phase4「北極星に向かう」

 絶望の二文字が重くのしかかってくる。耐えきれず、クラーレはその場に座り込んだ。


「……うん、正真正銘の馬鹿だな」


 こんな醜態を晒すことになろうとは。脱力という他なく、ぐったりと頭をもたげる。


 今までの旅の中にも、今いる場所がわからなくなる、すなわち迷うということは幾つもあった。しかしそういうときは、人に聞けばそれですんだ。


 しかしここは地球。宇宙人がいることが常識でない星。そんな場所で自分が姿を現して、ましてや宇宙船までの道のりを尋ねるなど、絶対にできない。よって、残された道は一つしか無い。


 自分で歩いて戻らなくては。


 だがそう考えた時、即座に面倒だとも感じた。今の場所がわからないのに、戻ることなどできるのだろうか。


 ミヅキ達の誰かと合流すればあるいはとも一瞬思いついたが、会えない可能性のほうが高いし、皆がここまで来る可能性は低いし、何より気まずい。よって即座に没となる。


「はあ、やるしかないか……」


 既に歩き疲れているのだが、自分が完全に悪いのでどうしようもない。立ち上がって空を仰ぐと、自分の背後に位置する方角の彼方に、こんもりとした山の頂がわずかに見えた。正真正銘、あの宇宙船が停まっている山だった。


 山の方角に歩いて行けばいい話だ。が、そう上手くいかないだろうなということも確信していた。


 試しに山に向かって一直線に歩いてみた。すると、途中で道が行き止まりになった。大きく回り道してなんとか別の道路に出ると、さっきよりも山が少しだけ遠ざかった、ように見えた。


「……やっぱりか」


 更に迷う予感しかしないし、戻れる未来も見えてこない。もしかすると、今自分は洒落にならない状況に置かれているのではないか。目の前が暗くなっていくような感覚に陥った。


「……あ」


 足下がふらついた瞬間、パルサーが手元からこぼれ落ちそうになった。慌てて堅く握りしめつつ服のポケットに入れたとき、ふと頭の中が明滅した。


「……道しるべの、星」


 北極星の説明文が蘇る。さっき、頼りにならないなどと考えてしまったが。


「……撤回したほうがいいな」


 少なくとも今は、道しるべの星に頼るしかない。




 体力温存のため、屋内にて、日が傾き星が見えてくるのを待った。

 幸いなことにすぐ小さな図書館を見つけ、中にあるソファに腰掛けることができた。目を閉じてみると、やはり体は疲れていたのか、座ったまま眠りに落ちてしまった。


 次に目を開けて外の様子を見たときには、もう日は斜めに傾いていた。かなり歩くことを想定しているので、眠って体力を回復できたのはありがたかった。


 別の建物内で見つけた、無料で水を飲むことができるコーナーでしっかりと水分補給をしてから、クラーレは近くの看板に貼られていた、町の地図を見てみた。


 あの裏山は、位置的に北の方角にあると聞いたことがある。つまり北極星を辿っていけば、時間はかかるだろうが必ず裏山に辿り着く。


 この場所の土地勘は全く無いので、町の名前などを見ても何が何だかわからない。クラーレにとって何の目印もない地図の中を、ひたすら目を走らせながら、北に向かってなるべく真っ直ぐ続いている道を探した。何度か地図上を往復したところで、良さそうな道を見つけることが出来た。


 よし、と気合いを入れ、地図で見つけたその場所まで歩く。少し歩き、無事にそこまで着いたクラーレは、軽く頭を回して辺りを見た。


 太陽の光を反射する水面。その隣を、地平線の彼方まで続いているかと思うような、長い道。河川敷の上で、クラーレは頭を上に向けた。


「えーとどれだ……? ……あれ、か?」


 写真展の説明文に書かれていた北極星の探し方をもとに、少々暗くなり、橙色に染まる空の中から、星を探す。


 多分これだろう、という憶測から抜け切れていないが、それらしき星は、無事に見つかった。


 実際に見る北極星は、思っていたよりも明かりが柔らかく、そこまで眩いものではなかった。控えめな光を放ちながら、空の一点に鎮座している。

 道しるべというくらいだから、てっきり星の中で一番眩しく輝くものだとばかり思っていたクラーレは、軽く拍子抜けした。本当にあれが道しるべの星なのだろうか。


 疑心暗鬼になりかけた心を、ポケットの中のパルサーを握りしめることで、振り払おうとする。


 足を一歩、前に出す。北極星のある方角へ。




 道沿いに生えている草むらから、虫の鳴き声が聞こえてくる。夕方の風が、草木と水面を揺らがせる。


 整備された河川敷の道路の上では、人も車も大勢通る。クラーレは少し悩んだ末、道から下り、河のすぐ傍の全く整備されていない道を歩くことにした。草がぼうぼうに生えた河原では、障害物も何も無く、人もいない。よって、安心して、上を向いたまま歩くことが出来る。


