phase7「帰国!」

 ジルは、ずっと表で待っていたらしかった。裏口から出てきたルベラを見るなり、「ルベラーーー!!!!!!」と太陽が降臨したような眩しすぎる笑みで駆け寄ってきた。両腕を広げて全速力で近づいてきたジルを、仲間であるはずのルベラはさっと避けた。


 今から退職してくるから待っていてほしいと言いいながら見せた笑顔には、怒りが全然静まっていないことがありありと現れていた。


 あまり大ごとにしないほうが、と美月が言うと、「わかっております」と全くわかっていない声で返事を返され、ルベラは再びエリア内に戻っていった。


 その間、ジルとルベラの宇宙船内で待たせてもらった。宇宙船の外見は、いわゆるアダムスキー型だった。二人で旅をしている割には、規模はハルの宇宙船程に大きく、内装も高級感漂う凝ったものだった。中世ヨーロッパのお屋敷にお邪魔しているような感覚になった。


 アンティークな雰囲気の、広々としたコックピット内で、ジルは人数分のお茶を持ってきてくれた。ジルは何度も、ルベラを連れてきてくれてありがとうと、涙目になりながら礼を述べていた。淹れてくれた紅茶は、色々な風味が混じっている複雑な味のものだったが、とても美味しかった。だがクラーレただ一人、口をつけなかった。クラーレはまだ、美月達以外に心を許すことはできないのだ。


 美月はジルに謝り、せめてもと、クラーレの分も飲んだ。そうしながら待っていると、しばらく経ってルベラが入ってきた。怒りは消えており、やたらと清々しい爽やかな笑みを浮かべていた。


「どのみちここに戻るつもりはありませんし、思いっきりやらせて頂きましたわ」

「な、何を……?」

「秘密、ですわ」


 微笑みながら、ルベラは手をひらひらとさせた。その小指には、先程取り返した指輪が、ぴったりと嵌められていた。

未來が目を輝かせながら、指輪を見つめた。「本当に綺麗な指輪ですね~」


「お父様からプレゼントされましたの。旅の無事を祈って、だそうです。お守りですわ」

「じゃあ、ずっとつけていなきゃっていうのは」

「お守りというのももちろんありますが、お父様ご本人が選んだものですからね。つけていなくては失礼というものです。……ところでジル、一体何の用が?」


 美月達に話すときの声は、磨き抜かれた宝石を思わせるものだ。ところがジルと話すときは、さっぱりしているような、飾らない声に変化した。


「ああ、うん。実は貴方のお父上から連絡が入ったんだ。お見合い相手がって……」

「お断り下さいな! 私は、運命の相手を自分で見つけ出すのです! ジルもそうでしょう?!」

「だったんだけど、ついさっき、別の連絡が入った」


 ジルの眼光が、心なしか鋭くなった。彼が差し出してきた紙に目を通した瞬間、ルベラの目も鋭くなった。張り詰めた空気が、二人の間から生じている。


「申し訳ありませんわ、ハル様」


 ハルが頭を傾けた。


「今すぐにでも挙式をと思っていたのですが、それどころではなくなりました。私達は至急、地球を出発し、故郷に戻らなくてはなりません」

「きょ、挙式? ……まあいいか。そういうことになったから、つまり、もうすぐお別れということになるね」


 え、と穹が頓狂な声を出した。「何かあったんですか?」


「ちょっと、国で内乱が起きているようでね……。それを鎮めるために、行かなければいけないんだ」

「国のこととあらば、行かないという選択肢はありません」

「そういうわけだから、本当はもっとお話ししたかったんだけど、今すぐ日本に行くよ!」


 ジルが、操作盤を幾つか操作した。直後、ふわりと体が不安定にいなるような感覚がした。しかしそれも一瞬のことで、すぐに元に戻った。


 窓に近づいた未來が、わあと声を上げて、カメラを構えた。その隣に立ち、美月も覗いてみると、同じく高い声を上げそうになった。


 窓の遙か彼方にまで、青く澄み渡る空が広がっていた。すぐ下は、白い雲が絨毯のように敷き詰められている。


 太陽がずっと近くに見える気がした。その光によって作り出される宇宙船の影が、雲の上に落ちていた。まだ飛行機に乗ったことがない美月にとって、それは非常に新鮮な体験だった。窓の外に広がる景色に釘付けになっていると、後ろから穹の声がした。


