Chapter5「夜の学校冒険譚」

phase1「廃校に進入せよ!」

 「本当に貰っていいんですか?!」という声が飛び込んで来たのは、ハルに呼び出されて向かった宇宙船に入り、リビングのドアを開けた瞬間だった。


 ソファに座った未來が何かを手にしたまま、信じられないという風に目を大きく見開いている。「どうかしたの?」と美月は近づきながら尋ねた。


 まだ戸惑っている様子の未來が見せてきたのは、一つのシーグローブだった。

透明の球状をした容器の中には砂が敷き詰められ、本物のような珊瑚や色とりどりの貝殻、デフォルメされたカラフルな魚の群れやイルカなどが、中に収められている。

 手のひらサイズのその置物の精巧さに、美月は思わず見入ってしまった。


「いいから貰ってくれ」


 向かいのソファに腰掛けるクラーレが、視線を下げたままお茶を飲んだ。


「でもこんな、とても高そうなもの理由もなく貰えませんって!」

「金はかかってないから」

「ど、どういう意味です?」


 シロのいる寝床に点滴を投入していたハルが、「それは」と振り返った。緻密な作りをしたシーグローブに指を指す。


「クラーレの手作りだ。ここ数日、部屋に籠もってずっと作っていた」

「手作り?!」


 未來と共に、美月は素っ頓狂な声を上げた。二人して食い入るように上から下まで眺める。どこからどう見ても店で、それも高値で売られているレベルのものだ。


「……なんで言うんだ」

「言ったほうがいいと判断したのだが、間違っていたか? だとしたらすまない」

「まあまあ」


 声のトーンを落としたクラーレに、先に宇宙船に来ていた穹がやんわりと宥める。クラーレは不満げにハルを見上げていたが、やがて「まあ」と目を逸らした。


「理由もなくってわけじゃないし」

「そ、そうなんですか?」

「ミライの誕生日プレゼントなんだろう?」

「だからなんで言うんだ!」


 やや顔を赤くしたクラーレが立ち上がった。羞恥と怒りが混ざったような色味だ。「まあまあ!」と穹はさっきよりも大きく言い、落ち着かせる。クラーレは何やら唸っていたが、観念したように吐息をつくと、力なくソファに腰を下ろした。


「それは……詫びのつもりだ。7月のあんたの誕生日、俺は祝わなかったから……。その詫びと、その時くれたお菓子の礼と、あとはまあ色々失礼なことしてすまないという意味と……」


 後半になるにつれて声量が落ちていき、目を逸らすようにして頭が下がっていく。そうだったんだ、と未來がシーグローブに目を落とした。


「そういうことなら、遠慮無しに貰っちゃいます! クラーレさん、ありがとうございます!」

「……別に」

「クラーレ、こういうときはどういたしましてと返すのが適切だ」

「だああ! ちょっとでいいから黙っててくれ!」

「む、すまない」


 いよいよ本格的に顔が赤くなるクラーレに、美月は笑いを堪えるのに必死だった。


 ついこの前まで、彼は誰とも関わろうとせず、一人でいることを選んでいた。棘のある目で周囲を見、棘のついた声で人に話す。けれどもそれは、自分の心を守るための手段であった。そんなクラーレが、自ら仲間にしてほしいと申し出てきたのだ。その時の嬉しさといったら、とても言葉で表すことは出来なかった。ただ、本当に良かったと、それしか思えなかった。


 まだクラーレは素直に成りきれてない部分もあるが、それでも大きな進歩だ。


「……正直あんたらには、何度謝っても謝りきれない。今までの無礼な態度の数々やら、この前パルサーを落としてしまったことや……」


 うなだれるクラーレに、美月は「そんなことないよ」と言うしかできなかった。


 先日、一時クラーレが宇宙船を飛び出して外を歩いていたとき、道中でパルサーを捕まえたと聞いたときは非常に驚いた。


 だが、ダークマターの襲撃に遭い、その混乱の最中で落としてしまったらしい。

 自分自身の服のポケットをまさぐった後で、パルサーが無いと気づいた時のクラーレの顔と言ったら、見ていられなかった。落としてしまったと絶望に染まりきる彼に、必死になって穹や未來やハルと共に、慰めの言葉をかけ続けた。


