phase8「一人じゃない!」

 肩を叩かれた。美月が顔を上げると、未來が顔を窺ってきた。ずっと自分に声をかけていたようだった。


「美月、どうかした?」

「うん……」


 静かに尋ねられたものの、何と答えたら良いかわからず、視線を前に戻す。膝を抱え直し、流れる川を視野に入れた。河川敷の舗装されたコンクリートの道が、冷たく感じる。


 今日は、朝からずっと気持ちが浮かなかった。昨日と明らかに様子の異なる美月に、同じ班の子達も心配して様々な言葉をかけてきてくれたが、笑って誤魔化すしかできなかった。


 旅行の工程も心ここにあらずだったせいで、ほとんど何も覚えていなかった。自由行動の時間になったとき一人向かったのは、何もせずじっくりと物思いに耽ることが出来る、川原だった。


「ハルさん達のことだね」


 未來が隣に腰掛けた。目は前を向いているが、一人言ではなく、自分に話しかけたとわかった。うん、と膝の上に顎を乗せる。


 自分でも、ここまで引きずるとは予想していなかった。体が重く感じられるが、これは心が重いのだろう。

そこにのしかかり重さを伝えてくるものは、現実と名のつく物体だ。


 強いショックは、自分の中でハル達との別れが、そもそも初めから存在していなかった証明だった。別れる前提が無かったのだと。


 裏山に行けば、宇宙船が変わらずそこにある。そんな日常は、ずっと続くもの。そのずっとが、自分の中で永遠という期間を指していたことにも気づけた。


 証拠もないのに永遠に続くと思われていたものが終わる瞬間。それは、倒れないと信じていた積み木が、がらがらと音を立てて崩れていった瞬間に似ている。崩壊のときはあっという間で、どんなに慌てても止められない。だから美月は、昔から積み木遊びが苦手だった。


「私、ハル達と別れたくないよ。どうすればいいんだろう」


 未來はじっと静かな目で美月を見ていたが、ゆっくりと首を振った。その行動にのしかかる現実が更に重くなって、涙が零れ落ちそうになった。


「……どうしようもないよ。ハルさん、言っていたじゃない。ずっと覚えているって。私達に出来る事は、ハルさんとココロちゃんのことをずっと忘れないことだよ」


 けど、と声を荒げる。いくら頭の中で姿形を鮮明に覚えていたって、現実にいなくては何の意味もない。すると、未來が手で制してきた。


「……と、私も頭の中でわかってはいるんだよ。でもね、駄目だ。全然受け入れられてない」

「そうだったの……?」


 未來は取り乱した様子をほとんど見せていなかったので、意外に思った。昨日話を聞いたときも、今日も。未來は困ったように笑った。


「心の中では、絶対嫌だって喚き散らかしているんだよ。今もね。パルサー、手に入らなければいいのにって思ってる。正直、ハルさんとココロちゃんがいなくなる光景、全然想像できないの」


 深く頷いた。それは美月も同じだった。想像したいとも思わないし、仮に気が向いたとしても、全く想像できない。


 裏山から宇宙船が消える。ハルがいなくなる。ココロがいなくなる。もしかするとクラーレも。シロも。

 それを思うと、実際にいなくなった光景を想像する前に、頭を抱えて打ち消してしまう。何も考えたくなかった。考えるのをやめて、ハル達に会いたかった。


「ねえ、ハル達のところに行こうか。皆ちょうど京都に来てるんだし……」


 頭を腕で抱えつつ、ちらりと未來を見やると、うーんと腕を組んだ。


「ハルさん達のいる場所、聞いた話だと、ここからだいぶ遠いよ?」

「変身して走って飛んでを繰り返したらいけるかもしれない!」


 左手首をとんとんと指で叩く。万一の時のためにコスモパッドを嵌めてきていたのは、未來も同じだったはずだ。


「距離的に、変身しても時間かかると思うよ。それに、突然いなくなったら、行方不明になったって騒ぎになっちゃうかもしれない。ハルさんに会いに行っても、人を騒がせて良い理由にならない……みたいなこと言われちゃいそうな気がするよ」


