phase2「宇宙人の困りごと」

 宇宙人だという青年、ジルを見上げながら、美月は目を何度か瞬かせた。何度瞬きしても、髪と目の色があまり見ないだけで、地球人にしか見えない。


「えー、私、は、美月、と、いいます」

「うん、よろしく頼む!」


 とはいえ、こっちは何度も宇宙人と会っているし、宇宙産のロボットまでいる。動揺のあまりどもってしまったが、ジルが宇宙人か否かについては、特に疑いを抱かなかった。


「で、こっちは、弟の」

「……な、何星人ですか?」


 穹は名前を名乗りもせず、突然そう尋ねた。穹の失礼さを叱ろうとしたが、ジルは意に介した様子を一切見せなかった。


「生まれはジュネラミナ星という星なんだ」

「ふむ。鉱山が多く、鉱業の盛んな星だな」


 美月は初めて聞く星の名前だったが、ハルは知っていたようだ。


「私はハルだ。この赤ちゃんはココロ。こちらのプレアデスクラスターがシロだ」

「あぅ」

「ピ!」

「あ、僕は穹です!」


 やっと思い出したのか、穹は慌てた様子で名乗り、ぺこりとお辞儀をした。


「そうなのか! よろしくな、ハル、ココロ、シロ、ソラ。あと……君は?」


 少し困惑したように、ジルが手で示してきた。その時美月は、まだ名前を言っていない人物がいることに気づいた。


 じり、と土の音が聞こえてきた。クラーレが、わずかに後ずさった際に出した音だった。


 美月はクラーレの様子を窺い、思わず息を飲んだ。クラーレの雰囲気が、初めて会った時を彷彿とさせるようなものになっていたからだ。顔は強ばり、目は強い警戒心を帯びており、近寄るなというひりひりした空気が伝わってくる。


 敵意にも似た感情を向けられているにも関わらず、ジルは困惑したままなものの、それでもクラーレに笑いかけた。


「僕はジルだ。君の名前、良ければ教えてくれないかい?」

「……」

「見た所君も宇宙人のようだが……生まれはどこかな。良ければ教えてくれないだろうか」


 クラーレの目が、一気に鋭く見開かれた。あ、と未來が気の抜けた声を発した。


「この人は、クラーレさんって言うんです! それで、ちょっと人見知りで、人と話すことが苦手なんですよ。すみません~……!」

「あ、そうだったのか……。それは申し訳ないことをしたね。すまない」


 素直にさっと頭を下げたジルに、クラーレは睨みにも近い眼差しを送っていた。美月は内心ひやひやしっぱなしだった。ジルから距離を取ったクラーレに代わり、ハルが声を掛けた。


「ジル。君は一体、ここで何をしているんだ?」

「ああ、そういえば忘れていたよ」


 ハルに聞かれたジルは、うっかりしていたと首を振り、自分自身のことを手で示した。


「僕は、星の旅人なんだ。この近くに着陸して、しばらく過ごしていたんだが、訳あって故郷のジュネラミナ星に帰らなくてはいけなくなったんだが……」


 星の旅人。確かハルも、同じことを名乗っていた。美月が思い出していると、ジルが言いにくそうに、言葉を詰まらせ出した。


「その……。なんというか……。うん……。帰りたいは帰りたいんだけどね……」

「ははあ、何か困ったことが起きているんですね~!」

「なぜわかったんだ?!」


 言い当てた未來は、「当たった~!」と鼻歌を口ずさみだした。確かにジルの様子はおかしかった。悩みを抱えているにも関わらず、隠して笑っているときの笑顔と全く同じものを浮かべていたからだ。