「そういえば、どうして国の内乱に二人がわざわざ?」

「ああそれは、僕もルベラも、国を治めている王家と近しい人間だからだよ」

「つまり……」

「私もジルも、いわゆる貴族というものなんです」


 美月と未來は、反射的に振り返った。「えええ?!」と穹が悲鳴に近い声を発した。


「そそそ、それは、あの、今までその、無礼を、あの」


 穹は顔を赤くしたり青くしたりしながら、口を動かし続けた。見かねたジルが「落ち着いてくれ」と優しく肩を叩いたのにそれを払いのけ、穹はハルの後ろに逃げ隠れた。


「穹! どっちが無礼なのよ!」

「そんな口の利き方は駄目! だって貴族なんだよ? 天と地ほどの差があるんだよ、身分に!」


 そうは言っても、と美月は腕を組み、改めてジルとルベラの二人を見た。貴族など予想はしていなかったので驚いたが、改めて考えてみると、二人の正体はそれ以外に思いつかなかった。気品の二文字がよく似合う二人なのだから、高い身分なのでは、という気はしていた。


 ジルは、萎縮しきっている穹に向かい頷いた。


「天と地ほどの差がある。確かにそうだ。でも、こうして正体を隠して宇宙中を旅することによって、民衆の心をずっと理解できるようになったんだ。だから結果的に、旅をして良かったと心から思っているよ」

「結果的?」


 未來が聞いた。はい、と頷いたのはルベラだった。


「貴族といっても、こうして旅を出来るくらいには、私もジルも自由に動ける身なのです。上にきょうだいも大勢いますしね。だからというわけではないのですが、私の我が儘も通ったといいますか。私もジルも、旅の目的は、いいお相手を見つけることでしたので」

「なるほど~。あ、そういえば、二人ってどういう関係なんですか? 家族ではありませんよね、似ていませんし」


 ああ、とルベラは、軽い調子で言った。


「婚約者ですわ」


 操作盤からだろうか。ぴこぴこという高い音が、絶えず鳴っている。無反応の面々に、声が聞こえなかったと推測したのか、ルベラはもう一度言った。


「婚約者ですわ」

「なんでええええ!!!!!!」


 これは、本当に予想していなかった。それともどこかで予測を立てていたのだろうか。いや、と美月は首を振った。なぜならば。


「あなた、好きな人ばかりできるって……でも婚約者って!」

「婚約者といっても、生まれる前から決まっていたお見合い相手と言いますか……。ですから半ば家族のように育ったので、もう恋愛感情を抱けと命じられても無理なのですよ。あとジルって正直私のタイプじゃないんです、掠りもしていない」

「……」


 絶句した。言葉を失った美月の代わりに、未來が聞いた。


「ジルさんはどうなんですか~?」

「彼女のことはとても美しい人だと思っているけど、でもそれだけだよ。むしろ、ルベラと結婚するとばかり思っていたものだから、自分の伴侶は自分で探すというルベラの意見に、衝撃を受けた。今まで自分を覆っていた壁が崩れていく感覚がした。新たな世界を発見させてくれた彼女に、とても尊敬しているんだ」


