phase3.2

 頭部から直接生えている幾つもの触手。そこにあったのは、典型的な外見のタコ型エイリアンだった。自分の背丈ほどの高さがあるその置物と、未來は何を言うでもなく、何をするでもなく、ただ向き合っていた。


 素材は青銅か何かだろうか。エイリアンは、全体的に青緑色をしている。が、その色は非常にくすんでおり、また所々剥げていることから、ろくに手入れされていないことが窺えた。


 あまり芸術的とは呼べない、粗末な見た目の銅像が置かれているすぐ傍に、エレベーターの扉があった。


 思いの外迷路に苦戦し、途中で休憩を挟みつつどうにか抜け出た未來とハルを待っていたのは、目的地であるエレベーターホールだった。迎え入れるように置かれていた銅像と目が合ったが、その時未來は何か変なものがあるなとほんの少し認識しただけで、興味は抱かなかった。


 銅像に意識の中心を向けたのは、エレベーターに乗る方法がわからないと気づいてからだった。


 普通のエレベーターにはありそうな、上の階に行くか下の階に行くかを選ぶボタンは見当たらなかった。鍵などで認証するタイプなのかと思いきや、そういうのも見当たらない。あるのは、置かれている意図が不明なこの銅像だけ。


 置いている意味がわからない。そこに未來は、引っかかりを覚えた。本当に意味の無いものをここに置くのか、という引っかかりだ。


「下に行けばエリア15の施設内部に入れるし、ミヅキ達にも合流できそうだが、これでは……」


 ハルが見取り図とホール内を交互に見た。コンピューターを目一杯動かしているのか、テレビ頭の部分からブーンという低い音が漏れ聞こえてくる。


「何か書かれてませんか? ジルさんの注釈とか」

「何も。これではどうやって乗ればいいのか……」

「なるほど。……わかりましたよハルさんっ!」


 ハルよりも前に、ココロが首を傾げた。


「何がだ?」

「ふっふっふ。あれ、ですっ!!」


 立てた人差し指を、迷いなく、エイリアンの銅像に向けた。


「あの銅像を喜ばせる! そうすれば、エレベーターの扉が開かれる! そういう仕組みになっているはずです!」

「喜ばせる……?」


 聞き返したハルは、銅像をじっと眺めた。


「あれは無機物であり、感情は存在しない」

「いえ、間違いなくそうです! でなければ、ここにこんなものが置かれているはずがないのです!」

「しかしこれはどう分析しても無機物であって」

「まあまあそこで見ていて下さい!」


 す、と未來はカメラを手に取った。片膝をつき、銅像を見上げる形を取る。レンズを銅像に向ける。ファインダーを覗き込み、ピントを合わせ、ボタンに指を添える。


「はーい! 目線こっちでーす! こっち見てくださーい! そうです、その笑顔ですっ! あ、今のいいですね~、さすがです!」

「ミライ?」

「いやあ素敵ですねえ、その体の色! 爽やかな青色と穏やかな緑色のコラボレーション! 所々剥げているのがまたレトロな雰囲気で最高に良いすね~! ただ綺麗な新品では絶対に出せない、古き良き時代を見せてくれています!」

「どうした一体」

「その触手のフォルム素敵です! 最高に映えてますよ!! 頭の形も素晴らしい!! 格好いいという言葉は君のためにある!」


 何度かシャッターを切る音が、ホール内にこだましていた。未來の、銅像を褒めちぎる台詞も。

 様々な角度で銅像を何枚も取ったため、フォルダはあっという間に銅像の写真で埋まった。


 エレベーターの扉は、一マイクロたりとも開かなかった。


「おだてて喜ばせるのは駄目か~。私、人をモデルに撮ったことないもんなあ。じゃあ次! ハルさん、ちょっとその今着ているトレンチコートを貸して下さい!」

「なぜだ?」

「いいからいいから! 貸せばわかりますって!」


 ハルからトレンチコートを受け取ると、未來は銅像にそれを被せた。


「銅像さん、裸で寒いでしょう? でもこれで大丈夫! さあ喜んで下さい!」


 ココロが小さなくしゃみをした。それ以外に、室内に変化は訪れなかった。


「ミライ。君は打つ手がない、どうすればいいかわからないと判断し、このような方法を試したとみたが」

「……あ、はい。そうです。もう何もわからないのです」


 トレンチコートを銅像から取ると、軽くはたいてからハルに返した。


「本当に、どうすればいいのか……。なんでここに銅像があるんでしょうね……。エレベーターの門番みたいなものだと思ったんですけど……。やっぱり喜ばせる方法が当たっているんじゃないでしょうかね?!」

