phase3.1
「何今の変な声?!」
美月は耳を押さえながら辺りを見回した。たまたま音楽室を見つけ、何か鍵などの脱出の手がかりになるようなものがないか探していたところに起きた異変だった。ビーナスに同調を求めたが、相手は冷たい目で見返してきただけだった。
「何か聞こえたかしら?」
「あと六つって……」
「そう?」
ビーナスにとってはどうでもいいことのようだった。話は終わりとばかりに、顔を逸らされてしまう。
今の声は、絶対に気のせいではない。何かあるかもしれない、重要なヒントかもしれないというのに。思わず美月は苛立ちを覚えた。しかし、不機嫌なのはビーナスも同じなのかもしれないとも感じた。
彼女と遭遇したときからずっと真顔で、口数も少ないのだ。たまに口を開いても、そこから出てくる言葉はさっきもそうだったが、どこか素っ気なく、棘を感じる。
その理由は、本人の口によって語られた。
「にしても本当に最悪ねこの建物は。どこもかしこも埃まみれじゃないの。おまけに古めかしいし」
「別にそんなのどうでもいいじゃない」
呆れ混じりにそう言ってやると、ふいにビーナスが立ち止まった。値踏みするような目つきで、美月のことを上から下、下から上へと目線を移動させる。
「な、何?」
「いいえ。さすがこんな劣悪な環境をどうでもいいと言うような子だと思っただけよ」
美月はしばらく動けなかった。動けたのは、言われたことを反芻し終わってからだった。
「はあ?! それどういう意味?!」
「そこまでお洒落に気を遣ってない子の価値観はさすがに違うと思ったってことよ」
美月は自分の服装をざっと見た。今日着ているものは、スカート付きのズボンに半袖のパーカーだった。ガーリーとは程遠いが、それでも地味なデザインではない。全体的にビタミンカラーを使用した、自分好みのスポーティーかつポップなものとなっている。
「私確かにそこまでお洒落のこととか意識してないけど、でも別に完全に無頓着ってわけじゃないんだけど?!」
「無頓着でしょう。十四歳なんでしょ、あなた。それなのに、アクセサリーもつけない、髪型もアレンジしない、お化粧もすらしていないだなんてね」
「動きやすさ重視なのよ! どこかの誰かさん達がいつ襲ってくるかわからないんだから!」
「それでも、女の子としての自分を美しく見せる方法を少しは身につけておいたほうが良いわよ」
「余計なお世話だし! あなたにそんなことを言われる筋合いはありません!」
はいはいとあしらうビーナスの前に、走って回り込む。立ち塞がると同時に、人差し指を突き付けた。
「だったら私も言わせてもらおうじゃないの! あなたね、なんで最初会ったとき、シロの卵放り投げたのさ! 私覚えてるからね! 滅茶苦茶鮮明に覚えてるからね!」
「……」
「謝りなさいよ! 今シロいないけどね! 絶対直接会って頭下げてよね!」
「……」
「無視をするな無視を!!」
見下ろしてきた視線が、なんともいえない憐憫を含んでいたように見えて、美月の頭は沸騰寸前だった。
「勿体ない。そんな風に激しく怒ってばかりだとね、モテないわよ」
「……なんですってええ!!」
嫌いだ、とても嫌いだ。美月は今確信した。自分はこの人が嫌いだ。なんとしてでも打ち負かして参ったと言うところを見たいが、噛みついてもすり抜けられてしまう。堪忍袋の緒はとっくの昔に切れっぱなしで、体は怒りのせいで汗だくだった。
思わず地団駄を踏むと、またもや冷たい目線を浴びせられた。
「これがそうですか?」
「はい、これがそうです」
穹はマーキュリーに、二階の音楽室に連れて来られた。やはり暗く埃っぽいその教室内の中央には、大きなグランドピアノが鎮座していた。屋根は開いており、中のすっかり錆び付いた弦が並んである部分の一つに、小さな青白い光が乗っかっていた。ピアノの付属物には、とても見えなかった。
「ちょっと触ってみて下さい。君の罠だったら嫌なので」
近づいたり触れば何かわかるかもしれない。が、こんな怪しいものに自分が近づくのは得策ではない。そう思っての頼みだったが、マーキュリーは首を横に振った。
「あなた方の仕掛けた罠という可能性もあるでしょう? なので、嫌ですね」
「そんなわけないでしょ。嫌がるってことは、罠だと見なしますよ。僕は触りませんし近づきもしません」