「そそ、そういえばハルさん、用事ってなんでしたっけ?」


 暗くなっていくクラーレの雰囲気を変えるため、穹が強引に話題を変える。話を振られたハルは、「ああ」とソファに座った。


「まさにパルサーに関係する話だ。クラーレ。君が捕まえた瞬間、パルサーはどういう形状に変化した?」

「……光が消えて、物凄く小さい石ころみたいになった。確か、この星の金平糖っていうお菓子に似ていた」

「そうだ」


 ハルが人差し指を立てる。


「その石ころというのが、パルサーの本体だ。パルサーは移動を繰り返し、現れては消える物質。だが、その光に触れると、本体を纏う光は失われ、核の部分が剥き出しになる。この状態では移動を行わないが、一度パルサーを掴んだ人の手から離れると、再び力を集め、移動を繰り返すようになる」


 うーん、と美月は頭を捻った。物質というが、あまり物質のような感じがしない。


「物質というがその性質や実態は、どちらかというと生き物に近い。だから捕獲という言い方もされる。捕獲した人の手から離れても移動されない為には、専用の機械の中に入れるしかないが、この機械は広く“カゴ”という名称で知られている。ちなみに捕まえるための機械の通称は“アミ”だ」

「虫みたいですね~」


 のんびりと未來が言った。「あながち間違いではない」とハルは否定しなかった。


「パルサーのことはなんとなくわかりましたが、それと何の関係が……?」


 穹が聞くと、うん、とハルは一つ間を置いた。


「今も地球のどこかを瞬間移動しているパルサーだがな。ここ最近、パルサーの出現頻度が異様に高い場所を発見した。この町でだ」

「……え?!」


 驚きに湧く一同に、ハルは一枚の紙を差し出してきた。


「これを見てもらえればわかるだろうが、ある地点で生じているエネルギー反応が、8月に入ってから……」

「ごめん全然わからない」


 紙に書かれていたことは、数字と専門用語とグラフばかりで、頭で理解できるものが一切無かった。そもそも頭の中に入ってきすらしない。一応他の皆の様子も窺ったが、目が合った者は、全員首を横に振るばかりだった。


「つまり、パルサーの移動の法則は不規則極まりなく、本来同じ場所に出現することはまず滅多に無い。だが、同じ地点で、何度も出現しているんだ。なぜかはまだわからないが、これは大きなチャンスだ。出現しなくなる前に、急ぎ捕まえる必要がある」

「で、その地点っていうのはどこなの?」

「ここだ」


 ハルが今度は一枚の地図を見せてきた。その内容は、さすがの美月でもわかった。同時に目を見開いた。


 そこは、美月と穹が通っていた天河小学校。の、前の代があった場所。かつて祖父の源七が通っており、今は廃校になった旧天河小学校が、建っている場所だった。


「少し遠いが、今から行こうと考えている。ついてきてくれるか?」


 美月は他の面々と顔を見合わせた。その後、大きく頭を縦に振った。


「もちろん!」




 自転車で来るようにと言われた理由がわかった。旧小学校は、この裏山からだいぶ離れた場所にあるのだ。離れているどころか、そもそも町外れにある。徒歩で向かうのは厳しいが、自転車ならばかなり時間短縮される。


 ハルは、山に捨てられていたのを見つけて改造したという自転車を、既に宇宙船の外で待機させていた。同じく拾い、乗れるよう改造したもう一台の自転車に跨がりながら、クラーレは「シロを置いてきて大丈夫か……?」と不安げな声を漏らした。


「あの孵化器兼寝台は、シロにとってもっとも過ごしやすい環境設定にされている。むしろ連れていくほうが危険極まりない」


 ココロをおぶりながら、ハルも自転車に乗り、ペダルに足をかける。まだクラーレは渋っているようだが、しっかりとハンドルを握りしめた。


「……ハルさん、なんで虫籠と虫取り網を……?」


 聞いてはいけないようなものを尋ねるように、穹がヘルメットを被りながら聞いた。穹の言うとおり、なぜかハルは、虫籠に奇妙な機械がくっついたようなものを肩から掛けていた。更に自転車の籠には、真っ二つに折りたたまれた、編み目が非常に細かい虫取り網のようなものを入れていた。