「うん、まあ、そうなんだよね……。ちょっと、困ったことに巻き込まれてしまっていてね……」


 誤魔化すのもできないと考えたのか、ジルは判然としない口調で言った。


「困ったこと?」

「えーと、その、なんだ、なんというか……」


 美月が尋ねると、ますます歯切れが悪くなった。しばらくそうして口ごもっていたが、やがて意を決したように大きく瞬きすると、目を合わせてきた。


「僕には、同じく旅をしている仲間が一人いるんだけれどね……。その人が、このエリア15に行ったまま、帰ってこないんだ」


 美月は声を上げそうになった。その前に、ええ、と未來が叫んだ。


「それって、攫われたのですかっ?!」


 未來の言葉通りだ。美月の脳裏に一秒と経たず現れたのは、エリア15に伝わる噂だった。まさか本当に。が、ジルは、何のことだとばかりにすぐに否定した。


「あ、違う違う。攫われたのではなく、彼女が自分から行ったんだよ」

「自分から……?」


 美月が聞き返すと、うん、とジルは神妙に腕を組んだ。


「彼女は……ルベラというんだが……。物凄く、物凄ーく惚れっぽい性格でね……。このエリア15で働く職員に一目惚れして、絶対にあの人が運命の人だ、絶対に一生を添い遂げるお方だと言って、お近づきになりたいからと、そのまま自分もエリア15の職員になってしまったんだ。そして彼女からの連絡は一切無いまま、今に至る」

「ほ、惚れて、って……。た、大変だね。そんな、まさか……」


 ジルから語られたことは、全く予想だにしていなかったものだった。あまりにも平和で穏やかなもの。もっと深刻な事態だと思っていた自分が、逆に恥ずかしくなった。


「惚れたとかはね、いつものことなんだ。旅先で会う人会う人に、絶対に運命の人と騒いでは、すぐに振られるか、振っている。まさしく恋多き乙女なんだよ、彼女は……。しかし、ここまで長い時間熱が冷めないのはまず無いことだったから、さすがに心配なんだ……」


 もはや笑うほかないといったように、ジルは苦笑した。


「それなりに緊急の用で故郷から呼び出されているから、一刻も早く旅立ちたいところであるんだが、連絡がつかない……というか、ずっと無視されていて……。どうしようかと……」

「ジルさんが直接迎えに行けばいいのでは?」


 未來がずばり言った。美月も同じことを思った。だがジルは、体を縮こませた。


「……運命のお相手探しを邪魔したらその瞬間に勘当する、もう二度と一緒に旅をしない、それで永遠にさようならだと言われてて……。前に一度、ルベラが熱を入れていた相手と強引に引き離したら、実際に仲間解消までいったことがあって……。必死で頭を下げて、その時はなんとかなったんだが……二度目だと、もう……」


 声がどんどん小さくなっていく。不甲斐ないことは充分に自覚しているとばかりの態度だった。美月は、ジルが少し可哀想に見えてきた。

 穹が、「なんで、引き離したんですか?」と、少し哀れんだようにゆっくり問いかけた。


「相手が、ルベラの求婚に物凄く困っていたからな……。でも彼女は気づいてなかった。一度嵌まると周りが全然見えなくなってしまうんだよ、彼女は……」

「恋は盲目、とは言いますからね……」


 まさにそれだと、ジルは何度も頷いた。


「そういうわけなので、僕が乗り込んでいったら今度こそ駄目だと思う。とはいえ四の五の言っていられないし、もうどうしたものかと、まあ途方に暮れているわけだ」


 段々とどんよりとしていく自分の空気をリセットする勢いで、ジルは明るい声を発した。しかしそれは、無理矢理作ったとわかる出来栄えだった。


「長々と聞かせてしまってすまなかったね。申し訳ない。貴方達は、どうしてここに?」

「空間転移装置。要するにテレポートの機械を実験中、それが暴発し、ここに飛ばされたんだ」


 ハルの説明を聞いた美月は、思い出したくなかった現実を思い出した。今どういう状況に置かれているかも。あははと、おかしくもないのに笑いが零れた。


「しかもね、戻る方法が無いんだってさ……」


 ジルに言ってもどうしようもないことはわかっている。だが、言わずにはいられなかった。ジルは邪険にしたりせず、「そうなのか……」と我が事のように困った声を出した。


「僕達、どうすればいいんだろ……」

「帰れない、のかなあ……」


 未來がぽつりと呟いた台詞が、重く突き刺さった。帰れない。戻れない。それは一番見たくない現実だった。その事実が前に迫り、美月はやっと、絶望を感じ始めた。さっと体が冷えていったのは、時折吹く強い風に当たっているからではない。