 言うだろうな、と思った。脳内で、声が変換されて再生される。しかし脳内のハルの声は、実際と多少違っているはずだった。現実のハルから発せられる声が聞きたかった。


 でも、と未來と向き合ったときだ。に、と少しだけいたずらっぽそうに笑いかけてきた。


「でも、今の時間を大切にした方が良いと思うな! だって、ハルさん達との時間は限られているわけだもの!」


 はっと目が覚めるようだった。未來の台詞を反芻し、飲み込む。瞬間、もともと固まっていた決意が更に固まった。

 立ち上がり、拳を握りしめる。


「行こう! 未來!」

「了解だよ、美月!」

「じゃ早速! コスモパワー、フルチャー」

「ミヅキさん、ミライさん」


 液晶画面に当てていた指が、微かにも動かなくなった。氷のように冷徹な声が聞こえてきた背後を、未來と共にかくかくと振り返る。


 姿勢良く寡黙に佇む少女の碧眼が、二人を映していた。


「アッ、アイ!」

「アイちゃん?!」

「こんにちは、二人とも。偶然ですね」


 相変わらず綺麗な角度で礼をする頭を、事態が上手く飲み込めていない呆然とした脳で見た。


 なぜ、アイがここに。ぱちぱちと何度も瞬きしながら目を合わせた未來は、まさしく鳩が豆鉄砲を食らった顔をしていた。


「ア、アイちゃん、ここで何してるの?」


 美月よりも一足早く衝撃から立ち直った未來が、アイに聞いた。


「用事がありましたので、この地を訪れたわけですが」

「よ、用事か、そうかあ……!」


 うんうんとどこかわざとらしい仕草で何度も頷く未來を、美月は今だ愕然とした思いで見ていた。なかなか平静に戻ることが出来なかった。


「ア、アイちゃん。み、見てた? 今の」


 未來が、聞きたかったことを言葉に変えて尋ねてくれた。今の、とアイが少しだけ首を傾ける。美月は自分の視線が、勝手にコスモパッドに移動していくのを自覚した。


 今、まさにこの道具で変身しようとしていたところを、目撃されたのではないか。何も見ていないとアイが答えることを祈りながら、返答を待った。


「はい。そちらの手首に身につけておられる道具は、一体なんでしょうか」


 口から淡々と紡がれたのは、祈りが聞かれなかったことの証明だった。


「これね! あのね! おもちゃだよ!」


 考えるより先に言葉が出ていた。「そうそう!」と未來が何度も何度も頭を縦に振る。


「見ての通り、何の変哲もないおもちゃです~!」

「その通り! ただの! なんっにも特別な力を持たない! どこにでも売られているおもちゃだよ!」

「そのような商品が売られているところを目撃した覚えはないですが」


 アイの目が細められる。いいや、と美月はコスモパッドを嵌めた腕を高く上げた。


「おもちゃと言ったらおもちゃなんだよ!!」

「そうです! おもちゃです! 期間限定商品のおもちゃ!」

「おまけに地域限定品でもあるからね! えーと、こうやって変身ごっこが出来るんだよ!」

「そう、変身が出来るの! あー美月! あっちに敵がー!」

「なんだってー! 覚悟しなさいー! コスモパワーフルチャージー!」

「二人は揃って何をしているのですか」


 動揺しながら誤魔化そうとしても悲惨な結果を生み出さない。寒さすら覚える涼しげな目元にじっと見られ、美月はゆっくり腕を落とした。一体何をやっていたのだろうと、自分で自分がわからなくなった。


「ア、アイちゃん。本当に、ただのおもちゃだからね~!」

「熱弁されたのでそれはよく理解できましたが」


 縮こまって動けない美月の横で、未來がフォローを入れている。なんだか自分の姿を非常に恥ずかしく感じた、その時だった。


 コスモパッドが、ゆっくりと点滅を始めた。それは、着信を告げる合図だった。色は黒。ハルからの着信だった。


 見ると未來のコスモパッドにも、同じようにハルからの着信が入っていた。

 未來も気づいたのか、はっと目を見開き、美月を見てきた。だが、コスモパッドの異変に気づいたのは、二人だけではなかった。


「そのおもちゃとやら、点滅しているようですが」

「あっ、こ、これね! う、うん、なんでだろうね!」

「ね~不思議だよね~~~!!」

「持ち主でもわからないのですか?」


 アイの見ている前で出るわけにはいかなかった。万一ハルのことがばれたら、いくら無機質とも呼べる程冷静なアイでも、さすがに取り乱すことだろう。

 人間である限り、ハルの姿を見たら誰でも最初は叫び出すだろうという自信がある。見なかったとしても、その存在が認知されるだけで、どんな騒ぎになるか。

 何より、ただのおもちゃと説明したのに、通話機能がついていることまでばれていいのか。


 適当に切り上げて、ここは一旦退散した方がいいと考えた。アイと別れるのは少々名残惜しいと思いつつ、未來と目配せし合った時だった。


「ところで、二人とも。実は今私は、困っているのです」


 およそ困っているとは思えない程、抑揚ない声音だった。アイは微かに顔を伏せた。


「な、何かあったの?」

「実は、向かいたい場所があるのですが、地図を落としてしまい、迷ってしまったのです」


 アイが告げた場所は、どこかの住所らしかったが、それなら美月も未來もそこまで行く方法に検討もつかなかった。美月も未來も修学旅行でここに来ているだけで、京都には土地勘も何もない。


