phase4.2

 マーキュリーと名乗った男性は、綺麗な角度で礼をした。


「はあ。やっぱりそう。でも、初対面じゃないよ」


 実は彼とは一度会ったことがある。美月と知り合って間もない頃、道で彼と美月が話しているところにたまたま遭遇した。人の良い雰囲気を醸し出していたのにも関わらず、未來は彼が、どこか怖く感じた。あの時美月は、何かキーホルダーのようなものを貰っていた。


 そのしばらく後、ハル達と知り合った後で美月から、あの時の男性は敵だったのだと教えられた。


「ハルさんなら知らないよ。何か知りたいならよそ当たってくれるかな。私、忙しいんだ」


 少なくとも今日は会っておらず、どうしているか知らないので、嘘は言っていない。もしかしたら今日に限って、地球の果てまで冒険に行っているかもしれないのだ。当然、宇宙船の場所を教える義理はない。


 心がとげついているせいか、声まで尖っているようだと、自分の声を耳にして感じた。

 方向転換して背を向ける。と思ったら、視界の端からマーキュリーが突如として現れた。


「まあまあ、そんなつれないこと仰らずに!」

「私、今虫の居所が悪いんだよ。構ってられる余裕ない。とっとと向こう行って、邪魔だから」

「もうそんなにかりかりしないで下さいよ~!」

「変な人がいるって叫んじゃうよ」

「残念ながらクリアカプセルつけてますからねえ、平気なんですよねえ」


 しつこいと怒鳴りたくなった。マーキュリーは人の良い笑みというのを体現したような笑顔を、少しも変えずに貼り付けている。今の心理状態でこの胡散臭い笑みを見ていると、見る間に苛立ちが倍増していく。

 大声でも上げてやろうかと、すうと息を吸い込んだ。


「ハルに言っておいて下さいな。新しいパルサートラップが出たって」


 何を言い始めたのかわからず、未來は首を傾げた。


「ご存知ありません? パルサーを捕まえる装置のことですよ。ハルの宇宙船が壊れてパルサーが漏れ出たのは知ってますからねえ。ですが、この機械があれば、簡単にパルサーを手に入れることが出来るのです! どうです、夢のような機械でしょう?」


 子供がおねだりをするときのように、マーキュリーは両手を合わせて、軽く小首を傾けてきた。


「未來さん、このことを上手くハルに伝えておいてくれません? 今のハル、パルサーが欲しくてしょうがないと思うんですよ。だからハルを助けると思って、ね! で、ハルがそのトラップを手に入れようとしたところを、我々が捕まえますので!」

「馬鹿なの?」


 論外もいいところだ。むしろなぜ未來がその提案を呑むと思ったのか。話を聞くだけ無駄だったと、自分の行いをひどく後悔する。


「ええ、そんなこと仰って良いのです? 引き受けて下さいましたら、色々サービスをおつけ致しますのに! 例えばこれとか差し上げますよ!」


 マーキュリーが取り出してきたのは、手のひらサイズのキーホルダーだった。丸いフォルムのデフォルメされたロボットの編みぐるみが、金具の先に取り付けられている。


「私、結構前にこの星に来たんですけど、息抜きのつもりでまた軽い商売をして時間潰してたんですよね。そうしたら楽しくなって、ついそっちに力が入ってしまいまして! あ、これがその商品です。どうです、人気が出てどんどん売れたんですよ? 何せ私の手作りなものですからねえ、量産できないんですよ」

「ああそう」

「残りこれ一つだけですよ! どうです? お安くしておきますよ?」

「いらないから早く向こう行って、変な人がいるって叫んじゃうよ」

「残念ながらクリアカプセルつけてますからねえ、平気なんですよねえ」


 芝居がかった口調に未來の苛立ちは増幅する一方だが、そのせいか疲れも出てきている。もう無視して早いところ立ち去ろうと、足に力を入れて競歩の姿勢をとる。


「このキャラクター。私の星で……つまりファーストスターで作られたロボットが元なのですがね。一言で言うなら、店を流行らせるロボットなんです。ハヤルンという名前です」

「変な名前……」


 そのままずばり言ってしまうと、「呼びやすくて覚えやすいほうが大事ですのでねえ」と、まさしく苦笑しているといった風な笑い声を立てた。


「で、このハヤルンなんですが、新商品を考えたり、これから来る流行を計測したり出来る機能がついているんですよ。私はこの辺りの仕組みは専門外なもので全然わからないのですが、とりあえずとても凄い分析機能と予測機能がくっついてるんです。