「……あ、そうだ」


 風がやんだときだった。急激に声を明るくした未來が、くるりと振り返って、ジルを見た。


「ジルさん! 宇宙船って、持っているんですか? それは動きますか?」

「え? ああ、もちろんだが……。クリアモードにしているが、この近辺に置いてあるよ」

「なるほど~! じゃあ」


 未來は軽く飛び上がった後、ぱちんと手のひらを合わせた。


「ジルさん! ジルさんの宇宙船で、私達を元の場所まで連れてってくれませんか~!」


 また風が吹いた。時間が固まった場にぴったりな、乾いた風だった。


「もちろん、タダではありません」


 ふふ、と未來は人差し指を立てた。


「ルベラさんを説得して、連れて帰ってきます!」


 瞬間だった。かっと、ジルの目が煌めいた。


「ほほほ、本当、か……?」

「はい~! どうでしょう、いいアイデアじゃないですか、ハルさん?」

「確かに、この状況ではなかなか良い提案だ」

「ハルさんの折り紙付きですし、どうでしょ~!」


 がし、とジルが、未來の手を力強く握ってきた。


「あ、ありがとう。本当にありがとう。……待て、本当か? 本当なのか? 本当にルベラを?」

「もちろん~! ……あ、美月は?」


 ジルは今にも泣き出しそうな目をしていた。思わずたじろぎそうになるほど、懇願するような眼差しだった。美月は軽く考えてみた。


「ルベラって人を説得するってことは、エリア15に行くってことになるよね……」


 頭の中が一気に明るくなった。美月は拳を握りしめた。


「ジル、任せて! 必ずルベラを連れて帰ってくるよ!!」

「あああああ、ありがとう! ありがとう!!」


 ジルは、溢れだしてきた涙を、袖で拭った。ずっと不安を隠してきたのだということがよくわかった。全身から、心からの安堵の空気が滲み出てきている。


「待って待って、姉ちゃん本当に?! どうして?!」

「だって面白そうじゃん! 多分誰も行ったことがない場所に行けちゃうんだよ?! しかもこのメンバーで! 絶対楽しいことしかないってば!」

「でも、確かエリア15って、軍事施設だったような……。近づいちゃいけないんですよね……」


 穹が不安げに、エリア15のある方角を見た。美月も聞いたことがある。場所が場所なので、部外者が近づけば、すぐに捕らえられると。その危険を考慮した場合、かなりリスクが高いのでは。頭の中がまた暗くなってきた。大丈夫なのだろうか。抱いた不安を見透かしたように、ジルは言った。


「それは平気だ。外にあるほうはただのダミー。本物のエリア15は、別に存在する」

「は?! そんなの初耳だけど?!」

「内緒と言っていたからね、あの施設の職員達は」


 今まで知らなかった真実を、知ってしまった。愕然とする美月を置いて、ジルは当時のことを思い出すように、ふと遠い目になった。


「もともと僕達は、この近くに着陸した。その時些細なことでルベラが怪我をした。宇宙船から下りるとき、転んで、打ち所がかなり悪く、骨折したんだ。そこを通りかかったのが、本物のエリア15の施設の職員だ。そしてこの人が、ルベラの片思い相手だ。

その人は、僕とルベラを拾って、施設内でルベラの手当てをしてくれた。それで勧められて、治るまでの間、僕とルベラはそこで暮らしていたんだ。

もともとただの骨折だからその必要はなかったんだが、ルベラがあの人を婿にすると言って聞かなくってね……。治ったら治ったで、わたくしはここで働きますと言い出すし……。そして採用されてしまうし……」


 自嘲げに笑った後、ジルはその笑みを、何かを企むような笑みに変えた。


「僕は短い間とはいえ、内部にいたことがある。外に出た後も、施設内の構造について、ずっと調べていた。だから、潜入は充分に可能なはずだ。……だけど……。本当にいいのかい? 交換条件などなくても、普通に元の場所まで連れて行くが……」


