phase3.1

 「僕、なんか物凄く嫌な予感がしているんですよね……」

「予感?」


 はい、と穹がクラーレに対し頷いた。その顔色は悪く、非常に切羽詰まったものだった。


「こう、何かとてつもなく悪いことが起こるみたいな……」

「なんでわかんだ?」

「もうさっきから寒気がして、空気そのものが悪いって感覚がして止まらないんですよ……」

「そ、そうか? もしかして寒いのか?」

「クラーレ、まともに相手しなくていいから!」


 耐えきれず美月は言ったが、クラーレは「でもな……」と煮え切らない。


 全く、と美月は苛立っていた。クラーレでなく穹に対してだ。穹の挙動は、歩き始めてからずっと不審である。忙しなく視線をあっちにやったりこっちにやったりし、口を開けば先程のような台詞ばかり発する。何をそんなに怖がる必要があるのか、美月は理解できなかった。


 コンクリートに覆われた通路。それは果てしなく、ずっと真っ直ぐ伸びていた。歩き出してから恐らく十分弱は経過しているだろうが、その間一度も曲がり角に出くわさなかった。ドアは、「開けないほうがいいんじゃ」という穹の声を無視して開けようとしたが、どれも鍵がかかっており、ドアノブこそ回るが開かなかった。


 廊下の先はまだまだ真っ直ぐ続いていることが見え、このまま進んでいくしかなさそうだなと美月は感じた。


 ハルと未來はもちろん、ここで働いている職員すら誰一人通りかからず、人気のない静かな空間に、コンクリートを踏む無機質な音が響く。


 無機的な音に、ひたすら真っ直ぐ歩いていくしかないという、変化の訪れなさそうな状況。確かにどこからともなく不安はかき立てられてくるものの、穹ほどの怯えは感じていなかった。一体穹は、いつも何に対してそんなに怯えているのだろうか。美月は、普段から慎重すぎるくらいの弟の姿に目をやった。


「こここ、怖いです、物凄く怖いです、どうすればいいんでしょうか僕は」


 穹が両手で、クラーレの右腕を掴んだ。強い力だったのか、クラーレは足を止められ、穹のほうに軽く引っ張られる形となった。


「一体どうしたってんだよ。あんた、この前夜の建物にたった一人でいたんだろ? いや一人じゃないか。その上に、敵と二人きりだったんだろ? それと比べたら全然怖くないだろ、な?」

「あ……。まあ、それは……」


 穹は言葉を濁した。


 先日の一件。一体、あの建物内で何があったのか。何度穹に聞いても、はぐらかされてしまっていた。

ただ唯一言うことは、「僕あの人、物凄く嫌いだわ……。細胞レベルで嫌いかもしれないわ……」という台詞だけだ。あの人とは恐らくマーキュリーのことだろうが、この台詞を述べたときの穹は、「恐怖」というより「憎悪」に近い感情を見せていた。


 その穹が、緩くかぶりを振る。


「あの時の怖いとは全然違うものなんですよ……。なんかもう本当に嫌な予感しかしないんですよ……。絶対何かが起きるとわかるような違和感といいますか……。本当に、何も感じませんか?」

「すまん、わからねえ……。だが怖いなら仕方ないし、早く立ち去ろう。多分地図通りなら上に上がれる場所があるはずだから、とりあえず歩こう。な?」

「上に上がれる場所?」


 美月が聞くと、クラーレは見取り図を取り出した。


「この先にエレベーターホールがあるはずなんだが、もう少し歩いてみないとどうにも……」


 その時だ。低い唸り声のような音が響き渡った。それはお腹の音と、非常に似ていた。


「誰よ、この状態でお腹空かせてるの!」

「俺じゃねえよ!」

「僕も違うよ。姉ちゃんじゃないの?」

「私なわけないでしょ! あ、じゃあシロかな?」


 筋金入りの大食いであるシロは、クラーレに抱っこされながら、いまだ気持ちよさそうに眠っていた。


 何か食べてる夢でも見ているのか、もぐもぐと口を動かしている。また、低い音が鳴った。先程よりも大きくなっていた。


「寝ながらお腹を鳴らすなんて凄いね、シロは……!」

「いや、待て……」


 クラーレの目が鋭くなった。前、後ろと交互に視線をやりながら、明らかに警戒心を見せている。ただならぬ緊張感が張り詰めていく。美月も違和感に気づいた。


 今こうしている間も、お腹が鳴るときの音は、響き続けている。音は重量を纏いながら、どんどんと大きくなり続けている。間違いなく、シロから発せられている音ではなかった。もっと別の所から聞こえてきていた。


