phase4「“不思議”を探せ!」

 「さあ、ちょっと調べてきてよ!」

「絶対嫌よ! どうして私が?!」

「作り物だもん、怖くない怖くない。でも正直不気味だから、私は触りたくない。だからあなたに行ってほしい」

「最低ねなんなの一体!  楽しんでるでしょう!」


 いやいやと美月は否定したが、自然とこみ上げてくる笑みをどうしても我慢することができなかった。


 音楽室からずっと真っ直ぐ廊下を行った先に、理科室を見つけた。早速中を覗いてみると、教室の奥に人体模型が一体置かれていた。懐中電灯で照らしてみると、作り物のはずなのに今にも動き出しそうな、得体の知れない不気味さを纏っているように感じた。


 実際この人体模型には、夜中になると動き出すという七不思議が存在する。ある意味で曰く付きの人体模型を、誰が近くに寄って調べるかということで、今ビーナスと一悶着を起こしていた。


「実は本物の生きている人間を模型にしたっていう話が伝わっているらしいけど、まあ大丈夫でしょう!」

「どうしてよりにもよって、そんなものを調べなきゃいけないの……?」


 震える指で模型を示し、震える声で訴えてくる。顔色の悪いビーナスを見上げながら、美月は悪戯っぽそうに笑った。


「さっきから聞こえてくるあと六つとか五つとかのこと、ちょっとわかりそうなんだ。今この状況で七つあるものといったら、一つしかないからね。完全に理解するために、あなたの協力が必要なんだよ。というわけで、行ってきて?」

「だったらあなたが行けばいいじゃないの!」

「考えが外れてたら恥ずかしいから嫌だよ」


 それに、と伝家の宝刀を抜く構えを取る。


「行かなかったら、ここから別行動だよ?」


 その瞬間、ビーナスがまさしくこの世の終わりといった表情に変化した。自らの足下と、模型との間で、視線を行ったり来たりさせている。


 美月はいい気分を隠せなかった。こんな弱点を見つけられるとは思ってもいなかったからだ。


 別に、模型に近づいて調べるのは自分でもいい。しかし頑なにビーナスに向かわせようとしたのは、単純に今までの仕返しというのが理由だ。相手は敵対する立場にある者。いつもそれなりに怖い思いをしているのだから、これくらいなら許されるだろうという思惑もあった。


「……わかったわ」


 投げやりな調子で髪をかき上げながら、ビーマスはそう言った。美月に背を向け、人体模型のある方角に体を向ける。調べている最中にこっそり後ろから近づいて大声を出してみようかな、と美月が企んだ時だった。


 ビーナスは歩き出さなかった。代わりに、右腕を真っ直ぐ前へと差し出した。右手の空間が一瞬揺らぎ、次の瞬間には、その手には杖のようなものが握られていた。


 よく魔法使いや魔女が持っているような、木の根を曲げたような形をした杖とよく似ていた。しかし完全に一致はしていない。色は全体的に黒く、質感も鉄か何かか、見るからに堅そうな触り心地をしており、杖の先には黄色い石が埋め込まれ、その周りをコードのようなものが張り巡らされていた。


 黄色い石が埋め込まれた先端部分を、人体模型に向けて掲げた、直後。


 ふわりと模型が浮いた。重力を無視して、宙を飛翔する。導かれるようにして、こちらに向かってゆっくりと飛んでくる。

 部屋の奥にひっそりと飾られていた模型は、ことりと小さな音を立てて、入り口近くにいた美月達の前に立った。


「ま、魔法?!」

「いえ、重力みたいなものよ……。はあ、手の内とかあまり見せたくなかったんだけれど」


 杖のようなこの機械が、ビーナスの得物なのかもしれない。思いがけず相手の持ち武器を知ることができたなと考えながら、美月は模型の裏に回り込んだ。と、首の後ろ辺りに、青白い光を発見した。触るとやはりそれは消え、声が響いてきた。