 美月は他の皆の顔を見た。その皆は、全員ハルのほうを向いていた。美月もハルを見上げたが、そのハルは、美月のほうを見て、頷いた。任せる、と言いたいことが伝わった。


「……面白そうな場所に行ける。困っているジルを助けられる。まさに一石二鳥! 引き受けるよ、ジル!」


 少しの間が置かれた。ジルは、大きく目を見開き、次に感謝が滲み出た笑みを浮かべてきた。胸に手を置き、ありがとう、と何度も口に出していた。


「……よし! そうと決まれば、早速作戦会議といこうじゃないか」





 何かあったときの対処、ルベラという人の説得方法など、諸々話し合った結果、それなりに時間が経過していた。最後にハルがジルから見取り図のコピーを人数分受け取ると、全員に配った。


「印のある場所が、ルベラのいる可能性が高いとみている場所だよ」


 その説明で美月は、見取り図の所々に赤い丸が描かれている理由がわかった。


「カメラやセンサーの位置なども、そこに書かれている通りだ。だが、今現時点で、詳細がどうなっているかは正直……。僕が抜けた後、カメラなどが追加されたこともあるかもしれないしね。それに実を言うと、この施設は謎が多いんだ。一体どんな仕掛けがあるのか、施設内にいたときも外から出たときもずっと調べていたんだが、掴め切れていなくて……」

「わかった! 気をつけるよ!」


 美月が決意の表明代わりに拳を握ると、ジルは心底申し訳なさそうに、眉を下げた。


「すまないね、本当に……。仲間内の問題に巻き込んでしまって」

「いいです、いいです~。いつ襲ってくるかわからない相手との戦いよりは、ずっと平和なミッションだなって思いますよ~」

「襲って……?」

「あ、なんでもないです~!」


 誤魔化す未來と共に、美月も苦く笑う。こちらがどんなことに巻き込まれているかなど、知らないほうが吉というものだ。


「ところでジル、施設の入り口はどこ? 外のはダミーだってさっき言っていたけど……」

「あ、それはだな」


 ジルはおもむろに美月達から距離を取った。少し離れた位置に転がっていた、赤茶けた大きめの石に近づき、そこに両手をかける。そして左右や上下、時計回りや反時計回りなど、様々な方向に、石を動かし始めた。


 何をしているのか。美月が聞こうとしたまさにそのときだ。地鳴りのような音が、すぐ傍から鳴り響いた。


 地鳴りに驚いたのは言うまでも無い。しかしそれ以上に、音と共に目の前に現れた光景に、美月は息をするのも忘れてしまった。


 ジルが動かした石の、すぐ隣の地面の一部分が、蓋のようにぱかりと開いたのだ。その上に乗っていた土を落とし、砂埃を巻き上げながら、重々しく開かれた。


 つい先程まで地面だった空間に、美月は恐る恐る近づいた。蓋の下は階段が存在してあり、それは下まで続いていた。どれくらい奥まで続いているのかは、先が霞んで、よく見えなかった。


「何これ……」


 声を上げることもできなかった。未來はカメラに手をかけたまま、しかしシャッターは切らず、呆然と固まっていた。


「そういえば、そうだ」


 ジルは事も無げに服のポケットをまさぐると、そこから見覚えのあるものを取り出した。


「通訳バッジなんだが、多分必要になると思う。もし良ければ使ってくれ。ただ、手持ちがこれしかないんだが、人数分には……」


 ジルの手のひらの上に乗る通訳バッジは、二つだけだった。しかし美月は、有り難く受け取った。無いよりはずっとましだと思った。美月は外国語が苦手科目だった。


「よし、じゃあ行こう! ……クラーレはどうするの?」

「……行く」


 突然口数の少なくなったクラーレだったが、短く答えた。クラーレは、ジルのことをなるべく見ないように目を伏せながら、入り口に近寄った。


「ぼ、僕、なんか怖いんだけどな……」

「はい穹君も行きましょー!」

「ちょ、ちょっと?!」


 明らかに行きたくなさそうに渋っていた穹だったが、未來にぐいぐい背を押され、強引に入り口付近まで連れて行かれた。地下まで続く階段を覗き込むと、後に引けないと思ったのか、「もう、わかったよ……」とため息を吐いた。


