phase5「更に潜入!」

 鍵のある可能性が高い場所は、ルベラの調べにより、ある程度絞り込まれているようだった。とりあえずそこに向かうことになったが、間違いなくカメラ以外のセキュリティが存在していることだろう。俗に罠と呼ばれるものが。


 まずプラットホームの隅の方にある、非常口の扉を開けた。地図に、その先の通路を進んだ先に鍵が隠されているかもしれないという走り書きがあったからだ。


 メモを裏付けるようにその通路は、それまでと比べて明度がかなり落ちた電灯がぶら下がる、薄暗い空間だった。意識せずとも、この先に何かあるのだと、嫌でも伝わってくる。嫌な予感を味わわせ、怖じ気づかせて引き返させる効果もあるだろう。


 だがカメラの数はそれまでと変わらずで、それ以外に罠らしき罠は一切仕掛けられていなかった。

 ハルから、注意を払うようにと忠告されたものの、案外楽そうな道のりだと感じた。だが少し進んだところで、雲行きが怪しくなってきた。妙に天井が高く、広々とした部屋が見えてきたからだ。


 部屋といっても置かれているものは何も無く、せいぜい上の方にある空間に向かって、梯子がかけられてある程度のだだっ広いだけの空間だった。体育館のようだなと美月は思った。普通だったら、何も思わず通過しようとするところだ。だが美月は、足を止めた。見ると、穹もクラーレも部屋を見た途端、凍り付いたように立ち止まった。


 何も無い部屋。ついさっき体験したばかりの記憶が、鮮明に蘇る。そう思って油断していたら、弓矢が飛んでくる仕掛けに翻弄された記憶。

 ハルが手を横へと伸ばし、これ以上進むことを制す形を取った。


「赤外線センサーが張り巡らされている。人体を感知すると、警報が鳴り響くな。……隙間が全くと言って良いほど無い。ここをくぐり抜けるのは不可能だ」


 よくよく見たら、壁の至る所に警報器が取り付けられていた。あそこからけたたましい音が鳴り響き、進入が秒速でばれることは容易に想像できる。


「じ、じゃあどうすれば?」


 美月が聞くと、おもむろにハルはココロを渡してきた。


「人体なら、くぐり抜けられないというだけだ。私はではない。少し待っていなさい」


 呼び止める間もなく、ハルはすたすたと部屋の中へ足を踏み入れた。

 あ、と声を上げそうになった。見つかってしまう、と。だが警報器は、ちっとも鳴らなかった。鳴る気配を見せない。広い部屋の中、ハルは一人、こそこそする様子など見せないまま、進んでいく。


 実は赤外線レーザーなど張られていないのではないかと錯覚しそうになった。それくらい、ハルの足取りは堂々としたものだった。


「指一本でも、部屋の敷居から向こうへ入れるんじゃない。レーザーが張られすぎてて、私の視界は真っ赤になっている」


 美月の感じたことがわかったのか、突然ハルが言った。その場にいる全員が、三歩ほど後ろに下がった。


 ハルがいなかったら、間違いなく立ち往生していた場面だと痛感した。部屋の真ん中に一人存在する侵入者。にも関わらず、警報器はまるで眠っているように、しんと静まりかえっている。ハルはそんな警報器に気を遣う様子も見せず、堂々と近づいた。


 何をするのかと思いきや、ハルは警報器を分解し始めた。取り外し、見えたコードに何やら手を動かして細工を施したかと思うと、元通りにはめ直し、次の警報器へと向かう。その繰り返しを行った。


 美月達は、ハルを目で追うしかできなかった。話しかけるのがはばかられたのは、美月だけではないようだった。あまりにも黙々と行うものだから、ハルが何も感じないとしても、下手に言葉をかけて作業の邪魔をしたくなかった。

 しばらくの時間経過後、ハルは戻ってきた。


「終わった。もう入っても問題ない」


 その報告に至るまで淡々としており、無駄も淀みもなく、簡潔極まりなかった。

 恐る恐る、美月は爪先を、敷居の向こう側に入れた。サイレンは鳴らなかった。


「警報器から、レーザーも照射されている構造になっていた。それを少々いじった。天井のは届かなくていじれなかったが、この警報器の断面から電流を流し、飛ばしてみたら、ショートしてくれた。また帰り道に戻る際にミヅキ達がくぐり抜けたら、元に戻しておく。ショートさせた警報器は直せないが、偶然の故障と思わせる壊し方をさせたので平気だ」