 お腹の音というより、巨大なものが転がってくるような音に近いのではないか。美月がそう感じ取ったときだ。


「この音は……」


 クラーレが、今まで通ってきた道を振り返った。美月も穹も、同じ方向を見た。

 先が霞んで見えないほど、真っ直ぐで長い通路の先。そこに、何かが見えた。

上も横も下も、コンクリートの灰色で覆われた空間。その中に一つだけ生まれた、茶の色。巨大な岩だった。それが、転がってきていた。


「……岩、か?」


 ごろん、ごろん。その擬音を更に重々しいものにした音を奏でながら、岩が距離を詰めてくる。天井まで届く程の大きさの岩が、こちらに向かってきている。


「岩……?」


 穹が呟く。見間違えるほうが困難なほど、それは近づいてきている。


「岩……」


 美月は見上げ、確かめるつもりで言った。今どんなことが起きているのか。


「岩あああ???!!!」


 三人分の悲鳴が綺麗に重なった。状況は把握出来た。それで冷静でいられるかと聞かれたら、迷いなく、横に首を振る。強い力で、クラーレに腕を掴まれた。


「走れ、逃げるぞ!!」


 頭で理解する前に、反射的に走り出していた。だが、岩から遠ざかれるばかりか、むしろ音はどんどん近づいてくる。責め立てるように。意思と悪意を持って、追いかけているかのように。


 体にかかる影は、迫り来る岩が作り出しているものだ。岩はその巨体に似合わぬほどスピードがあり、足を動かしても動かしても、影から振り切れない。


 横道が現れれば、そこに逃げ込めるのに。願っても、道は無情にも延々と真っ直ぐ続き、曲がり角も何も、視界に現れない。


 岩が繰り出す音は、もはや体の芯に重く響いてくる轟音だった。音が近づけば近づくほど、逃げなくてはとしか考えられなくなる。逃げなくてはと感じるほど、音は大きくなっていく。


「足動かせ、ソラ!!」

「う、動かして、ま」


 クラーレが叱咤したときだ。穹の泣き出しそうな声が、不自然に途切れた。続いてすぐに聞こえてきたのは、ばたんという何かが倒れる音。


「穹?!」

「しっかりしろ、早く立て!」


 転んだ穹に駆け寄り、起き上がらせようとするクラーレに、無慈悲にも岩は襲い来る。あの岩が辿り着くことによって現れる未来。どんなものか、容易に想像がつく。


 岩の影が、立ち止まった三名に覆い被さってくる。もう秒読みの段階まで来ているとわかる。


 美月は思わず、叫んでいた。


「助けてえええーーー!!!」


 ぱちり。ぱかり。


 そんな可愛らしい擬音が聞こえてきそうな動作で、シロは双眼を開いた。次に口を開けた。


 目の前が見えなくなった。見えている全ての光景が、光に包まれたからだ。

 岩が光に包まれる。その眩さに、姿が見えなくなる。光が散った時、岩は石になっていた。小さな破片が、床にたくさん散らばっていた。シロはぴょんとクラーレの腕から抜け出ると、粉々になった岩の破片を、口に入れだした。


「あああ……」


 がくんと腰を抜かし、崩れ落ちたのはクラーレだった。立ち上がろうとクラーレの手を掴んでいた穹は、そのままの状態で、呆然としていた。その表情は、まさに心ここにあらずといったものだった。


