phase3「道しるべの星」
初めて自身を受け入れてくれたという、都合の良い錯覚を見ていただけだった。随分と長い間ひどい夢を見ていた気がするが、ようやく完全に覚めることができた。
よくわかった。自分のことを理解してくれる者などいない。共感してくれる者もいない。自分が今まで感じてきた苦しさをわかってくれる者など一人もいない。
自分と他は違う。わかっていたはずだったが、しっかりとわかっていなかった。なぜ今まで気づかなかったのだろうか。
もうどうでもいい。今までの恩だとか、受け入れてもらえたという夢を見せてくれた礼だとか、何もかもどうでもいい。
クラーレの頭の中には、そんな言葉が延々と回り続けていた。早く脈打つ胸に広がっているのは、失望の感情だ。
マスクが少しでもずれたりしないよう両手で抑えながら、まず山を下りた。途中で気づき、手をもたつかせながらクリアカプセルを装着すると、目についた道に片っ端から入っていった。とにかく前へ前へと足を進め続けた。
あまり走りすぎると体力が持たないので、こまめにわずかな時間の休憩を挟みながら、競歩を心がけつつ歩く。とにかく、見つかりたくなかった。特に、ミヅキ達に捕まるわけには、絶対にいかなかった。
遠くの風景が陽炎でゆらゆらと揺らぐ町の中を、行き当たりばったりで進んでいく。
山だけでなく、この住宅街からも早めに去らないといけないと考えていた。ミヅキにソラ、ミライが住んでいるのだ。長居は禁物だろう。
クラーレは逃げる一方で、別の人物も同時に探していた。ウラノスは一体どこに行ったのだろうか。歩きつつあちらこちらに目線をやっているが、姿も見えなければ気配も掴めない。
どこに行くのか聞いておけば良かったと、クラーレは後悔の念を抱いた。ダークマターに助力とは、具体的にどういうことをすればいいのか。ちゃんと話を聞いておきたかった。
聞いてどうするのかと言われたら、上手く答えられない。取引を了承するのかと聞かれたら、恐らく悩むだろう。
というのも、毒を消す、抜くという謳い文句で近づいてきて、結果的に金銭だけ取られそうになって肝心の治療は無してという、いわゆる詐欺に何度か遭ったことがあるからだ。持ち前の警戒心の強さのおかげか、全て未遂に終わっているものの、疑い深くなるには充分な材料だ。
せめて詳しく話を聞いて、客観的に証拠を集めて、それから信用出来る、毒が自身から完全になくなって生きていける未来が見えたら、判断してみよう。もっとも、判断よりも先に、答えが出ているかもしれない。
毒が本当に自分から無くなるのであれば、その時は。
一心不乱になって歩いているうち、いつの間にか商店街を抜け、隣の町にまで来ていた。
「……普通の町、だな」
単に名所を知らないだけかもしれないが、本当に普通の町だった。特徴があるでもなく、平凡そのものといったような。
もともとクラーレは、旅の最中に町に寄っても、そこで情緒や風情をあまり感じなかった。ほんの少し違うだけで、どこも大体同じようなものだと思っていた。それはこの町も変わらなかった。
本屋から楽しそうな表情を浮かべて出てきた人。
スーパーの前で、たまたま会ったらしき、話に花を咲かせる二人の主婦。
ジュース片手に笑い合いながら歩く学生達。
手を繋ぎながらカフェに入っていった恋人同士。
買い物途中らしい家族連れ。
同じくらいの速度でゆっくりと歩く老夫婦。
休日だからか、それなりの人が出歩いていた。各自、その人なりの日常を過ごしている。それぞれ、平凡なようで、確かな幸せが伝わってくる日常を送っている。
どの星、どの集落も同じで、どこも似たり寄ったりだと感じる。
クラーレのことを、すれ違う人達は皆、知らない顔をして通り過ぎていく。日常を保ったまま、クラーレのことなど気づかずに、去って行く。クリアカプセルをつけているから、当然だとわかっているのだが。
この中に立つ自分は、唯一どうしても溶け込めない、異質な存在なのだと感じざるをえない。
進んでいくうち、どうやら駅前らしい場所に出たクラーレは、偶然目についた、木の周りを囲ったベンチに近づいた。ふらふらと腰を下ろした瞬間、全身の力が吸い取られていくような気分に陥った。
束の間の休息を間に挟んでいただけでは、やはり疲れは取れず蓄積していく一方だった。更に身体だけでなく、頭にも着実に疲労が溜まっていた。