「……あんた、手慣れすぎてないか?」


 クラーレが、聞いていけないことを聞くようにして尋ねた。ハルは少しだけ、テレビ頭をこちらに向けた。


「この程度でも出来ないようでは、逃亡開始してから数分で捕まっているだろう」

 神色自若とした物言いが、尚更言葉を重く感じさせた。



***



 また進むと、ドアが見えてきた。しかしそのドアは、開けるのに大きな躊躇いを持たせた。開けるのに一苦労するだろうひどく重たそうな扉に、大きく警告マークが書かれている。赤い三角の中に、同じく赤いフォントで書かれてある感嘆符が、強い主張を示している。


「ビックリマークか……。絶対何かあるよねこれ……。っていうか何か聞こえてくるような」


 穹が一歩下がり、ハルのコートの裾を摘まんだ。言ったとおり、扉に耳を付けてそばだててみると、部屋の中から何かが聞こえてきた。不規則な足音や息づかい。扉が分厚いのか音は小さかったが、生き物がいることは明白だった。


「でもこれ以外に道は無いよ、穹君。行くしかないよ!」


 未來が拳を握りしめ、はっぱを掛けた。穹が小さく頷いたのを見たハルは、しっかりとココロを抱きしめ、もう片方の手で扉に手をかけた。


「開けるぞ。警戒しなさい」


 重々しく唸りながら、扉が開かれていく。同時に、扉を開けた音ではない、低い唸り声が、美月の耳に届いた。


 その先に広がっていたのは、白い大きな部屋。そこをゆっくりと歩き回る先客が、三名いた。

 鋭い瞳が、一斉にこちらを見てきた。口から牙が覗いていた。一段と大きくなった唸り声が、室内を満たしていく。


「……い、犬っ?!」


 穹が小さく悲鳴を上げ、ハルの後ろに隠れた。犬が苦手ではなかったはずだが、恐れを抱くのもわかる気がした。


 室内にいる犬は三匹とも、美月が今まで見たことがないほど大きく、怖い見た目をしていた。可愛さを見つけ出すことができない。“野生”そのものが、ひしひしと体全身に伝わってくる。


 一歩でも先に進めば、彼らは絶対に、牙を剥いて襲いかかってくるだろう。直感が、大声で告げていた。動物であるシロは更にわかるのか、ひどく震え上がり、縮こまっていた。


「これは、かなり危ないね……」もともと勘が鋭い一面のある未來は、固い声音を発した。ハルも頷き、一歩後ろに下がった。


「三匹とも、抱いている警戒レベルが非常に高い。このまま進むのは、あまりにも危険すぎる」

「ハル、何かこう、骨とか肉とか持ってない?」

「ない」


 ハルが背後をちらりと見やった。引き返すべきと言いたいのが伝わった。美月も異存はなかった。穹も未來も同様らしく、来た道を引き返そうとした、その時。

 空気が揺らいだ。誰かが前へと歩みを進めた時特有の空気の流れ。美月は目を見開いた。


「クラーレ?!」


 一歩ずつ確かめるように、非常に慎重な足取りで、クラーレは室内へと足を踏み入れた。警戒心を剥き出しにして、今にも襲いそうになっている状態の犬が三匹もいる部屋に。


「危ないですよ!」「今すぐ戻って下さい!」


 穹と未來も声を上げる。だがクラーレは背中を向けたまま、首を横に振った。そして、部屋の中に入ると、その場に屈み込んだ。


 一連の動作全てに、ゆっくりゆっくりと、クラーレが言い聞かせているのが伝わった。


 入った途端に襲ってくるのではと思っていた犬は、思いの外全員クラーレの周りを、様子を窺うように歩き回るばかりで、何もしてこなかった。だがクラーレが妙だと感じることを少しでもすれば、すぐに噛みつかれるだろうとも感じた。危険は全く去っていない。


 今すぐ戻るべきでは、しかし戻るとしても、ひょっとしたら立ち上がった瞬間に襲われてしまうのでは。冷や汗が、美月の背中を伝った。


「……大丈夫だ。何もしない。あんた達に危害は加えない。何もしないから」


 クラーレの声が聞こえてきた。話しかけている相手は、犬達だった。いつものようにぶっきらぼうな口調だが、どこか優しさと柔らかさを感じる声色だった。


「俺は敵意なんてこれっぽっちも持ってないよ。本当だ。あんた達のほうが、俺よりずっと強いだろ。負けるとわかってるのに挑むなんて無意味だ。……ただ、少し通らせてほしいだけなんだ。