「全てパルサーを捕まえる為に必要な専用の機材だ」

「本当に虫取りに行くみたいですね~。……あ、ちょっと麦わら帽子被ってみてくれません? 似合う気がしてきました!」

「ふむ。私に被れるだろうか?」

「……おい、とっとと行くぞ」


 未來との会話に、呆れ果てたであろうクラーレの声が合図となった。美月は大きく片手を上げた。


「よし、出発!」


 五台の自転車は、一斉に走り出した。




 照り返しが眩しいアスファルトの上を、自転車が五つ駆け抜けていく。もっともそのうちの二台は、普通の人からは見えない。クリアモードが搭載されているからだ。


「クラーレ、どうだ? 漕ぎ心地のほうは」


 美月達以外には見えない二台の自転車のうち、一台に乗るハルがそう聞いた。おんぶされているココロは、気持ちよさそうに風を受けている。


「悪くない。むしろ楽だ。少ない力でどんどん進む」


 クラーレの台詞通り、ペダルを漕ぐ足使いは、実に軽いものだった。見ているだけでわかる。


「美月~。二人とどんどん離れていくね~」


 隣を走る未來が苦笑いをした。最初走り出したときは美月達が先頭だったのに、すぐに追い越され、今では二人の背中は遠くなっていた。会話は聞こえるが、こちらから話しかけるには大声を上げなくてはならないというような距離だ。


「羨ましいです! ハルさん、僕の自転車にも改造を!」

「育ち盛りだろうソラは。あまり機械に頼らず、自分の力で漕ぎなさい。体力や筋肉がつきやすくなる」

「うう、正論ですがでも運動は嫌だ!」

「頑張りなさい」


 ばっさりと言われ、穹はがっくりとうなだれた。


「クラーレ。大変そうだから、ミヅキ達にスピードを合わせよう」

「了解」


 聞き逃すか逃さないかくらいの一瞬のやりとりを、美月の耳はしっかりと捉えた。


「む、今煽った?! スピードそのままでいいよ! 見てなさい、すぐ追い越すんだから!」


 一度足に力を込めれば、もう止まらないというものだ。穹や未來の「違うんじゃない?」という声も無視して、美月は漕ぐペースを上げた。つられたのか、穹と未來も、やがて漕ぐ速度を上げ、美月のスピードについてきた。


 空に湧く真っ白な入道雲が、自分のことを見下ろしているように感じられた。




 その場所に近づくにつれ、徐々にすれ違う人の数や、建物が減っていく。目的地である旧天河小学校は、町外れにある小高い山の頂上付近にあった。裏山とは違い、山道はきちんと舗装されている。が、人も車も全く通っていなかった。


 緑のトンネルの下は、冷房とは全く違う涼しい空気が流れていた。そこを通り、四方八方から聞こえてくる蝉の鳴き声を聞きながら、頂上付近に到着した。


 校門前まで来たところで、美月らは自転車を停めた。自転車を置いたすぐ目の前の門は開いていたが、その門と門の間に、立ち入り禁止と書かれた札が下げられたロープが張られていた。


 半ば予想していたことだったが、それでも落胆せざるをえなかった。どうするつもりだろうと思っていると、ハルはそのまま門まで進み、事も無げにロープの上を跨いだ。


「ハ、ハル?! 立ち入り禁止だよ?!」

「今は規則を守るよりもパルサーについて調べることの方が大切だ。誰もいないだろうから咎められる心配は無い」


 それだけ答え、さっさと背を向け歩いて行くハルに、クラーレが一言「意外な一面だな……」と呟いた。同感だった。


 立ち入り禁止の文字が圧力を放ってくるロープに対し、しばらく尻込みをしていたが、美月も意を決すると、ロープの上を跨ぎ、ハルの背中を追いかけた。途中で振り返ると、辺りを見回し誰もいないことを確認した後で、未來に穹、クラーレも来てくれた。


 広々とした校庭を真っ直ぐ進んだ先に、旧小学校の校舎はあった。門からでも見えていたが、近くで見るとまた違った。校舎の前で立ち止まった美月は、おお~と声にならない声を上げながら、木造の校舎を上から下、右から左へと眺めた。