「ごめんね、わからないや……」

「そうですか……。困りました。急ぎの用なのですが」


 深く肩が落とされる。頭が更に俯かれる。ため息まで吐き出す姿は、まさに困っている人そのものだった。


「あ、でも、先生達に聞いたらわかるかもしれない!」

「そうだね! 一旦戻ってみよう!」


 ぴんと思いついて指を一つ立てる。未來が手を叩いて同調した。

 さすがに、放ってはおけなかった。美月はアイを連れ、教師達のもとまで戻ることにした。


 ハルの通話はあとで折り返せばいいと考え、今はアイの困りごとを解決するのを優先すべきと判断した。


 その間にも、ぴかぴかと依然点滅を続けるコスモパッドに、服の袖を引っ張られているような奇妙な気がかりさを覚えた。だが、恐らく大した用件ではないのだろうと思うことにした。


 ハルが今まで、「大した用件ではないこと」で通話を入れてきたことは、一回もなかったものの。


 きっと気のせいだろうと、そう結論を出す。今はとにかく、アイを先生のもとに送っていかなくては。その時、美月はふと、思い出したことがあった。


「あ、そうだ、アイ! 実はね、アイにお土産があるんだ! せっかく会えたんだし、あとで渡しちゃうね!」


 え、とアイが顔を上げた。未來はなんのことかすぐにわかったようで、笑顔で大きく頷いた。


「うんうん! アイちゃんにぴったりのものだと思って~!」


 アイは何度か、青色の目を瞬きさせていた。やがて、「そうですか」とだけ残し、目を伏せた。




 

