phase3.1

 真っ先に、見つかった、という言葉が浮き上がった。なぜわかったのか、とも考えた。問おうとしたものの、全く声が出てこなかった。周りは熱くても、喉が凍り付いているようだ。


 冷たい汗が流れた瞬間、ハルがロボットだったことを思い出した。人を探す機能など、いくらでもついているであろう。


 丸みを帯びた小さな手を、ココロが振っている。そこだけに光が当たっているようだと感じた。ココロを抱いているハルは黙って佇んだままだし、クラーレもそこから立ち去れず、同じように立ち尽くしていた。


 ハルは置物のように静かだ。立っているというより、そこに飾られているというような。待っていても向こうは動かないという確信が湧いてきた。クラーレはやっと、口から声を発せられた。


「なんで。どうしてここが」

「偶然だ。私も探していたのだが、ここにクラーレの生体反応を捉えた。だから来た」

「……探してた?」

「君の行方を、ミヅキとソラとミライが探している。……どうやら知っているようだな。驚きの反応を返してこない」


 先程見かけたあの三人の姿を思い浮かべていたら、突如としてそう言ってきた。どきりとして目を逸らしてしまったので、完全に図星だとばれてしまった。


「……三人を呼ぶのか。いや呼んだのか」

「呼んでいない。そのほうがいいと判断したが……。呼ぶことを恐れているということは、どうやらこの判断は正解だったな」


 唾を飲もうとしたが、口の中は乾ききっておりできなかった。水は飲んだが、この暑さなら仕方ない。しかし、理由は暑さだけではないだろう。


「君が何を考えて、これからどうしようとしているのか、正確に計ることは出来ない。だが、おおよその予想はつく。言っていいものなら言うが」


 いい、と軽く首を振る。改めて言葉に出されたら、自分が平常でいられるのかという不安が襲ってきたのだ。


「……で、止めるのか? まあ、そりゃそうだよな。自分の危機だもんな。俺のことを考える暇は無いもんな、今の状況で」


 目を伏せたまま、一気に言う。自嘲をはらんだ声音になっていた。ハルは少しの間沈黙していたが、「いや」と頭を左右に振った。「しないよ」

 心なしか語尾が柔らかくなっており、クラーレは少し疑問を覚えた。


「普通だったら間違いなく止めていた。だが、クラーレに限っては、クラーレの心を配慮するなら、止めることは勧められないだろう。そう考えた。私の利益を考慮しただけでクラーレの行動を止めることは、できない。そういう結論が、私の中で導き出されたんだ」


 親が子供にと言うより、先生が生徒にものを教えるような口調だった。だが、と今度は語尾が強くなる。


「ミヅキ、ソラ、ミライには、ちゃんとクラーレの考えを話すべきだ。三人も、クラーレにどうしても話したいことがあると言って、今必死で探している。クラーレは、それに応える義務があると考える」


 口をつぐむ他なかった。正論そのものを突き付けられて、身動きが取れなくなった。一瞬ハルを見上げ、またすぐに目を背ける。せいぜいそれくらいしかできなかった。

「心を配慮って、さっき言ったな」

「言ったが」


 視界の端に、プレアデス星団の写真が映り込む。周りは黒の背景と白い星ばかりなのに、そこだけが、目立つ青白い光を放っている。星の仲間たち。この青白さは、きっとその光だ。

仲間の光。遠いものだと判別してずっと生きてきたのに、なぜだか最近。具体的には地球に来てから。その光はそんなに遠い場所にはないんじゃないかと、錯覚してしまっている。


 顔を上げる。首を傾げるハルと、ハルと同じ方向に頭を傾けるココロと目が合う。


「配慮とかいいんだよ。俺自身が、心に対して、そういう気遣いみたいなのをしていないんだから。

心なんて、無ければよかった。無くしたいと何度も思った。ずっとないがしろにしてきた。心さえ無ければ、こんな風に辛いと感じることもなかったんだと。そう思うと、この体の毒液と同じくらい、心の存在がどうしようもなく憎くてたまらなくなった。心か毒か。両方が無理なら、せめて片方だけでも無くしたかった。だけどな、どちらかを無くしたいのに、どっちも無くせないんだよ」