「何も考えたくない……」
ぼそりと呟いくと、疲れが形となって、どっとのしかかってきた。
全部疲れた。
後ろの木に背を預けてしまうと、もう駄目だった。厳しさの衰えない暑さと疲れとで、体がどんどん溶けていくようだった。指先一つも動かせない。
背をもたれさせていると、必然的に顔が上を向く形になる。視界に入る青い空と白い雲が「見るな」と言っているようで、目を閉じた。
空の青さはとても綺麗で、雲の白さはとても優しい。美しいと思うが、だからこそ、自分にやすやすと見せていいものではないと感じる。
まぶたを下ろして視界が閉ざされると、いよいよ意識が薄れていきそうだった。しかしやはり暑さと疲れで、眠るところまではいかない。
このままずっとこうしていたい。切実な願望が、静かに湧いてきた。このまま目を閉じて、動かないままでいたい。そうやっていつか、跡形もなく無くなっていればいい、と。
「うわーーーん……!」
真っ暗な世界に浸っていると、どこからか、場違いな音が聞こえてきた。
鼻を啜る音。しゃくり上げる音。何より、声。誰かが泣いている。それも大きな声で。
条件反射で目を開けて見回すと、ベンチより少し前にある噴水の近くに、小さな子供がいた。顔を涙で塗らしながら、大声を上げている。涙声に紛れて、親を呼んでいるのを見て、クラーレはすぐに迷子だと察した。
軽く辺りを探すも、それらしき人物は見つからない。子供の周りを過ぎていく者は多く、子供をちらりと一瞥していく者も多かったが、立ち止まる者はいなかった。クラーレは椅子から立ち上がり、子供に近寄った。
「……どうしたんだ。大丈夫か?」
しかし、子供はクラーレの声が耳に入っていないかのようで、全く泣き止む気配を見せなかった。そこでクラーレは、クリアカプセルをつけていたことを思い出した。
外そうとカプセルを摘まんで引っ張ったところで、手が止まった。ゆっくり子供から離れ、いきさつを見守る。
程なくして、大人が近づいてきた。一瞬クラーレに緊張が走ったが、両者の反応を見るに、子供の親のようだった。子供は安堵と喜び、親は安堵そのものの表情を浮かべながら抱きしめ合い、その場から去って行った。
二人の後ろ姿を見ながら、やはり話しかけなくて良かったとクラーレは改めて思った。
顔面を覆う、特殊な形状をしたマスクに手で触れると、堅い感触がした。もしあそこでカプセルを外して話しかけていたら、怖がられて尚更泣いたろうし、自分が不審者だと怪しまれるだろう。この星に訪れてすぐ、カプセルを付けずに町に出たとき、すれ違う数多くの人から、恐怖と好奇の目で見られたことを思い出したのだ。
そういえば、と再び目を閉じる。広がった真っ暗闇の中に、ある光景が浮かんできた。
あれは確か、どこかの星での出来事だった。このマスクを手に入れてから間もない頃だったろうか。
町で、店か銀行か何かの強盗が、警察に追われているところに出くわしてしまった。クラーレは、混乱に乗じてその場からこっそり離れようとした。
遠巻きに眺める野次馬も大勢いたが、クラーレは正直どうでもよかった。興味無かったうえに、大人数の警官に少人数の犯人の一味はすっかり包囲されてあり、捕まるのも時間の問題だと考えていたからだ。
と、突然周囲の人達のざわめきが強くなった。悲鳴や怒声が野次馬のあちこちから上がる。
何事かと見ると、なんと隙を見て、強盗達が幼い子供を捕らえ、人質にしていたのだ。泣き叫ぶ子供の親に、手出しができない警官、何も出来ない人々。犯人達は味を占めたのか、逃亡用の宇宙船と水や食糧、金銭を要求してきた。
拘束され、銃を突き付けられた子供は声を上げて泣くこともできない様子だった。体はがたがたと震え、口からは声にならない声が出続けており、見開かれた目からは涙が流れ続けている。
誰にも為す術がないまま、犯人達は人質を連れ、その場から離れていきそうになった。涙と恐怖で濡れた子供の目が、クラーレのほうを見た、ように感じた。
気がつくとクラーレは、強盗達の前に出ていた。当然、周りの人々からは戻れなどと言われたし、強盗達からはそれ以上来るなと銃口を向けられた。
クラーレは、指を鉄砲の形にして、人差し指を向けた。それで子供を離せと言うと嘲笑されたが、手袋を外して鉄で覆われた手を見せると、強盗達どころか周囲の空気が変わった。
