phase4「乙女な宇宙人」

 「なるほど、そうだったのですか……」


 話を聞いたルベラは神妙に頷いた後、何かを考え込むように固く目を閉ざした。美月はその姿を見ながら、ジルの言っていたことは確かに間違いなかったと感じていた。


 確かにルベラは綺麗な人であった。桃色の髪は絹のように滑らかできちんと手入れされていた。肌つやも良く、きめ細かい。それだけでなく、体全体から高貴な雰囲気が漂っていた。しかし近寄りがたい冷たさはなく、かといって簡単に近寄れるような気安さは微塵も感じない。まるで絵本に出てくる、王女様のような雰囲気なのだ。


 ルベラはまぶたを開き、本物の宝石が埋め込まれたような瞳を覗かせた。年格好はジルと変わらなそうに見えるが、あちらは年相応の青年という風貌に対して、ルベラはどこか少女のような幼さが残っている顔立ちだった。


「……まずは、わざわざここまで来てくださったことに、感謝を述べさせて頂きますわ。そして、本当に申し訳ないのですが、帰ることは出来ません」


 ルベラは頭を垂れた。え、と美月達はその場で固まった。時間も停止したようだった。


「で、でも、あの、故郷から呼び出しを受けているのでは……」


 穹がおずおず言うと、ルベラは眉根を寄せ、かぶりを振った。


わたくしは、ここで運命の相手と添い遂げると、心に決めているのです。一目見た瞬間に電撃が走るようにぴんと来た運命の方と、健やかなるときも病めるときも、生涯共に過ごす。それこそが、私の幼き頃からの夢であり、人生の目標でもあるのです……!」


 宝石のような瞳が、更に輝きだした。純粋すぎて逆に危うく見えるほど、真っ直ぐな煌めきだった。美月はどうしようと、穹を見た。穹は微妙な顔つきをしていた。ジルの話では、旅先で出会った様々な人が運命の相手だと言っては、振るか振られるかのどちらかになっているとのことだったはずだが。


 美月達の思惑を察したのか、ルベラは夢見心地な双眸から一転、真剣な顔立ちになった。


「今度の相手こそは、間違いなく運命のお方です! 私には、私にはわかるのです! 今まで出会ってきた相手とは全然違うのです。一目見たときに走った衝撃の質が全然異なったのです! 遠く遠く離れた星に住んでいる者同士、本来ならば一生出会えなかったでしょう。ですが運命の糸は強力極まりないものなのです! 何億光年の距離を超え、二人を結びつけた!」


 美月は一歩後ろに退いた。ルベラの目まぐるしく動く口から発せられる言葉が熱かった。本当に火傷しそうな熱弁を、ルベラは体全体を使って振るっていた。


「私はこのままここで結婚し、地球で暮らしますわ。当然です、相手は運命の方ですもの。そういうわけでして、私は帰りません。絶対に、何があっても、どんなことがあっても。隕石が降ってこようが、ここから離れません。

私の意思は、ダイヤモンド並に硬いのです。ですから、ジルに先に帰るよう言っておいて下さいな。それとどのような用事かはわかりませんが、故郷にも言伝を頼みますね。お手数おかけして心苦しいのですが」


 梃子を使っても動かなさそうだと、美月は直感した。意思の回りに鉄壁が張り巡らされている。どうするべきか穹を見たが、弟は肩をすくめるばかりだった。振り返り後ろのほうにいるクラーレを見たが、彼は俯き、ルベラのほうを見ないようにしていた。彼を取り巻くひりついた空気からして、ルベラに警戒心を抱いているようだった。


「出口まで送ります。ここは、このエリア15を当時作った創立者が、趣味で仕掛けた罠やら何やらが大量に仕掛けられていますので、迂闊に歩くと危険ですよ。大丈夫です、貴方達のことは言いませんから。その理由がありませんもの」