「それは有り得ない」


 コートを着ながら、ばっさりと言い切られた。ですよねと良いながら、未來は銅像の前から離れた。代わりに、ハルが近づいた。像と向き合い、しばらく黙っていた。

 と。突如ココロを未來に渡してきた。


「ミライの言うとおり、この銅像がエレベーターを開ける鍵になっている。スキャンしてみたところ、この銅像には、電気回路が流れている」

「これ機械だったんですか?」


 改めて上から下まで眺めてみる。が、どこからどう見ても、簡素な作りの銅像にしか見えなかった。


「危ないから、もう少し離れていなさい」

「危ない?」

「ショックを与えてみる」


 ショックとは。聞きたかったが、口から出たその単語に、未來はハルから距離を取ることを決めた。


 充分に離れたのを確認したハルは、片手を、タコ型エイリアンの銅像の、不格好な頭の上に置いた。


 ばちばちばち!


 静電気の音を更に強く、大きくしたような音が、ハルが追い立てを中心に、聞こえ始めた。


 ココロがその音に対し、不思議そうに頭を傾けた。未來は、ハルの言っていたショックの意味を、実際に目で見て理解した。

 銅像の上に手を置いている。ただそれだけで、電流の流れる激しい音が聞こえてくる。未來はハルの姿を、呆然と眺めるしかできなかった。


「よし。多分これでいいはずだが」


 思わず見入るあまり時間の感覚がわからなくなっていたが、恐らくすぐのことだったろう。ハルは何てことのないように手を離した。


 その瞬間。銅像の、エイリアンの両目が、光った。

あ、と未來は思った。がこん、という音色が聞こえてきた。エレベーターではなく、足下から。


 下を向いた。さっきまであったはずの、さっきまで両足で踏んでいたはずの床が、なかった。ホール全体の床が、消えていた。


「……落とし穴だな」


 重力に身を任せる直前、自身の足下の床も消えているハルが、平坦な声で説明した。だからといって、冷静に状況が受け入れられるわけではない。ただ、ココロは落とすわけにはいかない。唯一その部分だけ、頭が正常に働いてくれた。未來はしっかりと、ココロを抱きしめた。






 なぜこんなにも散々な目に遭っているのだろうか。美月には、一切わからなかった。七転八倒、踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂など、悪い事に悪い事が重なる事態を表すことわざは数多くあるが、それら一つ一つを順番に述べていきたかった。


 エレベーターホールと思しき場所まで辿り着いたとき、それまで張り詰めていた緊張が一気に解けた。抗うこともせず、美月はばたりと床に倒れ伏した。穹もクラーレも同じだった。突然倒れたクラーレに抱っこされていたシロが、驚いたように飛び退いた。


「しんどいってば……」

「なんなんだろうねこれ……」

「横になりてえ……」


 美月、穹、クラーレは思い思いに言った。うつぶせの状態なので、発せられる声は床に吸収されていく結果、くぐもったものとなる。


 回転扉で、弓矢が飛び交う部屋から逃げられたのは良い。だがその後が、問題だった。


 まず、少し歩いた先で、部屋を見つけた。その部屋の中に待っていたのは、巨大な蛇だった。それも大勢いた。

 おまけに出口には鍵がかかっており、鍵を見つけなくてはならなかった。


 阿鼻叫喚となりながら鍵を探し出し、ぎりぎり突破した。

無我夢中になっていてその辺りの記憶は曖昧なのだが、シロが蛇に飲み込まれかけた時と、クラーレが蛇を踏んで噛みつかれそうになった時に、パニックになって喉がかれるほど悲鳴を上げたことは覚えている。


 蛇の部屋を抜け出せたと思ったら、次は廊下を歩いている最中に、どこからともなく槍が飛んできた。


 これも走って突破した。クラーレは歩くことすらやっとという状態だったが、火事場の馬鹿力というやつか。今にも倒れそうにふらふらとしながらも、走り抜けたのだ。


 他にも、罠は大量に仕掛けられていた。大量の小麦粉が降ってきたり、水が飛んできたり、たらいが落ちてきたり、バナナの皮が落ちていたり、その多様さたるや、トラップのカタログを全身で読んでいるようだった。


 美月は軽く振り返り、今日一日で一生分の死線をくぐり抜けたのではと感じた。エレベーターホールまで辿り着けたのは、まさに奇跡としか言いようのない出来事だった。


「ダークマターに襲われた時ですらこんなに疲れなかったよ……」


 穹がぼそりと呟いた。美月はうつぶせのまま、頭を上下した。


「私、今だったらどんな敵襲ってきても、こんなものかって言える気がする……」

「いや今襲われたらひとたまりも無いだろ……」


 クラーレの言うとおりと思ったが、もう返す気力は残っていなかった。むろん、起き上がる力など、つゆほども残っていない。美月より体力の少ない穹やクラーレであれば、尚更だった。


