phase7「『偶然と見せかけて全て必然でした作戦』」

 急に走り出した人形がどこへ向かったのか。後を追っていく内に、奇妙さが胸中に生まれていった。その方角は、人形と出会った蔵のある場所。あの山のある方向と、同じだったからだ。


 迷うことなく人形が山の中に消えていった時、首を傾げずにはいられなかった。なぜわざわざ、この場所に。


 とにかく追いかけたものの、大きな自然が小さな人形を巧妙に隠していた。行方がわからないまま、しばらく立ち往生した。昨日キャンプした場所も見てみたが、目当ては外れた。


 天を仰いだ。穹でさえ首が痛くなるほど背の高い木が四方八方を囲んでいる。穹よりもうんと小さい人形にとって見たら、どれほど巨大なものに映るのか。


 急にどうしたのか、何がしたいのか。だが、明らかにこれまでと様子がおかしくなった人形を、放ってはおけなかった。


 人形にとって、この山はどういう存在なのか。誰もいない昨晩のキャンプ跡地を見ながら、穹は考えた。

 まさか、自然を味わいたいから山に向かったわけではあるまい。この場所が人形にとって意味を持つとしたら、一つしか残されていない。


 クラーレとハルに相談し、山頂へ向かった。

 鳥居をくぐり、階段を上り、その先にある建物を見据える。古い蔵は、昨日見たときとほとんど何も変わっていなかった。ハルが破って地面に捨てたお札までそのままだった。


 ただ一つ違うとすれば、扉がわずかに開かれた状態のまま、放置されていることだった。ドアを閉めずに蔵を後にしたはずなのに、閉められている。それも、隙間風が入り込めるくらいの中途半端な空間を残して。ちょうど、人形一体くぐり抜けられそうな。


 確信が穹を突き動かした。駆け寄り、両手で扉を勢いよく開ける。外界との明度の差で、一瞬目の前が真っ暗になり、何も見えなかった。埃が舞い上がり、反射的に腕で口を覆う。それでも微量ながら気管支に入り込み、大きくむせてしまった。


 咳き込んだ後で顔を上げると、目が蔵を立ちこめる闇に慣れていた。


「えっ?」


 それきり、言葉を失った。右に、左に、前に。目線を蔵の中に移動させる。床の隅から隅に至るまで。


「なんで……?」


 作り付けの壁の台。床に置かれた台。その上に飾られていた人形が、一体もいなくなっていた。

 がらんどうの蔵は、暑くもなく、寒くもない、中途半端な空気で充満していた。


「なんだこりゃ……。あの人形は?」

「これは、一体……」


 ハルが最初に中に入り、後を追う形でクラーレもついていく。我に返った穹も慌てて、二人の後を追った。


 台の下や裏に至るまで、体を屈ませてくまなく見たが、やはり人形達は影も形も見えなかった。元からそんなものはなかったのではと思わせるほど、痕跡が一つも残されていない。


「そっちはどうですか?」

「いや駄目だわ。何も無い」


 梯子を登って屋根裏の様子を見に行っていたクラーレが戻ってきたが、収穫無しと首を振った。


「これしか飾られてなかった」

「人形とは関係なさそうですね……」


 見せてきたものは、赤色が特徴的な和弓と弓矢だった。

 なぜか矢の数が妙に多い理由を問うと、「なんか壁中に大量にぐさぐさぶっ刺さっていた」という返しが来た。ぞっと背筋が凍り付いた。

 弓矢の赤が染色ではなく、血ではないかと勝手に妄想し、勝手に体が震えた。


「その弓、多分持ち歩かない方がいいものだと思います……」

「そうか? まあ邪魔になるだけだしな」


 戻してくるとクラーレが背を向けたときだ。「ソラ、クラーレ」とハルの呼び声がした。穹は振り返った。


 見えた先には入り口の扉があった。外の世界には太陽が差し込み、温かい光で包まれている。蔵の中と蔵の外が次元すらも違う別の世界に思えてきて、扉の向こうが妙に遠く見えた。木々の緑も、木の葉のそよぐ音も、鳥のさえずりも、全てがぼんやりとしていて、よく見えなかった。


 敷居の向こうに、何かが立っていた。逆光に照らされよく見えなかったが、わかった。あの人形だった。顔も何も暗くなっているのに、目の赤色だけは爛々と輝いている。その輝きを、しばらくの間、穹達に当てていた。永遠とも思えるような時間だった。