「駄目だな。繋がらない」


 頭を振ったハルを見下ろすネプチューンは、口元を手で抑えて優雅に微笑む。


「うふふ。上手く妨害工作を行っているようですわね。歴史あるプルートのコードネームに恥じない活躍ですわ」


 美月と未來は本当に大丈夫なのか。穹の不安が強くなった。妨害とはなんなのか。身に危険は及んでいないのか。どうして繋がらないのか。


「というかもし呼べても、どのみち来てくれるまで時間が……!」


 今日の旅行の工程からして、美月と未來は今、穹達のいる場所とまるっきり正反対の場所にいるのだ。ハルが頷いた。


「そうだな。呼ぶのはやめよう。二人がここまで来られる可能性が低い」

「まあ、ついに観念なさりましたのね?」

「んなわけないだろ! このロボットはな、何があっても諦めないって言ったんだぞ!」

「ですわよね」


 少しだけ前屈みになって覗き見てきたネプチューンに、クラーレの目がつり上がる。

 しかしそんな怒声など何も響かないと言いたげに、姿勢を戻した。涼しげに佇む姿は、どんな熱気もたちまち凍てつかせててしまう氷を連想させる。


「ですが、たった一人で戦うというのですの? あなた方は一人でも欠けたら全て土台から崩れ去る、非常に脆い関係性でありますのに」


 穹は、軽く袖を捲った。覗かせたコスモパッドに、人差し指を押し当てる。


「……一人で、いい」


 変身の呪文は小さく呟かれた。だが、機械は音声をちゃんと拾った。黒い液晶画面から光があふれ出すのは、指紋認証と音声認証が成功した証である。


「一人でも、守る。絶対に、守ってみせる!」


 耳のすぐ横で、マントがはためく音が大きく鳴った。震える声を抑えて、勢いよく頭を上げる。


 穹を見下ろすネプチューンは、「そうですの」と目を細くした。道ばたに転がる石を目にしたように。


 穹の膝に、鋭い衝撃が走った。


 片足の力を失い、がくんと体勢を崩した穹に、クラーレが駆け寄った。


「おいどうした!」


 クラーレが手を伸ばしたときだ。その伸ばしていた腕の肩に近い辺りを、クラーレは突然片方の手で覆った。


「痛っ、なんだ?!」


 腕を覆っていた手をゆっくり離し、手のひらを見つめる。クラーレが眉根を寄せた。


「……水?」


 穹は膝の辺りを触った。グローブ越しに、面積は小さいが濡れた感触がわずかに伝わった。それは、ひんやりと冷たかった。


「違う、これは」

「氷の力、侮ってはいけませんことよ」


 ピイ、と悲鳴のように甲高い鳴き声がした。シロが大きく跳ねる姿が目に飛び込んできた。ぐるぐると歩き回る体と足下には、一つずつ、濡れている箇所があった。


「氷だ、氷が飛んでっ……」


 ハルの言葉が途中で消えた。片腕を押さえ、地面に座り込んだからだ。背を丸め、動かなくなる。動けなくなるほどのダメージを負ったのかと思いきや、どうやらココロを庇うための行動のようだった。


「ご明察ですわ。今回は、普段と少し違う戦いになると思いますのよ」


 ネプチューンが、右手を前に差し出した。その付近の空間が、わずかに揺らぎ、震える。


 次の瞬間、手に真っ白な拳銃が握り締められていた。


 輝くような純白の体に、氷の結晶のような装飾が控えめにあしらわれた銃。ともすればおもちゃにも見える美しい拳銃を持つ手が、いきなり右方向へと転換される。


 引き金が引かれた。発砲音はしなかった。しかし銃口から、陽の光を反射させて輝く物体が、尾を引いて飛び出したのを確認できた。近くに生えていた木に向かって、真っ直ぐ向かっていく。


 ぱきぱき、と氷が割れるときに近い音が鼓膜に伝わった。聴覚と、何よりも視覚を疑った。


 木が、氷に包まれていた。緑の木々の中でただ一つだけ。それは白い霜に覆われていた。撃たれた木だけ、他とは明らかに異なる変化を見せていた。


 再び背に、冷たい感触が走った。衝撃はわずかなもので、冷たさを覚えていた時間も短かった。だが当たった部分から骨に浸透して、全身を隅々まで凍らせていく感覚に陥った。


「威力がだいぶ落ちてしまうのが難点ですけれども。それでも多く食らえば、凍り付くにはいかないにせよ、体力は尽きていくでしょう」


 冷たさを帯びた台詞を皮切りに。視界を、半透明の光線が、数え切れないほど走った。


 それらは全て、氷のレーザーだった。冷静に周りが見えていたのは、それまでだった。


 体中に、冷たく鋭いものが幾つも突き刺さった。反射的に、しゃがみ込んで頭を庇う体勢になる。その手の甲に、間隔を開けずに何発も氷が撃たれる。手の甲だけではない。体中のほぼ全てに、照準が当てられている。


 当たった箇所を確認する前に、また新たな部分を撃たれる。その度に体が震えた。恐怖からではない、寒さからだ。


 痛みも寒さも、そこまで大きくなかった。変身していなくても耐えられると感じた。事実変身の行われていないクラーレやハルが耐えられている。


 が、一発や二発程度の話であれば、だ。間を置かれずに休みなく、四方八方から一度に大量に浴びせられれば、いくら一つ一つの威力が低くても。


「いっ……!」


 クラーレが肩の辺りを抑えた。体が細かく震えていた。大丈夫ですか、と発したが、寒さで口が震えた。駆け寄ろうとしたが、足がレーザーに撃たれ動くこともままならなかった。


 守るようにシロを抱きしめるクラーレは、平気だ、と笑った。その顔は青ざめていた。


 無我夢中でクラーレの傍まで寄ると、胸元のブローチと手首のコスモパッドを重ね合わせた。光が宿る液晶を、両腕ごと前につき出す。途端、手のひらのすぐ向こう側に、水色の半透明の壁が生まれる。


 シールドに阻まれたレーザーは、こちらに届くことなく、全て空気中に溶けていった。が。防げているのは、前面のみだった。


 左右と背面からは、依然として銃の雨は威力を衰えさせない。


 片足に氷が撃たれる。がくん、とその部分だけ力が抜き取られる。レーザーの冷気は、着実に体力を奪っていっていた。


「ソラ、バリアだ! アップデートがされている、できるようになっているはずだ!」


 ハルの声に、我に返った。穹は再びブローチとコスモパッドを重ねた。先程よりも長い時間押し当てていた。


 左手首を、前ではなく、左方向へ伸ばす。残る右手も、右方向に伸ばす。瞬間、視界が薄い青で覆われた。数え切れない量のレーザーは、行き場をなくした。


 無数のレーザーが、全て防がれる。痛みも寒さも何も感じていなかった。穹達の周りを、ドーム状の壁が包んでいた。

 シールドの互換技、バリアの発動だった。


 発砲音もバリアにレーザーが当たる音も、全て小さくなり、ドームの中は確かに静かな時間が流れた。しかしそれは、束の間のものだ。


 バリアに当たる攻撃を見る限り、全くやむ気配がしない。当たる度に、実際にレーザーが当たっていないはずの体に、かすかな震動を覚える。体に一瞬重いものがのしかかる感覚に、嫌な予感しか芽生えてこない。