 三名はその場で突っ伏していた。シロが不思議そうに背中の上に乗っかって歩いたり、構ってほしそうに近寄って匂いを嗅いだりしてきたが、反応を返すことは無理だった。


 寝てしまいそうだなと、美月は感じた。事実、意識が遠のいて行っていた。


 ほんの少しだけ寝てしまおうか。なんだかそちらのほうが良い気がする。体が冷えてしまうだろうけど、少しでも寝て体力を回復したほうがいいのでは。穹もクラーレも全然動かないところを見るに、二人は本当に寝ているのかもしれないし。


 眠りにつく方向に考えを持っていき、目を強く閉じようとしたときだった。


 チン、と甲高い音が、前方から聞こえてきた。エレベーターが到着したときのような音。


 眠気が吹き飛び、疲労が意識から抜け出た。一気に覚醒した美月は、顔を上げた。


 エレベーターの扉が、低く重い唸り声を上げながら、左右に開かれていく。その向こうに立っていた人影が、前に進ませようとした足を、びくりと止めた。床に突っ伏し、転がっている美月達の姿を見たからだろう。


 人影はそのまま逃げることもせず、かといって堂々と近づいてくることもなく。恐る恐るといった様子で、慎重な足取りで近づいてきた。


 美月の目の前に、焦げ茶色の編み上げブーツを履いた足が立った。そのブーツの主は、まず息を飲み、震える声を発した。


「どなた?」


 美月は頭を更に上げ、人影の顔を視界に入れた。


 編み込まれた桃色の髪の毛の後頭部は、夜会巻きに纏められていた。髪と同じ桃色の目は、戸惑いを露わにしていた。


 美月は思いだしていた。ルベラが一体、どういう外見をしているか、ジルに聞いた時のことを。


 ジルは一旦咳払いをした。妙に大袈裟に聞こえる仕草だった。すうと息を吸い込むと、少し早口で言い出した。


「クラウンを被ったような編み込みがされた髪型をしているから、すぐにわかると思うよ。彼女の持つ品格そのものが現れたような髪型だからね。

あ、髪色と目の色も言っておいたほうがいいね。桃色の髪と桃色の瞳だ。何もかもを包み込むような優しい色、それでいて簡単に近寄れるような気安さを感じない高貴さ。

特筆すべき点は、なんといってもその美しさだ。髪は絹のように滑らかで、瞳はどのような宝石も霞むほどの輝きで、女神をも嫉妬させてしまうような外見をしているから、一目見ればすぐにわかることだろうよ」


 何を言っているのか半分程理解できなかったが、今目の前に立っているこの女性が、ルベラということはわかった。首からかけられたスタッフパスのようなものに、ルベラとという英語の綴りが書かれていたからだ。それでも美月は、確認のため尋ねた。


「ルベラさんですか?」


 彼女は目を見開いた。そして目を細め、ゆっくりと頷いた。


「……はい。ルベラ・スピシル・シリカモンドといいます」







 「……SYSTEMERRORシステムエラー……」


 蒸気が吹き出るような音がし、事実頭から白い煙が一瞬だけ上ったかと思うと、プルートの声紋データではなく、緊急停止時の合成音声が流れた。

 プルートは人間と瓜二つな外見をした、非常に精巧な作りをしているが、がくんと頭だけ垂れてぴくりとも動かなくなった今の彼女のことを、人間と思う者はいないだろう。


「……え? はっ? えっ?」

「あなた、一体何をしたの!」


 突然として動かなくなったプルートを相手にしていたマーキュリーは、戸惑うばかりだった。彼としては、特段エラーを引き起こすようなことをしたつもりは無いのだ。ちょうど部屋に入ってきたビーナスが、慌てた様子でプルートに駆け寄った。


「何もしていない! と、とにかく直そう!」

「当たり前よ。もし直らなかったらあなたが全ての責任を取るのよ、いいわね?!」

「わかっている! ……ん? そういえばどうやって直せばいいんだ?」

「研究所! バルジに連れて行くのよ! しっかりなさい!」

「じゃ、担架を持ってきてくれ!」

「いや、担いでいけるでしょう! 早くする!」


 ドアを指さすビーナスの気迫は、有無を言わさぬ勢いも纏っていた。はい、と了承したマーキュリーが、プルートを担ごうとしたときだ。


 先程の合成音声が、「冷却システム始動。冷却を完了しました。再起動します」と告げた。その数秒後、むくりとプルートは顔を上げた。目は機械的な光を宿らせており、先程のエラーなどなかったかのように、落ち着き払っていた。


