phase2「パルサー、GET?!」
目を開けたとき見えた青空が、瞬間的にいつもと違う、と感じた。その感覚には覚えがあった。以前も目に飛び込んだ空に対し、いつもと違う、という感覚に囚われたことがある。
ふらつく身を起こし周囲を確認すると、同じように起き上がるクラーレが傍にいた。ハルも近くにおり、立って辺りを見ている。
「この状況、凄く既視感があるんですけど……?」
「俺もだ。……またテレポートの失敗か?」
痛むのか、頭を手で抑えながらクラーレが言った。その言葉に既視感止まりだった感覚が、鮮明な記憶となって蘇る。
夏、意図せず海外までテレポートしたあの事件。あの時と、状況が非常に似通っていると気づく。
「いや、瞬間移動装置は起動させていない。そもそも完成もしていない。失敗続きだ」
だが、ハルはかぶりを振った。じゃあどうして、と思うも、ふらつく視界に遮られ、思考が上手く動かなかった。
「つーか、ここどこだよまじで……」
立ち上がったクラーレが、緩慢に見回した。
空き地のような場所に、穹達はいた。そこから見える建物の雰囲気などからして、国内であることは間違いない。
空き地の前を伸びる道路はアスファルトではなく石が敷かれており、そんな石畳の道の向こう側には、瓦屋根に木の壁、木の扉といった家々が並ぶ。
全体的に古い景観に、日本は日本でも大昔にタイムトラベルしたのではと感じた。
「位置情報の分析を開始する」
ハルはコートのポケットから、ハードカバーの本のような見た目をしたパソコンを取り出した。折りたたまれたそれを立ち上げるのを、穹は制した。
「いえ……その必要は無いです」
遠くのほうに小さく立つ物体を見つけた瞬間。穹の中で、この場所の正体がなんなのか、確信が生まれた。
写真などで見ていたので知っていた。そうじゃなくても、名前は知っていた。それくらい有名な建物。穹は、この土地の名を聞けば、真っ先にその建物が思い浮かぶ。
「──ここ、京都ですね」
瓦の屋根が幾重にか重なった塔。五重塔が立っていた。
「なんでここにいるんだ俺らは」
クラーレが怪訝そうに腕を組み、ハルを横目で見やる。わからないとばかりに、相手はまた首を振った。
「自然現象の類いである可能性は低い。つまり、人為的なものである可能性が高い。だからこそ、かなり危険な状況にある」
「……それって、罠ってやつか?」
組んでいた腕が解かれる。声に緊張感が帯びていた。
「とにかく調べてみないことには。空間転移による周波などを観測できるかもしれない」
ハルはその場に座ると、取り出した小型のパソコンのキーボードを素早くタイプし始めた。クラーレが横で、警戒心を剥き出しにした視線を周囲へ撒く。穹はどうすればいいかわからず、呆然とその光景を見るしか出来なかった。
頭は混乱の渦中にいた。今の状況をまるで理解できていなかったが、ハル達がいるおかげで、あまり取り乱さずにすんでいた。
一秒前まで裏山にいたのに、次の瞬間には京都まで移動していた。その原因が、敵の罠かもしれないという。噛みしめた瞬間、背筋が上から下へ一気に凍り付き、早足でハルの傍まで駆け寄った。ハルを守るためというより、自分が怖くなったからという理由が大きかった。
パソコンを操作するハルをきょとんと見上げるココロ、地面の匂いを嗅いでいるシロ、そしてハルが持っていたトランクへと視線を移動させた後で、あることに気づいた。
何かに気づいたようにやや見開かれたクラーレの黄色い目と、視線がかち合った。
「おい。俺ら、元の場所に戻れるのか?」
規則的に鳴っていたタイプ音が停まった。ハルは顔を上げた。
「それは、かなり、難しい」
再びクラーレと目を合わせた。目が呆けきっていた。自分も同じ顔をしているのだろうと思った。
「歩いて帰ることになるのでしょうか」
「いや。無理だろ」
「僕お金少ししか持ってきてないですよ」
「俺なんか0だぞ」
「……まずいんじゃないですか?」
「……まずいな」
次の瞬間、穹はクラーレと共に、ハルの肩をそれぞれがっしりと掴んでいた。
