phase2.1

 まず駆け巡ったのは、今すぐここから立ち去らなくてはいけないという危険信号だった。体を捻り、来た道を戻ろうと体勢を変える。だが、勝手に足が止まった。


 ウラノスは追いかけてこなかった。仮にも追っている存在の近くにいるものと対峙したにも関わらず。


 不自然さが気になって振り返ると、彼はうずくまったままだった。傍の木に片手をつき、もう片方の手は、恐らく口元にやっている。丸まった背中からは、病人の雰囲気が漂っていた。


 ゆっくり近寄り、恐る恐る顔を覗き込んでみると、今のウラノスの調子がどんなものかよくわかった。


 口元を抑える顔色はとても悪かった。顔面蒼白で、血色も悪い。生気がまるで感じられず、半分死んでいるようだった。やつれている人間というのはこういう人のことをいうのだろう。


「お、おい、大丈夫か?」


 隣に腰を下ろし、よれよれの白衣を着た背中をさする。


 見ていられなかった。今目の前にいるのは敵でもなんでもなく、具合を悪くして体調を崩しているにすぎない人だ。


 ウラノスは何も言わず、はあ、と重い息を吐き出すと同時に、白衣のポケットに手を突っ込んだ。そこから取り出した白い錠剤はシートに包まれておらず、そのままだった。口に放り込んだ途端、ごりごりと噛み砕く音が聞こえてきた。


「え、水は」

「んなもんいらねえ……にがっ」


 盛大に顔をしかめ、げえっと舌を出してきた。当たり前だろうと嘆息し、様子を窺う。更に具合が悪くなったように見えたウラノスだったが、薬が効いてきたのか、次第に顔色が良くなっていった。とはいえ青白さは変わらない。ただ、今にも倒れそうな、切羽詰まった状態をひとまず抜け出せたことは伝わった。


「なんなんだってのこの星の暑さは……。ファーストスターだったら路上の気温が過ごしやすい温度に設定されてるってのに……。原始時代でもねーわ遅れすぎか……」


 両膝を抱えて座ると、一人言のように、苛立ちが含まれた声でぶつぶつと呟きだした。長々と何か言っていたようだったが、聞こえたのはこの台詞のみだった。


 一人の世界にすっかり入り込んでいるウラノスに、果たしてこれ以上声をかけていいものかと、いつの間にか背中から放していた手を宙でうろうろとさ迷わせてると。ぐる、と前触れなく、ウラノスが濁った目をこちらに向けてきた。


「お前も大変だなあ……。こんな地獄みたいな星にいてさあ……」

「俺はこの星の生まれじゃないからどうでもいい」


 同情してあげている、という高圧的な言い方が気に入らず、わざとそっけなく返した。

 目線を逸らすと、ウラノスは自分の膝を軽く手で叩いた。


「ああ~そうだったそうだった。お前はベイズム星出身だったなあ……」

「……何が言いたい」


 くっくっく、と妙な音が聞こえてくる。ウラノスは顔を伏せていたが、わずかに見せる口が、ぐにゃりと歪んでいた。不気味な笑いを浮かべる彼に、クラーレは自分の目がどんどん鋭くなっていくのを抑えられなかった。


「……お前さあ、けっこー人間のこと好きだよなあ?」


 盗み見るような視線を見せたウラノスの額には、汗が滲んでいた。木陰にいるとはいえ、日差しの暑さは厳しいままだ。クラーレにも汗が伝ったが、その温度は冷たかった。冷や汗と呼ばれるものだったからだ。


「……は?」

「けどま、好きなものには裏切られるもんだよねえ。うざいよなあ」


 愕然とするほか無かった。ウラノスは、自分の中で完結し、納得したとばかりにまた目を伏せ、押し殺したように笑った。クラーレは勢いよく立ち上がった。


「何を言おうとしてるんだあんたは!」

「なんで怒んだよめんどくせえなあ……」


 見上げてくる水色の目は、対象物を観察する科学者の目つきと同じだった。自分のほうが見下げているというのに、上方からじろじろと見られている感覚がして、不快に感じざるをえなかった。