「申し訳ありませんでした。マーキュリーさんの仰ったことを理解しようとしましたら、容量の限界を超えました」

「い、いえ、こちらこそすみませんでした」


 元通り起動したプルートに安堵したマーキュリーは、首を振り、軽く頭を下げた。

「一体何をしたのよ本当に」と、ビーナスは怪訝に眉をひそめる。


「プルートさんに、話術の秘訣を教えただけですよ」


 ふふふ、とマーキュリーは得意げに人差し指を立てた。


「相手を意のままに操るには、話術が最適なのですよ。相手はどんなことを話したいのか。逆にどんなことを聞きたいのか。話が上手、聞き上手というのは、それだけで最大の武器になるのです。というわけなので、相手の話を聞くときだったり、話に入っていくときだったり、話術で場が自分に有利な方向に傾いていく方法をお教えしていましたら……」

「エラーを起こしたと。あのね、さすがに無理ではないのかしらそれは」


 プルートは、業務を支援しサポートする為に特化された機能を持つ扶養型アンドロイドである。が、業務支援と直接結びつかないことに関しては、その性能は軒並み低かった。


「しかしこのプルートさんの話し方は改善する必要があるのではないでしょうかねえ……。計画に支障が出る恐れを感じるのですが」

「それは私も理解しておりますが、人と接する際の交流機能を強化するには容量が足りません」

「というか台本を用意してそれを読み込ませておくのだからいらないでしょう。それで行こうと決まったのに今更何をしてるの」

「念には念を、ですよ。さてプルートさん。無理のない範囲で、覚えていきましょうか。人との接し方の基本だけでも学んでおくと、この先ずっと有利になると思いますよ」

「わかりました」


 こくりとプルートは頷く。


「じゃあプルート、終わったら私に付き合ってくれる?」

「わかりました」

「そういえば、ビーナスは何をしにここへ?」


 思い出したように、マーキュリーはビーナスに尋ねた。


「これよ」


 彼女はプルートに何かを見せた。それは、薄いピンク色の、長いリボンだった。

「ちょっとごめんなさいね」


 にわかにポーチを取り出した。そこから櫛とブラシを出すと、二つを器用に使い分け、プルートの髪を梳かし始めた。


「本当はスタイリング剤とかも使いたい所なんだけど、まあそれは後ででいいわね。じゃ、仕上げよ」


 ビーナスは、プルートの長い黒髪の上半分を、両側面から後頭部に持ってきて一つに纏め、それを白いリボンで結んだ。


 ハーフアップの髪型となり、顔の輪郭が現れたプルートは、ロングヘアーのままだった時よりも、明るい雰囲気になって見えた。もとい、機械の硬質さが浮き出ている表情からして、その明るい雰囲気は気のせいであった。


 しかしビーナスは満足げに頷いた。「見立ては間違っていなかったようね」


「わあお似合いですよプルートさん! 髪型と雰囲気がぴったりマッチしておられる! まるでお嬢様のような高貴さと純粋さが見えてくるようです!」

「いつものセールスで言うような台詞で褒めないでちょうだい、わざとらしい!」


 ビーナスが睨むと、マーキュリーはうーんと一瞬だけ考え込み、その後プルートの姿を今一度しっかり眺めた。


「こんな言い方ですけどね、本心から似合っていると思いますよ、私は!」

「ありがとうございます。ですがこれは、任務とどのような関係性があるのでしょうか」

「それはね、あなたのその姿が、武器となるからよ」


 プルートは首を傾げた。


「武器ですか。そのようなものは内蔵されておりませんが」


 ビーナスは手を顔の前で振って否定した。


「そういう意味じゃ無いわよ。とにかくプルートはね、自分の容姿を最大限に活かさないと駄目。作戦を円滑に進ませるための重要な鍵となるのよ、これが」

「そうでしたか。でしたら、わかりました」

「終わったら今度は私の番よ。お洋服見繕って、お化粧して、髪ももっとしっかり整えるからね」


 ビーナスが弾んだ声を出した。目も輝いているようだ。マーキュリーは腐れ縁の付き合いから、その様子を見逃さなかった。


「気合い、入ってますねえ」


 マーキュリーが苦笑した。若干からかいも入っていたのだろう。だが は珍しく素直に頷いた。


「まあそうね。作戦の為ももちろんだけれど、なんだか楽しいっていうのも、あるからかもしれない」

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