 時間が止まったのではという幻覚は、人形のシルエットが揺らいだことにより、消えた。人形が、穹の視界から、ずれていく。また走り出した姿が、遠ざかっていく。


「待って!」


 すぐに反応出来たと思った。すぐに走り出せたと感じていた。だが外に飛び出たとき、人形の姿はどこにもなかった。風すらも吹かない景色しか、存在していなかった。


 影も形もなくなっていても、桃色の影を探し、辺りを見回し続けた。


「ご機嫌よう」


 あられが降ってきたのでは、と上を見上げた。だが、青空しか広がっていなかった。

 けれど耳にした瞬間、確かに感じたのだ。氷の気配を。


「そんなに慌てて、一体何をお探しなのかしら」


 後ろを向いた。思うように息が出来ていないことに気づいた。


 蔵の屋根の上に、大きな人形が立っていた。レースやフリルやリボンがふんだんに使われた、ゴシックな雰囲気漂う黒いドレス。フランス人形のような服を違和感なく完璧に着こなせているのは、本人がまさに、人形そのもののような外見をしているからだ。


 そのは、ドレスと同じようにフリルやリボンの装飾があしらわれた傘をくるりと回すと、影の落ちる緑色の目を開けた。でないのなら、こんなに冷たい目を持っているはずがない。


「もしかして、お探しのものはこちらかしら」


 水色の縦ロールをふわりと揺らし、控えめに黒いレースの手袋を嵌めた手先を足下に向ける。

 そこに、一体の人形がいた。見覚えしかないものだった。ついさっきまで、自分のすぐ近くにいたものだったからだ。


 赤い瞳が、穹を見下ろしている。二体の人形が、穹を見下ろしている。


「お久しぶりですので、改めてお名前を名乗っておきますわ。ネプチューンと申します。以後、お見知りおきを」

「……知ってるよ」


 裾を持ってお辞儀をする優雅さに気圧される。眩むほどの高貴さを称えた彼女は、確かに自分よりも幼い年齢なのに、自分よりも強大に見えた。


「あっ、あんた!」

「……ネプチューン、か」


 蔵から出てきたハルとクラーレが、警戒色の強い堅い声を発す。シロも、珍しく威嚇をしていた。体を前に傾けさせ、尻尾を高く上げ、小さく唸り声を上げている。

 けれども、まるで興味の範疇外とばかりに、ネプチューンは涼しい表情を崩さない。


「ちょっとした旅はどうでしたかしら? さぞ堪能できたのではなくて?」

「旅……?」

「この場所にあなた方をテレポートしたのは、わたくしの仕業ですので」


 息を飲んだ。耳を疑う前に、ハルが「やはりか」と無機質に返した。


「ならば、わからないことがある。なぜわざわざ、この場所にテレポーテーションさせたんだ?」

「その質問は後で答えさせて頂きますわ。今は気分ではありませんので」


 ふいっと躱すように顔を背ける。子供の我が儘にも聞こえる無邪気な声音なのに、今はただただ、嫌な予感ばかりが募っていく。


 その予感を当てるかのように、ネプチューンが人形の首に掛けられたカゴを手に取った。あんなに苦労したカゴを、あっさりと手中に収めた上に、首から外す。人形は抵抗を見せなかった。先程から、一ミリも動いていなかった。