 よいしょ、と口に出しながらウラノスは立ち上がった。それでも猫背と相まって、背の高さは自分よりもずっと低かった。


 なのにどうしたことか、落ち着かない。優位に立てているという気がまるでしない。むしろ逆に、追い詰められている気がする。気のせいではなく、その空気は着実に濃くなっている。逃げ出せないのは、暑さで頭が正常な判断をできなくなっているからか。


「なあ、ベイズム星人のクラーレ……。俺はわかるよ、お前の辛さが」


 ウラノスの目尻が、哀れむように少しだけ下がった。


 暑さは言い訳だと、クラーレは気づいた。ウラノスがどんなことを発するか、知りたいという好奇心を抑えられなくなっている。生気の宿っていない死んだ目から、視線が外せなくなっている。


 「お前は」とウラノスは、力が入りきっていない人差し指で、クラーレを指した。


「人間が大好きだ。仮にも敵の俺に近づいて大丈夫などぬかすとか、よっぽどの博愛主義者じゃなきゃできねーことだ……。人ってものが好きで好きでたまらないんだろ。でも、体の毒のせいで、愛してやまない人間からは怖がられ、避けられてやがる。おまけに故郷のベイズム星じゃ、毒性が低いからとほぼ追放みたいな扱いを受けたときた。いや~辛いねえ……。俺には無理だなあ……。すげえなあ……」

「もういい」


 意識がはっきりした時には、ウラノスのよれよれに伸びきった服の胸ぐらを掴んでいた。どくどくと血管が脈打っている。何も考えられない。ただ体が、頭が、異様に熱かった。


「口閉じろ! 上からな同情の台詞なんざいらねえ、間に合ってんだよ! とっとと消えろ!」


 腹の底から言葉が出てくるのがわかった。ぶつけてもぶつけ足りない。こんなに大きな声を出せることに、生まれて初めて気づいた。だからか、すぐに喉は枯れた。最後のほうは、迫力に欠けた掠れた声しか出なかった。


 まだまだ言いたいことは山のように残っていた。だが喋ることが困難になり、止めた。軽い息切れを起こしたが、それでも服を掴む手は緩めなかった。


 が、緩みそうになった。ウラノスの口が、また笑ったからだ。髪の隙間から、どろりと纏わり付くような目でクラーレを見てきた。


「くく、落ち着けよ……。俺はなあ、ただうまーい話を持ってきただけなんだよ」


 肩を震わせ、ずっと気味悪く笑っている。単にそれが怖いと感じたから、何かこれ以上は聞いていけないと感じたから。クラーレは、手から力を無くしてしまった。まだ掴んでいる素振りは残っているが、服に触れているだけだ。


 力を懸命にかき集めてもう一度掴むも、その実、ここから逃げたいと感じていた。手を離して、両耳を塞ぎたかった。


「お前をずうっと、生まれた時から苦しませてきたその毒。消したいと思わないか? 無ければいいと考えたこと、一度くらいはあるよなあ?」

「黙れよあんたっ……!」


 言ってから、その声色が泣きそうに震えていたことに気づき、しまったと感じた。だが遅かった。にたりとした笑みを見ながら、クラーレは声に出さずに答えていた。


 毒がなければよかった。毒を無くしたい。そう思った回数など覚えていない。数えようともしていない。一日に何回と感じることを、日課のように、毎日欠かさず思ってきた。


「でも毒液が無けりゃ、ベイズム星人は死んじまう。血と同じくらい大切な体液だかんなあ……」


 そうだ。毒液を失うことは死を意味する。もし体の血液がなくなっても、毒液が残っていれば息を吹き返せる。

 ありとあらゆる命を奪い尽くすのに、自分の命だけは支える毒液が、今この瞬間も、クラーレの体を巡回している。


 頭の中で言う。どうしようもできないと続ける。きっと顔に出ているのだろう。自身の、生まれた瞬間から恐らく抱えていただろう、ただ一つの願いが。


「俺が作ってやろうか? 毒液を抜く方法。毒液を抜き出しても、死なない方法」


 蝉の鳴き声が急に現実味を帯びたものではなくなった。鳴き声だけでなく、地面の上にいる感触や、服を掴んでいる感覚も、さながら夢の中にいるような、曖昧なものに変化した。


