phase1.2

 「突然としてシロが体調を崩した理由が全くわからない。ただシロは、何らかの疾患を抱えている恐れが高い。このまま調べずに放っておくのは、あまりにも危険だ。なので、原因を調べてみることにした。なるべく早く究明に至るため、最善を尽くす」


 原因がわかったら連絡するとハルが言うと、それで解散という雰囲気になり、ミヅキ、ソラ、ミライはそれぞれシロに言葉をかけた後、帰っていった。そのすぐ後から、ハルは主に自室で、シロが倒れた原因を調べ始めた。理由が判明したのは、それから二日経過してからだった。


 その間、クラーレはシロの看病を申し出、ほぼずっとついていた。看病といっても、決められた時間、ハルがやったように点滴を寝床である機械に投入するくらいで、あとは異常が起きないか見守るだけだ。


 けれどクラーレは、自室にはほとんど戻らず、シロの寝床の傍にいた。自室に引っ込んだのはミヅキ達がお見舞いに来たときくらいで、あとは自由に使える時間のほとんどを、シロの寝床の傍で過ごした。


 危機を越えたといっても、シロは意識を取り戻さなかった。早く目が覚めてほしいと心の底から思う。しかしどこかで、目が覚めることが、怖いと感じてもいた。


 次に目が覚めた時、シロはクラーレの姿を見ても、近寄ってきてこないかもしれない。一瞥しただけで、ふいっと背を見せ離れていくシロの姿が、事あるごとに脳裏に浮かんだ。直後に、そうなっても責める権利など自分にはない、それを怖がる権利そのものがないと考え直すのだ。


 ハルの書斎から拝借した本を隣で読みながら、時折ドームの中を覗き込む。目が開いていないシロに落胆をしつつも安堵し、その安堵に自己嫌悪を覚えながら、またどこの星の作品かわからない本に戻る。その繰り返しだった。寝るときも布団を持ってきて、隣で寝た。


 そういうクラーレの生活を、ミヅキ達が二回目のお見舞いに来たとき、あろうことかハルが漏らしてしまった。なんで言うんだと怒鳴りそうになったが、口止めをしていなかった自分が悪いのだと気づき、飲み込んだ。


 聞いたミヅキ達は、感心深げに「凄いね」と言ったが、クラーレは何も返さなかった。これくらい最低限の義務だろうと思っていたからだ。


 この程度、シロをちゃんと見ていなかった、シロが体調を崩したことにすぐ気づかなかったことへの、償いにもならない。


 時々思い出したように耳や尻尾や翼がぴくりと動くシロを見ながら、クラーレはどうすれば償いが出来るのか、ずっと考えていた。


 結局、納得できる答えは出なかった。出ないまま、今まさにハルから、シロが倒れた原因を聞こうとしている。


 ミヅキもソラもミライも、このリビングのソファに集まっていた。皆真剣な目つきを帯びており、固い表情で、背筋をぴんと伸ばしている。


 今日も今日とて、寝床の中のシロは耳も尻尾も垂れ、翼は畳まれている。まだ目を覚まさなさそうだ。一生懸命に翼をはためかせて訓練していた。ほんの数日前には、そんな元気な姿を普通に見せていたというのに。


 また、見られるのだろうか。シロは訓練が出来るようになるのだろうか。努力が実り、ちゃんと飛ぶことが出来るのだろうか。夢を叶えられるのだろうか。

ならば、その夢を全力で応援し、背を押し、サポートすることが、せめてもの償いのうちの一つになるのではないか。一応、そういう結論は出てはいた。


 いずれにせよ、このハルの説明で全てがわかる。この後どうすればいいかもきっと。クラーレは、ズボンの布を、両手で握りしめた。


 固唾を呑んだ一同の視線が集まったハルは、頭のテレビ画面に映る口を開けた。


「結論から述べよう。シロは、飛べないプレアデスクラスターだ」


 自分でもなぜだかわからないが、その瞬間、今までの訓練の日々が思い起こされた。ミライが「どういう意味ですか?」と聞かなければ、ずっとそうやったまま、我に返ることが出来なかっただろう。ハルは一つ頷いた後、クラーレのほうに頭のテレビ画面を向けた。