「どうしますハルさんどうします!」
「これやべえぞ本格的に! どうすんだまじで!」
「落ち着きなさい」
「無理です!!」
「無理に決まってんだろ!!」
いくら揺さぶってもハルはタイプを止めず、「落ち着きなさい」しか言わない。だが穹の頭は既に収拾が付かなくなっていた。恐らくクラーレも同じだろう。なので揃って、ハルを揺さぶり続ける以外出来なかった。
「ピイッ!!」「う~あ~!」
シロの鳴き声とココロの声が響く。まるで「落ち着いて!」と一喝されたようで、二人ははっと動きを停止させた。クラーレが申し訳なさそうに、シロを抱えて謝った。
「どうか、何事も起きませんように……」
穹が手を合わせ囁いた祈りの言葉は、空中に溶けて消えていく。何かに届いた気配はなかった。その時だった。
穹のコスモパッドが、着信を告げた。
「姉ちゃんっ?!」
「は?! ミヅキから?!」
「ソラ、出てみてくれ」
言われずとも了承し、穹は急いで通話に出た。
『そっ、穹!! 大変!! 大変な事になった!!』
このわけのわからない状況で聞こえてきた肉親の声は、穹を安心させるには充分だった。だが、当の美月の声は、なぜだか焦りと動揺しか感じ取れなかった。
肩を叩かれ振り向くと、ハルが無言でコスモパッドを指さしてきた。穹は頷き、パッドをハルの顔に近づけた。
「どうしたんだ、ミヅキ。一体何があった」
『へ? あれ? ハルもそこにいるの?!』
『あ、だったら話は早いねっ!』
美月以外の声が聞こえていた。珍しく未來も、焦ったように早口だった。
『えーと、あの、えっ、あれ、えーと』
『あのですねあのですねあのですね!!』
「落ち着きなさい」
二人のろれつの回らない声が重なり、何を言っているか聞き取れなくなる。ハルが静かに諫めた後、二人分の深呼吸音が、画面の向こうから重なって聞こえてきた。
『あのね、パルサーを捕まえたの!!』
大きすぎて、マイクがあまり上手く拾えなかった声。ノイズも生じたが、言っていることはちゃんと聞こえた。静まりかえった空間に、京の風が吹く。
「ええええええええ!!!!!!」
気がつけば、この雅な地で発するには相応しくないような頓狂な声を上げていた。
「おいおいおい待て待てそれどういうことだ!」
「姉ちゃん、どういう意味?! 嘘にしてはタチ悪いよ!」
「お、教えろ詳しく!」
「何、もしかしてからかってる?!」
『いっぺんに大声で喋んないでよ!!』
『そうですよ~!』
「落ち着いてられるかよ!」
「は、早く説明して、早く!」
ぱん、と乾ききった高い音が鳴った。ハルが両手を叩いた音だった。弾丸のごとく交わされ合っていた台詞が、ぴたりと止まった。
「ミヅキ、ミライ、詳しい説明を頼む。ソラ、クラーレ。大事な話なので、なるべく静かに」
「あ、はい……」
「……すまん」
クラーレが身を引き、穹もパッドを嵌めた手首を前に出した状態のまま、一歩下がる。
ハルが再度説明を促し、美月と未來は語り始めた。その声色が落ち着いていたことから、ハルのおかげでパニックを冷却できたのだろう。
美月の話を纏めると、どうやら歩いている最中、突然目の前に現れたのだそうだ。万一の時のために二人はアミとカゴをこっそり持ち運んできていたようだが、まさか本当に役に立つとは思わなかったらしい。
パルサーそのものがあまり高くない位置に出現したのもあって、今までの苦労はなんだったのかと思う程、呆気なく捕まえることが出来たようだ。
『すぐ消えると思っていたけど、案外その場に残ってて。うーん、ラッキーだったなあ』
言う割には、美月はどこか浮かない物言いだった。問題はその後で、と未來が続く。
『無事にカゴまで入れた直後、カゴごと鳥さんが攫っていったんですよ……!』
あっという間の出来事だったらしい。パルサーを捕獲して興奮気味の美月と未來の間をすり抜けるように鳥が飛んできて、カゴを掠め去って行ったとのことだった。
あっ、と、未來が閃いたように声を上げた。
