phase5.1

 「どうしたんだ、美月に穹。それに未來さんも、こんなところで」


 夜の住宅街を歩いていたときだ。聞き慣れた声に美月が振り向くと、道の少し向こうに源七が立っていた。手にビニール袋を提げている。近寄ってきた源七は、美月達の顔を見るなり、少し目を見開いた。


「三人ともどうしたんだ? 顔色が悪いぞ?」


 美月は穹、未來と顔を見合わせた。確かに二人とも、良いとは言えない顔色をしている。自分もそうなのだろう。顔は青ざめ、目は現実世界に戻ってこられていないような、そんな顔をしていることだろう。


「おじいちゃんこそ、ここで何を……?」

「い、いや何、無性にお菓子が食べたくなってな……」


 源七は恥ずかしげに袋を隠した。袋から少し見えていたお菓子は、見間違いではなかった。


「あのう、おじいさん……」


 未來が恐る恐るといった様子で声をかける。なんじゃと優しげに聞く源七に、意を決したように一気に言った。


「おじいさんの通っていた旧小学校って、今どうなってるんですか?」

「おお、懐かしいな。そうだな、あそこはな」


 源七は、さほど考える様子も、迷う様子も見せず、あっさりと言った。


「もう取り壊されて、ビルが建っておるよ。そのビルに入っていた会社も潰れて、今はまた、それが取り壊されるのを待っている状態なんだ」


 その目に少しだけ、寂しさの色が灯った。


「わしが卒業して随分経った頃だったかのう。本当にちょっとした火の不始末で火事になって、全て燃えてしまったんだ。亡くなった人も出てしまった……」


 気持ちを振り払うように軽く首を振ると、再び優しい目に戻った。


「もう遅いからな。一緒に帰るか?」

「あ、いや、ちょっとまだ用事が残ってて」


 ぎこちない調子で言うと、源七は「そうか」と少し寂しげだったものの、それ以上は言ってこなかった。


「あまり遅くなるんじゃないよ。未來さんも気をつけてな。それじゃあ、また」

「は、はい。さようなら」


 未來がお辞儀をしつつ、見送る。源七が去って行った後で、誰からともなく、息を吐き出した。非常に長く、またとても深かった。


「まさか、こんなことになるとはね……」


 一人言のつもりだったのだが、未來が全くとばかりに神妙に頷いた。そうして、月を見上げながら、呟いた。


「校舎だけじゃない。昼間に会った警備員さんも、ものだったんだね。……だって、顔が思い出せないもの。それに、校舎のことも」


 穹が、この世の終わりを目の当たりにしたような、顔面蒼白の顔を上下させる。美月も同調した。


 あそこには、結構長い時間いたはずだ。なのにどういうわけだか、校舎がどういう外見だったか、どういう内装だったか、全く思い出せないでいる。思い出そうとしても、そこだけ濃い霧がかかっているように、抜け落ちているのだ。


「生きている人間と、死んでいる人間。どっちが怖いんだろうね」


 一見、一人言のような未來の台詞。だが、こちらに問いかけているのだと、直感で理解した。穹が思案するように地面に目をやり、小さく呟いた。


「……生きている人間じゃ、ないでしょうか」

「へえ、以外。死んでいる人間に決まっているじゃないですかっ! って即答すると思ったのに」


 美月が言うと、穹はどこか遠くを見るような目になり、それを伏せた。


「……人なんて、腹の中で何を飼ってるか、わかったものじゃないし」

「何それ?」

「……いや、なんでも」


 突然何を言い出すのか。それも含めて、美月は穹の様子がどこかおかしいことが気になった。

顔色は良くないものの、あんな奇妙極まりない体験をしたというのに、落ち着き払っている。

 

 成長したのかなと思ったが、どうやらそれとも少し違うようだ。じっと、何かを考え込んでいるようだった。思考の邪魔をするのもよくないと思い、美月は未來に話しかけることにした。


「なんだったんだろう、さっきまでのことは……」

「私にはわからないよ。でも、もう既に私達は不思議な体験をいっぱいしてるんだから、これくらいなんでもないよ! 宇宙産のロボットに会って、宇宙人さんに会って、その人達と友達になって。変身して戦ってさ!」


 未來が述べたことを改めて考えてみた。すっかり慣れてしまっていたが、改めて思うと、なかなかの強烈な体験を、既に自分達はいっぱいしている。美月はつい苦笑を漏らしてしまった。