「シ、シロ、ありがとうっ……!!」


 まだ岩を食べているシロを強引に抱きかかえた。食事を中断させられたシロは唸り声を上げて抗議してきたが、構わず美月は抱きしめ続けた。


「強い! 凄いよシロ!! 格好いい!! 頼もしい!!」

「ピュウ……!! ピュウ!!」


 じたばたと藻掻いていようが関係無い、美月は感謝の言葉を並べ続けながら、その場でくるくると回り、無事であることを祝った。


「ははは、まじか……。すげえな、シロ……。あんたの力はとんでもないな……」


 もはやどう感情を表現すればいいかわからなくなったのか。クラーレは乾いた笑い声を上げながら、頭に手をやった。


 と。穹の起こしかけていた体が、ばたりと床に倒れ伏した。


「な、なんだ、どうしたソラ?!」

「あ、足が、足に、力が、入らなくて……」


 そう言う穹の足は、両方とも小刻みに震えていた。美月とクラーレ、二人して穹の手を持って立たせようとするが、穹の体は鉛のように重く、穹の体から、完全に力が抜けていることを意味していた。


「うご、動けないです、うごけな……」

「穹! 危険は去ったんだから立ちなよ!」

「無理言うな! 怖いんだよ! まだ怖さが残ってるんだよ! もしシロが起きてくれなかったら、僕ら今頃ぺしゃんこだったんだよ?! 漫画的な表現じゃなく、ぺしゃんこになっていたんだよ?!」

「無事だったからいいじゃないの!」

「よくない!! っていうか、嫌な予感当たったじゃんか! まだ嫌な予感するんだよ、もっとひどいことが起こる気がしてならないよ!」

「もういい加減にしなさいって!!」

「無理!!」

「あんたらもう喧嘩すんな!!」


 耐えきれないとばかりにクラーレが叫んだ。乱暴に首を振り、やけくそのように頭を掻きむしる。


「ほら、クラーレにも迷惑かけてるじゃない!」

「姉ちゃんが怒鳴るからだろう?!」

「穹が喚くからだ!!」

「人のせいにする気?!」

「な、なんで止まらないんだ……?!」


 クラーレが美月と穹の顔を交互に見た。言い合いは止まる気配を見せない。クラーレはぶつぶつと呟き始めた。


「こういうとき、ハルならすぐに止められていたのに……。あいつ、実はとんでもない特技を持ってたんだな……。どうすりゃいいんだ、この中で最年長としてどうすりゃ……。……駄目だ何も浮かばねえ……」


 吐息を一つ吐いたクラーレが、まだ美月と言い合いを続けている穹に向かって屈み込んだ。突然目の前に立ちはだかったクラーレに、さすがに美月も穹も動揺し、黙った。


「こういうとき、ハルなら多分……。……よし。……ソラ、俺がおぶる。だからとりあえず進もう」

「え?! ……あ、ありがとうございます……!」

「遠慮しないってどうなの?!」


 美月は言ったが、穹は聞こえないふりをしたのか、大人しくクラーレにおぶってもらう形になった。

「よし、じゃあ行こう……。……あ、駄目だ、下りてくれ、まずい」


 穹をおぶったクラーレは、立ち上がることすらも全くできなかった。美月は、そういえばクラーレはかなり運動が苦手だったことを思い出した。虚弱体質とまではいかないが、強いともいいがたい体だった。


 穹も思い出したのか、「……ごめんなさい」と小さく呟いた。だがその声は、クラーレの盛大な息切れによってかき消された。






「どうです、ハルさん?」

「駄目だ。繋がらない。ミライのほうはどうだ?」

「私も同じです~……」


 そうか、とハルは、テレビ頭の側面に当てていた手を離した。


 コスモパッドには通話機能がついており、それを使えばはぐれた美月や穹と連絡が取れるのでは、と思ったのも束の間のことだった。何度試しても、砂嵐のような雑音しか聞こえてこない。聞こえてほしい美月達の声は、全く聞こえてこなかった。


 ハルも三名のコスモパッドを通しての会話が可能なので、先程から通話が出来ないか試みているようだが、結果は同じだった。


「この場所が、通話が繋がらなくなる特殊な環境なのか、美月達がここよりも更に地下にいるため電波が届かないか、そのどちらかだ」

「ハルさんは、どっちだと考えてるんですか?」

「後者だ。いくらコスモパッドといえど、本来は身体能力を強化するための道具で、通話機能はいわゆるおまけ要素。その性能に特化されているわけではない。地下で繋がらなくなっても、なんら不思議ではない」