「あのですねえ、罠なわけないでしょう。どこからどう考えても、これは脱出の手がかりでしょうが」
「……君じゃない別の人が言ったら、あるいは信じたでしょうね。でも他ならぬ君が言うなら、信じられない。脱出の手がかりだと考えるのなら、君が調べればいい。なのにこっちの罠じゃないかというのは、矛盾してますよ」
「うーん、言われてみればそうかもしれませんが、まあ念には念を入れてですよ。あなたと同じです、私も割と慎重なんですよ」
「一緒にしないでもらえませんか、一瞬ひどい寒気がきました」
「だいぶレベルの低い貶し言葉ですねえ」
ピアノの前で、しばらくそういった押し問答が続いた。。
穹は一歩も譲るつもりはなかったが、意外なことにマーキュリーもかなり粘った。押し付け合いの末、穹は大きなため息を吐き出した。
「……君いくつです?」
「地球の暦でいうなら、28歳ですが。なんです急に」
考える間もなく、どういう台詞を吐くかすぐに思い浮かぶ。なぜだろうか。こんなことは今までほとんどなかった。が、今理由を考える暇はなかった。
「僕より15歳も上……。……君大人でしょ? なのに子供である僕の前でこんな風に押しつけ合う大人げない姿見せて本当にいいんですか? 人生それでいいんですか?」
一瞬マーキュリーの糸目が見開かれ、鋭い黄色の瞳がこちらを覗いてきた。だが、その目はすぐに元通り細められた。
「なるほどなるほど。穹さんって、こっちが素の性格なわけですね。データだと、普段は大人しくて弱気ってあったんですけどねえ。化けの皮被ってたというわけですか。なかなかやりますねえ、どんな奴でも騙せるでしょうねえ」
「もしかして褒めたつもりですか? でも全然嬉しくないですね、もっと人を褒める練習したらどうです」
「今の台詞、どこをどう聞いたら褒め言葉に聞こえるんでしょう? あと、人を褒めるのはセールスの基本なので、もう学ぶ必要がないってくらい練習してますよ」
「心の底からどうでもいい情報をありがとうございます。あと僕のこの状態は素じゃない。どっかの誰かの前だけですよこうなるのは」
「へえ~一体誰なんでしょう? 気になりますねえ」
自分でもわざとらしいなと感じるくらい、穹は大きく肩を落とした。
「……はあ、どうしようもないな」
「それはあなたのことでしょう。えーと鏡、鏡……無いですね、残念」
「君以上にタチの悪い人なんていないと思いますけど。鏡に写したほうがいいのはそっちでは?」
「わーありがとうございますー! で、他に言いたいことは?」
「ないです、時間の無駄だ。あと労力の」
その気になればまだ台詞は浮かんできそうだったが、これ以上やっても水掛け論になる一方のような気がして、穹は目を閉じた。こうなれば根比べだと、無言の圧力を放とうと意を決したときだ。「わかりましたよ」の一言が、耳に届いた。
「だいぶ必死そうでしたし、いいでしょう。それに、これがあなた方の仕掛けた罠だったとしても、きっと高が知れている」
皮肉げに笑いながら、マーキュリーは弦の上で輝く光に触れた。瞬間、光は消え、そして頭の中に音が響いた。
――あと、五つ──
またこの声か、と穹は怪訝に感じた。さっきの教室を出た後も、同じような声が頭に響いた。
先程頭の中に聞こえてきた時は、「あと六つ」と言っていた。一人だったら腰を抜かしていただろうが、敵と一緒にいるというこの状況下だと、霊よりも罠の可能性が大きいと考えた。なので声が聞こえてきたときも、素知らぬふりをした。マーキュリーも一切顔色を変えなかったのだが、多分穹と同じことを考えていたのだろう。
「4年4組……。音楽室……。あと六つ、そして今五つになった……」
穹の思考を妨げてきたのは、音程の外れたピアノの音だった。そちらを睨むと、マーキュリーがぽんぽんと鍵盤を叩いていた。その度に、調律の狂ったなんともいえない不快な音が、教室内に流れた。
「それやめて下さい。古いせいで音が外れてて気持ち悪くなりそうです」
「すみませんねえ、なんか楽しくなってしまって」
「何遊んでるんだ、嫌がらせですか?」
美月はその場で硬直していた。視線の先にあるのは、大きなグランドピアノだった。
確かにこの目で見たし、この耳で聴いた。あと五つというあの声が聞こえてきた直後。蓋が開いたままのピアノの鍵盤のいくつかが、上下したのだ。
