phase2「試行錯誤の末に」

 「そ、穹君どうしたの!」


 宇宙船で料理を作ってみて、自分の中で惨敗を期した翌日のことだった。新メニューのアイデアが湧いてこないかと町の中をさ迷っていたところ、聞き覚えのある声をかけられた。

 普段から弾むボールのような声を持つ未來だが、振り向いた途端本当にその体が軽く跳ねた。


「た、体調良くないの? 大丈夫? 風邪でも引いた? お腹痛い?」

「どうしてそんなことを……?」

「顔色、物凄く悪いよ!」


 指で指された穹はしばらく目を瞬かせた後、やっぱりそうですか、と頷いた。突拍子もないことを言われた気分にはならなかった。むしろ自覚済みだった。


 依然として浮かばない新メニュー、それに伴う家全体の沈んだ空気、更に自分の料理に対する才能の無さ。これらを同時に考えていくうち、頭も足取りも重くなっていた。今ここでスキップをしろと命じられても、一歩目で足がもつれて転ぶ自信がある。


「何かあったの? あ、もしかして、季節の新メニューのこと? この前美月から聞いたんだけど」


 なんと答えるか迷ったが、結局素直に頷いた。穹の沈んでいる理由の大半を占めるのは昨日の料理の一件だが、それは黙っておくことにした。


「そうかあ。大変なんだね、レストランって……」

「です……。ずっとお父さんとお母さんの働くところを見て育ったので。今どれだけ大変か、ある程度はわかるつもりです」


 今回のように新メニューが浮かばないだけではない。季節ごとに使う食材を微妙に変えたり、それに伴い料理全体の味付けも変更したり、食べに来るお客の反応を逐一観察して研究したり。美味しいごはんを出している裏側である厨房の世界は、ほぼ戦場と化している。


 毎日が戦いなのだと、仕事中の両親の緊張感と責任感を負った顔を見ていればわかる。


 接客でも、何かしらのことは起こる。穹が対応したら頭が真っ白になるようなトラブルが起こることもある。そんな事態を手際よく臨機応変に解決していく両親の姿は、とても真似できそうにない。


 それだけに、もし自分が考えた新メニューが採用され、それがトラブルの元になったらと思うと、想像だけで体温が下がった。


「今回浮かんだ新メニューは、良いと思われたら本当に採用されるんです。ミーティアのメニューに、もし万一自分の考えたメニューが並ぶのだったら、半端なものを考えるわけにはいかないというか……。なんだかそう思うと、どうすればいいのかわからなくって」


 昨日、あの後自分の料理ノートを見返してみたら、どれも今あるミーティアの新メニューとして出すには相応しくない代物に思えてならなくなった。


 なので改善か、新たな案を練ろうと外に出たわけだが、こういうときに限って何も浮かばない。案が詰まったときはいつも格好いい単語を書いてある黒いノートを眺めていたら自然と物語が思いつき、そこから新たな料理が連想されるのだが、今回は料理どころか物語すら一欠片も浮かんでこなかった。


「考えすぎなんじゃないかなあ……?」


 未來が眉をひそめ、軽く腕を組んだ。台詞通り、浮かばない原因がプレッシャーにあることは理解しているが、どうしようもできなかった。穹は俯いた。


「穹君のお父さんとお母さんもなかなかアイデアが浮かばないのは、やっぱり考えすぎてるからじゃないのかな? だったら穹君ぐらいは、気持ちを楽にして自由に考えたほうがいいんじゃない?」

