Chapter4「ただいまを言う場所」
phase1「羽ばたけない翼」
バルジ内にはサーバールームがいくつか存在するが、そのどれもが広大であり、サーバーそのものも数多く保管されている。機械がたくさん立ち並び、若干息が詰まりそうに感じるその部屋を出た直後、体に誰かがぶつかった。
ジュピターが見てみると、視線の先に、ぼさぼさの灰色をした頭が目に入った。気だるそうに見上げてきた水色の瞳には、寝不足のせいか生気が宿っていない。ウラノスは、途端に不機嫌極まりない顔つきに変化した。
「……邪魔」
「じ、邪魔、かあ……」
三つ編みにしている、横髪をいじりながら苦笑いする。ウラノスは老人のような足取りで、何も言わずに通り過ぎようとする。ジュピターは急いで呼び止めた。
「ねえウラノス君、大丈夫? ちゃんと食べてる? 隈凄いけど、ちゃんと寝てる?」
「……うるさい黙れ。この際だからはっきり言っておく。俺はあんたが嫌いだ」
半分だけ顔を振り返らせて、そう吐き捨ててきた。
「えええ~! ちょ、ちょっと待ってなんで?!」
「うるさい、面倒臭い……。その無駄にでかい体、見てるだけで苛立ってくんだよ……」
ウラノスは確かにジュピターより30cm近く身長が低い。下から恨みの籠もった目で睨み上げてくる彼に、ジュピターはおろおろするほかなかった。
「あ、そ、そういえば、どこ行こうとしてたの?」
「だる」
まるで答えになっていない。が、教える義理はないと言いたいことは伝わってきたので、いよいよ本格的に、何も言えなくなってきた。よろよろと覚束ない足取りで歩き出すウラノスの背を、ジュピターは心配げな目で見送ることしかできなかった。
「こんにちは。ウラノスさん、ジュピターさん」
背後から少女の声がかかった。振り返ると同時に、黒い髪に藍色の目を持つ少女が、恭しくお辞儀をした。幾つかの書類と端末を持っているプルートに、ジュピターも挨拶を返そうとしたとき、ウラノスが「あ、ちょうどよかった」と割り込んだ。
「プルート……。次の出張、俺だろ……?」
「その手筈になっておりますが、何か問題でも発生しましたでしょうか」
「別に……。ただ、ちょっと、作戦思いついたから言っとこーって……」
「なんでしょうか」
両手で前に持っていた書類諸々を器用に脇に抱え直し、プルートは話を聞く姿勢を取った。
「僕も聞いていいのかな?」
「お前に理解できんの?」
にべもない。さすがに大丈夫だよと言おうとしたときには、既にウラノスは話し始めていた。
「今からサターンに言いに行くところだったんだけど、プルートにも一応、な……。プルート、お前最近調べてるようだけど……それなら“奴ら”の仲間意識のこともわかってるよな……?」
「はい。現在もちょうど、その案件について独自に調べを行っていたところです」
端末を取り出したプルートは、そこに目を落とした。ウラノスが緩慢に頷く。
「仲間意識。ハルを護衛する彼らのそれは、やや独特なものとみられます。強固とは言えず、しかし軟弱とも言い難い。
なぜそうなのか、解明に至るにはまだ調査不足で、更なる調べが必要としている状態です。
結論を申し上げますと、彼らを崩してハルを捕らえることは、難易度が高いです。介入の余地が、まだ見つかっていません」
「へえ、そうだったんだ」
ジュピターはまだミヅキという子一人にしか会っていない。彼女の仲間は、一体どんな集まりなのだろう。ウラノスが「そ」と短く頷く横で、想像を巡らせた。
「でもな、俺気づいたんだよ……。介入の余地があるってことにな……」
「なんでしょうか」
問題、とウラノスは人差し指を立てた。
「ネプチューンの護衛ロボットを溶かしてぶっ壊した奴は、一体誰でしょーか……?」
ジュピターが考えるよりも前に、プルートが即座に答えを言った。
「ベイズム星人のクラーレですね」
「正解」
彼もまた、ジュピターはまだ会ったことがない相手だった。だが資料は見たことがある。ベイズム星人の特徴である体液の毒が、他の同種族と比べて濃度が低いというのが、一番の特徴として記載されていた。