「クラーレ。倒れたとき、シロはあまり助走を付けない飛び方を試みていたのではなかったか?」

「……ああ。確かにそうだった」


 今までは、助走を付けて、やや高い所から飛び出すという飛び方をしていた。しかしあの日に限っては、平地で訓練を行っていた。あまり勢いをつけない飛び方を初めて試みていたが、その時は何も疑問に感じなかった。


「詳しく説明すると、助走を付けて飛ぶのは、通常の空を飛ぶような、地球の鳥などと同じような飛行の状態で、それはなんら体に影響は及ばない。だが、助走をつけないもう一つの飛び方が、シロはできる体ではない」


 おさらいだが、とハルは指を一つ立てた。


「プレアデスクラスターは、宇宙空間を飛行する生物。産卵期に入ると、星に卵を産む。孵化したプレアデスクラスターは、ある程度成長すると、宇宙に飛び立つ。そういう種族だ」


 ミヅキ達が、知っているとばかりに短く頷き合う。クラーレは心の中で、それがなんだと呟いた。さっき言った飛べないことと、どうして結びつく。


「しかしシロの場合、その宇宙に飛び立つ際。そして宇宙を飛行することが、できない体をしている。プレアデスクラスターの特徴ともいえる、スターバーストを生成する器官。そこを中心に、私の“目”についている機能を使ってよく観察した結果、疾患が見つかった」


 人間だとこの辺りだと、ハルは心臓の辺りを示した。ソラが自身の心臓を両手で抑えた。

 クラーレも片手で触ってみた。脈の音が伝わってくる。シロにはこの辺りに、どういうものがくっついているのだろう。


「プレアデスクラスターは基本的になんでも食べることが出来るが、主食は隕石や小惑星だ。宇宙空間を飛来するという特性上、他に食べ物がないため、自然とそうなるのだろう。スターバーストはそういった隕石や小惑星に向かって放ち、食べやすい大きさに砕くというのが主な用途だが、もう一つ重要な役割がある。

星から出発するときと、宇宙を飛んでいる間中。スターバーストを自分自身に放ち、そのエネルギーで体全体を覆うというものだ。いわば、バリアになる。そのバリアのおかげで、大気圏を抜ける衝撃も、真空も、放射線等からも耐え、体を守ることが出来るんだ」


 説明を聞きながら、シロの悪食ともいえる食べっぷりを思い出した。初めて一緒に遊んだとき、石を好んで食べたことも。あの時のシロは、本当に楽しそうだった。まるで言葉はわからないが、今幸せだと言いたがっていることが充分すぎるほど伝わった。


「しかしシロは、それができない」

「威力が低いってこと?」


 ミヅキが少し身を乗り出して尋ねた。声音は堅く、顔も強張っていた。


「威力もそうだが、時間のほうが大きい。シロは長い間、スターバーストを放つことが出来ない。器官の働きそのものが、明らかに弱いんだ」

「どうして時間が大切なんですか?」


 シロを見ながら、今度はミライが聞く。単純な探究心も混じっている声に聞こえた。


「大気圏から出る際、その時間ずっとスターバーストを放ち、自分の体を守り続けないといけない。だがこの病気があると、スターバーストを大気圏脱出に必要な時間分放てない」


 宇宙旅行というものが全く遠い場所にある地球にずっと暮らし続けているミヅキ達は、それを聞いてもぴんと来ていない表情をしていた。何が言いたいのか理解できないと。クラーレも、そうなりたかった。だが、ずっと宇宙を旅し続けてきたからこそ、ハルが言いたいことも察せられる。察してしまう。