 その中で、ウラノスだけは、唯一違った。木漏れ日を受ける彼の顔は、今まで見たどんな存在よりも、眩しく見えた。


 目が離せない。視線を逸らせられない。そのつもりなど微塵も無いのに、じっと見てしまう。


「うそだ」


 この世で最も聞き覚えがある自分の声が、別の人のものに聞こえた。声の主が自分かそうでないかなど、考える余裕がなかった。今この目の前で不敵に笑う人物は、なんと言った? どういうことを口にした?


「できるはずがないって? 普通ならそうだろうなあ。だが俺は、ここが普通と違うんだよなあ……」


 とんとん、と、ウラノスは頭を指で叩いた。


「ぐたいてきには」


 ふ、と服を掴む手から、力が抜けた。両手が垂れていく。重力に逆らわずに。重力には逆らえない、それが道理であり、常識だ。今他のことを考えられないのも、考えてはいけないと思うことも、道理であり、常識なのだ。


「まあそうだな……。毒の成分見て、その成分と全く同じ液体作って、毒液の代わりに注入するっていうのが最有力候補だな……。点滴っつーか、輸血みたいになあ……。他にも少し考えたら色々浮かびそうだあ……。俺は頭の出来が凡人とは違うからなあ、この程度ちょっと努力すればなあ……。その努力が面倒臭いけど……。でもこればかりは興味あることだし」


 有り得ない、の五文字が突如頭に出現した。瞬間、少し現実の感覚に戻ってきた。


 有り得ない。そんな簡単にできるはずがない。はったりに決まっている。何かの罠だ。ずっとずっと、地獄のような時間を味わい続けたのに、こんな簡単に解放されるはずがない。絶対に有り得ないことだ。


「あ、俺の実力が不安とかかあ……? こんなの作れるレベルだって言ったら納得できるか……?」


 さっき薬を取り出したポケットから、スイッチのついた黒い小さなリモコンのようなものを取り出した。ぱち、とスイッチを倒して切り替えると、空気が揺らいだ。ウラノスの後ろに、今まではなかった、否見えていなかった機械が、立っていた。


 ドーム状の、カプセルのような乗り物。高さはクラーレの腰くらいか。中に操縦席のみが見える、シンプルな作りだった。デザインも、灰色一色の無難なものだった。


 ウラノスはその乗り物に近寄り、軽く撫でた。


「これは俺が14かそこいらの時に作った。10年前だな多分……。軽い気持ちでダークマターやバルジに見せたら、商品化が決まった……。

走れるし泳げるし飛べる。中も快適そのもの。ロボットも武器もしまえる……。俺はこれ一つでな、生身だとすぐぶっ倒れる外出がいくらでもできんだよな……」


 下から足が生えてくるんだ、とやはり速度の遅い口調で説明を付け加えてきた。だが正直どうでもいい。たとえどんなものを作ったとしても、信じられなかったろう。毒を抜くなんてこと、絶対にできない。


「あとさっき飲んだ薬も俺が作った……。回復するのあっという間だったろ……? 証拠欲しいなら見せるぜ……?」


 首を振って拒否すると、ウラノスはおもむろに、薬やスイッチが入っていたポケットから、今度はパネルのような端末を取り出した。


「これ、毒抜きのプランな……。どうだ? 何か異論はあるか……?」


 片手で押しつけられた端末を、思わず両手で受け取ってしまった。目の前にあったからとりあえず見たが、書かれてあることのほとんどが理解できなかった。ここにどれくらいの信憑性があるか。書かれていることが真実でも、計画の危険性や成功確率は。