「ベイズム星人は気難しく、閉鎖的な性質であることが特徴の種族ですね。同種族であるクラーレにも当然共通しているでしょう。仲間になった期間が短いこと、また彼自身の境遇も重なり、自身とは違う種族の地球人達に対しては、持っている仲間意識は薄いとみられます」
プルートは端末を脇に戻した。ん、とウラノスが頭を掻いた。
「つまり……一気に瓦解できるチャンスを、持ってるってこと」
へらっと、口角が上がった。笑ったつもりなのだろうが、ジュピターの目には、いわゆるいい笑顔というものには映らなかった。
「具体的に、どうなさるつもりで?」
「今から決める。……でも、経歴見たら、すぐ掴める」
「と、いいますと?」
「んー……あとで」
この話題の説明をすることにやる気が削がれたのか、ウラノスはなおざりな態度になった。「それに」と話が変わる。
「もう一つ、ある。パルサーにスターバーストを放って、奪われるのを阻止した生き物。これも使えるはずだ……」
「プレアデスクラスターのことですか? それはどういう」
「だるい」
強引に話を終わらせたにも関わらず、プルートは「かしこまりました」と一礼し、立ち去った。
「ウラノス君、怖いこと考えてるんじゃないの……?」
「さ~ね……」
その一言だけ置き、足早に去って行く。ジュピターは、苦笑するしか出来なかった。
天井も壁も床も白。無感情な廊下の中に、感情のこもった気配が伝わってくるのを感じ取り、クラーレは歩みを止めた。
「感情の、模倣?」
わずかに開いた宇宙船のリビングルームのドアから聞こえてきたのは、快活そうな少女の声だった。
「そうだ、ミヅキ。その精度を上げれば、ロボットにも感情があるように“見せる”ことができる」
続いて耳に流れてきたのは、無機的で平坦な声だった。ちょうど、この白い廊下とよく似合うような。
「へえ、凄いですね! ハルさん、さすが!」
「ちょっと見せてくれませんか?」
どこかのんびりとした印象が特徴的な少女の声と、穏やかだがやや頼りなさげな印象の強い少年の声が続く。
すぐに立ち去るべきだとわかっているのに、自分の足は動かず、代わりに耳を澄ませていた。
「わかった。では喜怒哀楽をやってみよう。まずは“喜”だ」
一呼吸の間の後、微弱に空気が変わったのが伝わってくる。
「ヤアコンニチハ! ワタシノ名前ハHALデス! 今日ハトテモイイ天気ダ! 雲量ガ一割以下ノ状態デ、マサニ快晴ト呼ブニ相応シイ! コウイウ時、人間ハ喜ビトイウ感情ヲ覚エルノダロウ?!」
瞬間的に耳を塞いでいた。普段ハルが喋っている、男性の声帯ではない。もっと甲高くなっているが、人間の高い声ではない。機械が出すノイズに近い音だ。もし言葉が形になって触れるのだとしたら、今の台詞は、さぞかくかくとした不自然な形をしていて、触り心地も絶対に悪いと思った。
「下手すぎる!」「完璧なまでの棒読みですね~」「大根役者ですか……」
案の定、その場にいる他の人達から反感を買った。ただ、ダイコンとは地球の植物の名前であるらしいが、なぜそれが唐突に出てきたのか理解できない。
「ふむ、“喜”は気に入らなかったか。では次は“怒”だ」
「怖いからもうやめて?!」
「ハルさん、そもそもさっきのって喜びの感情とは違う気が……」
姉弟だと言っていた、地球人二人の声が続く。
「あれで精度が上がってたんですか?」
「感情があるように見せかけるプログラムがあるということだ。私にはそれは搭載されていない。だから不自然になる」
「ええ、じゃあなんでやったんです?」
「頼まれたから」
姉弟の内、姉の友人といっていた少女の問いに、すっかり元通りの口調に戻ったハルが答える。さっきあんな甲高い音を出していたとは思えない変貌ぶりだ。
「いつも通りが一番ってことだよ……。というかあれじゃ逆効果では」
台詞の続きが、「シロ?」という声で遮られた。同時に、小さな足音が、こちらに向かってくる。かと思ったら、ドアの隙間から、白い小さな影が現れた。シロは顔を見上げ「ピイ!」と鳴くと、後ろ足で立ち、残る前足を、クラーレの足にかけてきた。
