみられますから。

私が考えていることは、私が答えを出すことが出来る許容量を超えているものなのです。考えるだけ無駄なことを、考えてばかりいるのです」


 アイはゆっくり息を吐き出したが、それで落ち着きはしなかったようだ。諦めから来る吐息に聞こえた。


「以前ミヅキさんに言いましたよね。この世の中にあるごはん全てに対して、“幸せー”以外の気持ちを感じない世界を、どう思うかについて。

その世界の人の心は、ごはんを不味いと感じることがない。全てのあらゆるごはんに対して、美味しい、幸せとだけ感じている。それ以外の感想はない。浮かぶことそのものが起きません。そんな世界を、どう思われますかと」


 心臓が跳ねた。確かにアイからその質問をされたことは覚えている。聞かれたときは妙な質問をする子だなとしか感じなかった。


 しかし今となってはそんな感想は抱けない。ハルからある可能性を提示された以上、アイが問う世界の内容が、来てはいけない世界を指し示しているように思えてならなかった。

 AMC計画成功後の世界を指しているのではないかと──。


 次に何を言い出すか、固唾を呑んだ。アイはふっと息を漏らした。


「これ、私の見解を述べておりませんでしたよね。申し訳ありませんでした」


 予想外なことに、頭を下げて謝ってきた。目を白黒させている間に、アイは続けた。


「ただ、私も自分の見解を持っていないに等しいのです。合理的に考えて、そちらの世界の方が良いのではと、漫然と考えていました。

ですが最近、その世界は個性が消失した世界なんだと、そう新たに考えるようになってきたのです。だからなんだと、自分なりの結論を出すことが出来ないのですが……」

「アイちゃん、最近についてずっと考えてるね?」


 未來の声は探りを入れるというより、素朴な疑問を投げかける時の口調と似ていた。


 この前星を見たときもそうだった。個性に対して、アイは突然取り乱した。それだけでなく、個性のことに関して、ずっと考えを巡らせている素振りも見られた。


「個性とはすなわち、自分がこの世界でただ一人であることの証明です。代わりはなく、替えのきかない存在である証明。

では、私には果たして個性があるのかと、そう考えるようになりまして……」


 個性があるか無いかと問われたら、あるのではないか。そう言おうとしたときだった。見透かしたように、アイは微かな声で言った。


「……私は、無個性であることが、個性と言えるのかもしれませんね」

「それは」

「ミヅキさん。ミライさんも」


 美月も未來も見えていないような遠くを眺めていた碧眼が、美月を映した。


「あなた方は、私に無い個性を持っているのです。ミヅキさんの心も、ミライさんの心も、この宇宙に一つだけです。ですから、大事に守ってほしいと、私は考えます」


 その目には光が無く、また闇も無かった。


 怖くない、と感じた。怖くない。正体がほぼ判明しているに等しいのに、アイの目を怖いと感じない。


 未來は美月のほうを見、一瞬だけ微笑を浮かべた。未來も同じことを考えているのだと伝わった。


 アイの青い目を覗き込む。ロボットかもしれないと言われた状況で改めて見てみたら、確かに機械的なな光が宿っている気がした。


 そこからは温度が読み取れない。だが、温めればそのまま暖かくなりそうな目に感じられた。


 未來と揃ってじいっと黙ってアイの目を見続けていたせいか、「な、なんですか」とアイは軽く仰け反った。


 戸惑ったように美月と未來を交互に見るアイが、敵だとは、どうしても思えなかった。


 今まで対峙してきたダークマターの面々は、一様に怖かった。凍てつくような寒さを感じた。同じ心を持った人間であるはずなのに、人間ともロボットとも違う冷たさを持っているようで、それが怖かった。


 しかし、アイはやはり、怖いと思わなかった。最初に会ったときから、ただの一度も、怖さも寒さも覚えたことがなかった。


「……アイもこの宇宙に、ただ一人だけだと思う」


 気がついた時には、そう口にしていた。

 アイは無表情のまま、「ありがとうございます」とお辞儀をした。美月の言葉に納得したわけでないことは明らかだった。


 それでも、未だ風が吹けば消えそうな、触れば壊れそうな姿に映るアイに対し、何も声をかけずにいることはできなかった。


「皆が皆同じことを考える世界は怖い。気味が悪い。ミヅキさん、そう仰ってましたよね。……確かに、人一人一人違うことが当たり前のこの世界では、そう考えるのも無理のないことなのかもしれません」