「私達も行こうか」

「うん! じゃあね、ジル! 絶対ルベラを連れて帰ってくるからね!」


 ジルは二、三度瞬きした後、ゆっくり頷いた。


「本当にすまない。感謝するよ。……貴方達の幸運を祈る!」


 ジルの黄色の髪が陽光に当たり、きらりと宝石のように輝いた。同じく、宝石のように輝いて見える瞳に見送られながら、美月は階段を、一段一段、下りていった。


 階段に明かりはついてなく、先がどうなっているかは全く見えない。この先何が起こるかもまた、全くわからなかった。







 我慢の限界が見えた。ネプチューンはかっと目を見開いた。


「マナーが全くなっておりませんわっ!」


 鋭く人差し指を相手に向かって突き付ける。はあ? とマーズは眉をひそめた。なぜ突然として怒鳴りだしたのか全く理解できないと、その目は語っていた。


「カップの持ち方からして。いえ、座り方からしてなっておりませんことよ!」


 しかしそれはネプチューンも同じだった。眼前に広がる光景は、全くの常識外であり、信じられないものであった。


 お茶会の席で、椅子に深く腰掛けているならまだしも。足を組んで、その上ティーカップの取っ手を持たずに鷲掴みにして、水でも飲むみたいに、紅茶をあっという間に飲み干してしまうとは。そうやってお茶会をする者を、ネプチューンは過去一度も見たことがなかった。


「なんということでございましょう……。信じられません。悪夢を見ているようですわ……。現実こそが地獄ですわ……」

「失礼な奴だなあんた!」


 マーズは怒鳴ったが、そっくりそのまま返してやりたかった。しかしその気力も奪われた。こめかみの部分を抑えながら、音を立ててため息を吐く。ずきんずきんと頭が脈打っていた。


 ネプチューンにとって、お茶会とは自分の中で、非常に大切なところにあるものだった。自分の心の癒しであり、大きな支えとなっているもの。

 というわけで、セプテット・スターに就任した時、すぐに自身が担当する本社にあるセプテット・スター専用の部屋を大改装して、お茶会をする場所を作った。


 寒色系を基調とし、あまり余計な装飾は置かず、ゴシックでレトロな雰囲気にし、とことん自分好みにしたお茶会部屋を、ネプチューンは心の底から気に入っていた。


 サターンは当初、このお茶会部屋のことを全く以て快く思っていないようだった。「元に戻せ!」と事あるごとに言ってきていたが、正直ネプチューンの知ったことではなかった。


 なので黙らせるために、一度お茶会に誘った。


「最上級の幸せな時間を味わえますわよ、さあ来なさい! 一生お茶会に対して何も言えなくなるくらいのおもてなしをしてさしあげます! 手始めに茶葉ですけれど、まずあなたのイメージからしてとりあえず十種類くらいまでには絞り込めますわね、問題はそこからですわ、香りを重視するならあれが一番ですが、やはりわたくしのおすすめは何と言いましても」


 と、こんな風にぐいぐい引っ張り続けていると、勝手にしろと言い残して去られた。以降、不満こそ伝わってくるものの、黙認状態が続いている。


 はあ、とネプチューンは物憂げにため息を零した。


「プルートなら、お茶会のマナーも完璧でしたのに……」

「まあそういうプログラムがされているからな」

「そうですわね、あのマナーの完璧さはプログラムのもの。ですがっ! わたくしにはわかるのです! プルートは、特訓を重ねれば、お茶会のプロフェッショナルになれると!」

「待て待てどんな特訓させるんだ? というかお茶会のプロってなんだ?」

「言えば長くなりますので、今は説明を省かせて頂きますわ。とにかく! お茶会の楽しさに目覚めてもらいたかったのです! 同志を増やしたかったのです!」


 一度プルートを誘ったときのことは、今でも鮮明に思い出せる。マナーは完璧そのもので言うこと無しだった。だがそれ以外が、何かが違った。味の感想を聞けば茶葉の成分を分析した結果を発したし、会話も、向こうから話すことは一切なかった。


