phase3「潜入大作戦!」
階段は思っていたよりもずっと長かった。地の底まで続いているのではないかという錯覚を、何度も抱いた。入り口の明かりは、とうの昔に遠ざかっている。
時折天井に小さな電灯がぶら下がっているだけで、あとは明かりが何も無かった。強いて言うならば、ハルのぼんやりと灯るテレビ画面の明かりが、唯一の光源だ。しかしそれでも暗いため、心許なかった。
手すりもなかったため、美月達は壁に手をつき、慎重に下りていっていた。とりわけ赤ちゃんであるココロを抱いているハルは、ことさらゆっくりと歩いていた。
「暗視モードにしているから見えるが、転ばない可能性はゼロでない以上、警戒するのは当然だ」と、さっき言っていた。
シロを抱くクラーレも慎重な足取りだった。シロは最初飛んでいたが、疲れたのか、下り始めてすぐにクラーレの頭に乗っかった。それをクラーレが抱っこしてから、ずっとそのままだ。
「僕さ、まだ信じられないんだけど……」
穹が沈んだ声を出した。半ば流されてついて行ってるので、まだ渋る気持ちが多く残っているようだった。
「それは私もだよ。でもね、そんなことずっと言ってられないじゃん。楽しもうよ!」
「なんで姉ちゃんはそんなに機嫌良いの……?」
「だってわくわくしてるし!」
理解できないと言いたげなため息が返ってきた。
「にしても長いなあ……。まだあるのかな?」
次に聞こえてきたのは、若干疲れが滲んだ声音だった。穹は運動が苦手なので、この長い階段も辛いのだろう。クラーレが、「多分もう少しなはずだろ。頑張れ」と、軽く穹の肩を叩いた。
「ハルさんにおぶってもらうのはどうかな~?」
「ふむ……。それは少し難しいかもしれないな」
「いや頼みませんからねさすがに?!」
冗談冗談、と未來が笑った時だ。笑い声が、「あれ?」という台詞に変わった。
「これ、終わったんじゃない?」
美月も、未來の言いたいことがわかった。さっきまでずっと続いていた段差が、なくなっていたのだ。永遠に続くかと思ってしまうほど長い階段を、ようやく下りきったことが示されていた。
「やった、終わった! で、次は?」
「こっちだな」
ハルが、ジルから受け取ったエリア15の見取り図を見ながら、先頭に立った。
階段を下りると、左側は壁があり、右側に通路が伸びていた。他に曲がり道などもなく、とりあえず真っ直ぐに進んでいけばよさそうだった。
天井には蛍光灯があったが、ぱちぱちと忙しなく点滅を繰り返しており、電気の寿命が残りわずかなことを表していた。壁や天井、床のコンクリートも古く、ひび割れている部分もある。電灯の様子からしても、相当に年季の入った空間だった。
通路を進んでいくと、すぐに目の前に壁が現れた。美月が振り返ってみると、地上から下りてきた際に使った階段が、まだかなり近くに見えていた。他にドアなども見当たらない。「もう行き止まり?」と穹が呟く。
「いや。この辺りのどこかに、隠し扉があるはずだ」ハルが見取り図と目の前の壁を交互に見た。
ジルとルベラがここに来たときは、美月達が使った入り口とは別の、正面玄関に値する場所から入ったそうだ。しかし当然そこには見張りがおり、部外者は入れない。
美月達が入った入り口は、昔使われていたが、老朽化などの理由により使われなくなった、要するに裏口だった。使われなくなってかなり経つので、監視カメラもあるにはあるが、壊れていると、ジルが言っていた。
どこかにスイッチがあり、そこを押せば扉が現れるはずだが、そのスイッチそのものがどこにあるかまではわからなかったと、ジルは申し訳なさそうにうなだれた。
つまるところ、そのスイッチを探せばいいだけだ。美月達は手分けして、探索を始めた。だが、古びた電灯の、頼りない明かりの下、隠された扉を開けるスイッチを探すというのは、予想以上に大変な作業だった。
ぱっと見スイッチのようなものは見当たらない。スイッチも、すぐに見ただけではわからない場所にあるのかもしれなかった。けれどもこの暗さの中で、目を使って探すのは至難の業だった。よって、視角でなく触角に頼るしかない。
床や壁など手で触りながらしばらく探したが、それらしきものは全く見つからなかった。四つん這いで探していたので、腰や膝、手のひらが痛みを訴えていた。
「はあ、見つからねえな……」
「ぼ、僕ちょっと休憩する……」
クラーレと穹が、近くの壁に寄りかかった。
「そもそもスイッチなんて無いんじゃないか、ここまで見つからないのは」
「ですよねえ、こんなに探しても見つからないなんて」
愚痴をこぼす二人に、情けないと美月は少し感じた。ハルは黙々と探しているし、未來は鼻歌を歌うほどの余裕を見せているというのに。
「ハルー! 何か隠されたスイッチを探す機能とかないの?」