 気を取り直そうとしたのか、アイは背筋を伸ばし言った。


「私そんなことも言ったんだ」

「仰ってましたよ。9月11日土曜日15時22分に」


 強い風が吹いた。コスモスが一斉に揺れた。ざわめきを聞こえる程の風だった。道行く人達が驚いたのか、軽い悲鳴を上げた。


 それら全てが、ずっと遠くで鳴っている音に聞こえた。


 一回、アイが瞬きした。直後、両目が見開かれていった。スローモーション映像を視聴しているように、異様に遅く映った。


 青い目の奥が揺れている。嵐の真っ只中にある海のようだった。


 アイは口を両手で覆った。指の隙間から、乱れた音の息が漏れ出していた。肩が、がたがたと上下していた。


「……アイちゃん……」


 未來が一歩分後ずさった。自分が何を言いたいか、自分でもわかっていないのだと伝わってきた。


 美月は自分の心臓の辺りを鷲掴み、吸った息を体の奥深くまで送り込んだ。


「アイ」


 名前を呼ばれて、アイはゆっくりと美月を見上げた。瞳が、放っておけばそのまま割れそうな、ヒビの入ったガラスに見えた。


 思うように息が出来ていないであろうアイに対して、美月はただ一言だけ発した。


「あなたは、誰?」


 突然私達の目の前に現れたあなたは。自分達に対して、アイと名乗ったあなたは。


 碧眼が更に見開かれた。


「わたしは」


 抑揚がなかった。壊れかけの機械が発する声そのものだった。


「ワ、たシ、は」


 背を丸め、嘔吐くようにうずくまった直後。アイは勢いよく立ち上がった。


 そのまま、美月と未來をはねのけるように、走り去っていった。


 何事かと人々の視線が集中するアイの背は、そのまま人の波に紛れてどんどん小さくなっていき、やがて見えなくなった。


「確定したな。何もかも」


 物陰から出てきたクラーレが、アイの消えていった方角を見ながら言った。自分達に言っているとわかったのに、美月は反応を返すことが出来なかった。


 未來も同様で、赤い石の首飾りを握りしめている両手が、震えていた。


「起こった出来事の日付と時間を、分単位で覚えていること。人間にはまず出来ないことだ。逃げ出した反応も」


 ハルが無機的に事実を告げた。そうだねと、それだけ言った。それだけしか言えなかった。


「なんであんな失敗をやらかしたんだ?」

「ずっと答えが出ない問いについて考えていると言っていたが、恐らくそれが原因だろう。

他のことに機能を使っていた結果、思考が限界量を超えた。ロボットとしての機能を隠す為の機能に異常が発生し、上手く作動しなかったとみられる。

……諜報員として、致命的な失敗だ」


 ハルもまた、アイが去って行った方角に視線を注いでいた。


「とにかく、これで少なくともミヅキとミライに近づくことは無い。最悪の事態は回避できたと考えたいが……」


 本当にそうなのだろうか。美月の胸中に、靄が立ちこめ始めていた。



 


 『プルート』


 そのを呼ばれ、アイは顔を上げた。


『なぜ昨日定期報告を行わなかった。それだけではなく、そのような重要事項も報告しないとは』

「……はい。申し訳ありません」


 ホログラム映像に映るサターンに対し、深々と頭を下げる。しばらくそうしていた後、「しかしながら」と姿勢を戻した。


「現計画の最終段階に移行できる。その判断を下すのは慎重にならないといけないと判断された結果、注意を払った行動を取りました」

『それを判断するのはプルートではなく我々だ』

「はい。混乱を招いてしまい、大変申し訳ありませんでした」

『……それで、先程言ったことは本気か?』


 はい、とアイは頷いた。瞬間体が震えた感覚がしたが、首を縦に振るのを止めることは無かった。


「私に、この計画の、仕上げをさせてもらいたいのです」

『それが何を意味するか、わかっているのか?』


 鋭く問われたものの、既に承知の上だった。わかりきっていることだった。もちろんです、と認める。


「計画の最終段階。いわば、。その大役の責任がどれほどのものかは、理解しております。一介の業務支援型ロボットに到底務まる事ではないとも」


 けれども、と背筋を伸ばす。


「絶対に私情を挟むことは有り得ないので。人間が計画を考えるよりも、ロボットの私が考えた方が、公平性に関して言うなら遙かに優れていると考えられますが?」


 挟む感情そのものが存在しない。自分はロボットとして作られた。だから理論的に考える事が出来る。合理的に考える事が出来る。


 サターンは考えている様子だった。

 目を伏せ悩んでいるようにも見えるが、突然を言いだしたアイを注意深く観察しているようにも見えた。


「標的と実際にやりとりをして、わかったのです。行動パターンや思考パターンなど、今まで記録していたデータを見るだけでは知り得なかったであろう情報を、実際に接してみて知り得ることができました。