音程の外れた静かな音が、静かな教室内に響き渡った。静かな音だったが、それは大きな余韻を残し、部屋に溶けていった。
「本当だったんだ……」
美月はピアノに近づいた。先程の光景は見間違い、聞き間違いだったのではないかと思う程、そこには何も変わらないピアノがあっただけだった。
「ピアノの発表会に出場するはずだったけれど、当日交通事故に遭って亡くなった子の霊が、夜な夜なピアノを弾きにくる、か……」
源七から聞いた話だった。信じていないわけではなかったが、こうして本当に起きたことを目にすると、完全に信じるしかなくなる。
その瞬間だった。がたーん、と、大きな音が室内にこだました。
何事かと振り返ると、その光景に、ピアノを聴いた時以上に体が固まった。
美月の見る先に、床に座り込む一つのシルエットがあった。
「ど、どうしたの?」
「ななな、なんでも、なんでもないわよ……!」
近寄ってみると、ビーナスの様子がおかしいことがわかった。顔色が真っ青に染まっており、全身が小刻みに震えている。
ある疑惑が、美月の中に生まれた。
「あ、後ろ!」
「ひぎいいいっっっ?!」
疑惑が確信へと切り替わった瞬間だった。にっと美月は笑い、自分で自分を抱きしめながら震えるビーナスを見下ろした。
「はは~んなるほどね……。ビーナス、怖いんだね。お化けとか幽霊が」
「…………そうよ」
意外なことに、あっさりと肯定した。一回くらいは違うと否定してくるかと思ったのだが。
「もうねえ、最初からずっと、ずっと怖かったわよ!! 外に出られないし仲間とははぐれるし暗いし床はぎしぎし鳴るし変な声は聞こえてくる、もう泣きそうだし吐きそうだし気を失いそうよこっちは!!」
更に意外なことが積み重なった。一気に捲し立ててくるその迫力に、美月は思わず後ずさった。
「大体ね、皆に聴いてほしいなら昼間に堂々と弾けばいいじゃないの! なんで夜なの?!」
「恥ずかしがり屋なんでしょ」
「人前で披露して人の評価を貰わなかったら意味が無いでしょう! そもそも幽霊そのものがおかしい、どうして夜に出るの?! 昼間に出なさいよ!!」
「太陽が嫌いなんでしょ」
えーと、と美月はポケットをまさぐった。自身の記憶通り、それはちゃんと中にあった。
「怖いならこれあげるよ、塩飴」
「いらないわよ! なんで飴なのよ!」
「塩って、幽霊が苦手って聞くし。飴にして舐めることで体内から幽霊をよせつけなくなると思うんだけど」
そう言うと、塩飴が一つ乗った美月の手を、ビーナスはじっと見つめてきた。やがて飴をおずおずと摘まむと、お守りのように両手で握りしめた。
「ほらほら私がいるからさー、頑張ろうよー」
「そんなこと言われても……。……こういうのは私のキャラじゃないのよ……。もっと可愛く恐がれるならまだしも、怖がり方が常人の怖がり方じゃなくて逆に怖いって幼馴染みに言われるんだから……。……必死で耐えてたけど限界、とても帰りたい……」
はっぱを掛けるつもりで、うずくまったままのビーナスを軽く叩く。大きく、怖く見えていた相手が、今はすっかり小さく見えていることが、妙におかしかった。
「また聞こえてきたね」
「だな!」
廊下を歩いている最中に再び聞こえてきた、あと五つという機械のような音声。一体なんなのか、なぜ数が減っているのか。未來は立ち止まり、顎に手を当て思案し始めた。
実は先程から、もしかすると、という微かな疑念が生まれていた。しかしそれは自分でも信じられないほど突飛なものだった。が、今の声で、完全に拭い去れなくなった。
「ちょっと二階に下りてもいいかな?」
「何かわかったのか?!」
身を乗り出してきたマーズに、首を振りながら手で制す。
「まだ完全にはわかってない。私の考えが合ってるかどうか確かめるために、行きたい場所があるんだ」
「どこだ?」
「理科室。一人で歩き回ってる最中に見つけたから、場所はわかるよ。でもここからだと、ちょっと遠い」
即座に、行こう、という力強い返事が来た。未來は頷きながら、ある一つのことを思い出していた。
美月が教えてくれた七不思議の一つ、理科室の動く人体模型のことを。
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