その隙を見計らってポケットから小さな透明の容器を取り出した。鉄を外した指をそこに入れ、「よく見てろ」と全員の視線を注目させる。指の先から濃い紫色の液体が垂れてくるのを見させると、周囲からどよめきが起こり、強盗達の一人の顔色が青ざめていった。
「子供を離さないと、この液体をかける。この量でも、大人一人の体は充分溶ける毒性だ」
三分の一にも満たない量が溜まった段階で液体を垂らすのを止め、容器を見せる。
だったらどうしたと言いかけた犯人達に、顔色が変わった犯人の一人が「やめろ」と制した。
「あいつ、ベイズム星人だ」
それが大きな隙となった。あっという間に強盗達は取り押さえられ、人質も解放された。
安堵の空気が広まったのも一瞬だった。犯人達が連行されていった後、別の緊張が周りを包んでいった。
「やっぱりベイズム星人は」「あんな恐ろしい脅しを平気でする」「人をなんとも思っていないんだわ」
警官からは、確保に尽力したことに対しては何も言わず、毒をかけると脅したことを少し責められた時点から、嫌な予感はしていた。予感というより、やっぱりか、という辟易だった。
ただ、「毒漏れたんじゃ」という不安の声には、唯一、「大丈夫だ」という擁護があった。
「あの容器はダークマター製だ。社章が貼られているのを見た」
「だからなんだよ」
「ベイズム星人とほぼ同じ成分の毒性入れても、なんの問題も起きなかったという結果が出てるんだぞ」
もとはどんな薬物や毒物を入れてもいいようにという名目で作られた、実験器具の一種らしい。
その耐久は、評判で知っていた。配布されていたサンプルを持っていただけだが、こんな風に使われるとは想定していなかったろう。
そうなのか、と感心する声を聞きながら、注意や関心が少し自分から逸れたことがわかった。
もうここに用はない、さっさとこの星から出て行こうと、その場から離れようとしたときだった。
「毒液が漏れたら、どうするつもりだったんだ!」
こめかみと頬の間の部分に、軽い衝撃を感じた。何かにぶつかったような、というべきか。一呼吸遅れて、それが石だとわかった。それは果たして幸いだったのか。マスクをしていたので、クラーレに外傷はなかった。
「壊すことや奪うことしかできないくせに! あの強盗達と同じ、いやそれよりもひどい奴らだ!」
あの時投げつけられた台詞が耳のすぐ傍で聞こえた気がして、目を開けた。噴水の近くで涼む人達が、目の前にいた。そうだった。今は、あの星のあの町ではなく、地球の、名前を知らない町にいるの。
やっぱり、と広場に背を向け歩き出す。
やっぱり、毒をなんとしてでも抜きたい。
毒が無くなれば、絶対に見えてくる。今はこんな不必要な力を持った自分でも。
奪うのではなく与え、壊すのではなく生み出すことができる未来がやってくる。
誰かを助けても罵倒されず、石ではなくありがとうを投げられる未来が訪れる。
マスクをせずに歩くことが出来る。自分の居場所も見つかる。帰っていい場所も見つかる。
そんな未来が、絶対に見えてくるはずだ。この毒さえ無くなれば。
そのはずがないのに、あの時石がぶつかった箇所が、ずきりと痛んだ。
「クラーレーーー!!!」
聞き覚えのある声が、頭に向かって飛んできた。その声は、石をぶつけられたときと同じ、あるいはそれよりもずっと重かった。反射的にクラーレは、急いで駅前広場から離れた。
その直後、さっきまで座っていたベンチの辺りに、一人の人影が現れた。クラーレは目を疑った。その人影は、ミヅキは立ち止まると、視線を左右にやりながら、大きな声を発した。
「一回でいいから! 戻ってきてー!」
声も、顔も、切羽詰まったようになっている。とても焦っているのだということが、よく見て取れる。
周囲を歩いていた人々の、奇妙なものを見るような目線がミヅキに集まる。ミヅキは気にしない様子で、前後左右にきょろきょろと目をやっていた。が、やがて肩を落とすと、ポニーテールを揺らしながら、クラーレのいる方向とは逆に走り去っていった。
「……なんで」
呟いても、答えを聞きたい相手はもう既に行ってしまった。もとよりいたとしても、姿を現す気はない。
ミヅキは人を探している。クラーレのことを探している。なぜ、どうしてそんなことをするのか、全く理由に検討がつかなかった。