「うーん……」


 未來の言っていることはわかる。客観的に見ても正しい意見だと判断できる。だが、踏み込めない。自由に案を練る勇気が、湧いてこない。

 口ごもる穹に、未來は何かを思いだしたのか人差し指を立てた。


「ほら、“駄目元”ってやつだよ! 駄目で元々のつもりでやってみるのはどうかな?」


 ね、と邪気の無い笑みを見せる未來から、曖昧に顔を逸らした。

 それが出来たらどんなに楽かと、卑屈な思いが浮いてきてしまう。駄目で元々の精神を使い分けるのもやはり、ある程度勇気が必要なことだと知っていた。

 穹の目を覗き込むように見ていた未來が、急に指を鳴らした。


「私はなんでも好きだけど、和風っぽい雰囲気の料理が好きかな! 和洋折衷な雰囲気の新メニューがあったら、頼んじゃうかも!」

「! あ、ありがとうございます! 和洋折衷か……。参考にします!」


 未來の口から出てきたのは、紛れもなくお客様の意見だった。何の前触れも無く言ったように見せかけて、穹が一瞬抱いた卑屈な感情を察知されたのではと感じた。気恥ずかしくなり、我慢できずに下を向く。


「ソラ、ミライさん、こんにちは」


 未來とは対照的に、静かな湖畔のような雰囲気を称えた声が聞こえてきた。近寄ってくるアイに、未來がはにかみ、大きく手を振った。


「アイちゃーん! また会えて嬉しいよ~!」

「アイ……ちゃん……?」ぴたりと足が止まった。戸惑っているのか、体を硬直させている。


「穹君とも会えてアイちゃんとも会えて、今日は嬉しい偶然が重なるなあ! でも一緒に遊びたいところだけど、私これから用事があるんだよねえ……」


 名残惜しそうに、未來が持っている鞄を軽く叩く。穹が「カメラですか?」と聴くと、指を使って丸を作ってきた。


「シャッターチャンスを求め! “心”を撮りに行くんだ~」

「芸術ですか」アイが出された問題に対して解答を発するように、無感情に聞いた。


「その通り! 芸術だよ~!」

「なるほど」


 頷いたアイが、唐突に穹のほうへ首を向けた。


「ソラ。かなり体調が悪いように見えますが、どうしたんですか」

「穹君はね、体じゃなくて、心の調子が悪いんだよ」

「心の調子……?」


 未來が代わりに返答したが、抽象的でよく理解できなかったのか、固まるアイの視線が空中を漂う。


「それじゃ、私はこの辺で! 二人ともまたね! 穹君、あまり根を詰め過ぎちゃ駄目だよ?」


 大きく手を振りながら、未來はスキップしながらあっという間に去って行った。どうして、ああも自分を偽らずに堂々と生きられるのだろうか。その背に羨望の眼差しを注いでしまったことは、否定できない。


「ソラ。心の調子……が悪いとミライさんが仰っていましたが、どうかさなったのですか。何かソラの身に不具合が起きたのですか」

「うん……」


 結局場所を変え、説明することにした。近くにあったベンチに腰掛け、新メニューがどうしても浮かばないことなどを説明した。


「家の商売の危機なら、そこまで顔色を崩しているのも理解できますね」

「うっ、そんなにひどい顔してた……? あはは、格好悪いなあ……」


 両手で顔を覆い、その下から苦笑した。


「こんなのはどうかなって、自分で考えた新メニュー候補を昨日いくつか作ってみたんだけど、どれもしっくりこないししかも美味しくないしで……」


 顔を手で隠していて、相手の目が見えないおかげだからだろうか。話題に出す予定の無かった、料理に失敗した件も口にしていた。両手で顔を隠す格好を取っていても、料理の話を聞いても、アイは何も突っ込んでこず、「そうですか」とだけ返してきた。


「だから、もうどうすればいいのかわからなくて……。でも何もしないのも……」

「……」


 手を離してみると、アイが真正面を向いていた。何かを見ているのかと思ったが、どうやら違うようだ。青色の目が更に静けさをたたえたものになっていた。思考に耽っているのだとわかった。


「自分で考えてわからないのなら、人の考えを聞くのはどうでしょうか。様々な意見を取り入れていけば、おのずと完成形に近づくのはないでしょうか。そのほうが自分の頭一人で考えるより効率的かと」

「あ、そうか……!」


 未來が言っていた、「和洋折衷」の案が再生される。確かに、お客様の声を聞く方法があった。内輪で解決しなくてはいけないと考えていたせいで今まで思い至らなかったが、何も新メニューの案を一緒に考えてくれとわざわざ告げなくてもいいのだ。


