phase4.2
それまで周りを見回していただけだったココロが、突然クラーレの指を掴んだ。どうするのかと混乱していると、掴んだ指を、おもむろに口へ運ぼうとした。
「待て、俺なんか食うな!」
勢いよく止めると、ココロはむずかりだした。ますます頭は混乱の一途を辿り、クラーレはどうすればいいかわからぬまま、とりあえず抱っこしてその場を歩き回ることにする。
だが泣き止まない。早々にお手上げの状態になり、ハルに聞こうかと思ったときだった。
「わかった!」
地面に座っていたそのハルが、勢いよく立ち上がった。拍子に、ずっと咥えていたコードが口から垂れる。
「これを見てみなさい」とパソコンの画面を見せられたが、そこには真っ黒な画面に、数字と文字が不規則に羅列されたものが表示されているだけだった。
「計測された波長と数値からして、この建物内には多次元空間が発生しており、少なくともその空間は三つあるとみられる。そして多次元空間が発生した理由だが、これは人為的なものと考えてまず間違いない。後天的に空間を歪ませた痕跡を検出し」
「頼むからわかりやすく言ってくれ」
手で制し強引に話を遮る。ハルは「駄目だったか?」と頭を傾げたが、駄目なんてものではない。多次元空間がどうのこうの言われても、意味がわからない。
「せめて何かに例えながら話せ。まだそっちのほうがわかる」
「例える、か……」
しばらくハルは考え込んだ後、指を三本立てた。
「ある敷地内に、一つの大きな川が流れ込んでいる。敷地がこの建物であり、川が空間だ。ところがこの川が、突如として三つに分かれた。その分かれた理由が、誰かの手によるもの、というわけだ。
……別の言語に変換して説明してみたが、どうだ?」
「わかるようなわからないような、だな……。あいつらは、戻ってこられるのか?」
内容の理解よりも、消えたミヅキ達のほうが気がかりだった。ハルは再び、キーボードを叩き始めた。
「三つの川のうち、一つにミヅキ、一つにソラ、一つにミライがいるというのが今起きていることだ。同じ川なのに分裂しているため、三人は同じ建物内にいるはずなのに、遭遇することができない。そういうパラドックスが起こっている。この矛盾を解消する方法だが、あと一歩でわかりそうでわからない」
というのも、とハルは指を一本立てる。
「空間同士、どうも繋がっている箇所があるようなんだ。問題の原因、問題の解決に切り込むとすれば、これが鍵となっているだろうが、あと一歩のところで躓いている」
なんだそれ、と言おうとしたときだった。だが、とハルがエンターキーを叩いた。
「計測したこのエネルギー波。種類からして、何かがおかしい。わかりやすく言うなら、罠の気配がしない。罠なら、もっと複雑なものになっているはずだ。しかし今回のケースは……」
「単純ってことか? だが、それならなんでわからない?」
「単純だからこそ、読めないんだ」
ハルは頭をゆるゆると振り、上を見上げた。クラーレもそれに続く。
闇に紛れてそびえる建物は、ただ得体が知れなかった。果たして今、内部で何が起こっているのか。外にいる自分では何一つ見えないのが、大変歯がゆい。
何事も起きていなければいいが、そんなはずはないだろう。そう考えると、いてもたってもいられなくなる。実際、ただ待っているだけがどうしてもできなくて、何度も建物内に突入しようとした。結果、自分はこうしてここにいる。つまり、中に入れなかった。そもそも入り口のドアがびくともせず、開かないのだ。窓ガラスを割ってみようとしたが、駄目だった。見えない壁が貼られているようで、はじかれてしまうのだ。
不安と情けなさのあまり手に力がこもり、ココロを強く抱きしめてしまう。途端、少し落ち着いていたココロが、大きな声を上げ泣き出した。
「お、おい、どうすればいいんだ、あんたの子だろ」
「私が産んだのではないので、私の子ではない」
「言ってる場合か!」
ハルの腕に押しつけると、「確かにそうか」とあやし始めた。とりあえず目先の問題は解決できたと、ほっと安堵する。
その直後のことだ。クラーレの耳が、音を捉えた。それは、誰かが地面を踏む、足音だった。
ハルも気づいたのか、ココロに向けていた顔を上げ、音のした方角を見つめだした。クラーレもそちらに目をやった。建物の裏。その翳りから、背の高い人影が現れた。
「やあ、こんばんは~。いい夜だね。ほら、あんなに綺麗な月が出ているよ~」
悪く言えば間延びした、ゆっくりとした穏やかな口調。そんな台詞を発した人物は、声のようにゆったりと空を見た。
懐中電灯を照らさなくとも、ぼんやりとした月明かりで、その人影がどんなものかよく見えた。