──あと、四つ──


「うん、予想は当たってるっぽい!」

「……詳細を聞きたいところだけど、少しいいかしら」


 一呼吸か二呼吸の間を置いてから、ビーナスはおずおずとした調子で口を開いた。


「私、トイレに行きたくなってきたのだけれど……」

「行ってくれば? 確か一階にあったかな? 横の階段下りればすぐつくと思うよ」

「……ついてきてくれないかしら」


 美月は自分の耳を疑った。懸命に堪えていたものが、ついに崩れた。美月は盛大に吹き出した。


「断ったら?」


 お腹を抱え、声にならない声で笑いながら、口からなんとかその質問を絞り出す。

 と。今まで怯えきり、小さく見えていたビーナスの空気が、変わった。感情を打ち消したように静かな雰囲気を纏った彼女は、無表情で手にしていた杖を、右から左へ大きく振った。


 ぱあんと派手な音を立て、理科室の窓ガラスが一斉に割れた。嵌められていたガラスが消失し、枠のみ残された窓の向こうには、重くのしかかるような闇が広がっていた。


「脳味噌がこうなるわよ」

「……魔法?」

「音波に近いものよ」

「……ついていきます」


 懐中電灯で、窓ガラスの破片を照らした。粉々になって床に散らばるそれらを見て、美月はやはり、と思った。やはり、怖い。






「動いた……」


 未來は理科室を覗きながら、ただただ唖然とするほかなかった。廊下から理科室の中を見てみると、奥に人体模型が飾られているのを発見した。早速見てみようと、入ろうとした時だった。


 あろうことか、人体模型が動いたのだ。かすかに位置が変わるといった、生易しいものではない。空を飛んだのだ。空中遊泳でもするかのように、奥から手前の位置までふよふよと移動したのだ。何事もなかったかのように、佇んでいるのが、ことさら不気味だった。


「な、なんだっけ。ポ、ポルターガイスト、だったっけ?」


 カタカナの単語を覚えるのは苦手だが、なんとか思い出せた。しかし、動くとはこういうことをいうのだろうか。怖いとか不思議とか感じる前に、呆気にとられた。

 と。何か嫌な空気が漂ってきて、未來は隣を見た。わなわなと震えていたマーズが、かっと目を見開くと同時に、鞘から大剣を抜いた。


「わけわからないからとりあえず斬る!!」

「待って待って本当に待って!!」


 ドアからでなく窓から理科室に乗り込もうとするマーズを必死で制する。


「器物損壊っていうのになるよ、確か!」

「いいや斬る!!」

「斬ってもなんにもならない!!」


 二人とも大声を出し合ったが、そんな中でも、「あと四つ」という声はちゃんと聞こえてきた。


「また聞こえてきた! ええいなんなんだ一体!!」


 宙に向かって拳を振るマーズの隙をついて、未來は理科室に侵入し、人体模型を調べた。が、隅から隅まで見たものの、そこに光はなかった。


「模型が飛んだ後にカウントが減った、か……」


 うーんと唸りながら、教室を出、まだ空中を殴っているマーズに「ねえ」と声をかける。


「あ、なんだ?! 何かわかったか?!」

「とりあえず、こうじゃないかなって固まったことはある」


 マーズが鞘に剣を戻したのを見てから、あのね、と未來は口を開いた。


「この学校には、七不思議ってものが伝わってるらしい。その七不思議と関連した場所に、あの青白い光がある。光に触ると、カウントが減っていく。多分、外に出られないことと、関係していると思う」


 しばらくマーズは目を閉じ、眉根を寄せながら首を左右に傾げていた。が、急にぱっと見開かれた。


「なるほどな! なんかよくわからんが凄いな!」

「もう一回説明しようか?」

「いや、わからないけどわかった!」


 親指を立ててきたが、未來は今の台詞の意味がわからなかった。


「まあ、理科室の模型が動いた後に、あの変な声が聞こえてきたからね。今言った予想の可能性は高いと思う」

「模型に光はあったのか?」


 ううん、と未來は首を振った。実はずっと、そこが気になっている。


「凄く調べたけどなかった。光を見つけてないし触ってもいないのに、勝手にカウントが減っていく、そこだけがわからないんだ。でも多分、皆とはぐれたことと、何か関係しているんじゃないかなとは思う。少なくとも、無関係じゃないはず」