「アイ、ちょっと待っててくれる? 知り合いに聞いてみるよ」

「どうぞ」


 立ち上がり、道路の向こう側まで移動すると、物陰からベンチに座るアイを覗いた。どんなに耳が良くても、この距離ではとても会話は聞こえないだろうと確信できる距離だった。


 穹は服の袖を少しだけ捲り、そこから顔を覗かせたコスモパッドに口を近づけた。ハルの持つ通話機に通話を試みると、すぐに相手は出た。

『どうした。何かあったのか?』と問うハルに簡潔に挨拶し、近くを人が通りかからないか注意しながら、一連の説明を行った。


「ハルさんだったら、ミーティアの新メニュー、どんなものがあったら頼みたいと考えますか?」

『エネルギーに換算される効率が良いものだろうか』

「あ、そうです、か……」


 予想していたようなしていなかったような返答が来て、穹は言葉に詰まった。参考になるかならないか、微妙なラインにある意見だった。


『なんだ? ソラか?』


 ハルの声が中心に拾われているため音は小さかったが、別の聞き覚えのある声がした。クラーレだった。


「クラーレさんこんにちは。ちょうどよかった、クラーレさんに聞きたいことがあるんです。クラーレさんは、レストランに行ったとき、どんな新メニューがあったら頼みたくなりますか?」


 一瞬の間の後、うーんと唸り声が聞こえてきた。ハルが通話機をクラーレに渡したのか、拾われている声がクラーレを中心になっていた。その声音は、明らかに悩んでいるとわかった。


『悪い、よくわからない。そもそも俺はそこまで食べることに興味無いしな』


 そうですか、と少し残念に思ったその時。


『パンケーキだろう?』


 突然ハルの声が横から割って入ってきた。


「え? はい?」

『お、おい、何言ってんだ』


 クラーレの声が震えた。対照的にハルの声は落ち着いており、淡々としていた。


『ソラ、クラーレはパンケーキを好んでいる。理由は、地球に来たとき初めて食べたものだから』

『何言ってやがんだおい!』

『言ったほうがいいと判断したから言ったのだが』

『てめえ!!』


 がたーんと何かが倒れるような音がした。恐らく椅子だろうと想像した。


『何言いふらしてやがんだ、まじで許さねえぞ!! そこに立てぶん殴ってやる!!』

『それは困る。それにココロが目の前にいるから、教育に悪い』

『あんた最悪かよ!!!』


 主にクラーレによる、ぎゃあぎゃあとした騒ぎが液晶画面の向こうから伝わってくる。ありがとうございました、と言い残して通話を切ったが、相手に聞こえたかは不明だった。


 クラーレは本気で怒っていたようだが、その中の照れを隠しきれていなかった。早口で捲し立てる様を思い出し、穹は我慢できず、笑ってしまった。同時に体全体が、心地よい暖かさで包まれていくのを感じた。


「パンケーキか。あとエネルギー効率のいいもの……」


 一人呟いた後、ベンチまで戻った。アイは穹の顔を見た途端、首を傾げた。


「機嫌が良いようですか、どうかなさいましたか」

「あっ、ごめんね、なんでもないよ」

「そうですか。それで、どうでしたか」

「大丈夫だったよ。意見聞けた。“エネルギー効率のいいもの”と、“パンケーキ”だってさ」

「そうですか。ですが、それだけですと参考に出来る意見の量とは言えないですね」

「だよね……」


 薄々勘づいていることだった。穹は意見を聞けそうな人の顔を思い浮かべた。


「父さんと母さんとじいちゃんと姉ちゃんと……。あと学校の先生とか……?」

「まだ足りないのでは。こういうのは、多種多様、老若男女問わず、あらゆる人に意見を聞くべきかと」

「だ、だよ、ね……」


 図星だった。確かにより多くの人に意見を求めるべきだ。例えばクラスの生徒達に聞いて回ったり、ミーティアに来ているお客に直接聞くのが効率的といえた。さりげなく、世間話をするみたいに軽く聞き出せば。