『これが、トンビに団子を攫われるってやつか……!』
「未來さん。それ多分油揚げです」
『さっき未來、お団子の看板じっと見てたからね。しょうがないね。うん。気持ちはとてもわかるよ未來!』
うんうんという美月の声が聞こえてくる。声に合わせて頷いている姿が想像できた。
『実際トンビみたいだったんだけどね。あっという間のことで、捕まえることもできなくて。もちろん追えなかったし……。せっかく捕まえたのにまさか盗まれるだなんてってなって、ハル達に相談しようってなったんだ』
「なるほど。わかった。ではミヅキ、ミライ。心配はないと伝えておこう。私達は今、京都にいる」
『はああああ???!!!』
ミヅキの発した声は大声過ぎてほぼノイズと化した。後ろで何やら騒ぎ続けてる美月に代わり、未來が『どういうことですか~?』と聞く。
「原因はまだ不明だが、私達はこの場所に瞬間移動したんだ。それは確かにアクシデントだ。だがそのおかげで、パルサーの元へ行くことが出来る。今からパルサーを追いかける。そして、絶対に回収する。ミヅキ、ミライ、本当にありがとう。お手柄と言うだけではとても足りない。本当にありがとう。お疲れ様」
穹はクラーレと顔を見合わせた。無言だったが、お互いに何が何だかわからないと思っていることはひしひしと伝わってきた。
だから、いつの間にかハルが通話を追えて、「では行こう」と話しかけてきたときも、しばらく返事が出来なかった。
「何が起こってんだ今……」
クラーレがぼそりと呟いた。それは、今の穹の心境を一言で表していた。
何が起こっているのか。状況を理解できているはずなのに、頭が追いついていない。
だが、その中で頭がしっかりと理解していることがあった。歯車が、回り出そうとしているのだと。
ハルが前を向いた。位置や進む方向を確かめるための行動より、何かを見据える姿に感じられた。
「ミヅキとミライが作ってくれたチャンスを、無駄にしてはいけない。ソラ、クラーレ、行こう。このチャンス、絶対に逃がしてはならないんだ」
平坦で感情の籠もらない声。なのに重さを感じたのは、今自分達が置かれている状況の重大さに、じわじわと実感が湧いてきたからだろうか。
「……上手く行くのか?」
クラーレの一人言には疑心暗鬼の色が強く出ていた。穹は深く頷いた。それはまさに今、穹が感じたことだったからだ。
美月と未來とのやりとりから、既にハルはパルサーを盗った鳥がどの方向に飛んでいったか聞いていたようだ。だが聞いた方向と言っても、東西南北のどれかという非常に範囲の拾いものだ。
「宇宙船にあるコンピューターを使えば、パルサーの位置情報を調べられるのだがな。今はこの携帯用のものしか持っていない。そのため計算に時間がかかる。少し待っていてほしい」
その言葉を残すと、ハルはまたパソコンを操作し始めた。
飛んでいった方角と、美月と未來から聞いた鳥の特徴から考えられる種類を絞り込み、その鳥の行動範囲を計算しているようだった。
わかったのは、ハルに尋ねて返って答えのそれくらいだった。パソコンの画面を覗いてみたら、そこに表示されていたのは数字と文字の羅列のみで、今ハルがどういうことを実行しているかまるで理解できなかったからだ。
クラーレと共に強張った面持ちで待った。大きくエンターキーを叩き、ハルがパソコンを手に立ち上がるまでの間、そこに会話は一つも生まれなかった。
「分析完了。盗られたパルサーが、最も存在する可能性の高い場所。結果によると、あそこだ」
ハルが真っ直ぐ指を指した。やや遠くの方に、こんもりした山があるのが見えた。
「運が良いことに、あまり距離は遠くない。歩けば、夜には着くだろう」
穹は上空を見上げた。空の高い位置に、太陽が輝きを放っていた。
すう、と息を飲んだ。クラーレも同じことをしていた。二人して、一気に吐き出した。
「夜ってなんですかっ!!」
「というかなんで徒歩前提なんだハル!!」
「バスなどは使えないだろう。手持ちがないのだから」
何も問題は無いという風に、無機的に言い放たれる。