 木で出来た壁に、木枠の格子窓。見たことのない気で建てられた校舎が、静かにそこに佇んでいた。二階建てなものの、横に長いこの旧天河小学校は、もしかすると美月が通っていた今の三階建ての現天河小学校よりも広いのではと感じた。


 ただやはり、とても年季が入っていた。変色したり、崩れていたり腐っている箇所が見える壁。所々割れた窓ガラス。子供がここに通わなくなってから培ってきた年数が、著しく現れていた。


「わあ、古いなあ。風情ある!」

「……そうか?」


 どこからかデジタルカメラを取り出しシャッターを切り出した未來に、クラーレは怪訝そうに首を傾げた。クラーレは宇宙人なので、地球人と感性が違っても驚かない。美月としても、この校舎を古いとは思うが、風情は感じなかった。どちらかというと、怖い。


 ロープを跨いだ瞬間から、妙に冷たい空気が辺りに満ちているのに、美月は気づいていた。


 太陽の光は熱い。それによって温められた地面も熱い。蝉の声も暑さを誘発する。それ道中も感じていたことで、全く変わらない。


 だが、どこか遠く感じるのだ。蝉も暑さも、今ここで感じているそれらは、本物ではない気がしてならないのだ。


 周りに障害物は何も無いおかげで、校舎は思う存分太陽の光を浴びている。そのはずなのに、学校全ての周りを取り巻く空気が、妙に暗いように見えた。


 現小学校に通っていたときも、今中学校に通っている時も感じたことの無い気配が、この旧小学校から漂ってきている。


「こ、ここにパルサーが……。で、でも探すとしたら、かなり危険なのでは? 今にも壊れそうだし、あの、それに、ちょっと怖いのですが……」

「いや、強度のほうには何ら問題は無い」


 穹の不安に同調しようとしたところで、ハルがそう言って首を振ってきた。美月は穹と顔を見合わせ、首を傾げ合った。


 問題ないと言われても全く不安が拭えなかった。ちょっと強い風でも吹けばすぐに倒壊しそうな建物に見えてならない。


 だが、そんな建物なのにいまだにこうして残っているということは、やはり問題は無いのだろうか。ひょっとすると、何か昔ならではの技術で丈夫なのかもしれない。


「じゃあ、とりあえず入っちゃおうか」


 ここで立っていても仕方ない。美月はさっさと玄関口に近寄ると、ぴったりと隙間無く閉じられた木の扉に手をかけた。扉は傾いでおり開けるのに一苦労したが、鍵はかかっていなかったため、中に入ることが出来た。


 敷居を跨いで足を踏み入れた瞬間、一層空気が冷たくなった。また、中は日が差しておらず、暗かった。陽光で眩しい外にずっといた身にとっては、目が慣れるのに時間がかかった。それでも見回してみると、天井も壁も床も木で出来ているということがわかった。また外観の印象に違わず、屋内も相当に古かった。歩く度に、床がみしみしと鳴る。


「待ちなよ姉ちゃん!」「せっかちだなあ、美月は」


 後ろから穹と未來も入ってきた。二人も目が慣れないのか、何度も瞬きを繰り返している。


「もうさ、ぱっと探してぱっとパルサー見つけてしまおうよ!」


 右方向から探していくことを直感で決め、そちらに歩き出したときだった。


「こら! そこで何をしている!」


 薄暗く静かな屋内に響いた大きな怒声に、美月は心臓が口から出そうになった。ひい、と穹から、耳が痛くなる甲高い声が飛び出す。

 後ろを振り返ると、警備員のような格好をした人が、いつの間にか暗闇に紛れて立っていた。


「ここは入ってはいけないんだぞ! 早く出て行きなさい!」


 声からして警備員はすっかり怒っている。素直に謝ろうとする未來とがたがた震える穹を引っ張って、美月は玄関口から外に飛び出した。謝るよりも前に、早く逃げなければという思いが遙かに大きかった。