「そうだね、なんでもないかもね!」

「っていうか、どうしてクラーレさんは見えていなかったんだろう? ハルさんはわかる気がするけれど」

「うーん、霊感がなかったのかな? ビーナスは見えていたようだし……」

「あ、マーズも!」


 話が盛り上がりかけた時だった。現実に引き戻すような声が降ってきた。


「夢か、幻ってやつだったんじゃないかな」


 何の脈絡もなく放たれた、穹の言葉。美月は未來と目を合わせ、互いに首を傾げた。どういうことかと、視線で問う。穹は、質問を受け取ったように、まぶたを下ろした。


「夢を見ていたのかもしれない。幻を見ていたのかもしれない。今夜起きたのは、多分そういうことだ。でも」


 そこで一旦切られた。逡巡するように息を吸い込むと、すっと目を開けた。普段の消極的で大人しい弟からは考えられないような、固い目つきをしていた。


「あそこで体験したことは、紛れもなく現実だ。何を思ったかも」

「穹君、一体どういう意味……?」


 穹は手のひらに視線を落とした。なぜ手を、と美月は思った。が、視線が微妙にずれていることに気づいた。穹が見ているのは、コスモパッドだ。


「あの人と。……マーキュリーと、少しの間だったけど、一緒に行動せざるを得なくて。そうして話してみたら、わかったんだ」


 ぽつぽつと。淡々と。穹は口を開く。


「紛れもなく、生きている人を相手にしているのだと。今まで、得体が知れない、凄く怖いものを相手にしてるって、それこそ幽霊か何かを相手にしているように思っていたけど。でも、違ったんだなって。一応、言葉を交わせる相手なんだなって」


 淀みなく言い切った台詞は、美月の心に重さを纏って降ってきた。美月はまじまじと、弟の顔を見つめた。


「だからこそ。だからこそ……なんていうのかな」


 どの言語で表せば良いかがそこでわからなくなったのか、顔に戸惑いの色が浮かんだ。見かねたように未來が、少しだけ笑いながら、頷いた。


「だからこそ。時々、話が通じているはずだった相手と、突然話が通じなくなるような違和感を抱く。そんな感じかな」


 最適の言葉だったらしく、穹の目が見開かれた。


「そうです。難しいかもしれないけど……」

「なんかわかるな。私もそう思ったよ。あの人達は、なんでこんなことをするんだろう、しているんだろうって」


 穹と未來のやりとりを、美月は横でぽかんと聞いていた。「ふ、二人とも、そんなことを考えてたの……?」


「まあ、そうだけど」「ちゃんとしっかり固まった考えというわけじゃないんだけどね~」


 穹は怪訝そうに目を細め、未來はのほほんとした様子で笑う。


「わ、私何もそんなこと考えていなかった……」

「じゃあ何を考えたのさ……」


 若干呆れの混じった穹の声。美月は唸りながら、懸命に頭を捻った。

 弟と友人の言っていることが、あまりにも高尚なやりとりに聞こえてきて、全くついていけなかった。自分の知らないところで、自分にはよくわからないことを話合っている。置いて行かれるのがなんとなく嫌で、二人に似た意見を発しようとするが、何一つ浮かばない。


 散々頭を回転させまくった末、ある一つの結論に辿り着いた。それ以外が全く思いつかなかったというのが正しい。


 美月は先程手にした星のような石を箱から取り出し、空へと掲げた。


「とにかく、今まで以上に、頑張ろう!」


 声は、思っていたよりも大きかった。その、確かめるように、決意を表明するように言った台詞は、様々な色に変化する石に、吸収されていった。


「って思った」

「ね、姉ちゃん……」

「あはは、美月らしくてちょっと安心!」


 二人の反応を見てみる。穹は更に濃くなった呆れと、若干の失望の色を見せた。未來は本当に楽しそうに笑った。


 美月は、胸の内に、根拠のない安堵が広がっていくのを感じた。きっとこれから先、どんなことが起こっても、きっと切り抜けられる。道を切り拓くことができる。そういう安堵であり、直感だ。


 美月は、両手で掲げた石を見た。月明かりを反射し、きらりと輝く石。その光が、美月の抱いた直感を、少しだけ支えてくれた。

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