うなじよりは少し長めの、深い緑色の髪。左目だけ覆い隠す程のびた前髪が特徴的だった。その人物は、橙色の目を細め、それこそ空に浮かぶ月のような、柔らかい笑みを浮かべた。クラーレはその顔に、見覚えがあった。
「確か、あんた」
「……セプテット・スターのジュピターか」
「わあ、そうだよ~! 嬉しいなあ、名前覚えててくれて」
ぱちんと手のひらと手のひらを合わせ、ジュピターは花が咲いたように笑った。髪のサイドのみにされた三つ編みが、嬉しそうに跳ねる。
「ああ、そうだ。思い出した。なんで、あんたがここに……」
「えっとねえ……」
うーんと考え出す彼のことを、クラーレは思い出した。実際に会ったことはない。だが本などの媒体で、ある程度は知っていた。
クラーレはジュピターの動向に注意を払いつつ、軽く背後の様子を窺った。ハルがしっかりとココロに手を回しながら、じりじりと後退をしていた。逃げるとして、自分はこの二人を無事に守り切れるだろうか。不安が頭を占めていく。
「ああ、そうそう。あのね、作戦なんだ。パルサーを用意して、ハル達をおびき寄せるっていう。今回は下準備なんだけどねえ、マーキュリー君と、ビーナスちゃんと、マーズちゃんと一緒に来たんだよ~」
「なんだと……?!」
思わず振り返ると、ハルは「嘘は吐いていないが、それでもミヅキ達は無事だ」と囁いた。
「なんでだ?」
「わからない。変身した形跡も検出できなかった。低い確率の話だが、もしかすると内部で脱出のために協力し合っているのかもしれない」
「はあ?!」
そんなふざけた話があるのかという意味を込めて、声を上げた時だ。ほぼ同じくして、ジュピターも「わ~!」と妙な大声を立てた。
「どうしよう、作戦内容言っちゃったあ……。あああまた怒られちゃう、どうしよう……」
口に片手を当て、真っ青な顔色になっている。軽いパニックに陥っているジュピターの対し、色々聞きたいことや謎に感じることは山ほどある。が、この状況で、今一番すべきことは。
クラーレはハルに目配せをした。一刻も早く逃げなくてはならないということを思い出したからだ。なぜなら、ジュピターは、確か。
「ごめんね、きみ達に恨みはないんだ。これっぽっちもない」
急にジュピターは、やんだ風、凪いだ水面のように、落ち着きを取り戻した。橙の瞳を悲しそうに染めながら、ジュピターは、すぐ近くに生えている木に近づく。背は高く、幹も太い。ジュピターはその木に手を当て、慈しむように撫でさすった。
「嫌だなあ。戦いたくないなあ。僕は平和が大好きなのになあ。戦わずにすむなら、それが一番良いのに。……でももうこうするしかないんだ、ごめんね」
その直後のことだった。耳を突き破る大きな音が、轟いた。
クラーレは見た。ついさっきまでそこに根を下ろしていた樹木が、力なく後ろに倒れていくところを。
「ああ。とても悲しい、凄く辛い……。……多分痛いだろうけど。せめて、なるべく早く済ますからね。だから、安心して」
ジュピターは悔しそうに、握り拳を固めた。その拳で、木を殴った。それだけで、根元から木が倒れた。あっという間のことだった。根が引きちぎられる音が、まだ耳の中で鮮明に残っていた。
基本的に穏やかで、怒ることはまずなく、心優しく物腰柔らかな人柄。そんなだから人望も厚いという。しかしそれ以上に、特筆すべき点があった。
戦闘力が、人を凌駕しているのだ、と。その力は、さながら鬼神のようだと。
何かで紹介されていたジュピターの情報だった。全身に危険信号が駆け巡った。
「逃げるぞ!」
「そのほうがいい。彼は、決して直接相手にしてはならない存在だ!」
振り返りざま地面を蹴り、ハルと共に走り出す。
「うわあ、ちょっと待ってよ~! ……下手に抵抗したら、もっと痛い思いすることになるんだよ?」
背後から聞こえてきた、心底慌てたような声。それがふと、夜風のように静かになる。
再び耳に届いたのは、根を引きちぎる、大きなあの音。反射的に振り向き目撃した光景に、クラーレは目を疑った。ジュピターは別の木を、根元から、片手で持ち上げていたのだ。
ジュピターも背は高いが、木はもっと大きい。それを、ちょっと小石でも持つようにして、手にしている。
そして、ちょっと小石を投げるみたいに軽い動作で、木を投げた。
「危ない!」
叫んだのはハルだった。ハルはクラーレの手を掴むと、横に逸れた。そのすれすれを、物凄い速度で何かが掠め去って行った。
それが木であったと知ったのは、轟音と共に遠くに転がったその物体に目を向けてからだった。木が刺さっている辺りの地面に、幾つもの亀裂が走っていた。