 なるほど、と未來は何度か頷きながらコスモパッドに視線を落とした後、前を向いた。


 隠し扉から入った通路の先は、ぐにゃぐにゃと曲がりくねった道だった。さながら迷路のようで、何度も行き止まりに当たっては引き返すを繰り返している。頑丈そうなコンクリートに覆われていては、壁を破って強引に突破することも不可能だった。

 何かの仕事を行っている施設との話だったが、これではアトラクションなのではないかと、未來は思った。


 突き当たりの角を曲がった瞬間だ。目の前に、灰色の壁が立ち塞がった。


「あれ、また行き止まりですよ?!」

「う、む……右に曲がるべきだったか」


 ハルが見取り図を見ながら、来た道を戻ろうと体を反転する。さっきからずっとこの調子だった。


 この場所についての説明は、ジルから事前に聞いてはいた。いわく、迷路があることそのものはわかっているが、どう歩けば正解のルートなのかは、行ったことがないのでわからない、とのことだった。つまり攻略法は、自分達が歩いて見つけるほかない。


「だが確実に進んでいる。この迷路を抜けた先に、どうやらエレベーターホールがあるらしい。そこでとりあえず下りて、ミヅキ達を探そう。施設の職場も、見取り図を見る限り、階下にあるようだ」

「まずは迷路を抜け出さなくては、ですね!」


 次にするべきことがわかっており、未來は幾ばくか安心していた。向かうべきはエレベーターホールと、未來は足を動かし続けた。


 道の分岐点に引き返している最中、ふと未來は、こんな奇妙なところで働いている、ルベラという人のことが気になった。


 好きになった人と一緒にいたいが為に、旅の仲間であるジルを放っておいて、地球にいようとするとは。そもそも、ジルとルベラはどういう関係なのだろうか。星の旅人仲間という割には、ジルの反応はあまりにも切羽詰まっているような印象を受けた。


「……そういえば。ジルさんは星の旅人って言ってましたけど、ハルさんもそうでしたよね?」


 星の旅人という言葉から、ふいに連想された。横を歩くハルを見上げると、ハルは一つ頷いた。


「そうだ。ココロと一緒に、様々な星を渡り歩いてきた。総合的な旅の時間は短いが、逃亡中の身故、短期間の内に色々な星に行った」

「長居は禁物ですもんね……。例えばどんな星に行ったんですか? せっかくですし、よければ聞かせて下さい! 今まで話したことがないやつとか!」


 単調な迷路攻略の時間の、良い刺激になるのではないか。そう思っての提案だった。

 ハルからは、時折旅の話を聞かせてもらっているが、まだ話したことのないものもあるのではないか。そのような好奇心もあった。


「まだ言っていない話、か。そうだな……」


 過去のデータを検索しているのか、ハルは少しだけ顔を伏せ、沈黙した。ココロがハルの無機質な指を握って遊んでいても、無反応だった。分岐点まで戻り、先程は選ばなかった道を選んで進み出したとき、ようやくハルは顔を上げ、軽くココロの背を撫でた。


「戦争の最中の星に着陸したときは、狙われ、危うく破壊されかけた。ココロの身も危なかったな。


文明が滅びかけている星もあった。これも戦争に使われた化学兵器の影響で、もうすっかり人が住めない地になっている星だ。宇宙に脱出する計画がまさに実行されている最中で、軽く街の様子を見て回り、すぐにその星を後にした。空気は汚れきり、植物は全く見当たらなかった。人が生身で歩き回れる状況ではなかったから、やむを得ずココロは、船内で留守番をさせた。


既に文明が滅んだ後の星もあった。こちらは逆に植物でいっぱいの星だった。その中に、建物の残骸などの文明の名残らしきものが、歩いていると見つかるんだ。


あとはそうだな。まさに他の星からの侵略を受けている最中の星もあった。元の住民達は奴隷として扱われ、資源を奪われているんだ。私も捕らわれて奴隷にされそうだったので、やむを得なかったが、多少手荒な手段を用いて逃げた。


逆に侵略を企てている側の星に着陸したこともある。あの星の者達の人間性は……。……ミライ達が見たら、言葉を失うだろうな」


 未來は呆然と口を開けたまま、閉じることを忘れていた。自分の耳を疑っても、聴覚は正常に働いている。


「……」

「どうした?」


 ハルの態度に全く変化はない。先程の話をする際にしてもそうだった。カンペに書かれていることをそのまま読んでいるかのように、ただ過去起きた出来事に対して振り返り、その事実を述べているだけのような、淡々とした口調。もちろんそこに感情も無ければ、言って未來に何か感じ取って欲しいというような願いも感じられない。