 まだ引き下がると言ったわけではないのに、ルベラは話を進めた。こちらです、とエレベーターを指すルベラを引き留めようとした、まさにその時だった。


「コスモパワーフルチャージ!!」


 がこーんという音が頭上から響いた。直後、未來の叫ぶ声が降ってきた。声だけでなく、未來本人が降ってきた。目の前に変身した姿の未來が下り立つと同時に、強い風圧が美月を襲った。


「持ってて!」


 呆気にとられている相手などまるでお構いなしで、未來は美月のほうを見ずに、持っていた何かを渡した。それはココロだった。ご機嫌な調子で、楽しそうに笑っていた。

 また風圧が顔にかかった。軽い衝撃音が聞こえた。美月は、未來が両手を上に掲げ、その手にハルを受け止めている姿を目撃した。


「ありがとう。ナイスキャッチだ、ミライ」

「ふふふ、当然です! では、解除!」


 変身を解いた未來は美月のほうを見、目を大きく見開かせた。


「あ、美月! 良かった、ここにいたんだ! 穹君もクラーレさんも無事で良かったです! なんかボロボロだけど!」

「み、未來、ハル、どうしてここに……?」

「落とし穴だよ~!」


 未來は天井を指さした。そう言われても、納得できるわけがない。どう納得すればいいのだろう。


「もしかして、この人がジルさんの言ってたルベラさん?」

「うん、そうだけど……」


 気を取り直し、未來とハルを紹介しようとルベラを見たときだ。彼女の様子に、異変が生じていることに気づいた。


 両目を大きく見開き、口が開いていた。開いた目は、瞬きをしていなかった。口からは、隙間風のような息が短い間隔で漏れ出ていた。

 ルベラの周りだけ、時間が止まったようになっていた。指先一つも動いていなかった。だが、体全身は、ふるふると小刻みに震えていた。色白の肌に、どんどん赤みが増していく。


 まさか、体調が悪いのか。美月が声をかけようとしたときだ。開いたままだったルベラの口が、小さな動きを見せた。


「なんて、なんて、なんて……」


 よく聞き取れなかったが、何回か「なんて」と言っているらしい、ということがわかったときだ。もともと見開かれていたルベラの目が、更にかっと大きく見開かれた。というよりむしろ見開きすぎて血走っており、凄まじい形相だった。


「なんて素敵な方なのでしょうかっ!!!」


 ぽぽーっと一気に煙が吹き出たように、ルベラの顔が真っ赤に染まった。だだだと凄まじい勢いで、ルベラは駆け寄ってきた。その先にいたのは。


「お名前は、お名前はなんと仰るのですかっ?!」

「……ん? あ、私か。ハルというが」

「えええなんて素敵なお名前なのでしょうか! お姿まで素敵なのに、名前までだなんて! それにお声もとっっっても格好いいですわ! なんて聞き心地のいい声帯を持っていらっしゃるのでしょうか!!」

「どうもありがとう」


 美月も、穹も、未來も、クラーレも、更にシロまでもが、皆面白いまでに、全く同じ表情をしていた。ぽかーんと、口を開けて、呆けた目をして。今度は美月達の時間が、止まる番だった。