 頭のどこかで、なんて支離滅裂なことを口走っているんだと言ってくる、冷静な自分がいる。しかしそのもう一人の自分は、感情に任せて動く口を止めるには、力が全く足りなかった。


「だけどやっと、片方を、毒液を、無くせそうなんだ。やっと見えた道なんだよ。ずっと、ずっと、本当にずっと、その道筋を探してた。見つからないだろうってずっと思って、でも探すのを諦められなかった。

そうしたら、見つかった。探してたものが、ずっと欲しくてずっと求めてきたものが、見つかりそうになっているんだよ。

この道を辿れば、探し求めていた場所にまで行けるんだよ」


 だからどうか、許してほしい。

 次に口から出てきそうになった言葉に、やっとクラーレは口を閉ざすことが出来た。許してほしい? 誰が? 何を?


「ならばそれを、今君を探している者達に言いなさい」


 テレビ画面に映る口が、はっきりと動いた。無機質な声が、逆に一切の迷いが感じられなくて、心臓の辺りに突き刺さるような感覚がした。


「あと、心についてだが」


 何かが始まる、と勘が告げた。聞いていいのか、聞いていけないものなのか。


「心を不要と考える、その君の気持ちも理解することは出来る。心は、物事を客観的に判断することができなくなる最大要因となり得る。

それに心があることによって、苦しいこと、悲しいこと、辛いことを、全て感じなくてはいけなくなる。それによる心労は、私には計り知れない。だから心が無ければ、マイナスの感情による疲労は全て取り除かれるだろう」


 反射的に、聞きたくないと感じた。だが、クラーレは黙ってハルの話を聞いた。聞きたいという気持ちのほうが勝ったからだ。


「だが同時に、楽しいこと、嬉しいこと、幸せなことも、全て感じることができなくなる」


 色々な単語が飛び出してきた。そのどれも、知らない言葉だった。


「……無い」


 楽しい。嬉しい。幸せ。それはなんだろう。それらを感じる瞬間とはなんだろう。知識としてはわかるが、わからない。探すだけ無駄だと、記憶を探る前からわかりきっている。幸せが、遠いものだとは感じない。最初からそんなものは無いということしか、感じない。


「そんなもの、そんなもの無い。だから心はいらない。不要なんだよ。幸せは俺の周りにはいなかった。ずっと、最初から」

「本当に、そうなのか?」


 淡々とした声が降ってくる。平坦で静かで、雨のように降ってくる。暑さの感覚が遠のいていく。


「どんなものにも、表と裏は存在する。マイナスがあるならプラスも必ず存在する。クラーレは本当に、今まで幸せだと感じたことが一つも無いのか? 私の計測では、その可能性は限りなく0に等しいのだが」


 でたらめな計測だ、と言ってやろうとしたが、そんな心にも無いことは言えなかった。本当にでたらめなら、台詞の数々が、ここまで心に突き刺さりはしない。


「心があれば、幸せを自分のものとして理解できることが可能なんだ。よく考えてみなさい。思い出せないだけだ。

そして、クラーレ自身が幸せと感じた瞬間を思い出せば、おのずとどう進むべきかもわかるだろう。

はっきり言って、クラーレは一人で抱え込んで一人で全て解決しようとする癖があると見る。一度抱えているものを全て外に置いて、じっと立ち止まって考えないと、本当の道も答えも見えてこないだろう」


 思い出そうとするだけ無駄だ。無駄な力を使うだけに終わるのだ。言いたいことはたくさんあるのに、画面の口の動きを、ただただ眺めていることしかできなかった。


「そうして出した本当の答えは、きっとミヅキ達にも伝わるはずだ。あの子達を説得できるだろう。そうしてクラーレが出したその答えを、私は一切邪魔をしない。約束する」


 その瞬間、ココロがまるでハルの代わりだとでも言うように、優しげな微笑みを見せた。


「命あるものは、皆何かを探して生きている。本当に探しているものは何か、そこに行くためにはどの道を辿るべきか。探すことの連続だ。クラーレがなるべく迷わずに目的地まで行けるように、ちょっとしたアドバイスをした。お節介だと感じたらすまない」