 そこまで言ったときだった。マーズが、食い入るように未來を見てきた。未來はたじろぎながら、「何?」と聞いた。


「いや、あんたすげえな……!」

「凄い?」


 ああ、と大きく頷かれる。深紅の瞳が、曇りなく輝いていた。まさしくマーズは、未來を尊敬の眼で見ていた。


「滅茶苦茶に頭が良いじゃないか!! 冷静だし、頭キレるし、何者だあんた!!」

「星原 未來だよ」

「いやそうじゃなく! あんたもしかしてあれじゃないか、凄い勉強できるとかじゃ?!」

「学校ではそれなりの成績かなあ……」

「すっっっげえ!! あたい、あんたと同じ年くらいのころ、成績いつもビリだった! マーキュリーとビーナスちゃんに教えてもらってたんだよ、いつもな! 懐かしい! あたい、難しく考えるのが本当に苦手なんだよな! 立ち止まって考えてる暇あるんだったら、真っ直ぐ突っ走るほうを選んじまう。そっちのほうが面倒臭くないからな!!」


 それまできらきらと輝いていた目が、すっと下げられた。ふと、マーズが真顔になる。


「でもなあ、やっぱり頭強くないと駄目だよなあって思う場面も、何度かあるんだよな。仕事も大変だし……。だからな、未來は凄い。まだまだ荒削りだが戦闘は強いし、しかも頭が良い。本当に凄いよ。あたいにできないことが、未來には出来ているんだから」


 びし、と人差し指を、鋭く未來に向けてきた。


「あたいはあんたを凄いと思っている。これな、覚えていてほしいんだ!」


 未來は何度か目をしぱしぱと瞬かせた。その間にマーズは、また困ったような笑いを浮かべた。


「なんか無駄な話しちゃったな。で、次はどうすればいいんだ? あたいにはわからないから、今はあんたについていくしかできないんだが」


 未來は視線を床に投げた。まだ頭が少し混乱していた。


「そう、だね。じゃあ、次の七不思議がある場所に行こうか。女子トイレなんだけど」






 どうすればいいのだろうか。穹は三階の階段の踊り場に設置された鏡の前で、文字通りに頭を抱えていた。


 七不思議の一つである、踊り場の鏡に映る幽霊。階段から落ちて亡くなった生徒の霊が映るという話を聞いたが、今この場には、二人分の人影しか映っていなかった。一人は穹。もう一人は。


「で、どうするんですか~?」


 マーキュリーが、くすくすと笑いながら聞いてきた。


 どうしようもできないことを知っていて問うてくるのだ。わかりきってはいるが、改めて思う。嫌な性格をしていると。


 夜の学校を映す鏡は、そのまま異界にまで通じていそうな不気味さをはらんでいた。そんな鏡の中央に、青白く輝く小さな光があった。だが、それに向かって手を伸ばしても、光は消えなかったし、合成音声も聞こえてこなかった。光は鏡の内側で、輝いているのだ。


 脱出の手がかりと、この学校に伝わる七不思議とが関係しているのではないかと思い至ったとき、穹はすぐさまこの踊り場に向かった。他の七不思議の舞台となる場所は把握しておらず、闇雲に動く羽目になると思ったからだ。明確に場所がわかっているこの鏡なら、すぐに行ける。


 もちろん、突然すたすたと歩き出した穹に、マーキュリーは色々尋ねてきたが、全部無視した。

 敵にあれこれ素直に言うのは良くないと思ってのことだし、正直に考えを言って馬鹿にされたら、きっと自分は冷静でいられなくなると感じたからだ。そうやって取り乱せば、相手の思うつぼになってしまう。

 無視することに対する良心の呵責は、驚くほど湧いてこなかった。


 憶測は当たった。やはり七不思議の舞台の一つであるこの鏡に、例の青白い光はあった。だが、そこで止まった。一体、どうやってこの光に触ればいいのか。その問題が、大きな壁となって、立ちはだかっていた。