 肘を曲げ、カゴから下がる紐を、バッグのように掛ける。


「このパルサー。案の定、手に入れようとなさいましたわね。こちら側で用意させて頂いたものでしたのに」


 え、と呆けた声を発していた。でも、と頭を回そうとするも、カゴの中のパルサーを見上げ続けることしかできなかった。白の光が、笑ってしまいそうなほど遠い。


「待て。それはミヅキとミライが捕まえたものだ。用意したって、一体何を言ってんだ」


 クラーレが低く問うた。恐れが全く感じない台詞を耳にして、違和感の正体に気づいた。


 あれは美月と未來が運良く捕まえたパルサーだ。なのにちょうど鳥に攫われたから、たまたまテレポートで来ていた穹達が、代わりに回収することになっていたはずだった。


「知っていますわ。偶然パルサーが見つかって、偶然捕まえて、偶然動物に攫われて、偶然、テレポートでこの地を訪れたあなた方が、それの回収に向かったのですわよね」


 ネプチューンが無表情に言う。声だけ聞けば鈴の鳴るような愛らしいものなのに、無表情さが冷たさを際立たせ、怖いと感じさせてくる。

 ぐるん、と持っていた傘を、遊ぶように一つ回す。


「何もかも、こちらで用意したものですわ。登録した座標にダークマターの在庫にあったパルサーを出現させ、あなた方に捕まえさせるようにしました。

もちろん、ちゃんと捕獲できるように、出現時間を計算し、小数点以下まで調整してありますのよ。

その後、こちらで用意した鳥に、パルサーを奪わせました。ちなみにその鳥はロボットですわ。地球のこの国に生息するものそっくりに作りました。

誰かに見られる時間は短いのに、誰も見ないような細部に至るまでとことん凝りましたのよ。

そうしてパルサーをここまで運ばせた後、あなた方がここまで来るのを待ちました。そして見事に、最後の仕掛けに引っかかって下さいましたわね」


 ネプチューンが、人形を抱きかかえた。腕の中に収まる人形は、パズルのピースがかっちりと嵌まったように、あるべき場所に戻れたという姿を見せていた。


「この蔵は、もともと何も無いただの古い蔵でしたわ。人形も何もしまわれていない面白味もなんともない蔵。少しリフォームを施しまして、こんな雰囲気にさせて頂きましたの。この星では、人形に魂が宿るだなんて言われているそうですし。それに乗っかったわけですわ」


 ネプチューンが人形を前へと掲げた。


「思惑通り、人形が動いても奇妙な行動を取っても、霊魂の力で片付けていましたわね。舞台調整に時間を掛けて良かったですわ。

そういえばデータによりますと、あなたは確か幽霊の類いが苦手なのでしたわよね? ご心配なく。この人形は幽霊も魂も心も何も宿っておりません。ただのロボットですわ」


 穹を見下ろしていた緑色の視線が、脇に逸れた。けれどまだ見つめられている気がして、穹は視線を逸らせなかった。


「ハル。あなたには金属探知機能がプログラムされておりますわよね。どうぞ、お好きなだけこの人形を調べて下さいまし」

「……」


 ハルが少しだけ、体を前に傾けさせた。じっと食い入るように人形を見つめ続け、やがてふっと頭を戻した。


「間違いない。仕組まれている構造からして、ロボットだ」

「調べればすぐ感知されてしまいますから。ですので人形に、ロボットのあなたの思考を少しおかしくさせる波長を発する機械を埋め込んでおりますの。あなたは極端に熱いところにいると思考回路の調子が悪くなるのでしたわよね。その応用をさせて頂きましたわ」


 ついでに言いますと、とネプチューンが一つ指を立てる。


「面倒ごとをおこさせないために、人間の記憶をいじる波長も発せられるプログラムも組みこまれておりますわ。この波長は一度に強く出すと体調不良を感じるのですけれども」


 合点がいった。人形の目を見た人達が、皆一様に、お金を払っていないのに払ったことになっていた訳。クラーレが吐き捨てるように言った。


「ただの洗脳じゃねえか」

「随分と人聞きの悪い事を仰いますのね。仕方がないことでしょう。このような作戦だったのですから」


 悪びれもしない緑の瞳が、軽く空を見上げる。


「この二つのプログラムが重要でしたので、他は削らざるを得なかったですの。だから少々面倒でしたが、あの人形は、わたくしが操作してましたわ。一挙一動、ですわよ? リアルタイムでわたくしの操作が反映されておりましたの。

わたくし、人形遊びが大好きですの。昔からずうっと、一人で遊んでいらしたのよ。どうだったかしら。人形の動きは。なかなかそれらしく見えていらしたのではなくて?」


 人形の話をした際、ネプチューンの持つ冷たい雰囲気は薄れて、あどけない笑顔になった。柔らかく笑っていた瞳が、急に決まり悪そうにぱちぱちと瞬く。


「で、ですがその。人形の操作は、す、少しだけ、プルートが手伝って下さいましたが……」


 軽い咳払いの音が、ずっと遠くから聞こえてくるようだった。


 全て、仕組まれたことだった。それが、にわかに信じられなかった。

 身勝手に振り回してきたのも。遠く景色を眺めていたのも。家と家の隙間の暗がりで飛び跳ね、自分の孤独を表現してきたと思った動きも。料理をじっと見ていた目も。全て全て、作られたものだったというのか。