「い、いえ……。なんといいますか、その、衝撃を受けましてですね……」


 鼓動がやたらと速くなっていた。それと呼応するように、頭の血管が胎動する。自分が混乱しているとわかるが、なぜこんなに混乱しているのかはわからない。


「このような事例は、恐らくミライ達が思っている以上に多い。穏やかで平和な星は、全体的に見ると少ない。一つの星の中だけではない。宇宙空間内の争い、いわゆる宇宙戦争だって起こっている」


 無機的に述べられる。無感情に語られたものだから混乱が増したのに、今度はその無機質さが、逆に混乱を鎮めていってくれた。未來の頭の中にある映像が浮かび上がってきた。


 満天の星空。見る者の心や感情を、全てそこ一点に集中させてしまう力を持つ星空。夏の海で見たように、今にも降ってきそうで、決して降ってこない星空。カメラのレンズ越しに、幾度となく覗いてきた。


 なぜ、話を聞いたときに混乱したのか。その理由が、宇宙という空間は平和な場所だと思い込んでいたからだとわかった。あんなに綺麗なものが見えているのだから、間違いなくそこは静謐かつ穏やかな空間が広がっているのだろう。そう漫然と抱いていた考えが、否定された形となったからだ。


「言っても大丈夫だろう、と判断しミライに言ってみたが……平気か? 顔色が悪いが」

「なんだか、ショックといいますか……。……でも、ごめんなさい。大丈夫です」


 理由は、それだけではないだろうと、未來はわかっていた。首元の辺りを触ると、固く冷たい感触が、皮膚を通して伝わってきた。そこには、赤く輝く石がつけられた首飾りがかけられてある。地球のものではない石で作られた首飾りが。


「ただ……私が生まれた星のことを考えてしまいました。……私の星も、もう滅んでたり、とても人が平穏に暮らしていけるような状況じゃないかもしれないってことですよね」

「事実を包み隠さず言うなら、その可能性は高い」


 下手に気遣うこともせず、ハルは言い切った。おかげで、次に言うか言わないか迷っていた言葉を口にする勇気が生まれた。


「……でも、それだけならまだいいんです。……私の生まれた星が、ハルさんの話に出てきた、侵略する側の星だったとしたら……。とてもとても、凄く凄く嫌だなって、そう思ったんです」


 ココロがそのタイミングで、まるで何かを話しかけるように、喃語を発した。続くように、ハルが口を開いた。


「だとしても、ミライには一切関係ない」

「……あはは! ですねですよね! 全くそう! ありがとうございます~!」


 また目の前に、分岐点が現れた。右に進むか、左に進むか、直進するか。三つの道を一つ一つ見ながら、どちらに進むかとハルと相談し合う。

 確かに関係無いのだ、と未來は考えていた。生まれた星がどんな星であろうが、関係無い。わかっている、わかっているが。


 今この瞬間も自分を流れている血。ここではないどこかの星で生まれたのなら、国柄ならぬ星柄のような影響を、自分も、多少なりとも受けているのではないだろうか。

 お国柄がよく滲み出ているとか、やっぱり血の繋がった親子だとか、そういう言葉があるように。自分の人間性は、生まれた星の影響を、どこかで引き継いでいるのではないか。


 未來に流れている血の正体は、一体。見えない鎖が絡まっているようだと、一瞬だけ感じた。


「にしてもハルさん、結構危ない目に遭っていたんですね~。大丈夫ですか?」

「ダークマターに追われている以上に危ないことは無いさ。それに、仕方のないことだからな」

「仕方のないこと?」


 ハルはかすかに顔を上げた。天井を見るように。天井を透かして、空を見るように。


「心が存在する以上は、争いも諍いも避けられない。心は苦しみや悲しみや辛さを生み出す、非常に厄介なものだ。その上、全容を全く解明することが出来ない。

それでも、計算の存在が役に立たない、複雑かつ自由な心の存在は、生物が生物であれる唯一無二の証しだと、私は考えている」






 息づかいがいまだに荒い。無理に穹をおぶろうとしたせいか、体に凄まじい負荷がかかってしまったようだ。


美月は今、穹と二人でクラーレに肩を貸しながら進んでいた。借りている立場にあるクラーレは、明らかに疲弊し切った顔をしている。息切れを起こしながら歩くその足取りは覚束ず、手を離したらすぐに倒れることだろう。クラーレがこうなった原因である穹は、先程からずっと縮こまりながら、小声で謝罪の言葉を述べ続けていた。