 ハルが歩き出した。クラーレの傍を通りすぎ、順路を進んでいこうとする。通り過ぎる瞬間、「う~……」と、小さなココロの声が、耳に届いた。


「おい!」


 振り返りながら呼び止める。ハルは立ち止まり、「どうした?」と再び体をこちらに向けた。


「なんで、俺に。どうして、そんな。下手すりゃ自分の首絞めるようなこと言って」

「なるほど、アドバイスを述べた理由か。君が、私の知っている人と特徴が似通っているという理由が大きいからだろうか」

「どういうことだ?」


 言っていることが上手く繋がらない。ハルは静かに、どこか他人事のように話し出した。


「私の知人は、クラーレと同じ癖を持っていた。全て一人で抱え、一人で悩み、一人で解決しようとする癖だ。

そのせいで、目的地までどうやって行くべきか、道順を見失いやすかった。迷って迷って、迷った結果、その人間はある日、元の道に戻ることができなくなった。つまり、精神に限界が訪れた。もはや他者の力では簡単にいかない、どうしようもできないところまでになったんだ。

クラーレはその知人に当てはまる条件や該当箇所がいくつもあったから、言っておいたほうが良いと考えただけだ」


 おもむろに、ハルの頭が上を向いた。クラーレも釣られて見ると、空の遙か上空に一羽の鳥が飛んでいるのが見えた。


「私はその時、最適な判断を出力することができなかった。つまり、全く何もできなかった。このままだとクラーレもその人間と同じ将来になるという可能性が高いと考え、それは避けるべきだと判断し、言ったんだ」


 それでは、と言われて首を戻したときには、既にハルは背を向け歩き出していた。クラーレはもう、呼び止められなかった。




 しばらくその場で立ちすくんでいたが、背後から写真展の客と思しき人の声が聞こえてきて、急いで歩き出した。


 胸の辺りがざわざわとしていて、頭の中も自分でも収集がつかなくなるくらい色々なことが浮かんで、落ち着かなかった。


 もはや何を考えているのか自分でもわからない頭では、写真を見ることなど出来ない。観覧を早々に諦め、クラーレは展示物を見ず、早足で順路を進んでいった。


 通路の終わりが見えてきて、さて出ようとした瞬間だった。


 ふと何かに呼ばれたような気がして、クラーレの足がぴたりと止まった。そちらに視線を向けると、立てられた壁の真ん中に、一枚の写真が掛かっていた。


 その写真には、中央に、一つの星のみが淡く輝いていた。


 多くの星が撮られた写真ばかりだった中、一つの星だけに絞って撮ったその写真は、明らかに異質だった。


 写真の下の説明文を読んでみると、そこには『北極星(ポラリス)』と書かれていた。


『北極星は、その名の通り北の空で、時間も季節も関係無く、位置を変えないまま輝いている。地球上から見ると、全く動かないまま、同じ場所でいつも輝いているように見えるのだ。

北極星は真北の空にいる為、北極星がわかれば東、西、南の方角もわかる。その為、旅人や迷子にとっては、大切な道しるべでもある。

もし、どこに行けばいいかわからず、迷ってしまったら、北極星を探してみるといいかもしれない。北極星――道しるべの星を見て歩いて行けば、きっといつか、自分の探し求めていた場所に辿り着けるはずだ。そのような願いを込めながら、シャッターを切った。』