 柔い光を視界に捉えながら、前へ前へと歩き続ける。

 ずっと首を上げたままでいると、首の後ろが痛くなってくる。だが、戻しはしなかった。


 北極星の方角に向かって歩いているつもりでも、北極星そのものには全く近づいていない。


 今自分はどこに向かって歩いているのか、ふとした拍子に見失いそうになる。視線を外したら、もう本当に、道に戻れなくなる気がしてならなかった。更に迷ってしまいそうになる気がして、それが怖いと思った。だから、どんなに首が痛くなっても、上げたままでいた。


 ずっとその小さな光を見ていると、脳内のどこかが変化していく。小さな光につられて、頭の中が徐々に落ち着いていく。凪いでいく。


 北極星を目印にしていたら、元の道に戻ることが出来るのだろうか。導いてくれるのだろうか。あるいはもう、導かれているのだろうか。


 星は答えを出しているようにも見えるし、答えなどはなから出していないようにも捉えることができる。


 歩いて行けば、きっと何かがわかるかもしれない。こうして歩いて行った先に、何かを見つけることが出来るかもしれない。その何かが宇宙船か、それとももっと別のものかは、自分でも判別出来なかった。


 今はとにかく、道しるべの星と例えられるようになった、北極星の力を信じる他ない。


 やがて、鉄橋が見えてきた。下をくぐると、少しだけ冷たいと感じる風が吹き抜けていった。


 無意識の内に嫌な雰囲気を感じ、早く通り過ぎてしまおうと歩く速度をやや上げた、ときだった。


「どーだあ……? 答えは出たかあ……?」


 あと半歩で鉄橋の下から出るというときだった。突然として、何者かの声が聞こえてきた。


 止まりそうになった心臓を抑えながら、振り返りざま一歩分体を後ずらさせる。鉄橋が作り出す影に目を凝らすと、闇の中でかすかに何かがうごめいた。

 柱に背を預け、座り込む人影。確かに誰もいなかったはずなのにと、クラーレは身を固くする。


 よいしょ、と口に出しながら人影が立ち上がり、姿がよく見えても、その者がこの世の人物でない気がしてならなかった。


 異常なまでに青白い顔色に、痩せこけた体、丸い背、無造作な灰色の髪、生気の無い水色の目。

 その人がウラノスだと気づくまで、クラーレは彼のことを、幽霊でも発見したような目で呆然と見ていた。


「ぼけーと突っ立ってんじゃないよ……。答えは?」


 マスクの下で、口をぽかんと開けていたことに気づき、慌てて閉じる。「答え」とその部分だけ聞き返す。声は掠れていた。


「こっちも暇じゃないから早めに言ってくれないかなあ……。っていうか今言え、うん」

「今、か……」


 目だけでなく、体ごと逸らす。背を向けた瞬間、足下を夏にしては妙に冷たい風が走り去っていった。


 顔を空に向かって上げる。真上よりもやや下。目線の先に、小さく輝く光が一つある。

 北極星はものを言わない。しかし北極星に向かって歩いていたら、ここに辿り着いた。


 ではこれが、結果なのだろうか。これが、自分の進むべき道なのだろうか。この先に続く道を進めば、目的地まで行けるのか。


 がたんごとんという音が、頭上から轟いてきた。音は非常に大きく、その分体に響く衝撃もあった。鉄橋の上を電車が通ると、地面もわずかに揺れたような感覚がした。


 電車が通る間、その他の音が全く聞こえなくなった。完全に音が遠ざかった後も、まだ耳の中で聞こえているようだった。


「そう、だな」


 北極星を目に焼き付ける。おかげで目を閉じても、まぶたの裏で、星の残像がしばらく瞬いていた。


「一つ質問がある」

「はああ……? まあ別にいいが……」


 振り向いて見ると、露骨に嫌そうな顔をされたが、渋々といえど了承されたことにひとまず安堵する。


「話を引き受けるなら、条件があるんだったな。確か」


 確かとはつけたが、記憶があやふやというわけではなかった。切り出された条件を、ちゃんと鮮明に覚えている。

 ウラノスはそれがどうしたと言わんばかりの目を浮かべ、のろい動作で頷いた。