 どんなに指で画面をスクロールしていっても意味がわからない。この計画書を読んで、自分でやるかやらないかを判断することができない。


 「何もわからない」と返すと、「だよな」と向こうは笑ってきた。


「疑いたきゃ好きなだけ疑え……。俺の実験には狂いなんてねえんだからよ……」


 どうすれば。確かにそう感じている。逃げたいのに体が動かないことに、焦りを覚えている。心が吸い寄せられていることに、焦りを覚えている。もっと聞いてみたい。手を伸ばしたくなっている自分を制御することが出来ない。


 何かを思いだしたかのように、ウラノスは指を鳴らした。


「言っとくがタダじゃねえよ……。慈善事業じゃないからなあ……」

「……いくらだ?」


 問いながら、内心緊張していた。脈が自然と速くなっていく。もしこれで手が出せないような値段を請求されたらどうしたらいい。諦めるよりも前に、金銭を作る方法を考え始めていた。


 見透かしたようにウラノスの目が、一瞬不気味な光を灯した。


「金は取らない。その代わり、条件が二つ」


 二本指を立て、にいっと笑った。待ってましたとでも言いたげに見えた。


「毒液調査の為の、実験や施術や薬の投与諸々……を、なるべく拒否せずに了承すること。もう一つは、ハルを捕らえるため、最大限の助力をすること」


 一歩、二歩と近づいてくる。下からじいっと覗き込まれる。


「これだけでお前は、今までの苦しみの元凶から完全に逃れられる」


 ああ、と言いたくなった。とぐろに巻かれているようだと感じた。じわじわと締め付けられている。その力はどんどん強くなっていく。喉が絞められたように、息が出来ない。


「ぶっ壊してくれれば回収が楽だからそうしてほしいが……もし。もし、今までの恩とかでできないっつーなら……。単に護衛達が来られないところまでおびき出すだけでもいいぞ……? そうだなあ、時間かけるのは面倒だから手っ取り早く……」


 ウラノスは白衣のポケットから、小さな正方形の箱を取り出した。真っ白な色をしており、錠がついている。ウラノスはそれを、無理矢理手に持たせてきた。


「これ、旧型のパルサートラップな……。これをハルをおびき出す餌にしてくれ……。あとはこっちが捕まえるからな……。これぐらいならさすがにできるだろ……?」


 粘性の高い声だと思った。耳を通してではなく、脳に直接流れ込んでくるようだ。言葉が一つ一つ、泥のように体の中へと沈殿していく。


「ちなみに二つのうちどっちかを断れば、当たり前だがこの話は無しだかんな……?」


 今まで聞いてきた罵倒や悲鳴が聞こえてくる。今まで見てきた恐怖と憎悪の視線が蘇る。


 それらが消えた。代わりに、何か別のものが見えてきた。なんだろうか。心がざわざわとして、落ち着かない。その正体が思い出せそうな気がするも、あと半歩のところで思い出せない。


「ちょっと待って!」


 その声を聞いた途端、耳から耳へ、言葉が突き抜けていくような衝撃を受けた。空気が一気に喉へ流れ込んできて、それでやっと、本当に息を止めていたことに気づいた。


 ウラノスが緩慢に声のほうへ顔をやると、今にも吐きそうな表情に変化した。


「うざ……」

「はあ?!」


 クラーレも遅れて、声のするほうを見た。憤然としたミヅキが、いつの間にか立っていた。脇を固めるように、両側にソラとミライもいる。


「クラーレさん無事ですか……?」

「気になって見に行ってみたら……。大事に至らなくて良かった」


 ソラがそっと聞いてきたことも、ミライが静かな口調で言ってきたことも、どういうわけだかちゃんとクラーレの中に入っていかなかった。今三人が立っている光景も、その三人から発せられる台詞も、どれをとっても現実感がないのだ。