「つまり、途中でスターバーストを放てなくなる。瞬間、そのプレアデスクラスターは衝撃に耐えきれず、大気圏内で燃え尽きる」


 一呼吸置かれてから、ミヅキ達の顔が見る間に蒼白になっていく。大気圏に馴染みがなくても、燃え尽きるという単語で想像がついてしまったのだろう。クラーレも聞いた瞬間、反射的に頭に描いた。


 ハルが「それに」という、絶望的な接続語を発する。


「なんらかの奇跡が起きて大気圏を脱出できたとしても、宇宙を飛行する際の衝撃に耐えうる硬度のバリアを展開できるような威力を、出すことができない可能性が高い。宇宙空間をほぼずっと飛び続けるこの種族にとって、飛んでいるとき、体の危険から身を護るバリア展開ができないことは、そのままの意味で致命的だ」


 言った後、ハルはやや頭を下に傾けた。一瞬の静寂が流れた後、「あの」とソラが低い位置で手を上げた。


「ずっとこの星で暮らし続けるというのは……。宇宙に行くことや宇宙にいることができないのなら、逆に行かなければいいのでは」


 唇を噛み、俯いていた美月と未來が、弾かれたように顔を上げた。希望で染まっていく瞳に、ハルは無慈悲に首を左右に振る。


「一つの星にとどまり続けることも不可能だ」

「なんで!」


 すかさずミヅキが立ち上がった。泣き叫ぶような声音だった。今にも胸ぐらを掴みそうな気配のミヅキに、ハルは機械的に制する。


「成長するにつれプレアデスクラスターは、多大なエネルギーを必要としてくる。事例が見つからず推測になるが、その必要な栄養量は、私達が用意できる範囲を、軽く超えてくるだろう。一つの星の中で用意し続けるには、限界が訪れる」

「わからない。もっとちゃんと詳しく話して!」


 ミヅキは首を振った。声で予想せずとも、顔を見れば、今にも両眼から涙が零れそうになっていることは、瞭然だった。「美月」と隣に座っていたミライがミヅキを宥め、席に戻ったのを見届けると、ハルは説明を再開した。


「成体にもなると、隕石や小惑星を大量に食べて、必要な栄養を補っている。成体のプレアデスクラスターに必要な栄養量を計算した結果だが、これを一つの星の中に範囲を狭めると、その条件下で摂取できると予想される栄養量は、一日の最低分にも到底及ばない。よって、この疾患を抱えるプレアデスクラスターは、いずれ餓死か衰弱死する」


 間が置かれた。何か、とても重要で、物凄く大事なことを伝えるときに使う間の種類だった。嫌な間だと思った。


「現時点で導き出された答えを言う。包み隠さないので、覚悟をもって聞いてほしい」


 聞きたくないと、クラーレは叫びたくなった。なのに口すら開かなかった。せめて耳を塞ぎたかった。なのに手はびくともしない。膝の上で固まった手は、震えしか起こさない。

 そんな自分の胸中など知るよしもないハルの口が開き、動く様を、ただ眺めることしかできなかった。


「シロは、大人になることが出来ない。大人になる前に、死ぬだろう」


 そんな台詞を言うときでさえも、ハルは淡々としていた。そこに感情は一切入っていない。逆に羨ましかった。羨望を抱ける余裕がある自分自身にも驚いた。


 今、両眼共に開いているが、もし目を閉じていたとしても、ミヅキにソラ、ミライがどんな反応をしているか鮮明にわかっただろう。


 三人とも、体は小刻みに震え、なのに指先一つ動かず、視線はさ迷い、閉じられない口からは声にならない声が零れてくる。動揺の感情そのものを体現したようだ。こういう風に観察が出来る自分の現状が信じられなかった。頭の中も、胸の辺りも、波紋一つ生じていない水のように、静かに凪いでいる。