 けどね、とジルは人差し指を立てた。


「ルベラの美しさはどんな宝石にも敵わないと思っているよ!!」

「ジルの美しさも、宝石に匹敵すると思ってますわよ。私のタイプじゃないというだけで」

「なんだこりゃ……」


 ぼそっとクラーレが呟いた。ジルとルベラはしばらくの間、お互いの容姿を讃え合うという、傍から見たら異様な光景を目の前で展開し続けた。

 散々二人で騒いでいたが、やっと一段落したのか、ふうとルベラは息を吐き出した。


「そのような理由で旅に出られる程、平和な国なのですがね……」


 うん、とジルが苦い表情をした。


「僕達の国は昔、いわゆる独裁国家だったんだ。もうずっと前に革命が起きて王権は無力化されて、やっと人々は束縛から解放された。でも度々、今でもこういう内乱が起きてしまうんだ」

「最近はすっかり落ち着いていたのですが……。悲しいことでございますが、独裁国家だったころには、押さえつけられていたために起きなかった反乱や争いが、起きてしまっているのが現状ですわ」

「独裁……」


 未來がぽつりと漏らし、下を向いた。貴族二人は、神妙に頷いた。


「早い話が、人々の考えることを無理矢理同じにしていましたの。食べるものだったり着るものだったり、それらは全て用意されたもの。自由に自分の思ったことを発言することもままならなかったようですわ。すぐに罰せられていましたとか」

「……罰というより、処刑だ。僕達が生まれる前の話だったから、詳しくは知らないのだけどね」


 二人は辛そうな顔になった。苦しげに顔を俯かせている。が、振り払うように、顔を上げた。その目には、貴族として、上に立つものとして、精一杯の責務を果たそうとする、強い責任感が宿っていた。自分が経験していないことだとしても、他人事のように扱わず、我が事として受け取る、誠実さが垣間見えた。


「まだまだ課題は山ほどある。でも絶対、宇宙中から羨ましがられるような良い国、良い星にしてみせるよ!」

「私も全く変わらないお気持ちですわ!」


 美月は頷いた。身分の高い者になんと声を掛けるのが正解か、頭の中で考えた。だが、わからなかった。敬語を使うべきだろう。だが使い方を間違いそうな予感がした。なので、いつもの口調で言った。


「頑張って! 応援してるよ!」

「姉ちゃん、だから失礼だって!」

「ううん、ありがとう!」

「応援してくれて、とても嬉しいですわ!」


 二人は笑ってくれた。太陽の光に透かされた、宝石のようだった。


「ジル! 落ち着いたら、また地球に来ましょう! 短い間でしたが、職場に、私を慕って下さる者までいたんですのよ! でも彼女には短いお別れの言葉しか言えなかったんです。また訪れて、しっかりと話をしたいですわ」

「ああ、絶対そうしよう!」


 また来る。それはつまり、地球が気に入られたことを意味していた。理解した瞬間、美月の心は、高い温度で満たされていった。体がこそばゆいような、胸を張りたくなるような、不思議な気持ちだった。

 美月は心臓の辺りを両手で触れた。穹が嬉しそうに微笑んでいた。未來は照れ臭そうに頭を掻き、すぐに下ろした。


 次の瞬間。また足下が不安定になった。エレベーターで下りていて、目的の階に到着し、止まったときの衝撃に似ていた。


「ついたよ」「つきましたわ」

「早!」


 まさかもう海を越えたとは。しかし窓から外を覗いて、そこに広がる光景に、すぐ見覚えがあると感じた。見えたのは、ただの森だった。だがわかる。美月は、この森をよく知っていた。


 宇宙船から下りた瞬間、周囲を見渡すまでもなく、帰ってきたと感じた。四方八方を取り囲むようにして聞こえてくる蝉の鳴き声。土の感触。風の匂い。美月は体を伸ばした。青空が目に映った。知っている空だった。「ただいまー!」