「わかった。わかったがな、無理だ!」
「そう、無理です!!」
「何がだ? 山に向かって歩くだけだが」
「ふざけてんのかあんたはっ!」
クラーレがかっと黄色い瞳孔を見開いた。穹も、首が痛くなるほど何度も頭を上下する。
「んな、歩き続ける体力なんざ持ち合わせてないんだよ俺は!」
「僕もです! 100%! 有り得ません!」
穹は運動が苦手だ。あれはただ苦しいだけのものだと認識している。出来る事なら避けて暮らしたいと、常日頃から感じている。もちろん体育は最も嫌いな科目だ。体育がある日は朝からずっと憂鬱な気持ちを引きずる。団体競技など、地獄でしかない。
クラーレもあまり体が強くないので、運動に対して同じような苦手意識を持っているようだった。
「そうか、体力の面を考慮していなかった。すまない」
「いやどうすんだよまじで……!」
「歩き続けるなんて物理的にどうやっても無理ですよ! これ詰みってやつじゃ……?」
「いや」
ハルが穹へ、距離を詰めてくる。
「な、なんですか……?」
なぜかハルの姿に今まであまり覚えた事の無かった威圧感が見え、反射的に後ずさった。ハルは黙って穹に人差し指を向けた。ず、と重々しい音が聞こえてきそうな指し方だった。
「ソラが、私達を担いで運ぶんだ」
「あんたついに壊れたのかっ!」クラーレが怒鳴った。
「至って正常だ。コスモパッドで変身すれば、私やクラーレを運んで移動するのも簡単にできる」
「正気かよ!」
クラーレの怒鳴り声が、どこか別の世界から聞こえてくるようだった。ハルのどこに問題がと言いたげな空気も、遠くから見ているような気になってくる。
「ついにパルサーが手に入るんだ。これで宇宙船は完全に直る。宇宙を飛行することが出来る。手段は選んでいられないんだ。ソラ、申し訳ないが引き受けてくれるな」
「え……」
「引き受けてくれるな」
「あ、はい……」
「おい待ていいのかよ!」
「では頼む」
自分の意識は遙か後方に置き去りだった。半ば上の空で変身をし、気がついた時にはハルをおぶって宙を飛んでいた。変身状態の為か、あまり重さは感じなかった。なので普通にジャンプも出来ていた。そんな自分が、ますますわけわからなかった。
着地の衝撃も、受ける風も、目に入る古い町並みも、澄んだ青空も、全て他人事に感じていた。だが後ろからずっと聞こえてくる、ココロの楽しそうにきゃっきゃとはしゃぐ声は、現実味を帯びて耳に届いていた。
山の麓まで着くと、そのままジャンプと駆け足を駆使して山頂まで向かい、ハルを下ろした。その後、再び空き地まで戻ってクラーレを迎え、同じようにおんぶして飛翔を始める。
「……俺、ソラにおぶさる日が来るとは思ってなかったわ」
「はい僕もです。それに、ハルさんのこともおんぶする日が来るなんて想像してなかったです……」
この状況にツッコミを抱いているのはクラーレも同じだったようで、穹はほっとした。
「というかこれ絵面的にどうなんだ」
「シュールってやつでしょうねえ……」
一人頷きながら、再び山に着き、てっぺんまで走って行った。ようやく辿り着き、クラーレを下ろして振り返ると、彼が抱えてるシロが腕の中で丸まって僅かに震えていた。いきなり高い場所まで連れて来られて、怖くなったのかもしれない。宥めるように背中を撫でるクラーレの手つきは、とても穏やかなものだった。
「お疲れ様」
ハルが無機質に声を掛けてきた。はー、とクラーレが長く息を吐いた。
「全くだ、無茶言いやがって」
「少し疲れましたよ本当に……」
肩を落としつつ変身を解除し、首を軽く回す。後ろを見た瞬間、そこに飛び込んで来た光景に、穹は息を忘れた。
「わあっ……!」
町が広がっていた。前だけでなく、右にも左にも、四方八方、町の景色が広がっていた。それは青空の下、ずっと果てまで続いていた。遠く、広く見える世界。晴れた天気が、澄んだ空気が、大パノラマを可能としている。