 シロの寝床を見ても変化は起きなかった。目が乾いている感覚が気になり、そこで瞬きを忘れていることに気づいた。


 誰も指先一つ動かさないので、わずかな衣擦れの音一つも立たない。恐ろしいまでの静寂が、室内を満たした。胸が押しつぶされそうな空気だった。その空気に割って入ってこられたのも、ハル以外いなかった。


 「ただ」という言葉が出た途端、全員示し合わせたみたいに、ハルを見た。


「私は正直、生物や医療は専門外なんだ。今言ったのも、分析した結果と、それによる推測。必ずこうなる、という結果ではない。もっとこの分野に専門的な者から見たら、私では見つからなかった答えを導き出すことが出来る可能性も、大いにある。つまり治るという可能性が、充分にある」


 一斉にソファから立ち上がる音が流れた。

「どういうこと?!」「詳しくお願いします!」「説明して下さい~!」と、ミヅキ、ソラ、ミライがほぼ同時にハルに近寄る。


「宇宙は広い。私でも掴めきれない広さだ。その全容を理解する前に、要領の限界が訪れる。とにかく広い世界なんだとしか言えない。そんな広さなんだ。治す方法も、あるいは治らなくても生きていける方法も、時間はかかるだろうが、必ず見つかるはずだ。プレアデスクラスターは極めて長寿の種族。シロが成体になるまで、何十年とかかる。時間がないというわけではないんだ」


 三人の体の震えが止まり、視線が定まり、顔色が良くなっていく。ただ口は、依然として開いたままだった。落ち着かせながらハルは続けて、先程発したときとは全く毛色が異なる「それに」を言った。


「疾患のある器官が、地上で生きていく分には一切関係無い部位なんだ。これは、地上で生きていく場合には、まず問題など起きないことを示しているであろう。宇宙空間じゃなかったら、飛ぶことも出来るはずだ」


 目に痛みを覚えた。ほとんど瞬きできていないのが原因かもしれないと、クラーレは眉間を抑えながら、何度も目を瞬かせた。


「現状は変わらずこのまま。今すぐ何かが変わるというわけではないというのが、私の計算結果だ」


 ごと。

それまで無かった音が、突如として発生した。音の発生源らしき方角にあったのは、シロの寝床だった。


 ドームの中に敷いている白い毛布が、動いていた。それは毛布でなく、動物だった。

 シロが蹴るような動作をし、その足がドームに当たると、さっきと似たような音が部屋に響いた。


「起きたあああ!」


 最初に言ったのはミヅキだったが、ソラもミライも同じように声を上げた。「もう意識を取り戻したのか?」とハルも一緒になって、三人が機械に近寄り、取り巻いた。


 何やら騒いでいるが、クラーレにはどれも聞こえなかった。言葉を拾うことが出来なかった。いまだ心が凪いでいる自分をどうかと感じ、またそういう風に感じる余裕があることにも動揺していた。どうしてこんなに何も思わないのか。心が動かない。微動だにしてくれない。皆が喜び、幸せに満ちた空気を間近にしているのに。


 ふいに、ミヅキが振り返った。視線がかっちりと合った。


「ありがとう、クラーレ! ずっとシロの傍にいてくれて」


 その時。心が動いた。上下に左右に。強い力で揺さぶられた。今も揺すられている。


 これはどういう種類の感情なのだろう。無性に声を出したい。大声を上げたくてたまらない。喉がかれ尽くすまで、力の限り。喉に形のない何かが、濁流のごとく流れ込んでくる。


 出さないと体中から溢れそうなのに、口から出てこない。喉に詰まったものは、口からしか出てこられないのに。


 目頭がどんどん熱くなっていく。喉が苦しいからか、それとも苦しさは関係無いのか。


 姿の見えない何者かに対して、この苦しさをぶつけたかった。体中を駆け巡る言葉に出来ない声でも、全部ぶちまけたかった。

 怒鳴りたかった。叫びたかった。シロの名前を呼びたくなった。呼んでどうしたいのか、自分でも理解できないのに。

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