……そうだ、何もしない。……ん? なんだ? 触っていいのか? 俺なんかが触って汚れたりしないか? ……そうか、いいのか。

……おお、立派な毛並みだな。凄いな。格好いい見た目だもんな。……ありがとう、触らせてくれて。……うん、あんた達頭いいな。俺よりずっといいよ」


 ぽかーん。美月も穹も未來も、まさにその擬音がぴったりなほど、口を開けていた。ずっと開けていたせいで顎が痛い上に、絶えず空気が飛び込んできて喉が乾燥する。


 一体何を見ているのか。これは一体何の光景なのか。クラーレの周りに、犬が三匹集まっている。集まっている犬は、皆ぱたぱたと尻尾を振っている。そしてクラーレに、撫でられている。そこには野生も、恐怖も何もなかった。皆子犬のような、あどけない表情を浮かべていたのだ。


 室内に充満していた、ひりひりとした空気が、煙のように消え失せていた。代わりに、ふんわりと暖かい空気が満ち始めていた。未來がぱちぱちと瞬きをした後、屈み込むクラーレの目線に合わせる形で、少し腰を落とした。


「魔法を使ったんですか?」

「んなもん、あるわけないだろ」


 こちらを見ずに返した後で、「あ。あんた達に言ったわけじゃないからな。というか待て、順番だ。俺の手は二つしかないんだよ」と、犬に向かって言った。犬と話している時の声のほうが、目に見えて優しかった。


 クラーレは、犬の目線に近づいて、ゆっくり話しかけているだけだった。それなのに、唸り声が徐々に小さくなっていって、牙を剥いていた口が閉じられていったのだ。クラーレが一度撫でたら、犬は自然と周りに座りだし、もはや美月達のことは警戒も何もしていなかった。視界に入れてもいなかった。


 これを魔法と言わずに、何を魔法というのだろうか。


「ほら、早く行け。俺はここで引きつけてるから」

「あ、うん。そうだね、うん」


 犬達の横を、憚ることなく通ることができた。三匹とも無反応で、クラーレに対してのみ、意識を注いでいた。


 引きつけると言ったが、単にクラーレがここにいたいだけなのではないか。横を通り過ぎるとき、クラーレのとても優しげで、楽しげな眼差しを見てしまった美月は、ふいに感じた。穹も未來も目撃すると、ぎょっと目を見張っていた。クラーレはクラーレであってクラーレでないような、別人のような雰囲気を纏っていた。驚くのも無理はない。


 思い返せばシロが一番懐いているのも、一緒にいる時間が長いのも、クラーレだった。彼は動物の扱いが得意なのだろうか。そう考えると、犬をずっと撫でているクラーレを、先程からシロが鋭い眼光で睨んでるのも、嫉妬心からなのだろうと納得できた。



***



 その後は、驚くほど滞りなく進んだ。監視カメラの他に、人体感知センサーなどもあったが、それはハルが赤外線センサーを解除したときの容量で解除していき、スムーズに進むことが出来た。また一本道だったため、迷子になる、ということもなかった。


 再び部屋と思しき扉が見えてきた。入り口付近にまた赤外線センサーが張られていたため、ハルに解除してもらった後で、中に入った。瞬間、美月は思わず声を上げた。


「あった!」


 乱雑に物が置かれた、倉庫のような部屋。置かれている物の中に、ブレーカーや電気盤のような機械が見受けられる中、部屋の奥の机に、小さな鍵が置かれていた。


 見つけてすぐに、トロッコの鍵だとわかった。鍵と一緒にプレートがぶら下がってあり、そこにマジックペンで“トロッコ”と書かれていたからだ。


 だがここに来て、大きな障害が立ちはだかった。部屋の真ん中には、仕切りのように、透明な壁が設置されていた。その壁は部屋の電気の光を反射し、美月達を見おろしていた。


 試しにこつこつと叩いてみたが、その感触から、ガラスやプラスチックのような簡単に壊れる素材でないと、感触ですぐに理解した。


 その透明な壁に唯一、灰色のドアがあった。ノブを回してみたが、がちゃんと音がし、開かれるのを明確に拒まれた。ノブのすぐ横には、機械が取り付けられていた。ハルがその機械に近づき、屈み込んでじっと眺めた。