とにかく、ばったりと出くわす、なんてことがあってはいけない。来た道を引き返す形で、そのまま歩き出す。駅前に通じる道を今度は逆戻りしていると、すぐ背後からまたもや覚えのある声が現れた。
「クラーレさんー! 聞こえたら、返事して下さい!」
恐らく横の道から出てきたであろうソラが、きょろきょろと視線を巡らせていた。だが、目と目が合う前に、傍に立っていた電柱の影に隠れ事なきを得た。
ソラは事もあろうに、こちらに向かって小走りに近寄ってきた。見つかったのかと冷や汗が流れたが、ソラは寸前で立ち止まると、左右に視線を巡らせ、駄目だとばかりに首を軽く振った。嘆息し、駅前の方角へと駆けていく。
クラーレは足早に、商店街のあるほうへ走った。ミヅキやソラが行った方向とは全く逆であるところへ行けば、はち合わせることもないだろうと考えたのだ。
だが、想定外のことが起きた。商店街に辿り着き、真っ直ぐ歩いていると、前方に見覚えのある背中が見えた。
「クラーレさんー! どこにいるんですかー! ここですかー!」
ミライが、電柱や自販機の影を一つ一つ確認しながら走っていた。頭を振り返るような動作を確認した途端、クラーレは飛び込むようにして、店と店の間にある路地に体を滑り込ませた。
「……あ、美月? うん、見つからない。私もそっちに行ったほうがいいかな? ……平気? うん、わかった。じゃあ私はこの辺り探してるよ」
息を殺しつつ様子を窺うと、そんな風にコスモパッドでこっそり会話している姿が目に入った。
通話を切ったミライは、小走りにクラーレのいる場所から遠ざかっていった。
「……今更」
その姿を見ながら、誰にともなく言う。
もう遅いのだ。彼女達では、毒を抜くことも消すこともできない。自分とは違うという溝。どうやっても理解し合えないという溝。それはずっと深く広いままだ。もし謝られたとしても、何も変わらない。
店と店の間の隙間の道を、そのまま進んでいく。狭い道が、マスクによって更に狭く感じる。
窮屈さを覚える頭の中に、シロの姿が浮かんだ。
シロには申し訳ないことをした。あの子には謝りたい。自分がしっかり見ていなかったせいで、今苦しんでいるのだから。
一緒にいると、確かに心が安らぎを覚えた。そのお礼もしたかった。しかし、シロとの間にも、結局溝は存在しているのだ。
この狭まった空間が、妙にしっくりくる。光があまり差さず、人通りが全く無く、寂しく暗い場所。ここは、今の自分によく似合う所だと思った。
真っ直ぐな狭い道から抜けた後も、ひたすら真っ直ぐに歩き続けた。
単に右に曲がるか左に曲がるか、そういうことを考えるのが面倒だっただけだ。やがて道が途切れ、行き着いたのは、広場と一緒になった、緑の多い公園だった。
道路は終わっても、道そのものは続いている。クラーレは何も考えないまま、中に入った。
木漏れ日が作り出す陰影を眺め、木々から漂ってくる青臭い匂いを嗅ぐと、宇宙船が停留している山を自然と思い出す。
もうあそこにも長くはいられない。そう考えると、心臓の辺りがかすかに痛んだ。しみるような痛みで、痛いとわかる前に消えるような、あまりにも小さいものだったが。
喉の渇きを覚えたクラーレはそこで初めて道を逸れた。広場らしき場所の近くに水飲み場を発見し、喉を潤した後、せっかくだしと広場に出てみた。
「……?」
その光景に、少しの違和感を覚えた。広場にはあまり多くない人が集まっていた。そこまでは有り得る光景だが、それ以外が違った。広場の中に、イーゼルや木で出来た壁のようなものが設置されており、通路のように並んでいるのだ。
答えはすぐにわかった。近くに置かれていた看板に、今屋外写真展が開かれていることが記されていたのだ。
看板には、入場料無料とあり、誰でも自由に見られるということが強調されていた。少しの間立ち止まっていたクラーレは、次に動いたとき、写真展の方角に足を向けていた。
公園にも、公園の外にも、多くの人がいるというのに、ここにはあまり人が来ていない。もしかしたらあまり質には期待できないかもしれないと、正直思っていた。だが、一枚目の写真を覗き込んだ瞬間、その思いは一瞬のうちに吹き飛んでいた。
入り口から入ってすぐにあったのは、星空の写真だった。目が惹きつけられるような、目を奪われるような。そんな言葉ではとても表しきれない衝撃だった。