「無い。そんなに便利なロボットじゃないんだ、私は」
とはいえ、こちらも疲れてきた。駄目で元々、とハルに聞いてみたが、案の定一蹴された。ええ、と美月は零しながら、立ち上がり背を伸ばしたりした。付着した埃を乱暴に払いながら、クラーレと穹がもたれかかって休んでいる壁に、手をつける。
手のひらに当たっている壁の一部分が、急にへこんだ。同時に、ピッという甲高い音が、暗い通路内に響き渡った。
「え?」
「ん?」
「は?」
次の瞬間のことだった。手をついていた壁が、消えた。正確には、突然壁に穴が空いた。
支えを失った手は、当然、穴の中に吸い込まれていく。そこにもたれかかっていた穹とクラーレも、当然、穴の中に倒れていく形になる。
「美月?」
未來が不思議そうに振り返った。それが最後だった。美月は声も出せないまま、壁に突如として空いた穴の中に、倒れていった。
倒れた先には、床がなかった。何が起きたか理解したときには、未来の姿も、ハルの姿も、見えなくなっていた。完全な闇の中を、美月は落下していた。一緒に落ちているはずの穹やクラーレの姿は全く見えないほど、その闇は濃かった。
「美月ーーー!!!」
未來は力一杯叫んでいた。だが、壁に空いた穴は、何事もないように閉ざされていた。さっきまでそこにいた美月や穹、クラーレの姿は、影も形もなかった。
「ミヅキ、ソラ、クラーレ、シロ……!」
ハルがすぐに、穴が空いた壁に近寄った。手で触りながら調べているのをただ黙って見ていることもできず、未來は駆け寄った。だがハルと同じように、壁を触ってみることしかできなかった。それで美月達がどうなったか、今どうなっているのかわかるわけがないのに、だ。
「ここにスイッチがあるな……。恐らく隠し扉を開けるためのものだ」
ハルが示す先を見ると、確かに本当に小さな
「あ、開きませんよ?」
「一度きりの可能性が高い、か……? ……これは仮説だが、ここにはたくさんのスイッチがあるのかもしれない。隠し扉のスイッチは、一回押すごとによって切り替わる可能性が高い」
「な、なるほど。では、探しましょう!」
「もちろんだ」
未來は、今まで以上に真剣にスイッチを探すことにした。実際のスイッチがあれほど目立たないものであるなら、更に神経を研ぎ澄まさなくては駄目だろう。目をしっかり凝らし、ゆっくりと視線を移動させる。ハルの様子を見ると、ハルもことさら慎重にスイッチを探しているようだった。
だが、見つからない。これかと思っても、単なる汚れだったりして空振りに終わる。早く見つけて美月達を探したいという焦りが、集中力を削いでいるのは明白だった。案の定ハルが、「ミライ、焦りは禁物だ」と手を止めないまま声を掛けた。
「落ち着いて探そう。大丈夫だ、三人は生きている」
「ほ、本当ですか?! なら良かった……!」
幾ばくか、心に余裕が生まれた。落ち着かなければと、ゆっくり息を吐き出し、吸い込む。とはいえ、早くスイッチを見つけたいという思いは、微塵も変わっていなかった。焦りは静まる気配を見せない。
「どうした、ココロ?」
と。ハルがふいに、視線を落とした。未來もそちらを見ると、ハルの腕にいるココロが、食い入るように床の隅を見つめていた。
「そこには何もないはずだが」
「ん~! うあ~」
頑なに目線を外そうとしないココロに、未來ははっとした。ココロの見つめる先の床に近寄り、注意深くその付近を見てみる。と、隅の隅に、1cmにも満たないような小さい凹凸があることを発見した。
「ハルさん! ありました!」
「何だと?」
恐る恐る押してみると、すぐ目の前の壁の一部分が、上へと上がっていった。先程まで壁だった場所に、今では真っ暗な空間が広がっている。だが、壁が開いた場所は、美月達が吸い込まれた場所とは異なっていた。
壁の向こうには道が続いている。その先は闇に閉ざされ、何も見えない。だが躊躇う理由はなかった。
「……ハルさん!」
「よし、行こう!」
扉の向こうに足を踏み入れた直後だ。後ろで音がした。壁が下がっていき、扉が閉ざされる音だった。
完全に閉ざされると、ほとんど何も見えなくなった。ハルのテレビ頭から漏れる光がなければ、歩くことも困難だったろう。
「うーん、何も見えないですね~……。あ、そうだ! ココロちゃん、さっきはお手柄だったよ! 凄いね!」
先程のスイッチは、よく目を凝らし、至近距離まで近づかないと視認できなかった。それを、それなりに離れている距離から見つけたのは、他ならぬココロだ。少し腰を落としてココロの目線に近づくと、わかったのかわかっていないのか、ココロはにこっと笑った。
「ほらほら、ハルさんもちゃんと褒めないと! 褒めて伸ばすってよく言うじゃないですか! ココロちゃんがいなければ、完全に行き詰まってましたよ、私達!」