「条件は二つ。その内の一つに、毒液調査の為、実験や施術や薬の投与諸々を、なるべく拒否しないこと、っていうのがあったな」

「そうそう。当たり前だろ? 分析しなきゃ毒抜きの方法もわからない」

「もちろんそうだろうさ。それは理解している。ただ……。具体的に、どんな実験をするんだ?」


 は、とウラノスの眉がぴくりと反応する。言いたくないと拒否される前に、回り込む。


「あんたには言う義務があり、俺には聞く権利がある。治療法を詳しく説明しない医者がどこにいる?」

「俺医者じゃねえんだけど……」

「屁理屈言うな。答えないんだったら今日はとっとと帰れ」


 顎を引き、背筋を伸ばす。マスク越しとはいえ、真っ直ぐ相手の目を見つめる。毅然とした声を出すよう意識し、凜とした態度を取っているように見えるよう気をつけたが、どうだろうか。


 ウラノスは、片手で乱暴に髪を掻いたあと、顔を伏せた。


「……俺って研究職していてさあ」

「……?」


 何を言いたいのか聞きそうになったが、すんでで止めた。何かあるかもしれないと、注意深く耳を傾ける。


「かなり小さい頃から実験とかに興味があった。自分でこれ使えそうかもっていう道具揃えてずっと実験三昧だったし、科学の色んな分野の本とかずっと読んで過ごしてたんだよ」


 なぜここで自分語りが出てきたのか。疑問を隠せないクラーレを置いて、ウラノスの口は段々と饒舌になっていく。


「そんなだからな、知的好奇心も当然強い。興味のあることで知らないものがあるのがとても嫌だった……。だからすぐに知りたいと感じるし、一度そう考えると止まらなくなった」


 生き物の死骸を片っ端から集めて解剖したこともあったなあ、と懐かしさの滲む声を出してきた。

 自分の常識を軽く超えたその発言に、思わず吐き気がこみ上げた。


「で、さっき科学の色んな分野に手を出したと言ったじゃんか。俺って頭の出来が他と違うおかげでな、大体どの科学分野にも強いんだわ。……当然化学にも興味あるし詳しい」


 ウラノスはずっと下を向いているせいで顔がわからないが、今確かに、笑った。


「……ベイズム星人の毒、ずっと興味があった。初めて本で知った時の衝撃といったらなかった。解剖したくてたまらなくなった。

毒性の強さは噂されてるが、具体的にその威力がどんなものなのか、この目で見て調べ尽くしたかった。

けどあの種族、技術はあるのに全然自分の星から出てこない。こっちから行っても聞く耳持たずで追い出される。

……でも俺は諦められなかった。というか諦めるつもりなかった。子どもの頃本で読んだときからずっと抱いてきた願いだったからな……」


 上目遣いでこちらを見上げてきた。にっと口角が上がる。「結構純粋だろ?」


 否定も肯定もせず、クラーレは黙っていた。その反応を意に介した様子も無く、ウラノスは続ける。


「……でも、悲願が叶いそうだ。夢にまで見た夢に、あと一歩で、届く……」


 声が震えていた。しかし不思議と悲愴さを感じなかった。実際に彼は片腕をこちらに伸ばしながら、伏せていた顔を完全に上げた。


「楽しみだなあ! ベイズム星人の毒、本当に本当に一度でいいから調べてみたかったんだよなあ……! ああ良かった、本当クラーレがいてくれて良かったあ……! しかも他の個体と比べて明らかに毒性の弱い体液だろお? あああどうしようどうしよう、どんな実験しよう……!」


 上ずった声には、極度の興奮がよく見える。


 彼の風貌がもう少し生きている人間に近かったら、今の顔を輝くような笑みと例えられるのだろうか。

 だがもし健康的な見目形だったとしても、やはりクラーレは、彼の顔を純粋な笑顔とは言えないだろう。


 鉄橋の下にいるのと相まって、ウラノスの体全体に影が掛かっている。歪んだ口に歪に変化した目。その水色に、異様な光が爛々と輝いている。


「環境の変化にはどれくらい耐えられるんだ? 他の毒と合わせたら体のほうはどんな変化が起きる? いやそもそもどれくらいの毒性かだよなあ。水や空気は何分で濁る? 植物はどれくらいの量で枯れる? 動物だとどれくらい命が保つんだ? ああ知りたい知りたい! この目で、早くこの目で見たい……!」