星とは、こんなに美しいものだったのか。いの一番に感じた。
宇宙を旅してきたせいか、星空というものには飽きていた。眺めても、神秘だとか幻想だとかを感じ取ることはなかった。
ただ、この前海で星空を見て以降は、久しぶりに綺麗だと感じるようになっていた。が、この写真の中の星は、綺麗だなとしんみり感じるようなものではない。一目見た瞬間に、体もろとも一斉に消滅しそうになるような、美しさだ。
それだけではない。星の美しさだけでなく、儚さ、恐ろしさ、残酷さ、暖かさ。他にも言葉に出来ないようなものが大勢。それら全て、絶妙なさじ加減で調合され、溢れんばかりに詰まっていた。星にこのような一面があったのかと、初めてわかった。
クラーレはゆっくりと写真展の中を歩いて行った。一枚の写真を鑑賞するのに、最低でも一分弱は時間をかけた。
自分の波長と、これらの写真達から滲み出てくる波長が、ぴったりと合うような感覚がする。心の中、自分でも届かない場所に、すっと嫌みなく入ってくるかのような。
感動などという生易しいものではない。それ以上に、奥深くに眠る何かと共鳴する力を、この写真らは持っている。
「ん?」
中程までいったところで、少し開けた場所に出た。その空間は、今まで等間隔に続いていた壁がなくなっており、幾つかのイーゼルが置かれていた。
「……プレアデス星団」
その真ん中。大きなイーゼルに掛けられてある、大きな一枚の写真。傍の看板に書かれていた写真の題名を読み上げたクラーレの心臓が、軽く跳ねた。
シロの種族と同じ名前を持つ天体。それは真っ暗な空を背景に、青白い輝きを見せる、幾つかの星の集まりだった。
先程まで写真を眺めていたときとは違う感覚が、クラーレに襲ってきた。息が苦しくなってくるような。それなのに、どこかが、なぜか、暖かいような。でもやはり、苦しくてどうしようもないような。
「和名では
少しでも息苦しさから解放されたくて、題名の下に書かれている説明文を読み上げていく。それでも全て声に出すことは苦しく、どうしても途切れ途切れになってしまう。
「昴は、“統ばる”とも読める……。統ばるとは、統べるとはやや異なり、統一されている、一つに集まっているという意味を持つ……」
途切れ途切れではない。主張してきてならない文章がちらちらとどうしても目に入ってきてしまい、それを中心に読んでいるだけにすぎないのだ。
「星団とは、恒星の集まりのことをいう」
主張しているのではないのかもしれない。自分の目が、勝手に反応しているせいかもしれない。
「プレアデス星団は、一つに集まった、星の仲間たちなのではないか。そのように考えながら、私は今回、この写真をカメラに収めた」
仲間。特にその二文字が、妙に大きく見えた気がした。強い力を放つ言葉と感じた。何者も寄せつけないような力。星の仲間たち。そう思って今一度プレアデス星団の写真を見てみると、その青白い光が、他者を寄せ付けないような眩さに思えてならなかった。
仲間。なんと遠い場所で輝く単語だろうか。霞んで見えなくなるほど遠くにあるせいで、逆に、手を伸ばすことも、それを見ようと目を凝らすこともしなくなった。
だがこの瞬間。確かに、手を伸ばしたくなっていた。その姿を見たいと、目を凝らしたくなっていた。
ずっと背を向けていたのに、どうして今更。自分で自分がわからず混乱に陥っていると。
頭の中に、突然現れたものがあった。真っ暗闇の空間に、ある一点に一瞬だけぱっと光が当てられたようだった。
ミヅキが、ソラが、ミライが、自分の名前を呼んで、走っている姿。呼ぶ声も聞こえてくる。走っている姿が、高い解像度で蘇ってくる。
どうして今。なんで今。それが。ますます意味がわからなかった。なんの脈絡もないはずなのに、どうしてあの光景が。
「クラーレ」
混乱の渦中に飲まれていたクラーレは、背後から聞こえてきたその声に思わず釣られ、ゆっくりと振り返った。
声というより音声と例えたくなる、無機的な声質。
強い日差しと温度の中、トレンチコートを着込んだままのハルが、後ろに立っていた。腕に抱かれているココロは、にっこりと笑っていた。
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