「いや、いいんだ……。俺が不甲斐ないせいだ……」


 クラーレは力なく笑うが、それすらも辛そうだった。お腹いっぱい食べて満足なシロだけが、脳天気に空を飛んでいた。


「あ、あそこ、部屋になってない?」


 通路を進んだ先に、部屋のような空間があるのを発見した。見つけた美月は、ほっと安堵した。

 その部屋は、何一つ置かれていない、シンプル極まりない部屋だった。ここまで歩いてきた人達の疲労が溜まっていることを見越して、休憩できるようにとこの部屋を作ったかのような、タイミングの良い出現の設計だった。


 クラーレは部屋の壁に寄りかかりながら、ゆっくりと座り込んだ。


「はあ、どうしようもねえな俺は……」

「そんなことないですよ! ごめんなさい、クラーレさん、本当に、僕の我が儘のせいで……」


 いいんだとばかりに、クラーレは首を左右に振った。


「しっかりしなきゃと思って、無謀なことをした俺の責任だ。気にするな」


 いやいやと穹は大きく首を振って否定する。そんな二人の間を、どこまでも自由に生きるシロが飛んできて、クラーレの膝の上に乗っかった。


 自分はもしかしたら、実はかなり珍妙な光景を見ているんじゃ。そう感じた美月のすぐ隣を、何か風のようなものが掠めていった。


 掠めていったものは、クラーレの横の壁に、音を立ててぶつかった。壁に突き刺さるそれを見て、美月は先程通りすぎていったものが、弓矢だとわかった。クラーレと矢の距離は、わずか数センチにも満たなかった。矢の先端が、鈍く輝いていた。


「は?」

「え?」


 クラーレが顔を横に向けた。至近距離で矢の存在を見たと同時に、気の抜けた声が漏れ出た。穹が首を傾げた。そのすれすれを、また風が通り過ぎていった。正確には、風のように早い弓矢だ。


「矢ああああ!!!???」

「おいまたかよっ?!」


 美月が叫んで、クラーレが立ち上がったときだ。それを予測していたかのように、風を切る音が部屋中を埋め尽くした。壁のありとあらゆる箇所から、弓矢が現れる。現れるだけでは飽き足らす、しっかりと放たれる。


 蜂の巣。まさに部屋の中は、その状態になった。


 うわー、きゃー、ぎゃーと、叫び声で部屋が埋まる。どこから現れるかもわからない矢から、余裕を持って逃げられる者などいない。美月達全員、すれすれのところでなんとか避けていた。髪の毛を掠めていったときは、美月は冷や汗を抑えられなくなった。あと五センチでも矢が下に行っていたら、頭皮を掠めていただろう。


 逃げなくても矢は飛んでくる、逃げた先にも矢が飛んでくる。休みなく放たれ続ける矢のおかげで、四方八方を囲まれていた。部屋から逃げ出す隙も見つからなかった。


「うお?!」


 シロを懸命に庇いながら逃げていたクラーレが、ふらりとよろめいた。そのまま後ろ向きに倒れていく。どん、と壁にぶつかった、直後。


 ばたん。


 壁の一部分が、回転した。クラーレはそのまま、回転した壁の向こう側に消えていった。正確には後ろ向きに倒れていき、そのまま壁は何事もなかったように、元通りになった。


「穹!!」

「うん!!」


 弦が引かれる音、矢尻が空を切る音、それが壁や床や天井に突き刺さる音。その中で、美月は穹の声がしっかり届いた。穹もそうだったのだろう。


 二人はほぼ同時に、床を蹴った。両手を前につき出して、クラーレが消えていった壁に体当たりした。


 ぺたり。確かに手のひらは壁に当たった。その壁が消えた。美月と穹は、壁の向こうの空間に、吸い込まれていた。

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