 ちょうど学校に入ろうとしていたハルとクラーレのこともぐいぐいと押し、校舎から遠ざかる。


「待て待てどうした一体?!」

「見つかった! で、怒られた!」

「しかしパルサーが」

「駄目!!」


 全速力で校庭を突っ切り、門まで戻り、自転車に飛び乗る。


「早く逃げるよ!」

「しかしだな」

「ほら急ぐ!!」


 追ってこられる前にと急かし、無理矢理自転車を走らせる。今度は山道を下っていくわけだが、途中美月はこっそり後ろを振り返った。あの警備員は追いかけてきていなかった。こっそり額に浮かんだ冷や汗を拭った。


「そうか、人がいたのか。では、夜だな」

「え?!」「はい?!」


 穹と同時になって、頓狂な声を上げてしまう。前を行くハルはなんてことないように、ペダルを漕いでいる。「ハルさんいつになく必死ですね、どうしてです?」と未來が聞いた。


「そうだな。ダークマターが、次の一手で何をしてくるかわからないというのが大きい。それによってどんな危機的状況に追い込まれるか予測がつかない。手遅れになる前に、進めるだけ進んでおかなくてはならない」

「その進むための一歩が、今回のパルサーの捕獲というわけか」

「そういうことだ、クラーレ。というわけで」


 ハルはちらりと後ろを振り返った。こちらというより、ココロを確認したらしい。移動に疲れたのか、ココロは旧小学校に来てからというもの、ずっと無表情だった。


「今夜、再びここに来ようと計画した」

「今夜?!」

「いいな」


 疑問符がついていなかった。決定事項らしい。はあとため息を吐き、美月は「いいよ」と返した。他の三人も、呆れてはいたが、すぐに美月と同じ言葉を発した。




 家に帰ってきた後、美月は穹を誘い、源七に旧天河小学校についてのことを聞きに行った。思い出話からどこになんの教室があるか、ある程度の間取りがわかるかもしれないという期待によるものだった。ひいては、パルサー探索にもある程度役立つかもしれない。


 今夜探しに行くということや、念のため今日行ったことは隠して学校のことを尋ねると、源七は懐かしそうに顔を綻ばせた。


「その場所が出てくるとは、懐かしいのう。昔はかなりやんちゃしていてな、しょっちゅういたずらや無茶なことをしては、先生にこっぴどく怒られてたものだ」

「へえ、おじいちゃんが? なんか意外!」

「でも懐かしいといっても、あんまり思い出せないものだなあ」


 源七はうーんとしばらく唸っていた。学生時代の思い出は聞き出せたが、ついに学校の建物そのものに関するようなことは、語られなかった。

 何しろ本人にとってみれば何十年も前のことだ。しょうがないよ、という穹の目線に、首を縦に振って答える。


 と。「そうだ!」と源七が膝を叩いた。


「思い出した! 学校にある噂話のことなんだがな」


 当時を振り返ったおかげで、童心に戻っているのだろう。少し目を輝かせながら、源七は語り始めた。




「無理! 無理! 無理だーーー!!」

「穹うるさい!!」


 夕食後。そろそろ行く時間だと穹を自室に呼びに行くこと数分。部屋の隅に、本でバリケードを作り中に閉じこもる穹と、かれこれずっとこういう問答が続いている。穹は顔を真っ青に染めながら、ぎゃあぎゃあと喚き散らしている。


「だってあんな話聞いちゃったら無理だし! 無理! やだ! 行かないよ僕は!! 絶対行かない! 行くもんか!!」

「だからうるさいと言ってるの!!」

「いやなんで平気なの?! 噂話って、あれ怪談だろ?! 七不思議だろ?!」


 源七が聞かせてくれた話は、正真正銘学校の七不思議というものだった。おまけに話している最中、源七は急に部屋を真っ暗にした。明かりが電気スタンド以外にない部屋で話し出したものだから、余計恐怖に磨きがかかった。源七の喋り方も、怪談を聞かせるときのような喋り方と全く同じだった。


 話を聞き終わって以降、穹の様子が明らかにおかしくなったので嫌な予感はしてたが、案の定だった。


「昼間はなんで平気だったのさ」

「明るかったからに決まってるじゃんか! あとじいちゃんの通ってた学校ってことで?! なんか安心感あったし?! でも今は夜! 暗い! 夜行くのも本当は嫌だったのにあんな話聞いたらもう行けないよ!! 平気な姉ちゃんがおかしいよ!! 本当にかもしれないんだよ?!」