……そういう些細なものを知っている私の方が、少なくともあなた方よりは、標的のことを理解していると考えられます。なので、計画も上手く行くかと」


 この星に下り立ったのは、地球の暦で言うと8月の終わり頃だった。そろそろ、2ヶ月経とうとしている。


 この期間自分に起こった事は、変化だった。今までわからなかったことがわかるようになった。わからないままでも問題ない事を、考えるようになった。


 この変化は、自分に何をもたらしたのか。


「それに、もし上手く行かなかったとしても、戦闘データなどはしっかり記録されます。なのでそのデータを元に、あなた方が新たな計画を考える事が出来ます。無駄にはなりません。

今ソラが仲間と孤立している状況は変わりありませんし、突然関係性が修復される可能性は限りなく低いです」


 アイは真っ直ぐサターンの目を見た。しばらくの間サターンは黙っていたが、やがて浅く頷いた。


『いいだろう』

「無理を聞き入れて下さり、感謝致します」


 一礼しながら、体の力が緩んでいく感触を覚えた。もし断られても、引き下がるつもりは一切なかった。

だがここまで早く了承が出されるのも予想していなかった。データが取れるとの一言が決め手になったのかもしれない。


「では私なりに最終計画の詳細を改めて考え纏めますので……この後またご連絡致します」

『わかった。ではその折に会議を執り行う』

「かしこまりました。……宇宙に永遠の秩序と平安を。ダークマターに、栄光あれ」


 通話が終了するとホログラムの光が消え、空きビルの室内は薄暗くなった。直後、アイは立体映像のキーボードを出現させ、操作した。


 瞬間、アイを中心に、室内に幾つもの画面が浮かび上がった。正面を浮遊する画面の一つに目線を注いだまま、両手をキーボードに乗せて叩く。


 変化が、自分に何をもたらしたか。何ももたらしていないと、アイは考える。


 自分は変わらない。もとから変わるはずが無い。


 ハルは言っていた。知る事は可能性だと。知り続けたら新たな道が開けると。出現し得なかったはずの選択肢が現れると。


 違います、と声に出さずに否定する。


 道は開かれない。選択肢は現れない。可能性は最初から存在しない。


 まさか今日、全てばれるとは考えていなかった。想定外にも程があった。だが、だからこそ油断していた。


 ずっと自分の不具合について考え続けていたせいで、あのような初歩的な失敗を犯すことになるとは。


 だが、なぜだろう。正体がばれてから、突然不具合が直った。


 個性についても、心についても、正体を隠したままミヅキ達に接して良いのか考える事も、忽然と止まった。


 「あなたは誰」さぞかし動揺しているはずなのに、その感情を押さえ込んで尋ねてきたミヅキの目を見た瞬間、唐突に自分の立場を理解した。わかりきっていたことを、改めて。


 私はアイではない。プルートだったと。


 拠点に戻ってきてから、考えた。プルートとして、何が出来るかを。


 だいぶ時間をかけた後、考えついたアイは、ある記録されている情報を全て振り返り、データとして表した。


 過去、ハルを捕獲する際考えられ、結果没となったもの。

 今まで記録されていた全ての没案を引っ張り出したアイは、それら一つ一つについて思考を巡らせた。


 そして先程、サターンに連絡を入れたのだ。正体がばれたことは伏せ、こう述べた。


「計画の最終段階を仕上げ担う役割を、自分にやらせてほしい」と。


 どの没案を採用するか、キーボードを叩きながら一つ一つ見ていく。


 感情を挟まずに取捨選択を行う自分の姿を客観的に見て、やはり自分はロボットなのだと改めて考えた。ただのロボットではなく、プルートなのだと。


 随分長いこと色んなものについて考え続けてきた。だが、結局出た答えは、新しいものでもなんでもなかった。元の場所に戻っていくだけにすぎなかった。


 ミヅキ、ミライ。この二人の心を全て理解することは出来ない。心そのものが複雑であるから。けれど、この宇宙にただ一つだけの心を持った人間であることは、確定している。


 ソラだってそうだ。ソラの心はソラしか持ち得ないのだから、自信を抱いてほしい。


 今のソラを振り返った途端、不思議な事に心臓コアの辺りが一瞬ずしりと重くなった。


 できるはずないと重々理解しているのに、あの三人の心を、ずっと見ていたかった。


 三人とも、秩序の保たれた心とは程遠いのに、なぜだか自分はそう考えていた。


 生まれた奇妙な感覚を振り払うつもりで、キーボードの上に乗せた両手を、強く握りしめた。


 髪に手を当て、そこにあったかんざしを勢いよく外す。強く引き抜いたせいで、ハーフアップに纏めてあった髪が少し解け、乱れた。


他の誰にもやらせはしない。

全て自分で行う。

自分の手で、全て終わらせる。

誰にも手出しはさせない。


 意を決した。 

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