 その予感の答えを、ハルが言った。


「バリアも長くは持たない。面積が広がる分、耐久力はシールドよりも落ちるんだ」

「嘘だろ、一体どうすりゃいいんだよ……。ソラ! 無理してないだろうな!」

「大丈夫です!」


 大丈夫でなくとも、自分が頑張らなくてはいけなかった。今ハルを守れるのは穹しかいないのだ。クラーレも、ココロも、シロも守らなくてはいけない。美月も未來も駆けつけられない。今自身がやらなくて、誰がやるというのか。


 降りしきる攻撃の最中、一人だけ別世界にいるように物静かに佇むネプチューンは、蔵の屋根の上で器用に足を交差させた。腕にかかるパルサーの入ったカゴを浅く前につき出し、無表情に言う。


「わたくしに勝てば、このパルサーはあなた方のものになりましてよ?」

「いや。それはしない」


 ハルが即座に首を振る。


「まあ、なぜですの? せっかくの好機ですのに」

「勝てる見込みが、あまりにも薄いからだ」


 穹はネプチューンを見上げた。手には、きらりと輝く銃が握られていた。真っ白な銃身から、黒い闇が漂ってくるようだ。ネプチューン自身からも。

 理屈で考えるよりも前に、本能が言っていたのだ。勝てないと。


「正しい判断だと思いますわよ、ハル。あなた方では、わたくしに勝てませんわ」


 ネプチューンは何度か頷き、そして薄く微笑みかけてきた。


「ねえハル。わたくし、割とあなたのこと気に入っていますのよ。

余計な事は喋りませんし感情が無いのでうるさくないですし。何よりとにかく物静かですから。

わたくし、静かで無口な方が好きですの。お人形さんみたいな」

「なるほど」

「正直、あなたが上司のほうが良かったのではと、何度か思いましたわ。

サターンは普段静かなのに、この計画のことになるととにかく煩わしくなりますもの」

「……なるほど」


 薄い青の壁の向こうにいるネプチューンは、それこそ人形のように可憐な笑みを浮かべ、無邪気に話していた。それがふっと、無表情に切り替わる。


「ですが、ハル。わたくし、言うことを聞かないお人形は好きませんことよ。

人間に反抗するような悪いお人形さんは、お人形さん失格ですわ。

大人しくmindの居所を吐き出した後、ゴミとして投棄されるべきですわ」

「人形なんかじゃねえ! ハルは、人形じゃない!!」


 びりびりと体が痺れた。震える首をクラーレに向けると、立ち上がる彼は寒気でも恐怖でもなく、明確に怒りで体をわななかせていた。地面に下りたシロが、訴えるように何度も鳴く。


 けれどもネプチューンを纏う氷の気配は、何もかも凍てつかせ何も届かなくさせる。


「人形でしょう。感情は無い、計算と打算でのみ動く、情では決して動かない。

何よりも心が存在していない。これが人形で無くて何と言うのです?」

「あんたのほうがハルよりよほど人形みてえだよ! まともな人間だったら

絶対考えねえようなことばかり考えやがるしな!」

「確かに私は構造や材質の面から見ても、人形の定義には当てはまりにくいと考えられる」

「ちょっとハルは黙ってろ!!」


 ネプチューンに向けていた怒鳴り声がハルに向く。「ほら、やっぱり人形じゃありませんこと」と、一人言のように呟かれる。


 違う、と言いたかった。だが実際に言って、その後何と続くのか。言葉にして伝え後、相手に丸め込まれたら。相手の心に響かない言葉を伝えて、意味はあるのだろうか。


 ネプチューンが、おもむろに足下に立たせた人形へ視線を落とした。じっと、何かを考えるように、しばらく見ていた。目を向けないまま、口が開かれた。


「あなた方には、他に大切なものがいくらでもあるでしょう。そのロボット一体

くらい失ったところで、なんともないんじゃなくて?」


 その声は、鳴り止まない発砲音と照射音の中をかき分け、真っ直ぐ穹の耳に届いた。


 届いた声は、体の奥深くまで入り込んでいき、ぐるぐると何周も体内を巡った。


 喉から何かがこみ上げてきた。出てくるのを抑えようとしても抑えられないほど、強い力があった。


「違う」


 出てきた声は大きいとは言えなかった。ネプチューンの目が怪訝そうに細くなった。なんですの、という声に確かな気圧を覚えた。だが言葉が表に出てこようとする勢いは、とどまる気配を見せなかった。