 停止した美月達を置いて、ルベラはハルに、右手を差し出してきた。差し出したと言うより突きだしたの表現が正しいほど、それは鋭い動きだった。


「私、わかりましたわ。ピーンときました。貴方こそが運命の相手であると!!」


 ハルは首を傾げた。その二人以外の叫び声が、ホール内に反響した。


「はああああ?!」


 ルベラは、ハル以外見ていなかった。丈の長いハイウエストスカートの裾を摘まみ、ルベラは頭を下げた。


「私と、結婚を前提としたお付き合いをしてくださいませ、ハル様!」

「さ、様?!」


 美月は叫んだ。倒れそうになる穹が視界に入った。


「結婚……。だが、私は」

「あ、ハルさん。はい」


 急に、美月の腕が軽くなった。ずっと抱いていたココロを、未來が預かったからだ。未來はココロを、そのままハルに渡した。

 なんてことのないように受け取り、しっかり抱っこしたハルの姿を見て、ルベラの顔色が一瞬の後にさあっと青ざめていった。


「こ、子供?! まさかハル様は、もうご結婚なさっているのですか?!」

「していない」

「で、では、ハル様が産んだのですか?! 実は女性だったのですか?!」

「違う。ココロは私の仲間だ」

「では、ハル様は独身でおられるのですね?!」

「そうだが」


 また顔に赤みが戻ってきた。これも一瞬のことだった。直接目が光っているのではと思う程、瞳が輝いた。


「ならばハル様! 私とお付き合いしてくださいませ! 絶対に悪いようには致しません! 後悔はさせません! 私は、全てを貴方に捧げ、尽くしますわ!」

「そんなことはしなくてもいいのだが」

「あああ、ありがとうございます、宇宙! 私とハル様をこうして結びつけてくださり、大変に感謝を致します! さあハル様、早速挙式の準備を!」

「ちょーっと待ったあー!!!」


 強引にルベラの視界に入り込んだ。彼女は「もうなんですの、良いムードでしたのに!」と、露骨に迷惑そうな顔をした。どこがだ、と叫びたそうなクラーレの目線を感じた。


「だってさっきあなた、このエリア15の施設の中に運命の人がいるって!」

「ああ……。……いえ、勘違いでしたわ。あの方は、運命の人ではありませんでした。なぜ勘違いしていたのか、自分でもわかりません。なんて愚かだったのでしょう、私は」


 一瞬にして背筋が凍り付くほど冷淡な口調だった。目の前がくらくらとしてきた。


「えーと、ル、ルベラさん……。ハルさんのどこにそんな好きになったのですか……?」


 まだ目眩がするのか、穹が頭を抑えながら聞いた。ルベラは、一体この子は何を聞いてるんだとばかりに驚愕の表情になった。


「わからないのですか?! この、顔でございますよ!!」

「か、顔、ですか?」

「そうです、顔です!!」


 ルベラが両手の先で、ハルの顔を指した。ハルが自分の顔を指さし、頭を傾けた。


「なんという、なんという……。ああ、お顔を見るだけで、胸のこの辺りが熱くなってきて仕方ありませんわ!!」


 頬を手で抑え、甲高い声を上げ続けるルベラだったが、美月は言っていることが全くもってわからなかった。ハルの頭はブラウン管テレビのような形で、そのテレビ画面に顔は映っていない。口だけしか映っていない。他に、格好良さを示し表すような顔の部位は存在しない。


「体は同じ人間だというのに、お顔だけ違う、全くの無機物というのが!」

「体も無機物で出来ているのだが」

「美しいですわ! どんな宝石よりも美しき概念ですわ! ああ神秘! まさにこの世の神秘がハル様に詰まっておられます! この世の美を称える全てのお言葉は、ハル様の為にありますわっ!!!」

「君からすればそう見えるのか……」

「鼓動が早い! 息が苦しい! あああ体が熱すぎる! 上手く息が出来ません、苦しいですわ!!」

「大丈夫か?」


 早口で捲し立てるルベラ、冷静沈着に答えるハル、愕然とする美月、立ち尽くす穹、呆ける未來、目を見開いたままのクラーレ。混沌とはまさに、今この状況を指すのだろう。


「だがルベラ。一つ言っておくが、私はまずロボットであり、そして体には性別を表すものが存在せず」

「あっ、そうだ!」


 どこを見ているのかわからない目をしていた未來が、突如として大声を上げた。美月は穹とクラーレと共にびくりと肩をふるわせたが、他の面々は冷静に未來のほうを見た。


「ルベラさん。ハルさんは当然のことですが、エリア15とは関係無い、部外者なんです。だから」

「ええ、ええ! 私は、本日で、ここを辞めます!!!」


 隕石が降ってこようとここから離れないと、ダイヤモンド並に硬い意思と。そう言っていた本人が、先程とは真逆のことを、あっさり言っている。美月は、言うのを我慢できなかった。「なんじゃそりゃあああ!!!」