 北極星の探し方を書いた文章の下に、このようなことが書かれていた。

 道しるべの星。道を探すというハルの言っていたことが、自然と思い起こされた。


 星などが、導いてくれるわけがない。

そう思うのに、しばらくの間、その道しるべの星から目が離せなかった。




 後ろから人が来て、やっとその場から立ち去ることが出来た。

広場を出た後、試しに首を空に向けてみた。が、そこには青空しかなく、星は影も形も見えなかった。


 これでは、どちらが北かまるでわからない。やはり星を当てにすることなどできないと、息を吐きながら歩き出す。


 行き当たりばったりに歩いて行く。いつの間にか、ひたすら町を歩くことが目的にすり替わっていた。様々なことが渦巻く頭を整理するべく、とにかく足を交互に出していく。

 そこそこの時間が経過したとき、クラーレは先程の北極星の説明文を考え始めた。下らないという感想を、率直に抱く。


 本当に道しるべの星なら、自分の前に現れて、あっちに行きなさいこっちに進みなさいと直接教えてくれればいいものを。


 だが、そんなものはない。あるのは、無理矢理渡された、パルサートラップという名の、白い箱だけだ。


 クラーレはポケットから箱を取り出し、じっと見た。蓋を開けると、中に鍵が入っており、おもむろにそれを手に取ってみた。鍵穴と鍵が一致することに気づき、なんとなく、鍵を差し込んで回してみる。


 すると、箱全体が強く光り輝いた。慌てて顔を伏せ、光が治まったタイミングで箱を見ると、箱は箱では無く、ケージのような、檻みたいな形に変わっていた。


 だが、それだけだった。北極星のように、何か道しるべらしいものが現れたわけではない。そんなものだと、嘆息する。


 そもそも道しるべの星というのが胡散臭いことこの上ない。例えば、この目の前で輝く、真っ白な物体みたいにきちんと姿を現してくれれば、頼りにするものを。ものの例えでは、どんなにそれらしいことを言っていても、頼りないし信用出来ない。


 そこでクラーレは初めて気づいた。何かがおかしいということに。


 クラーレは、改めて目の前の景色に目を凝らした。手のひらの上に載る、パルサートラップ。その内側に、何かが入っていた。


 真っ白い光を放つもの。真っ白い眩さを持つもの。浮遊するその光がパルサーという名前を持っていたと思い出したとき、クラーレの体は固まった。


「……おい待てこれどうすりゃいいんだ?」


 頭を前後上下左右にぐるぐると回すも、歩く人々はクラーレが今どういう状況にあるか知るよしもない。


「……本当にどうすればいい?」


 トラップを片手に載せたまま、ぐるぐると同じ場所を歩き回り出す。

もしかしなくとも、これはハル達が探していた物体ではなかったか。確か、宇宙船を完全に動かすために、絶対に必要だというようなことを言っていた。


 早く見つけたいのに、なかなか見つからない、見つかったとしてもすぐ消えるのだと。そのせいで捕獲に手間取っており、皆苦労している様子だった。


 皆が探していたそれが、今自分の手の中にある。


 何をするべきか、わからなかった。まさか道行く人にこれからどうすればいいですかなどと聞いていいわけがない。自分で決めるほか無い。その場をぐるぐると歩きながら、頭もぐるぐると回っていた。


 パルサーが突然現れて、自分が捕まえたという衝撃。それがようやく冷め、落ち着いたとき、再びクラーレは歩を進めだした。


「……せめてもの、だな」


 せめて、何かは返さなくては。その何かがパルサーであったら、恐らく充分だろう。何も返さないまま去るのは、自分が嫌だった。


「……戻るか」


 とりあえず宇宙船に。そこから連絡を取って、皆を呼んで、パルサーを渡さなくては。


 これからどうすべきかとりあえず決まり、はあとクラーレは息を吐き出した。正直宇宙船へと戻るのはとても肩身の狭い思いを感じるのだが。四の五の言う権利はないし、そのつもりない。


 よし、と軽く頷き、二歩、三歩と進み出す。そこで急に、クラーレの足が止まった。


 360度、ぐるりと辺りを見回す。そこで、新しく、そしてとても重要なことに気がついてしまった。


 ここがどこか、わからない。宇宙船までの道が、わからない。

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