「俺別にお前らに用事ねえんだけど。こいつにとっていい話を持ってきただけで、なんでお前らが怒んの……?」


 ミヅキの目がかっと見開かれ、強く足を踏み出してきた。


「勝手なことを言わないでよ! クラーレは凄く優しいんだよ? そんな取引になんか絶対に乗らないんだから!」


 体が凍り付く、という表現はよく目にするし耳にもする。あれは本当だったと、クラーレはひしひしと感じた。体が固まっていく。頭から足の先まで、一気に冷えていく。


 ぴくりとウラノスの眉が反応した。へえ、と面白そうに顎に手を持っていく。


「優しい、ね……。そうかそうかあ……。……なんか面倒臭くなってきたから一旦消えるわ。クラーレ、まだ取引は有効だかんな」


 ミヅキ達は何か言っていたが、まるで聞く耳を持たないウラノスは、よいせ、とドーム状の乗り物に乗り込んだ。途端に乗り物の底から鉄で出来た虫のような足が、何本か生えてきた。その足が、交互に動き出す。


 ミヅキ達の静止の声を完全に無視して、乗り物はあっという間に加速し、森の奥へと姿を消した。


「なんって奴、最低! やっぱり嫌いだわあの人達! 生理的に無理!」


 しばらく去って行った乗り物に対して悪態をついていたミヅキだったが、クラーレのほうを向くと、その怒りの態度も変わった。


「大丈夫? 何かされてない?」


 心配そうに聞いてくるのに、答えられなかった。何と言って返すべきか。今はただ、ウラノスはどこに行ったのだろう、今どの辺りにいるのだろうということしか考えられなかった。


「あれ? それ何?」


 ミヅキは覗き込むように、ウラノスの渡してきたパルサートラップを見てきた。クラーレは反射的にそれを自分の背の影に隠した。


「箱?」

「……どうだっていいだろ」

「う、うん……」


 ミヅキはまた、怒りの感情を露わにして、クラーレに同調を求めてきた。


「にしても少し話聞いてたけど本当にひどいね! 毒抜く代わりに裏切れなんてさ……。でも甘かったよね。私達の仲は堅いんだからクラーレがそんなことで揺らぐわけないし! 私は信じてた! 絶対大丈夫って思っていたよ!」


 にこっと笑ってきた。何の曇りもかげりもない笑顔だった。眩しくて眩しくて、目

が見えなくなりそうだ。


 他の音が何も聞こえなくなった。ミヅキの声だけが近くで聞こえた。あれ、と思った。体が冷えていく。頭も冷えている。それは変わらない。だが、頭の芯が、熱を持ち始めている。


 熱がどんどん体中に広がっていく。それは、全てを焼き尽くすような熱さだった。枯れた草木しかない野原に広がっていく火事のような。


 視線を動かすと、ミライと目が合った。何かに気づいたように目を見張り、うっすらと冷や汗を浮かべていた。


 そうだよ。頭の中で、ミライに言う。今自分がどんな状態か、考えているとおりだよ。だが、もう、全て遅い。


「あんたに、何がわかる?」


 口からその言葉を出した途端、終わったと直感した。え、とミヅキが首を傾げてきた。空気の流れが変わったことが伝わる。しかし、口は動きを止めなかった。


「俺が、今までどんな経験をしてきたか。少し生まれた星が特殊なだけで、毒があったことで。俺がどんなことを言われてきたか。どんなことをされてきたか。どんな思いをしてきたか。あんたに、わずか少しだけでも、理解できるのか」


 多分、これはずっと言いたかったことだ。簡単に笑顔を見せられるのは、何もわかっていない証拠。理解している風を装っているだけにすぎないのだと。


 ミヅキの顔が、徐々に青ざめていく。はくはくと口が動いているも、何も言葉が出ていない。


「ほんのわずかだって理解できないだろ。あんたは地球人で、毒液を持っていないんだから」


 これ以上言ったら、この場にいる自分以外の者はどうなるか。だが、もう口を閉ざすという選択肢はない。


「こっちの台詞だ。勝手なことを言うな。何も知らないくせに」


 背中を向けたので、三人がどんな表情になったか見えなかった。

何か声をかけられるのも聞きたくなかったので、足早にその場から去る。追いかけてくるかと思ったが、その気配は感じなかった。


 所詮理解してくれない。理解できる者などいない。恐らくクラーレしか味わったことのないこの気持ちを、理解して受け止めてくれる人など、いるはずがない。幻想の中にだっていない。


 太陽の光も、空も、蝉の声も、全てが自分を避けているように感じてならなかった。

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