呆気にとられていることなどお構いなしで、ジュピターはゆっくりと歩み寄ってくる。
「これ以上逃げるようならさ……。僕もとっても悲しいけど、本気出すよ」
ジュピターは、右手を掲げた。手の周辺の空間が揺らぎ、そこに出現したものを、難なく掴む。
月の光に照らされ、鈍く黒く光る棍棒を持ったジュピターは、もはや人の空気を纏っていなかった。
橙の目は、もはや優しさも穏やかさも纏っていなかった。それらを全て消した、無感情な瞳。その更に奥に、燃え盛る炎が宿っているのを、クラーレは感じた。
体が動かない。純度の高い恐怖が、全身を包んでいく。
終わりなのだろうか。そんな言葉が頭をよぎった、まさにその時だった。空気を震わす爆音が、すぐ横から聞こえてきた。
クラーレのみならず、ハルも、ジュピターもそちらを向いた。
先程までしまっていた建物のドアが、大きく開かれている。
ドアの向こうは、まるで塗りつぶされたように、一寸先も見えない黒一色に染まっていた。その黒色の中から、風が吹いてきた。
闇の中から、風と共に何かが飛び出してきたとき。クラーレから、瞬きをするということが、すっかり頭から抜け落ちてた。
ぽいぽいぽいと、ボールでも投げるかのように軽い調子で扉から飛び出してきたもの。地面に転がったそれらに、クラーレは声を失うほかなかった。
「……は?」
自分の見ているものが現実のことなのか確かめたくて、ハルのテレビ頭を見る。顔を合わせた後、クラーレはもう一度、地面に転がっている物体へ目を向けた。
はじかれたように駆け寄ると、その物体の名前を呼んだ。
「ミヅキ?! ソラ?! ミライ?!」
三人の目は堅く閉じられている。しかしわずかだが、それぞれ体のどこかを動かしていることから、気絶しているだけとわかった。
「う、うわああああ?!」
素っ頓狂な声が上がった。ジュピターの声だった。ジュピターは金棒を放り投げると、ミヅキ達と共に(飛び)出てきた物体に、縋るように飛びついた。
その物体は、三人の大人だった。ジュピターは泣き出しそうな声で、その名を呼んだ。
「マーキュリー君?! ビーナスちゃん?! マーズちゃん?!」
何やら喚きながら、三名を代わる代わる見ている。クラーレは恐る恐る、彼らの様子を見た。彼らもミヅキ達と同様、まぶたが隙間無く下ろされていた。
一瞬の間に、体に緊張が走る。クラーレも顔と名前は知っているが、実物を見るのはこれが初めてだった。
なぜ、彼らがミヅキ達と(飛び)出てきたのか。ジュピターの言うとおり、作戦なのだろうが。しかしその割には、ミヅキもソラもミライも、全く外傷が見当たらなかった。遠目で確認しただけだが、相手もそれは同じだった。一体、内部で何があったのか。クラーレは、改めて建物を見上げた。
「……あ、もしもし? ……う、うん、大変なことが起こってて。ええとね……」
視線を戻したときだ。ジュピターが耳の辺りに手を当て、何かを喋っていた。小声のせいでほとんど聞き取れなかったが、誰かと通話していることは明らかだった。
やがてジュピターは耳から手を離すと、素早い仕草で倒れているセプテット・スター達を、その背におぶった。
「すぐ戻ってくるように言われちゃったから、退散するね~。……良かったね、命拾いしたね~。……あ、僕としてももちろん、良かったんだけどねえ」
あまり良かったと思っていなさそうな声に聞こえたのは、気のせいなのか。ジュピターは器用に屈むと、金棒を拾った。そして金棒を出した時同様に、手の近辺の空気が揺らいだ直後、その武器は跡形もなく消えていた。
「本当にごめんなさい~。迷惑かけてしまってすみませんでした~。それじゃ、失礼するね~」
大人三人を背負っているとは思えない程の軽い動作で頭を下げると、ジュピターは夜の闇の中へと走り去っていった。途中、闇の中から、ジュピターの「うわああ転ぶ~!!」という声が聞こえてきて、すぐに消えた。嵐が一気に来て一気に過ぎ去ったときのような静寂が広がっていった。
「……本とかの印象だと滅茶苦茶に穏やかな奴って感じだったが。あれは……」
「軽いスキャンでわかった。彼の戦闘力は計り知れない。これが、例えば戦闘好きのような性格でなくて、幸いした」
「……いや、そうなのか?」
本当にジュピターは、戦いたくないと思っていたのだろうか。平和が一番だと思っているのだろうか。
頭の内に湧いた疑問は、一瞬吹いてすぐ消えた夜風のように、不気味な余韻を残していった。
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