「だね。ちょっとわくわくしてる」


 心霊ものは大好きだ。と、穹がこちらの頭を指さしてきた。


「頭、変!!」

「はあ?!」


 ぶん殴ってしまおうかと思ったが、すんでで止めた。力に物を言わせたら、恐らく穹は更に頑固になるだろう。深呼吸して、切れそうになった堪忍袋の緒を締め直す。


「ほら、よく考えてみなよ。ハルがいるじゃん」

「何が関係あるの?」

「あの理屈の塊のハルならさ、もし何か見えたとしても、何かしら理由つけて科学的に説明してくれそうじゃない?」


 穹が少し目を伏せた。「まあ、ハルさんなら、うん……」

 でも、と即座に首を横に振る。


「だとしても僕が行く意味ある?」

「戦闘がないとは限らないんだよ? 穹は、唯一シールド技を使えるでしょ? 戦いの時に穹のシールドがなかったら、凄くきつくなるんだよ。ただでさえいつも危ないのに」

「そ、それは、確かに……」


 これには一層説得力があったようだ。穹の視線をさ迷い、明らかに迷いが生じていることを表している。もう一押しだと、美月は一歩近寄った。


「穹は必要なんだよ、私達に!」

「う、うん……」


 しばらく黙っていたが、やがて体の底の底から出したような息を吐いた。「……わかったよ」


 ありがとう、と美月は言った。


 実を言うと、穹のこういう心霊ものを見た時の反応が面白すぎるのでもっと見たいからというのが本音なのだが、そんなことは口が裂けても言えない。


 その後、上手いこと理由をつけて、二人は夏の夜、無事に外に出た。






 眼下に様々な建物が並んでいる。地上に敷き詰められたビル群が、地平線の彼方まで続いている。街を一望できる、ダークマター本社の屋上に吹く風は強かった。大きな風声が、耳元でずっと鳴っている。


「今回の作戦が失敗しましたら、次はどうなさるおつもりですか」


 プルートは事務的な声を発した。聞かれた相手は、振り返り、逆に問い返した。


「プルートはどうみる」

「ほぼ成功するだろうという確率を出しました」


 プルートは淡々と、コンピューターによってはじき出した答えを述べる。サターンは小さく頷いた。


「そうだ。成功すればほぼ確実。100%に近い」


 今回に限らない。今までもそうだった。常に100%に近い作戦を立ててきた。だがどうだろう。全く結果が出せていない。


「だが。もし、まだ運が奴を味方するのであれば」


 考えたくないことだが、あのロボットはよほど天に愛されているのだろう。けれども、そんな不確かなものがいるとは、やはり信じられない。また、運を持っていたとしても、必ずそれは尽きる。


「次はかなり大がかりな作戦に出なくてはならない。準備に時間はかかる上に、準備が終わっても、達成までに時間を要する。が、確実性は更に増す」


 今回と似たような作戦を続けるのもいいが、必ず向こうも対策を取ってくる。つまり、新たな作戦を考え続けるほかない。急ぎ捕らえたい状況にも関わらず長期的に見なくてはいけない作戦だが、もはや手段を選んではいられない。


「その時はプルート。お前の働きに期待している」

「承知しております」


 プルートが、プログラムされた角度で一礼する。サターンはまた前を向き、今度は頭を上に向けた。今は太陽に遮られて見えないだけで、どこまでも続く空には、数えても数えても切りが無い星々が存在する。


 それらを、ダークマターが。自分達が、統べる為にも。それによってもたらされる未来の為にも。あの計画は、必ず遂行しなくてはならない。成功に導かなくてはいけない。


「それでも、それでもまだ、奴に届かなかったら……」


 そんなことがあるのだろうか。とても想定できない。しかし、そんな最悪の場合も、想定しておかなくてはいけない。もしも、あった場合は。


「俺が行くしかない。直接」


 社内に戻るため、両足を交互に前へ出す。

 先日新たなものに変更したばかりのは、まだ慣れなかった。

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