おい、と言おうとした時。「何々?」と、人が近づいてくる気配を感じた。クラーレはシロを抱きかかえると、廊下を走り出した。
背後から、「クラーレ?」とかかった声も当然返さず、気にせず走った。かけられた声は、地球人の少女――ミヅキといっていた子のものだった。それが困惑の感情をはらんでいたことに、胸のどこかが軽く締め付けられる心地がした。
暑い。宇宙船の扉をくぐって思ったのは、その一言だけだった。逃げ込むようにして外に出たが、これ以上前に進むのは嫌だ。だが引き返すことはもっと嫌だった。スロープを下りて地面を踏み、少し歩いた頃にはもう頭が回るような感覚があった。
たまらず目についた木の木陰に入ると、それだけでだいぶ暑さが和らいだ。軽く息切れを起こすクラーレとは裏腹に、腕の中のシロは暑さのことなど気にならないのか、尻尾を振っていた。
「シロ。今日も飛ぶ練習するのか?」
「ピイ!」
下ろしながら尋ねると、シロはぴょんぴょんと跳びはねだした。小さく舌を出し、ハッハッと息を繰り返している。
「そうか。けど、暑いし少しだけだぞ。わかったな?」
「ピュ!」
待ってましたとばかりにシロは駆け出し、少し向こうで走り出しては翼を動かしてジャンプする、を繰り返し始めた。
クラーレは片膝を上げた状態で座ると、木に背を預け、その様子を眺めた。
あちこちから、ジージーとかミンミンといった騒音が、けたたましく流れてくる。音からして、この木にも、蝉という名前の生き物がいるかもしれない。暑さと相まって頭痛が誘発されそうだが、シロはそう思わないのか、蝉の鳴き声と合わせて小さくピ、ピ、と鳴いている。
立てた膝に腕を乗せ、首を上に向ける。ご、と後頭部を軽く木の幹に当てる。
視線の先に広がる空は、とても青かった。本当にいい天気だ。濁りの知らない空。この青色を見ていると、やはり故郷の黄色い空の色は、普通とは違ったのだと思い知る。
緑の木々。緑とよく合う青空。ここに、すぐにこの景色を、見るに堪えない、汚れと濁りに変えられる毒を持った人がいるというのに。そんなことなどまるで知らないように、空は広がり続け、木の葉は風に揺れている。
この星の暦で、8月になったらしい。忍び込んだ書斎の机に積まれていた地球の本で、得た情報だ。
この地にやってきてから、もう一ヶ月経つ。クラーレはこの一ヶ月を振り返る度、ため息を吐き出したくなる。なぜここにいるのだろう、という思いが詰まったため息だ。
仲間になってほしいという願い。自分はそれを、保留のような形もまだ残っているが、一応手に取った。そのことを、何度か後悔した。
自分を恐れなかった、ミヅキという少女。屈託のなさそうな、明るい声と表情の裏で、何を考えているのか、全くわからない。何かがあることすらも掴めないのが、余計に警戒心を抱いてしまう。
ミヅキという少女以外は、全員見知った反応ばかりする。それくらいのほうが、逆に安堵するというものだ。
ソラという少年は話しかけるときはおろか、一目こちらを見ただけでも怯えを見せて、その反応はずっと変わらず一貫している。
ミライという少女は、ずっと自分に対し、敵意を見せている。クラーレがミヅキに失礼な態度をとり続けている、そのことに怒りを抱いているのが原因らしい。
残りは、慣れない反応をとってくる者だ。
ココロという赤ん坊は、自分を怖がらない。それは正直居心地が悪く、慣れそうもない。
ハルというロボットは、得体が知れない。自分を恐れも怒りもしないが、それ以外の感情も全く見せず、はっきり言って不気味で、慣れない。
が、自分も、そのロボットと同じようなものだという気がする。
感情の出し方がよくわからない。喜怒哀楽をどうやって表現し、喜怒哀楽をどう感じるのかわからない。わからないというより、忘れた。忘れたきり、思い出せない。
心も感情もわからず、持たず。いっそそうであったら、楽だったのだろうか。
木漏れ日の光が、空の青が眩しい。目の奥が痛くなってくる。マスクを取ってくれば良かったと後悔した。
その眩しさが、自分を攻撃しているようだと思った。お前は出て行け。ここに、お前の居場所はない。そう言われているようだと。