 だがそれが出来ているのなら、自分の抱えている全ての悩みはもう解決している。


「僕ね……。人と話すのが……人と付き合うのが……。笑っちゃうくらい苦手なんだよっ……!」


 さりげないとはなんだ。世間話をするみたいに軽くとはどういうものだ。せめてマニュアルがあればいいものを、人付き合いに説明書は存在しない。この無慈悲さに、穹は何度打ちひしがれてきたことか。


「もう、あの、本当に、本当に苦手で、あの」

「はあ、わかりました。なら無理しないほうがいいのでは」


 アイがわずかに距離を取ってきた。その行動が無意識的なものに見え、必死になるあまり詰め寄っていたことにようやく気づいた。姿勢を正し、肩を落とす。


「まあ姉ちゃんに言えば……。姉ちゃんなら、人付き合い得意だし。色んな人に意見聞いてきてくれると思う。そうすれば、このピンチも脱出できるはずだよ」


 社交的で積極的な美月に頼めば、すぐにクラスの人達やお客様に話を聞き出して、意見を集めてきてくれるだろう。あるいは、既に他の人に意見を求めることそのものに考えが行き着いているかもしれない。

 ふと、視線を感じた。顔を向けると、アイと目が合った。


「ミヅキさんに頼む。それで、ソラはいいのですか」

「何が?」


 見ているのではなく、感覚があった。客に眺められている美術品などの鑑賞物は、いつもこんな気分を味わっているのだろうかと、見当違いなことを考えた。


「新メニューを考え、それが採用されれば、実際にメニューに載るのですよ。つまり、自分自身の手柄となる。このチャンスを、みすみす手放していいのですか」


 何かとんでもないことを耳にした気がして、穹は反射的に首を振っていた。


「手柄ってそんな。会社とかでもないし」


 だがアイの台詞は、確かに穹の心に降り積もっていた。余韻を残し、なかなか消えてくれない。


「っていうかその話、アイにしたっけ?」


 誤魔化すために話題を変えると、アイは頭を下げた。


「すみません。ミライさんとの会話を耳にしていました」


 そう言って、ゆっくりと人差し指を立ててきた。


「駄目元。駄目で元々。ミライさんも、仰っていたではないですか」

「……家族全員で解決するものだし、やっぱり手柄立てるとかそういうのは違う気が」

「どこが違うのでしょうか?」


 アイの目に、悪意は読み取れなかった。どこが違うのか説明しようとして、口が動かなくなった。


 調理そのものは父と母がするのだ。自分では美味しくないものしか作れなくても、案さえ採用されれば関係無い。


 採用されれば、自分の存在が知られる。透明ではなくなる。自分がミーティアを継げる可能性が、上がる。たとえ一%にも満たない数字だったとしても。

 つまり将来に繋がることだ。なのに、家族全員で、姉弟で助け合ってなど、確かに甘いことに思えてきた。


 顔を伏せる。その先で、膝の上に置かれた自分の両手が目に入った。いつの間にか、拳を作り、固く握りしめていた。意思とは無関係に微かに震えるその拳を眺めているうちに、気づいた。自分がどういう存在なのかを。


「……どちらにせよ、僕は知らない人に意見を聞く、のは」


 競争しようが協力しようが、自分という人間は変わらない。自分に才能が無い以上、継げる可能性などそもそも無い。

 できることは、今のミーティアを支えるために、精一杯やり遂げることのみ。自分も新メニューを考えると、一度踏み込んだのだ。最後までやり切らなくてはならない。


 顔を上げた。アイの碧眼と目線がかち合った。


「……アイ。もう君しかいない。お願いがあるんだ、聞いてきてくれないかな!」


 合わせる両手に、即座に深く下げる頭。よく冷やした水のようなアイの声がかかる。


「なぜ私が」


 もっともだった。だから引き下がりそうになった。しかし穹は、ベンチから立ち上がった。アイの真正面に立ち、再び頭を下げた。


「お願い! お願いします! 君にしか、君にしか頼めないんだ! アイの知っている人でもなんでもいいから、意見を聞いてきて! 頼む! 頼みます! お願いしますっ!」


 地面につきそうな程、頭が下がっていく。道行く人が見たらどう思うだろうと感じたが、なりふり構っていられなかった。

 視界の端で、アイの体が少し動いた。


「……了解、しました」


 ゆっくり告げられたその声に、穹は大きく息を吐き出した。


 色んな人に意見を聞き取るなど、現時点でアイ以外に頼れる人がいないと気づいたのだ。見た目が地球人離れしているハルやクラーレに、街頭アンケートを頼むわけには当然いかない。論外だ。両親や祖父に頼むのも気恥ずかしい。未來に頼むのも同じだ。こうなるともはや、他に適任と思える者がいなかった。