 興奮状態が行き過ぎたのか、ウラノスの足下がふらふらとして覚束ない。息遣いも荒く、瞳孔がすっかり開ききっている。


 こんな声も出せたのか、と素直に感じるほど、大きめの声だった。話す速度も早かった。が、何を言っているかは、きちんと聞き取れるレベルだ。


「皆馬鹿だよなあ。毒のこと、実際に自分の目で確かめたわけでもないのに、必要以上に怖がるなんて、意味わからない」


 飛び出したその台詞に、耳を疑った。聞き返そうとした。だが、彼はすっかり自分の世界に入ってしまっており、それは叶わなかった。


「そうか」


 自分でも驚くほど、静かな声が出せた。だがウラノスの耳には届かなかったようだ。まだ何かを呟いては頭を抱えたりその場をぐるぐると歩き回る彼に向かって、ゆっくりと息を吸い込む。


「……あんた、怖いと思わないんだな」


 でも、と続ける。クラーレが何か言っていることに気づいたのか、ウラノスがこちらを向いた。いいところを邪魔されたと、不満げな顔だった。


「……あんた話にならないわ。もっと話が通じる奴連れて来い」

「話が通じる奴……? 俺の他だと、今はしかいないぞ……?」


 あいつら?クラーレが首を傾げた、まさにその刹那だった。


「駄目だわ、もう我慢の限界!」


 上の方から、誰のものかわからない声が降ってきた。誰だったろうか。この声は。

 ウラノスが、音のした方を。クラーレの背後を、顎で示した。つられて振り返り、見上げると。猛然とした勢いで土手を駆け下りる、一人の少女の姿があった。


「……?!」


 あとちょっとで下りきれるというところで少女の足は絡まり、ぎゃっという声を上げながら盛大に転んだ。

 だが少女はそもそも転んでなどいないというように、すぐに立ち上がった。肩を怒らせながら、つかつかとこちらに向かってくる。


「あなた何?! 失礼じゃない?! 自分勝手すぎない?! クラーレの気持ちも少しは考えてよ、大人でしょうが!」

「……俺まだ24だし……」

「充分大人じゃない!」

「あー……。……うるさいうるさい……」


 目の前で繰り広げられる言い合いを、ただクラーレは呆然と眺めていた。今何が起こっているのか。


 少女は、ミヅキは、体全体で怒りを表していた。


「謝りなさいよ!」

「なんで」

「クラーレの気持ちを全然考えてなかったことをよ!」

「なんじゃそりゃ。謝らねえよ、悪いことしてないからなあ……」

「いいやあなたは悪い! だから謝る!」

「……嫌だ」

「謝るんだ!」

「……断固拒否」

「謝るまで私はここを動かない!」


 ウラノスは、体中から息を吐き出すような長いため息を吐いた。


「……そんなに言うなら、勝って謝らせてみせろ」


 目の色が、鋭く変化する。しかし口元だけは、笑ったままだ。クラーレの全身に、嫌な予感が掠めていった。


「ミヅキ、俺は別に……」

「……そう」


 ぷちん。糸か何かが切れるような音が、ミヅキから一瞬聞こえてきた気がした。


「ええ、ええ! いいでしょう、いいでしょうとも! 望む所! 穹! 未來!」


 風が生まれた。はっと顔を上げると、宙を飛ぶ二人の人影が目に飛び込んできた。自分の両隣に軽やかに着地した瞬間、羽織っている白いマントが揺らめいた。


「やれやれ、初めっから力業を入れてくるつもりだったんでしょう」

「うう、やっぱり戦いかあ……。……はあ、しょうがないな」


 静かな声を相手に浴びせるミライに、若干躊躇いながらも、覚悟したように立つソラ。ミヅキもその隙に、二人と同様に変身を遂げた。


 と。何かが上空から近づいてくる音が、この場に出現した。ウラノスの後ろ。上から下に、ある物体が下りてきた。


 それは見間違えようもなく、山で見せてきた、あの乗り物だった。あの時生えていた脚が消えており、代わりに胴体から、鉄色の機械的な翼らしきものが生えている。


「こんな挑発にならない挑発に乗るか普通……。はあ、どうなるのかなあ、めんどくさ」


 ミヅキに向けてであろう台詞を残すと、彼は緩慢な動作で乗り物に乗り込んだ。案の定ミヅキは目をかっと見開き、「なんですって!」と飛び立っていく乗り物に向かって怒鳴った。


「いや、こればかりはもっともだと思うけどな……」

「まあまあ穹君。仕方ないよ、美月なんだもん」

「未來、それどういう意味……。まあ、それはともかく。やってやろうじゃないの! 喧嘩売ったこと後悔させる! そして、謝らせてみせる!」


 だから、別にいい。


 そう言おうとしたのに、声が出てこなかった。三人の後ろ姿が一瞬だけ、北極星の光と重なった。

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