 最初の動機こそ、美月を守るためだった。無鉄砲で周りを見ない姉を支えなくては、と。ハルを守る美月を守ろうと思ったのだ。だが、今は違う。


「ハルさんは、人形じゃない。一つの、存在だ。この世に二つと無い存在なんだ。だから、だから僕は、ハルさんを、ハルさん達を、絶対に守るんだ!」


 自分が守りたいから、ハルを守るのだ。他に理由などなかった。


「あら、そうなんですの」


 ネプチューンは穹のほうを見ずに、片手で人形を拾い上げた。両手に持ち直し、回したり髪を触ったり等で弄んでいる。唐突に始まった人形遊びは、人形を屋根の上から投げたことにより、唐突に終わった。


 地面に落ちた人形は、茂みの裏にその姿を隠した。ゆらゆらと草が揺れ、その隙間から、走り去る人形の姿が見えた。


「とは言いましても、今この状況の変化は何も起きていなくってよ? あなたが一人で戦っていることに、変わりは無いのですわ」


 ようやくこちらを見たネプチューンの眼光が、にわかに鋭くなる。それを透かすバリアには、小さなヒビが、所々に走っていた。


 確かにそうだ、と思うと、顔が下を向いていた。

 どう守ればいいのだ。どう切り抜ければいいのだ。考えても、同じ場所を回っている手応えしかない。


「ソラ」


 手に冷や汗が滲んだときだった。ぽん、と軽快な音と共に、肩に重さが伝わってきた。顔を上げた。隣に、クラーレが立っていた。


「俺が、ここにいる。体力に自信ねえから、頼りないだろうがな。でも、いないよりはましだろ。だから、一人で抱え込むな」


 クラーレは、穹に笑顔を見せた。ふと気配を感じて下を向くと、緑の目と目が合った。シロは尻尾を左右に振った。「ピイッ!」


「私もいる。私が出来うる限りのサポートをする。よってソラは、一人ではない」


 反対方向から声がかけられた。やっぱり隣に、ハルが立っていた。にこっと、この状況でも、ココロは笑った。安らぎを感じる笑みだった。


「非戦闘員が仲間にいたところで、支えにも何にもならないのではなくて?」

「黙れ」


 氷のレーザーと共に、氷の声が飛んでくる。声を発射した人物に、クラーレが目をやった。黄色い瞳に、鋭い光が宿っていた。


「ソラにハル。ミヅキやミライ。ココロにシロ。こいつらはな、誰一人でも欠けちゃ駄目なんだ。今回痛感した。パルサーが手に入って、ハルとココロと別れるかもしれないってなって、よくわかった。

……一人でもいなくなるなんて、絶対に嫌だ。どんなことよりも嫌なことだってわかった。

……俺も守りたいんだ。絶対に守る。その為なら、どんな手だって使える」


 クラーレが、嵌めていた手袋を外しすと、鉄で覆われた手をじっと見つめた。

その金属の向こうには皮膚で覆われた手があり、その更に奥には、猛毒の体液が流れている。

 鈍色に光る両手が握りしめられる。金属同士のぶつかる硬い音が鳴った。


「……こいつらを傷つける奴はな、誰が正義と言おうと、俺にとっちゃ紛れもない悪なんだよ。覚悟は出来てんだろうな?」

「ま。随分と野蛮な種族なんですのね、ベイズム星人は」

「はっ、何とでも言え」


 クラーレの横顔を、穹は呆然とした思いで見つめていた。視線に気づいたのか、顔がこちらを向いた。鋭さが瞬時に薄れていき、優しげな目に戻っていた。それが堅くなり、穹の向こう側に目が行く。


「ハル、何かいい手は無いのか?」

「そうだな。とにかくこのレーザーを片付けるしか無いだろう」


 ハルはその場に正座すると、膝の上にポケットから取り出したパソコンを立ち上げた。


「レーザーの出所を見つける。私は分析以外に、長けた部分が無いからな。だから、精一杯、分析する」


 パソコンからコードを取り出し延ばすと、先端を口に咥えた。奇妙な光景に目を見張る間もなく、両手がキーボードの上に置かれた。


 瞬間、弾丸のような音がバリア内に響いた。レーザーが放たれる音と全く同じくらいの間隔の無さと速度のするその音は、キーボードのタイプ音だった。その素早さは、目で追える範疇を優に超えていた。