目を凝らすと、小さくだが寺や神社と思しき建物が見える。それらを一つ一つ眺めていくうち、本当に今自分は京都にいるのだと実感が湧いてくる。
風が吹き、一斉に木々がざわめいた。体にかかる木の葉の影と光のコントラストが揺らめく。山の斜面に生える緑の木々もゆらゆらと揺らめいている。
紅葉の季節に来たら、きっと息を飲むほどの景色が見えるのだろうと感じた。赤や黄に彩られた樹木が一斉に風にざわめく姿を想像しただけで、その世界に行ったきり戻ってこられないような幻想さを抱く。
「おお、良い景色だな」
隣まで来たクラーレが景色を見ると、感心深げにしみじみと言った。
「ですね。やっぱり来て良かったかもしれません。写真に撮っておきたいな……」
「二人とも」
振り返ると、ハルが森の奥を指さした。
「申し訳ないが、そろそろ出発しよう。先程から強いエネルギー反応を感じる。恐らくパルサーだ。さっき見てみたら、この先に山道があった。そこを通って行こう」
「あ、わかりました」
「行くとするか」
歩き出す前、もう一度振り返って景色を焼き付けた。この先そうそう見られないだろう光景。今は記録できるものがないので、心の中に留めておくしかできない。けれどもいつになるかわからないが、絶対にまた見に来ようと思った。その時は、紅葉の季節で。
きっととても美しい景色が見られるのだろう。苦しいことを、辛いことを、全て忘れられるような景色が。
ハルの言ったとおり、少し歩くと山道に出た。ただあまり舗装はされておらず、土の上に大きさのまばらな木の板が無造作に置かれているといった具合だった。
ここは観光客が訪れない場所なのかもしれない、と穹は感じた。先程から人一人見つからず、静かだ。あまり鳥の鳴き声も聞こえてこず、時折驚かせるように木々が葉音を立てる。その静謐さは、段々と心の落ち着きを奪っていった。
穹は上を見た。背の高い木々の隙間から、ちらちらと空の青い色が覗く。
先程から周りが暗いと思っていたが、気のせいではなかった。太陽の光が、ほとんど降り注いでこないのだ。
生えている木はどれも背が高く、葉が多く生えている。それが光を遮り、山の中を昼間なのに暗い空間と化させていた。まだ残暑は厳しいはずであるのに、むしろどこか寒気を覚える程辺りが涼しく感じるのも、この為のようだった。
ぶる、と体が震えた。涼しさもあるが、怖かった。何かが起こるのでは、という気持ちが強くなっていく。
せめて皆と話しながら進めば怖さも解消されるのだろう。だが何を言えばいいかわからないし、先導を切るハルはあまり自分から話しかけてこないので、先程から無言の空間となっている。それがますます、抱く嫌な予感を増幅させた。
「ク、クラーレさん、僕なんだか怖いです」
「どこがだ?」
隣でクラーレがきょとんと首を傾げる。宇宙人なので、地球の心霊系にはとことん疎いのだろう。周りが暗いこと、辺りが静かなことも当然把握しているだろうが、それが嫌な予感に繋がらないのだ。
どう説明したら良いものかわからず、そこで会話は終了した。だが嫌な予感は、一度意識し出すと増すばかりだった。
早くついてほしい、と切実に願った時だった。ハルが足を止めた。
「反応が近い。この辺りだ」
ハルが頭を上に向ける。穹もそれにならった。
目に飛び込んできたのは、朽ち果てた姿の鳥居だった。
所々にヒビが入っており、色の剥げた鳥居。残った赤色が、だらだらと流れる血のように映る。
鳥居の向こうに続く石で出来た長い階段にも苔がびっしり生えており、緑と灰が混ざり合った暗い色をしている。
風が吹き込んできた。冷たい風だった。
背筋が寒くなったのは、気温の影響だけではないだろう。
「恐らくこの先だ。早く進もう」
「あんた随分と気合い入ってんな……」
「いよいよパルサーが手に入るのだ。時間が惜しい」
さっさと鳥居をくぐって階段を上り始めたハルに、クラーレが肩を竦ませ一歩前に出る。と、全く動かない穹を怪訝そうに見た。
「どうしたソラ? 疲れたか? ここで休んでるか?」
「……一人で?」