 何度もお礼を言う穹を、やはりアイは何も言わず、無機質な目で眺めていた。

 




「……なんで私がこんなことを。……そもそもなぜ私は、こんな非効率的なことを引き受けたんでしたっけ」


 夜。調査報告を終えたアイは、空きビルの一室で一人呟いた。


 レストランで新メニューが出るとしたら、どんなメニューに興味を惹かれますか。

セプテット・スターに対して、今日一日の調査報告を終えた後に何の前触れも無く質問したら、明らかに全員引いた顔つきになった。


 理由を説明すると、どこか附に堕ちなさげだったが、それでも全員ちゃんと意見を述べてきた。


 最後にそんなことがあったので、向こう側がぎこちなさげなまま、報告が終わった。結果、微妙な空気というものを学習できた。


「……いえ。標的からの頼みなら、引き受けるに越したことはないです。正しい判断です」


 アイは手元のメモに目を落とした。とりあえず七人分の意見を確保できれば上々だろう。社員全員の意見も集めたかったがそれだと穹のほうがパンクする恐れが高いと考えた。


 今晩も本社から送られてきた、計画とは無関係の業務を片付けようとし、ふと動きを止めた。なるべく多くの人に聞いたほうがいいだろうと、黒電話を手にした。

 受話器を手に取ると、映像が浮かび上がった。通話の相手は、明確に瞳を輝かせてきた。


『アイ! どうしたのあなたのほうからかけてくるなんて!』


 デイジーは、アイからの通話が嬉しくてタマラアイ様子だった。普段のどこか浮かない物憂げな雰囲気は、今日はどこにも見当たらなかった。

 用件を告げる前に、向こうの口が先に動いた。


『凄いニュースがあるんだよ。今日はね、育てているお花が咲いたのよ! 待ってて、今持ってくるから!』

「お待ち下さい」


 画面外から消えていこうとするデイジーを呼び止めると、何かしら、と優しく聞いてきた。


「質問です。デイジー博士は、レストランで季節限定の新メニューが出るとしたら、どんなものをご所望なさいますか」

『そうね……』


 なぜそんな質問をしてくるのか気になるような視線を向けてきたが、すぐに考え始めた。目線を軽く上にやっている。それが、アイのほうを見た。


『……アイスと、プリンかしらね』


 アイは即座にメモをとった。書き終わりそれらを傍らに置くと、一つお辞儀をした。


「ご協力ありがとうございました。それでは業務がございますのでこれで失礼致します。おやすみなさいませ」


 何か言葉を発する前に、通話を切った。


 デイジーと話すことは効率的でないと計算結果が出ていた。今日、これ以上の会話は不要と判断された。


 仕事を始めようと、立体映像のキーボードを出現させ、その上に両手を置く。

的確かつ素早く作業をこなしていく両手の動きには、しばらく迷いが生じなかった。だが、その途中。アイの思考回路が、違うことを思考し始めた。


 先程デイジーが言っていた、花が咲いたという台詞。生きているものは、有機物は、成長する。変化する。昨日と大きく変わるときもあれば、少しずつ変わっていくときもある。


 ふとアイは、じっと自分の両手を眺めた。


 この手はこれ以上、大きくなることはない。小さかったときもない。学習と成長は、どう違うのだろうか。


 今日もわからないことは減らなかった。どんどん増えていくそれは、とどまることを知らない。考えても仕方のないことを考えても非効率的なのに。


「……アイス」


 美月がこの前ご馳走してきた食べ物が、思い出された。

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