「ああ、帰って来れた……。本当に良かった……」


 今にもその場に崩れ落ちそうになる穹を、慌てた様子でクラーレが支えた。あ、と未來が一点を指さした。


「宇宙船!」


 木々の隙間から、太陽の光を反射する、白い機体が覗いていた。間違えようもなく、ハルの宇宙船だ。本当に帰ってこられたのだと、実感が湧いてきた。


 宇宙船の入り口に立つジルとルベラに、改めてお礼を告げた。


「また会おうね!」

「色々と、お世話になりました」

「ありがとうございます~!」

「ありがとう」

「ピュイ!」

「う~」


 二人も、世話になったことに対して、こちらが恐縮してしまうくらい、礼を述べてくれた。恭しくお辞儀した後で、二人は笑顔を見せてくれた。


「こちらこそ、すまないね。またいつか、絶対に会おう!」

「ハル様ー! 私は絶対に、用事を全て片付けましたら、貴方に会いに行きますからね! 飛んでいきますからねっ!!」

「? わかった」

「あああああ了承して下さいました!! やっぱり素敵です、どこからどう見ても素敵ですわ!!」


 結局、ルベラは最後まで、ハルに対し何やら喚き続けていた。宇宙船のドアが閉まるその瞬間まで、ルベラの甲高いきゃーきゃーという声は発せられていた。宇宙船が浮き上がり、あっという間に高度を上げ、空の彼方まで消えていった時も、まだこれが、どこかで聞こえている気がした。


 時間にして、ほんの数時間の出来事。まだ太陽の位置はずっと高い。ひどく長い間冒険していたように思うのに、終わってしまえばあっという間と感じた。

 美月も穹も未來も、ずっと、宇宙船が消えていった方角を見つめ続けていた。


「はあ、凄い人達だったなあ……」


 穹が余韻に浸るように言った。


「だよね。そんな気はしていたけど、まさか貴族だったなんて。それも婚約者同士なのに運命の相手探しの旅なんて……」

「でも、国に内乱がってなった瞬間、凄い真剣そうな目になってたよね~」


 未来の言葉に、美月は深く同意した。


「昔は独裁国家で、皆の考えることを同じにしていた、か……。どういうことなんだろう?」


 よく考えようとしてみたが、美月には今ひとつ、二人の言っていることがわからなかった。そのような世界と無縁に生きているせいで想像がつかないのだ。クラーレが逡巡するように地面を見た。


「これを考えろ、次はこれを考えろって、自分の頭じゃなくて人によって、自分が思うことや考えることを管理されていた、ってことじゃないのか?」


 美月は唸った。まだいまいち、よくわからない。が、未來はわかったようだ。つまり、と自身の頭を指す。


「自分で色々と考える必要がないってことかな!」

「考えることが決まっているなら、難しいこととかも考えずにすむかもしれませんね」穹も続いた。


「へえ!」


 未來と穹の補足はわかりやすかった。上げた声には称賛の意図もあったが、もう一つの意味もあった。


 いつも毎日、ことの大小を問わず様々なことを考えては、悩み、なかなか答えが出ないでいる。決まったお小遣いの中でどちらのお菓子を買うかとか、ごはんのおかずをどうするかとか。そういうとき、美月はいつも思う。誰か決めてくれないものかと。自分で判断するのは、頭を使いすぎていつも痛くなってしまう。


 美月は考えた。何も考えなくてすむ世界のことを。


「罰とか処刑とかは怖いし絶対に嫌だけど。もし自分で考えずにすむのが“当たり前”の世界だったら、案外、楽ちんな世界かもしれないね!」


「それは違う!」


 無風だった。だから木々のざわめきはなかった。だが、蝉の鳴き声は依然として大きい。それよりも遙かに、その声は大きかった。


 美月は自分の耳を疑った。他の皆も、同じく疑っただろう。今日だけで、たくさんの信じられないことを体験した。けれど「これ」が、今日一番の“信じられない出来事”だった。


 声を荒げたハルは、置物のように、ただそこに立っていた。

 大きく両目を見開き、ハルを見上げていたココロが、火のついたように泣き出した。

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