 割ればすむ話。しかし怪我をする危険性が非常に高い。しかし怪我など言ってる場合ではない状況だろう。ここは一気にいくしか。けれども。


 穹は鏡に両手をついてうなだれた。様々な考えが浮かんでいくが、どうしても割るという行為に踏み出せない。その理由となっているのが、“怖い”という感情だ。


 何か取り返しのつかないような怪我をしてしまったらと考えると。痛いのは嫌だ。痛いのが怖いから、スポーツだって苦手なのに。

 勇気が出てこない。そんなもの、自分の中に元からあるのかどうかもわからないが。


「力を貸しましょうか、穹さん?」


 マーキュリーの、異様なまでに優しい声がかかる。甘い誘いだが、乗るわけにはいかない。穹は無言で首を横に振った。


 借りは作りたくない。それだけは屈辱だ。

 けれども、自分で割る勇気も無い、誰かに割ってもらう勇気も無い。


 勇気が、湧いてこない。

 どうして自分は、こんなにも勇気が湧きづらいのだろう。ふとした拍子に、いつも感じる。


「……熱で割る、か。……理科室の辺りでも探してきます」


 ハルから、理科の勉強時に教えてもらった内容を思い出す。深く息を吐き出しながら、鏡から手を離したときだった。


「穹さん。少し離れててくれますか? 危ないので」


 振り向いた途端、マーキュリーが奇妙なことを言い出し、穹は眉をひそめた。

 と。マーキュリーの右手辺りの空気が揺れたように見えた直後だった。その箇所に、槍が現れた。


 穹はゆっくり距離を取った。何をするか察したからだ。


 鏡とマーキュリーが向き合う。その横顔を見た穹は、意図せず息を飲んだ。違う。つい先程までの彼と明らかに違う。


 その証拠に、彼の口は笑っていなかった。無表情だった。目が細いせいでよくわからないが、その視線は一直線に鏡を捉えていることを、肌で感じた。


 空気がまた変化する。マーキュリーが槍を構えたのだ。腰は低く、背筋は真っ直ぐ。穂先も真っ直ぐ。鏡の、光が閉じ込めらている部分を捉えている。


 自分に危機が及んでいるわけではないのに。自分に対し、槍の穂先が向けられているわけではないのに。空気が緊張感を伴って、張り詰めていく。息をすることが徐々に難しくなっていく。糸を限界まで引っ張っているような感覚。その糸が、千切れた。


「はああっっ!!」


 両目が見開かれた。鋭い黄色の双眸が見えた。穹が目で追えたのはここまでだった。


 次に見えたのは、槍の先端が、鏡を貫いていた場面だった。突き出す瞬間が、全く見えなかった。残像すらも捉えられなかった。


 鏡には一見すると、何の変化も起きていないようだった。が。光が閉じ込められている場所に、小さな亀裂が入った。音と共に、ヒビはその面積を広げていった。


 ばらばらがらがらと音を立て、鏡が全て割れた。透明の破片が、鏡の掛けられていた壁の下の辺りに、見る間に降り積もっていく。


 マーキュリーは槍をひっくり返し、穂先で床の近くの空気を薙いだ。風を斬る音がした。


「はい、どうぞ? あ、ガラスに気をつけて下さいね?」


 振り返ったマーキュリーは、先程の張り詰めた空気は見間違いだったのかと思う程、にこにことした人のいい笑みを浮かべていた。


 穹は震える足で鏡に近づいた。破片はほとんど散らばらずに、下へ落ちていた。


 鏡が消え、剥き出しになった内部に、光がぽつんと瞬いている。待ちわびていたその光だが、穹はすぐに触ることができなかった。


「……槍が、得意なんですか」

「まあそうですねえ。割と小さい頃からやってましてね。これでも何度か大きな大会で優勝したことがあるんですよ。今はもう趣味程度ですが。でも練習はしてるんですよ?」

「……そうでしょうね」


 おや、とマーキュリーは首を傾けてきた。


「物凄く素直ですがどうしたんです一体。言い返してこないのですか?」

「……いえ特には。……ありがとう、ございます」


 マーキュリーは一瞬目を見開いたが、すぐに何かを含んだような笑みになった。「いえいえ、どういたしまして」と笑う表情からは、どういう思いを含んでいるかはわからない。槍を構えているときは、すぐに掴めたというのに。

 肩を落としながら、穹は光に触れた。


──あと、三つ──


 カウントが減っている。さっきも、あと四つという声が聞こえてきた。もしこの光が七不思議と関係しているとして、なぜ減るのか。自分はまだ、二つしか光を見つけていないというのに。


「……予想は当たっているはず。他の場所にも行ってみなくちゃ」

「なんの予想です?」

「……歩きながら話します」


 軽く振り向きながら答えたとき、槍の姿が目に映った。その瞬間、冷や汗が滲みそうになった。


 もしも、マーキュリー本人と戦ったら。きっと自分は、負けてしまうかもしれない。あの刺突を見た時ふいに感じたことが、また浮かんできた。

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