 お茶会をすれば距離が縮まるというのはネプチューンの持論だった。だからネプチューンはお茶会が好きなのだ。だが。

 カップをソーサーの上に置いた瞬間、思いの外大きな音が鳴った。それで、少し手が震えているのだとわかった。


「でも、わかってもらえなかった。……わたくしは、彼女とお友達になってみたかったのです。けれど、駄目でした。お近づきになれないままでした……」

「おお、なんかいつになく素直だな、あんた!」

「やかましいですわ」


 どことなく気恥ずかしくなり、一蹴する。


「まあ、慣れておりますけれどね。一人など、いつものことですわ。馴れ合いなど、不必要なこと」

「のわりには、なんであんたはあたいを茶会に誘ったんだ?」

「……彼女を誘ったのですが、やはり断られまして。当然ですわよね。この後用件が続いておりますのに。そこを、あなたが通りかかったというわけなのです」


 閃いたとばかりに、マーズが目を大きくさせた。


「つまりなんだ。あたいは義理で、プルートが本命だったってことか!」

「なんですの、義理に本命って……」

「ビーナスちゃんがな、よく言うんだよ。本命の相手が現れない、運命の相手が現れない! って。周りの男達は義理もかけたくないようなろくでもない奴ばかりだ、ってな!」

「あのですね……」


 否定しようとしたが、途中でやめた。案外例えが合っていると感じたからだ。“本命”ほど、振り向いてくれないもの。というのは物語の中でよく見かけるが、まさにそれなのだ。


「どうせもう遅いのです……。私と彼女は、お友達になれない運命だったのですわ」


 できないとわかっていることにいつまでも挑戦し続けるのは、ただの愚かな行い。常に冷静な目で状況を判断し、最善の選択を見つけ続けろと、いつも教えられてきた。ネプチューンは自分に言い聞かせるつもりで、そう口に出した。


「運命とか知るか!!」


 ばーんと勢いよくマーズがテーブルを叩いた。一瞬だけ茶器が跳ね、舞い踊った。ネプチューンは、さすがに声を荒げるのを耐えることが出来なかった。


「何をなさるのですか!! カップが割れたら弁償してもらいますわよ! ……もっとも、あなたならこの程度のお値段、なんでもないでしょうが」

「そんなつまらないことよりも! ネプチューン、あんたはそれでいいのか?!」

「何のことでございましょう?」


 赤い瞳から目を逸らす。動じていない声を発したつもりであったが、少しどもってしまった。


「諦めていいのかってことだよ!」


 案の定マーズは言った。ネプチューンも、薄々勘づいていたことを言ってきた。ふいと顔を背け、紅茶を一口啜った。口に広がる味も香りも、今はよくわからなかった。鼓動が早くなっている。


「今このチャンス逃せば、プルートはしばらく帰ってこないんだぞ! その前に言っとけ! あたいと友達になれって!」

「わたくし、そんな乱暴な言葉は使いませんわ。それに、プルートは今、お忙しいのです。邪魔をするなどマナー違反。わたくしの矜持に反しますわ」


 自分の言ったことを納得させるように、一つ頷く。あのな、とマーズは呆れたように腰に手を当てた。


「別に今じゃなくていいだろ、プルートが準備から帰ってきた時を狙うんだよ!」


 マーズはドアの方向を指さした。その際の勢いでドアが吹っ飛ぶのではないかと思う程、その指し方は迫力を感じた。


「行け、ネプチューン! 後悔するぞ! 後悔は、ずっと引きずるんだぞ! 行け! でないと強引に連れて行くぞ!!」


 腕が伸び、ネプチューンの手首を掴んできた。思っていた以上に強い力であり、椅子から腰が浮き上がりそうになった。


「それはやめて下さいまし!」

「じゃあどうするんだ?! 自分で行くか連れて行かれるか!」

「選択の余地がないではありませんか……。……もう、わかりましたわよ……」


 渋々そう言うと、マーズは満足げに二度三度頷いた。反してネプチューンは、不満を露わにした顔をしていると、自分でもわかるほどになっていた。

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