 一緒に連れだって、共に帰りたいと思った人形は、穹に何も返してこなかった。

 人形が遠い。ロボットだった人形が、遙か彼方にいる存在に感じる。


「この作戦、全てわたくし一人で考えましたの。なかなか凄いと思いませんこと? ねぎらって下さいましね」


 ネプチューンが微笑んだ。誇るような目つきだった。褒めてほしいという気持ちが肌に伝わってくる。ふふっと胸が軽く反らされた。


「あなた方が今置かれている状況は、全てわたくしのほうで用意したもの。そう、名付けて! 『偶然と見せかけて全て必然でした作戦』ですわ!」


 ひゅーと風が吹き抜けていった。山の風はやや冷たく、まだまだ残暑が厳しい季節ということを忘れさせてくれる。涼しいなあ、と思った。隣でクラーレが、口だけで笑った。


「だっっっさい名前だな」

「やかましいですわ!!」


 笑顔から一転目をつり上がらせたネプチューンが、だんと足を踏みならした。


「ほとんど寝ずに考えましたのよ?! あなた、これよりも良い名前を思いつけて?!」

「くっだらねえことに時間割いてやがるんだな」

「あ、あの二人とも、お、落ち着いて下さい!」


 制止の言葉をかけても挑発をやめようとしないクラーレに、ますます顔を赤くし怒るネプチューン。板挟みになっている穹は混乱で頭がふらふらしてきた。その中でハルが、他人事のように静かに立っている。


「全て計画だったとは気がつかなかった。迂闊だったな」

「あら、コンピューターのアップデートでもしたほうがよろしいんじゃなくって? それに穹だったかしら、あなたもあなたですわよ。視野が狭いですわ。こんなよくわからない状況を、こんな簡単に幽霊の仕業で片付けるだなんて。単純すぎますわよ。それでは足下を掬われて終わりですわ」


 ぐうの音も出ない体験をした。明らかに自分よりも年下の、10歳かそこらの少女にずばり指摘されて、自分でも情けないと感じるほど縮こまるしかできない。


「だ、だだだって怖かったんだもの……。怖いのは嫌なんだよ……。本当に、どうしてこんな怖い感じにしたのさ……」


 べたべたと外にも中にもお札を貼っていたりなど、怖がるなと言うほうが無理だ。お札に人形に古い蔵など、震え上がるには充分すぎる材料だった。


 ネプチューンは息を吐き捨てた後、記憶を漁るように指を顎に軽く添えた。


「本当に見苦しい姿を見せるのですわね……。マーキュリーが言っていらしたことは正しかったのですわね」

「…………?!」

「“廃校舎に行った時に気づいたんですけどね~穹さんの弱点って多分あれですよ~。お化けだと思うんですよ~! いやあ、だいぶ強がってましたけど滅茶苦茶怖がってたのばればれでしたねえ。”

って、楽しそうに笑ってたときは、煩わしいとしか感じませんでしたが」

「………………」

「悔しいですが参考にさせてもらいましたけれど、結果的になかなか為になりましたわ。感謝しなくてはいけませんわね」

「………………」

「お、おい、ソラどうしたんだ一体……」


 やたらクラーレのぎこちない声がかけられた。返事よりネプチューンを見上げることを優先した。


「……つべこべ言ってる暇あるなら早いとこくたばっといて下さいって、言っておいてくれる?」

「覚えていたら伝えておきますわ」

「……本当に苛つく人間だよ、屑が……」

「話には聞いていましたけれど、マーキュリーのこと、本当に凄まじく嫌っているのですわね」

「まあ……正直この前のこと、まだ鮮明に覚えてたりするし……」


 実はその時抱いた感情も、意図的に記憶の彼方に飛ばしているだけで、これが全く薄れていないのだ。鮮やかに蘇らせる事が出来てしまう。

今この場にあの人がいたら、どうなっていたか自分でも想像できない。


「まあ、ここにはわたくししかおりませんので、ご心配には及びませんわ。ただ、ひとりなのは、そちらも同じですけれどもね」

「……ひとり?」

「一緒に戦って下さる仲間。あなた以外、見当たりませんことよ?」


 おもちゃを探す子供のように。きょろきょろと辺りを見回すネプチューンからは、一種の無垢さすら覚えた。


 穹も周囲を見た。ハルのテレビ画面がこちらを見下ろし、何が起こっているのかわかっていないココロの瞳が見え、警戒し顔を強張らせたクラーレと目が合い、不安そうに見上げてくるシロが映った。


「ハルは、全く戦闘に秀でておりませんし。赤ん坊は論外ですし。プレアデスクラスターは性質が穏やかですから、戦闘そのものは苦手ですし。そちらのベイズム星人だって、毒液こそ使えますけれど、体力があまりないのでしょう?」


 びくっとクラーレが体を震わせ、ゆっくりと自分の手のひらに視線を落とした。何かに思いを馳せるように、そこを見つめている。足下をシロが忙しなく歩き回り出す。ハルがココロを見た後、熟考するように空中の一点を見つめ始める。


「残りの仲間はこの土地にいますけれどね。ちょうど今、プルートが妨害工作を行っている真っ最中ですわ」

「ね、姉ちゃんに、未來さんに、何を?!」

「ご心配なく、手荒な真似は致しませんわ。人目もあることですし」


 どこまで信じたらいいものか。美月と未來の安否に対する不安が胸中を渦巻く。


「わたくしもひとりですが、ではありませんわ。たくさんのお友達が。お人形さん達が、ついておりますからね!