「ハル様、地上に出たらお式を挙げてハネムーンに参りましょう!」

「だから私はロボットであって」

「駄目だ混乱してきた、もう僕、わけがわからない」

「あははは、なんか面白くなってきたね~!」

「感心している場合かおい?!」


 今まで黙っていたクラーレが、我慢ならなくなったのかついに突っ込んだ。


「私、今すぐにでもここを退職して、ハル様と愛を誓い合いたいのですが」

「だから私は」

「実は、そうできない理由があるのですよね……」


 ここでルベラは興奮状態から一転、静かな態度になった。しおらしさすらも感じる。落ちた声のトーンと、もじもじとして煮え切らない身振りからして、何か困りごとがあるようだった。


「実は、絶対に無くしてはならないものを、無くしてしまいましたの。あれを見つけないことには、ここを出られませんわ」

「それは何?」美月が聞くと、ルベラは自身の手を指でつついた。


「指輪です」

「なくした場所がどこか、見当はついているんですか?」穹の問いに、ルベラは即座にかぶりを振った。


「いいえ。その指輪は本来、絶対に無くしてはいけないもの。落とすなど許されないこと。けれど、ずっと身につけていないといけないもの。ですから、肌身離さず、ずっとつけておりました。落としたこなんてとは有り得ません。ただ唯一、指輪を外す場所があります」


 美月は一瞬考え込んだ。そして、ふと閃いた。


「手を洗うとき……?!」

「はい。トイレの後で手を清める時は、指輪を外します。そして一度外したものをまた嵌めるという動作は忘れやすく、難しい。事実、無くしたことに気づいた日、トイレに行った私は、指輪をしてくることを忘れてしまいました。急いで取りに戻ったら、もうその時には、影も形もなかったのです」

「じゃあ、犯人は女性ってことになりますかね?」未來が言った。

「はい。その可能性が高いです。私も何もしなかったわけではありません。既に目星はついてあります」


 ルベラの目が鋭さを帯びた輝きを放った。


「このエリア内には、大金庫があります。主に重要な書類などを保管しておく場所ですが……。そこの担当の者の様子が、明らかにおかしいのです。挙動不審を地で行くようなのです。そして様子がおかしくなった日は、私が指輪を無くした日からです」

「決まりじゃない!」


 はい、とルベラは首肯した。


「おまけに指輪は、大金庫室に保管されている可能性が非常に高いです。その、例の担当の者が金庫室に行くとき、妙に辺りを気にする動作を取りますので……。以前までは全くそんなことをなさらなかったのに。もちろん辺りを警戒するような行動を取るようになったのも、私が指輪を無くしてからです」


 そこでルベラは気を取りなすように、背筋を伸ばした。


「大金庫室には重要な書類がたくさんありますので、私のような新人にはまだ行くことは許されていません。なので忍び込む形を取ることになるわけですが……」

「じゃあ、私達が行くよ! 乗りかかった船だもの!」

「私達……?」


 穹が呟いたが、美月は聞こえなかったふりをして、目を瞬かせるルベラの返答を待った。


「どうかな?」

「て、手伝ってくれるのはありがたいですが、でも、そんな、そこまでの迷惑を、今日会ったばかりの人にだなんて……」

「むろん無理強いはしないが、良いのではないか? 今の状況下で、頼るべき適切な手段という計算結果が出た」

「ハル様がそう仰るのでしたら、是非ともよろしくお願い致しますわ!!!!!」


 手のひら返しとはこういう状態を指します、という注釈をつけたくなった。美月はもはや、苦笑するしかできなかった。


「ここで働いてるルベラが忍び込むのは問題だと思うんだ。どうせ私達は無断でここまで入ったんだし、ここから大金庫室に忍び込むのも同じでしょ!」

「ここで働いてると言いましても、私はもう辞めますけれどね。そう、夢にまで見た寿退社ですっっっ!!!」


 ぎゃーと興奮状態で舞い踊るルベラの声にかき消され、小さく言った穹の「大丈夫かな……」という声は、見事なまでにかき消された。

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