「ハルさんそんなにタイピング上手だったんですか?!」


 コードを加えている状態では返答できなかった。ハルは無言で頭を横に振った。否定されても、凄いという感情しか沸いてこなかった。


 タイプ音を聞いている間にも、どんどんバリアにヒビが入っていく。もう時間は少ないことが、体にかかる衝撃で伝わってきた。クラーレが焦りを浮かべた目をハルに向けた。だん、と一際大きく一つのタイプ音が響いた。


「どうも強いエネルギー反応に阻まれているのが気がかりだが。概ね完了した。レーザーの発射ポイントの分析結果だ」


 ハルは立ち上がり、一つ一つ指を指していった。教えられた場所の数は多く、三六十度ぐるりとその位置で囲まれていた。それは茂みの一部分だったり、木の枝の高い所だったり、木々の隙間だったりした。


 教えられた場所を見ても何も見えない。けれどハルの指さす先からは、レーザーの光が放たれている。何かあるのは疑いようもない。


 だが問題があった。全て教えてもらったときには、最初のほうに教えてもらった場所を忘れていた。もう一度、と言おうとした途端、バリアにまたヒビが生じた。


「ハル。その指してる指からレーザーの出所って、寸分の狂いもないよな? 一ミリもずれてないよな?」

「ずれていない。計算通りだ」

「じゃ、これの出番だな」


 隣でクラーレの影が揺らめいた。物音にそちらを向いた時、思わず目を見開いていた。


 矢尻をつがえ、弦を張り、真っ直ぐ背を伸ばし立つ姿。弓を構えたクラーレが、そこにいた。


「弓か。では、レーザーの位置が近い場所を優先的に教える」

「頼む」


 手に持つ弓には見覚えがあった。蔵の中でクラーレが発見し、穹が勝手に曰く付きなのではと疑った、あの弓だった。


 太陽の下に晒されたその弓は、漆塗りの赤が光る、細く美麗な見た目をしていた。


「毒液の命中率を上げるためにな。昔、でずっと練習していた。絶対に、狙った所とは違う場所にかかったりしないように」


 ビシイ、と亀裂の走る音が大きく響いた。手のひらから力が抜ける感覚がした。目の前で、バリアが粉々になって、空中に消えていくシーンが再生される。


 バリアの破壊音が耳に残り、レーザーの発砲音が一段階大きく聞こえた。直後、それらとは全く種類が違う高い音が生まれた。


 弓が引かれた音だった。弓本体と同じく、赤く塗られた矢が、真っ直ぐ飛んでいく。


 クラーレは、まず自身の毒液を使わない。だがどうしても使う局面では、毒液を発射するとき、軌道に揺らぎが生じることはない。矢尻もまた、ハルが指さす先に沿って、迷い無く真っ直ぐ飛んでいく。