「もっともだ。よし。……ココロ、ありがとう。隠し扉を発見できたのは君の功績だ。礼を言う」
「?」
「何かが違う気がしますが、まあいいでしょう!」
目をぱちくりさせるココロに笑いかけながら、未來はハルと共に、前へと進んでいった。
「美月達、大丈夫かなあ? クラーレさんと、穹君と、美月の三人なんですよね?」
「現時点ではなんとも言い難いな。その面々だと、必然的に年齢が一番上のクラーレが取り仕切る立場になると予想するが、クラーレは平気なんだろうか」
美月が目を覚ましたのは、穹とクラーレの会話が原因だった。
「くくく、クラーレさんどうしましょう。本当に。ななな、何かあったらどうしましょう。ハルさんとも未來さんともはぐれてしまって、ももももう終わりなんじゃ。っていうか終わりですよね、どうしたら、一体どうすれば」
「お、おい……」
「もももしかしたら僕達、し、死んじゃうんじゃ?! ここで死んでしまうのでは?!」
「んなわけねーだろ、冷静になれって!」
「ねねね、姉ちゃんも目を覚まさないし、まま、まさか姉ちゃんは!!」
「話を聞けって! よく見ろ息してるじゃないか!」
「目を、このまま一生目を覚まさなかったら!!!」
「もういいから落ち着けって!!」
美月は今目を閉じている状態だったが、それでもどういう状況なのか手に取るようにわかる。穹の、度を超した狼狽ぶり、それに翻弄されるクラーレのうろたえが、目に浮かぶようだ。クラーレが可哀想に思えてきて、美月はまぶたを上げた。まず飛び込んで来たのは、眩しい明かりだった。
「わーーー! 起きた!! 姉ちゃん大丈夫?!」
涙目の穹が飛びついてきたのを引き剥がし、美月はまだふらふらとする頭を抑えて立ち上がった。
「起きたか……。平気か?」
「うん、大丈夫だよ。あ、シロは?」
だが返答を待つまでもなく、シロがどうなっているかわかった。クラーレが両腕で抱えていたからだ。
「シロは無事……っつーか寝てるな」
「図太いねえ……」
穏やかかつ呑気な顔で、シロは眠っている。さぞ良い夢を見ているのだろうと容易に想像できる表情だった。
「あ、僕も平気だよ」
「それは見なくてもわかる!」
どこか怪我している状態であれだけ喚くことができるのなら、とんでもない事態だ。にしても、と美月は腕を組んだ。
「なんでどこも怪我をしてないんだろう、私達」
「多分あれだ」
クラーレが、自分自身の後ろを指さした。そちらを見ると、高所から人が落下した際、安全対策として使われる、巨大な保護マットが置かれていた。
「一体どれくらいまで落下したかはわからないが、多分そこまでじゃないはずだ」
「そっか……」
軽く周りの状況を確認してみる。壁際に置かれたマットの他には、特にこれといった物は置かれていなかった。さっき通った通路のように、天井も壁も床もコンクリートだったが、こちらは上の階とは違い、新品には見えなかったが、綺麗に管理されていた。蛍光灯は煌々としており、周りは明るい。
今美月達がいる場所から、真っ直ぐに廊下が伸びていた。灰色の通路は、行き止まりがかすんで見えない程、非常に長かった。また、いくつかのドアがあることも確認できた。
「じゃ、とりあえず行ってみようか?」
美月が提案すると、穹は不満を露わにした。
「や、やめといたほうがいいんじゃないかな? 確か迷子になったときは、下手に動き回らずに待つほうがいいって、本で読んだことがあるよ」
「ええ、色々調べてどんな状況か確認したほうがいいって!」
「いやいや、ここでハルさん達を待っていたほうが! あと何より下手に動いたら誰かに見つかると思う!」
「ここに見回りが来るかもしれないし、何よりハル達が来るとは限らないじゃないの! 移動したほうがいいって!」
「動かないほうがいいに決まってる!!」
「絶対移動するべき!!」
「ええい、二人ともやめろ!!」
クラーレが声を上げた後、彼は頭に手をやり、はあとため息を零した。
「確かに下手に動かないほうがいいんだろうが、幸いこっちには見取り図がある。今どこにいるのか把握することができるし、様子見のために少し動いていいと思うんだが」
クラーレは、ジルから受け取った見取り図のコピーを取り出した。
「だよね?! じゃあそういうわけだから、行こう穹!」
「ええ……」
「そんなに言うなら、ここで一人で待ってたら?」
「……わかったよ、行くよ……」
「よろしい!」
さあ出発と、美月が先頭に立つ。その背後で、また吐息が聞こえてきた。
「俺、二人を纏められる自信が全く無え……」
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