「カードキー認証と暗証番号、更に鍵穴か……」


 それだけ呟くと、黙った。嫌な予感を覚え、美月は嫌な予感を覚えながらも、「何か問題があるの?」と問うた。


「カードキーと暗証番号ならどうにかなるが。鍵穴だけは、私では開けられない。鍵を探すしかない」

「嘘でしょ、また鍵いるの?!」


 ハルから地図を受け取り、紙面を隅から隅まで眺めた。だが、このドアを開ける鍵の在処は、どこにも記されていなかった。それを予想させるヒントすらなかった。


「ルベラさんもわからなかったみたいだね……」


 横から覗いていた穹の台詞に、力なく頷くしかなかった。また、どこにあるかもわからない鍵を探さなくてはいけないのか。この広いエリア内のどこかにある、たった一つの鍵を。美月は、目の前が暗くなっていくように感じた。頭が回り始めた。穹も同じように、絶望を感じさせる表情で俯いていた。


「ハルさん」


 のんびりとした声が、重苦しい空気が立ちこめ始めた室内に出現した。未來は、透明の壁を指さした。


「この壁の向こうに、センサーとかはついてませんか?」

「感知していない」

「そうですか! 安心しました!」


 にこっと笑った未來は美月に、これ持っててとカメラを渡してきた。反射的に受け取ってしまった美月は、動揺を隠すことが出来なかった。


「未來、急にどうしたの……?」

「うん。また鍵を探すのもあれだし、かといってここまで来て引き下がるのもあれだしね!」


 ふふっと悪戯っぽい笑みを見せた未來は、部屋の隅に積まれていた、段ボール箱や机、椅子に近寄った。そしてそこに手を、足をかけ、登り始めた。


「みみ、未來さん?!」

「何してるの未來!」

「ミライ、一体君に何の意図が?」


 未來は次の足場に片足だけ乗せた状態で、視線をこちらに向けた。足場といっても、机の上に置いただけの状態の段ボール箱だ。中身が入っていないのかそれは不安定で、ちょっとした衝撃で落ちそうだった。だが未來は、不安定さを感じさせないほどの見事なバランスを保っていた。


「このダクト! ここを通って、向こう側の部屋に行きます!」


 未來は指を指した。確かに天井付近の壁に、ダクトの入り口らしき穴があった。


「地図見たので、ダクトが壁の向こう側に通じてることも、どう行けば出られるかもわかります! ご心配なく~!」

「ダクトって、でも、凄い狭そうですよ?!」


 穹が叫んだ。言葉通り、ダクトの穴は大人はまず入れなさそうな大きさだった。子供でも難しそうだと感じてしまうほどだった。だが未來は屈託なく頭を振った。


「この程度は余裕だよ~! じゃ、行ってきま~す!」


 呼び止める間もなく、未來はリスのようにするすると登っていくと、あっという間にダクトの穴の中に消えていった。入れないのでは、入れたとしても進めないのでは、と感じたのに、入るときも奥に消えていくときも、突っかかることはなかった。


「けど、さすがの未來でも……」

「大丈夫なのかな……」


 穹と二人、奥へと消えていったダクトを見上げる。無理そうならすぐに引き返してと声をかけようとし、口を開いたその時だった。

 がこん、という大きな音が聞こえてきた。壁の向こう側からだった。まさかと思い見ると、そのまさかが起こっていた。


 壁の向こう側にあるダクトの穴から、未來が上半身を覗かせていたのだ。真下にあった机の上に見事着地を遂げると、埃をはたきもせずに真っ直ぐ鍵まで向かった。


 手に取った鍵を美月達に見せるように掲げ、ピースサインまで作る。にかっと笑うその顔には、狭いダクトを通ってきたという苦労さも、達成感も、全く見えなかった。


 呆然とするあまり、美月も穹も称賛を送ることを忘れてしまった。そうこうしているうちに、気がついたら未來はまた机を登ってダクトの中に入っていった。


「ただいま~!」


 鍵を手にしたときと同じように爽やかな笑みを浮かべて、未來は戻ってきた。髪や服についた埃など、全く気にしていない笑顔だった。手には、銀色に輝くものが、しっかりと握られていた。


「未來……得意なの?」


 うっかり主語を抜いて聞いてしまった。が、未來は美月が何を言いたいのか伝わったようだ。


「鳥さんの写真とか撮るため、木に登ったりとか何回もしたからね~。いつの間にか、こういうの出来るようになってたなあ」

「それでもダクトの中を這ったりとかは難しいんじゃ……」

「どうなんだろう? まあいいじゃない、鍵は手に入れたんだから!」


 預かったカメラを未來が手にし、代わりに鍵を美月に渡してきた。美月は未來が、時々わからなくなる。


「未來さんも、クラーレさんも、ハルさんも、皆さん本当に凄いですね……」


 穹が呟いた。小さく、低く、か細い声だった。

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