わたくしが、なぜここにいるとお思いになって? 遊びに来たわけじゃないですのよ。……その、ちょこっとだけ楽しんでしまいましたけれど、でも“仕事”の為に来たのですから」


 自分よりも年下の、明らかに子供としか思えない少女の口から発せられた、仕事という単語。そこに伴われていた言葉の重みに、穹は息を詰まらせた。

 こんな小さな子供が、ここまでする理由など、あるのだろうか。


「……やめようよ、こんなの。なんでこんなこと……」

「やめるなんて出来ませんわ。準備に携わり、わたくしを支えた大勢の部下達の、たくさんの苦労が、水の泡になってしまいますもの」


 ネプチューンの目は、子供ではなく、大人の目に変わっていた。大人でも、こんな責任感と圧力を纏った目の持ち主を、穹は見たことが無かった。ですが、とその瞳が微かに揺らぐ。


「ですが、一番の功績をあげたいのはプルートですのよ。大量のデータを完結に纏めて下さったおかげで、楽に準備を進める事が出来ましたの。地形、鳥の種類、地球の人形の特徴、この土地の特徴などなど、ですわ。それに今回付いてきて下さいましたしね。おかげで本当に楽しい一時を過ごせましたわっ! ……やっぱり、お人形って、良いですわね。わたくしの言うこと全部聞いて下さるんですもの」


 ロボットの人形を両手で持ち、しみじみと呟き、うっとりと眺める。背筋に氷が落とされたような感触に陥った。

 人形からこちらに向けられた視線は笑っていた。にこにこと、心の底から楽しそうにしている。

 そこに向かっていったのは、平坦なハルの声だった。


「だが君は、その支えてくれたという部下の人間達の心を、無くそうとしているだろう」

「そういうことになるのでしょうね。でも、永遠の秩序が保たれた、永久の平安が約束された宇宙が訪れるのでしたら、安いものではなくって?」


 冷気が、口から発せられたのでは。その言葉は、氷よりも冷たく感じた。


「それに、わたくし個人の願いを叶えたいのもあるのですわ」

「願い……?」


 穹が小さく聞くと、こくん、とネプチューンは頷いた。


「はい。お友達を作るという願いですわ。AMC計画が完遂されましたら、お友達、きっと百人は余裕で出来ますわね」


 ネプチューンは人形を自分のほうに向け、笑いかけた。


「わたくし、お人形遊びが大好きですの。お人形さんとお友達になるの、得意なんですの」


 穹ではなく、人形に話しかけているようだった。視線がふいに上がり、目が合った。宝石のように輝く純粋な瞳が、そこに存在していた。


「心が無くなった人間は、皆、お人形さんみたいになるのですわ。生きているお人形さんが、本当にこの世に存在するようになるんですのよ。

それって、とっても素敵な世界だと思いませんこと? ねえどうです、夢のようでしょう?

そうなったら、色々したいことが山ほどあるんですのよ。今から考えておりますの! 

まず、色んな方といっぱいお人形遊びしたいですし、舞踏会などもしたいですわね。それと、たくさんお茶会を開いて、たくさんの方を招待して、目一杯堪能したいですわ!」


 冷たい雰囲気が消えていた。ネプチューンの身を纏っているのは、純粋な幸せの空気だった。例えるとするなら、明日遊園地に向かう時の子供のように。声はころころと鈴を転がしたように明るく、瞳は曇りなくきらきらと眩さを放っている。


 穹の体温は、どんどん下がっていく感覚に襲われていた。


「わたくしは、お人形さんみたいに、静かで、言うことをちゃんと聞いてくれる人間と、お友達になりたいのです。今の人間とはお友達になりたくないですわ。

まさにあなた方のような、逆らったり言い返したり、煩わしいしか能の無い人間だらけですもの」


 山の木々が揺れる。木の葉のさえずる音を大きく残して、ネプチューンにかかる影が激しく揺らめく。緑色の双眼が、鋭く光った。


 にっこりと、彼女は笑った。計算もなく、打算もなく、年相応の無邪気な子供の微笑みだった。


「さあ、わたくしの可愛い可愛いお人形さん達。可愛くない人間達に、わからせてあげなさい。ダークマターに逆らうことが、何を意味するか」

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