ココロもハルが連れており、シロもクラーレが抱えている。一人で待つ事の何が問題なんだと言わんばかりに、クラーレが怪訝そうに頷いた。
「あ、いや、あの、行きます。行きますけど、その、クラーレさん、絶対に僕から離れないで下さい、本当に。本当にあの、先に行かないで下さい、足並み揃えて下さい、本当に」
「いや待て急にどうしたんだ」
クラーレがあからさまに仰け反る。そんな彼の服の裾を両手で強く掴み、「じゃ、じゃじゃじゃあ行きましょう」と震える足を前に出した。
そうして階段を上っている間、穹はずっと下を向いていた。苔の生える緑色の石段以外、一切目に入れないように意識した。
顔を上げたら、視界の端に、見てはいけない存在の姿を捉えるような気がしてならなかったからだ。木々の隙間に佇む人ならざるものの姿をうっかり見てしまったら、本気で我を忘れると思う。
上る速度がゆっくりな為、服を掴んでいるクラーレの足もまたゆっくりになる。少し登ったところで、「おい!」とやや苛立った声が降った。
「危ねえから少し離れろ!」
「嫌です嫌です絶対に離しません無理です」
離さないという意思表示の為、クラーレの服の裾を更に強く掴む。破る勢いだった。
「あー!! なんなんだ一体!!」
「どうしたんだ二人とも」
だいぶ上の方からハルの声がかかった。ハルとだいぶ距離が空いているのが、声の大きさから理解できた。
「ソラの様子がおかしいんだよ!」
「どうしたんだ、大丈夫かソラ。疲れているなら休みなさい」
「嫌です置いていかないで下さい!!」
「あんた休んだ方がいいって!」
「いやあああ!!!」
精一杯首を振り、置いて行かれることを拒否する。置いて行かれたらそれこそ恐怖が行き過ぎてどうなるかわかったものではない。
必死に足を動かし続け、5分弱階段を上り続けた。息を絶え絶えにしながら上り切ると、ハルは先に着いていた。
先程の山頂とは違い、ここから見える景色もさぞ壮大なのだろうが、木々が深く生い茂っているため、周りの景色は僅かにも見えなかった。
「間違いない、あの中だ」
「よし、とっとと済ませちまおう」
ハルがある一点を指さし、クラーレが頷く。なんてことのないようにあっさりと歩き出した二人に、穹は全ての力を振り絞って叫んだ。
「待って下さい!!!!!」
ほぼ同時に二人が振り向く。訝しんだ視線を受けたが、構っていられなかった。
「ここって、勝手に入っちゃ駄目な場所ですよね!」
「確かに不法侵入になるのだろうが、今は四の五の言っていられない」
「それもありますがそういう意味ではなく!」
穹は両の拳を握りしめた。
「あれは、別の意味で入っちゃいけない建物でしょうがっ!!」
まるで檻のように茂る木の向こう。その奥にひっそりと佇むみたいに、蔵のような大きめの建物があった。
そこには光が降っていなかった。昼間だというのに、闇に閉ざされているようだった。
漆喰の壁は、元の色が白のはずなのにくすんだ灰色になっており、年月の経過が示されている。更に壁はひび割れ、ツタなどの植物が絡んでいた。
黒い瓦屋根は、その瓦が所々剥がれ落ち、それが一層蔵全体を廃れた見た目にさせている。
全体的に寂れた蔵。その中で唯一、入り口の両開きの作りをした扉だけは、黒色を輝かせ、重厚感を与えていた。
その扉には、南京錠が掛けられていた。
そして、びっしりとお札が貼られていた。なんと書いてあるかは読めないが、赤色の筆で書かれたお札が。
実際に見える気がする。禍々しい色をした空気が、蔵全体から漂ってきている。
実際に感じる。長く蔵を見ていたら、長くこの場にいたら危険だと理屈抜きに感じる気配。
強い寒気と吐き気を催している。これは冗談抜きに、駄目なものだと危険信号ががなり立てている。
ハルとクラーレは一緒に蔵を見ると、一緒に同じ台詞で尋ねてきた。
「何が駄目なんだ?」
穹がおかしいのか、二人がおかしいのか。絶対に後者だと、穹は思った。
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