 蔵の隣。木と木の根元に生い茂る茂み。その一点で、がん、と鈍い音を残して、矢が止まった。何かがあることの証拠の音色。


 向かおうとしたときだ。ハルが急にトランクを開けた。


「今回の敵は小さい、武器を使ったほうが良い!」


 言われるがまま、手に何か重たい感触が伝わった。はい、と託されたものをしっかり握りしめる。鉄で出来た柄が、よく手に馴染むようだった。


 矢で射貫かれた場所目掛けて真っ直ぐ走る。緑色の木々の中で唯一混じる矢の赤色は、目印として申し分なかった。


 レーザーには狙われていたが、今はその冷たさを無視して進む。目には当たらないよう注意しながら、茂みをかき分ける。


 根元に隠れ潜んでいたそれを見た瞬間、見覚えがある、と思った。あの蔵の中に飾られていた人形の一体。確か、フランス人形のような見た目をしていたはずだ。


 その人形は今や、可憐さの見る影も残していなかった。顔からお腹にかけて、体が観音開きのようにぱっかりと開かれている姿を見せていたのだ。

 そこから、人形の体を超える大きさをした弾倉が飛び出していた。真ん中には矢が突き刺さっており、それを取り巻くようにして、円形状に穴が配置されている。


 その奥で、レーザーの光が集まっていく。発射される前に、穹は手に持っていた物体を、思い切り人形に振りかぶった。


 鉄と鉄が重くぶつかり合う音が響き、重い衝撃が腕全体に伝わる。鉄で出来た弾倉はひしゃげ、布で出来た人形は大きく形を歪ませた。


 二つをこんな形にした物体が、手元で黒く輝く。改めて渡されたものを見て、無防備になるとわかっているも大きく瞬きした。


「フライパン?!」


 隙を突かれたように、背筋の中央へ続けて二発氷が撃たれた。軽く体勢を崩した直後、高い音と共に頭上を何かが通り過ぎていった。一瞬だけ赤い線が見えた。


「ソラ、次はそっちだ!」

「どんどん撃っていくからな、こっちのことは気にせずぶっ壊していけ!」


 背後からかかった声に頷いて返し、矢の飛んでいった方角へ飛び跳ねた。高い木の枝に刺さる矢を見つけ、そのすぐ上にいた人形を右から左へ勢いよく叩きつける。


 着地ざま、「次はそちらだ!」とのハルの声に体を逆に方向転換させ、放たれた矢の方角へ地面を蹴って跳ぶ。


 うろのある木に矢が飛んできてあり、その中に太陽の光を反射する物体がいた。フライパンでは届かないため、拳を作って弾倉を直接殴る。


 再び飛んでいく矢を見つけ、両足で木を蹴ってそちらへ跳ぶ。矢の刺さっていた岩の影に潜んでいた人形、いやロボットに、両手でフライパンを振りかぶって一気に下ろす。


 一体、また一体と人形が稼働不能になっていくにつれ、辺りを飛び交う無数かと思われていたレーザーの数は、着実に減っていった。


『ソラ、戻ってきなさい! 退散する!』


 木のてっぺんにいた人形を動かなくさせたときだ。インカムからハルの声が聞こえた。ハル達の元まで戻る最中、あれだけ体に幾つも突き刺さっていたレーザーの数は、大きく数を減らしていた。


 ありがとうと手短に告げてきたハルに頷くと、ブローチと重ねた両手を上に掲げた。シールドが生まれる。


「運びます!」


 シールドとソラを見比べていたクラーレが浅く頷いた。最初に乗って、飛んできたシロをしっかり抱えながら、ハルを引っ張り上げた。確かに全員乗せたことが重量で確認できると、穹は地面を蹴った。


 とにかく逃げようと、走り続ける。クラーレの「落っこちねえように気を付けてるから気遣いは無用だ!」という声に従い、ただ前へ進むことだけを意識した。


 階段を一気にジャンプして飛び降り、そこからの道をひたすらに駆け抜ける。足よりも流行る気持ちのほうがずっと上だった。速く速くと。


 息を上げながら目指す場所は一つだった。あの、人形が町の光景を視線に収めていた、開けた崖の場所。


 木々を突き抜けた瞬間、一気に視界が広がり、眩い光に包まれた。


「気を付けて、飛び降りるから!!」


 家々の屋根は眼下の遙か下に並んでおり、崖の高さを嫌でも知る。けれど恐怖は一切なかった。せり出した崖から一気に飛び出そうと、足を踏み込んだ。


「止まれソラ!!」


 今までに無く強い口調をハルにかけられ、思考が一瞬停止した。既に宙を踏んでいた片足を、もう片方の足が強く地面を踏んだことで、なんとか停止することが出来た。


 その間にハルはシールドから下りると、足下に落ちていた大きめの石を拾い、絶壁の向こうへ放った。


 投げた意図がよくわからない石は、弧を描いて宙を舞い、崖から落ちていく途中で、止まった。


 がん、と空中で鳴るはずのない音を残して、何も無い空間で、弾かれた。


「えっ……?」


 穹は崖の先端部分まで近づくと、恐る恐る手を伸ばした。空気を触っていた手のひらは、途中で何かに阻まれた。手が一気に冷たくなり、強い痛みを覚えた。


「強いエネルギー反応の正体はこれだったのか。恐らくこの山全体が、“氷の壁”で覆われている」


 ハルは崖向こうの景色を指さした。改めてよく見たその光景は、全体的に色がぼやけ、掠れて薄れた色をしていた。


「氷そのもので覆っているわけではありませんわ。壁に冷気を纏わせてあるのですわ」


 鈴の鳴るような声が上空から聞こえた。振り返ると、差した傘で空を飛ぶネプチューンの姿があった。静かで優雅な所作で地面へ着地すると、ふわりとした風が舞い起こった。


「氷の力は儚くも強いんですの。山から外へ出ることはできなくってよ。大人しく、ハルを差し出しなさい」

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