この星に到着してから、まだその台詞を聞いていない。胸にすきま風が吹いているようで、落ち着かない。どうして言われないのかと、毎日待っているが、誰の口からも飛び出してこない。
けれどきっと、いずれ言われるのだ。その時期が、近いか遠いかの違いだけ。すぐにまた追い出される。
肌に当たる、手のひらの感触。この皮膚の下に、毒液が流れている。それが自分の中にある以上、勘違いも思い上がりも、許されることはない。
はあ、と髪をかき上げる。髪の毛は、洗ってはいるが、ちゃんと切ってはいない。ぼさぼさだと、それだけで他人から近寄りがたく見られる。
髪に気を遣わない。言葉遣いを尖らせる。目つきをきつくする。態度をそっけなくする。ほんのちょっと身なりに悪い方向へ気を遣うだけで、人の反応というものは全く異なってくるのだから不思議だ。
出身星がわかった前とわかった後でそれまでの反応が真反対になるのと、同じようなものか。力ない笑いが、口から零れた。
けれども自嘲的なその笑いは、シロの姿を眺めている内、徐々に質が変わっていった。
木陰の向こう。全体的に明度が暗い日陰ではなく、明るい日向。太陽の光の下で、シロは実に生き生きとしていた。
小さな体を一生懸命に動かして、えいっと持ちうる限りの力を込めてジャンプする。
シロは本当に頑張っている。毎日、遊ぶ時間をほぼ削って、飛ぶ練習にあてている。
プレアデスクラスターの特徴なのかは不明だが、シロは頑張り屋だ。飛ぶため、ただそれだけのために、努力を怠らない。
ふと思い立ち、自分の部屋に招いて、ベッドを練習台に使わせたのが、海から帰ってきてすぐのことだ。シロは多分嬉しかったのだろう。それはそれはやる気をみなぎらせ、練習を頑張り始めた。おかげで毎日、日中はシロにベッドを使わせている。
日が沈んで暑さが和らいだ頃に、外での特訓も必要だろうと連れ出したら、そこでもやる気をみなぎらせて、練習していた。
海に向かってからというもの、そうやってシロは、ずっと努力している。今のところ、それが実る気配はない。が、少しずつ、前進しているはずだ。
シロが飛ぶまでは、ここにいよう。クラーレはそう決めていた。努力の成果を見届けるまでは、せめて。
しかし、その後はどうなるのか。クラーレは目を伏せた。考えようとしても、思いつかない。今まで、全て自分の意思で、星を出発して次の目的地へ向かう、ということがなかったから。
だからこそ、シロが飛ぶことを、一つの区切りとして考えている。その区切りを迎えたら、何か見つかるのだろうか。漫然とした思いで、惰性で、今日も自分は、とりあえずここにいる。
どて、とシロが頭から転んだ。真っ白な体毛に土や草が付着する。苦笑が漏れる。いつものことだ。最初の頃こそ心配で駆け寄ったが、今やすっかり見慣れた光景となっていた。
すぐにまたいつものようにむくっと起き上がり、走り出してジャンプするのだろう。そうなったときに備え、何か声援でもかけたほうがいいだろうかと、あれこれ考えた。
シロは、うつぶせのまま、なかなか起き上がらなかった。耳も、翼も、尻尾も、全部の力が抜けたように、垂れ下がっている。
上手くいかずふてくされてるのか、単に疲れたのか。手足もどこも、全く動かない。様子がおかしいのではと感じたのは、少々の時間が経過してからだった。
一気に立ち上がったせいか、その瞬間目眩が生じ、足がよろめいた。構わずに駆け寄り、シロを抱き起こす。
「おい、どうし」
またおかしいと思った。シロの体から、全ての力が抜けているという感覚が、伝わってきた。
シロは、がたがたと小刻みに震えていた。小さな口を、体以上に震わせていた。今にも消えてなくなりそうな呼吸が、そこから漏れていた。
「シロ!」
ぜえぜえ、ひゅうひゅう。シロのその声が、遙かにやかましい蝉の鳴き声よりも、ずっと鮮明に耳に届いた。
自分の声が、どこか遠くから聞こえて、消えていった。
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