主な機能は二つありましてですね。一つは、その店の商品の特徴がよく出た、世間の需要に合った新商品を導き出す。もう一つは、次に来る流行を予測して、その上で店の特徴に合った流行に乗った商品を考える。

どちらも単に売れるものを考えるだけじゃなく、店の持つ個性を尊重した上で思考するという優れものなんですよ」


 頼んでいないのに始めてきた説明は、ほぼ耳にとどまらずに流れていっていた。未來は気の抜けた返事をしながら、ゆっくりと移動する雲を眺める。


「このハヤルン、かーなーりーいいお値段がするんですが、特別に! 無料で差し上げます! でも本当の無料ってわけではありません。物々交換です。ハヤルンを渡す代わりに、ハルを渡してくれませんか?」

「さようなら」


 台詞を斬り捨てるつもりで言うと、ええ、と彼は嘘っぽく仰け反った。


「本当にいらないんです? 勿体ない。こんな破格の条件はなかなかありませんよ? というかこのロボット、今まさにあなたにとって必要なものでは?」

「さようなら」


 もう付き合えないと、今度こそ背を向けて歩き出す。空き地の真ん中に生えている木の横を通り過ぎた、その時。背後から、見計らったように、声が飛んできた。


「このロボットさえあれば、どんな危機的な店でも再建可能になります」


 思わず、歩みを止めていた。肩を強く掴まれたときのように、声だけで、強烈な力を持っていた。


「だってそうでしょう。色々言いましたが、単純に、売れる品物を考えてくれるロボットっていう商品なわけですから」


 未來に向かって、足音が近づいてくる。すぐ後ろで、それは止まる。


「最近のあなた達の動き。ずっと見ていました」


 聞きたくない声だ、と感じる。小馬鹿にしたような声色だ。しかしどういうわけだか、聞いてしまう力を持っている。


「だいぶ頑張っていたようですねえ。努力して、奔走して。大変だったのではないですか?」


 声が纏わり付いてくる。甘い感触がする一方で、その温度はひんやりと、嫌な冷たさを持っている。誘われるように、首が後ろを向く。


「キーホルダーを売ってるときたまたまお客様から仕入れた情報なんですが、この空き地、もとは何か店があったようですねえ。結構流行ってたらしいですが、何代目かに交代したときに上手くいかなくなって、そのまんまこーんな場所になってしまったとか」


 荒れ果てて野生的な外見の空き地を、マーキュリーは両腕を広げながら見回した。


 この場所にあったおもちゃ屋には、子どもの頃、何度か行ったことがある。が、成長につれて行かなくなっていった。閉店して、取り壊されたのを知ったのは数年前のことで、その店に行っていたことも、言われるまで忘れていた。


 かつて店長と、どういうやりとりをしたか。どんな声だったか。どんな顔だったか。もやがかかっていて、まるで思い出せなくなっていた。


「あなたの大切な店も、こんな場所になってしまうかもしれませんよ?」


 頭全部を揺さぶられたようだった。苦しくなり、下を向いた先で、名前もわからない草が背高く伸びているのが目に入った。


 木に囲まれたこの場所は、さながら住宅街から隔離されているようだ。未來と同じように、この場所にかつて店があったことなど、皆もう忘れている。草が伸びていく代わりに、記憶はどんどん掠れ去っていく。


 萬月屋も、そうなるのだろうか。いつか、ショーケースに並ぶお菓子の輝きも、味も、皆の頭から消えていくのだろうか。あの場所に行って味わえる感情の全ても、自分の中から消えていくのだろうか。


「もうチャンスは残っていない。これが最後の機会なんです」


 橋を渡った先に、萬月屋がなかった場合を想像する。建物はどこを探しても見当たらなくて、あるのはぼうぼうに草が生えた空き地だけ。その前で、萬月屋の味を思い出そうとして、舌触りも甘みも何もかも全く思い出せなくなっている自分を、想像する。


「それで、本当にいいんですか? 一切、後悔しないんですか?」


 喉が鷲掴みにされたようだ。息ができない。手足の先が冷たくなっていく。内側から頭が叩かれているような衝撃を感じる。その中で、包み込むような、甘くて、冷たい声が聞こえてくる。


「あなたの判断で、全て決まるんですよ?」


 息を吐き出そうとした。だが、出てきたのは二酸化炭素ではなくて、言葉だった。


「黙ってちょうだい!」


 喉を鷲掴んでいるものを振り払いたい。その一心で、ありったけの大声を上げる。何かが突っかかっていたと思っていた場所は、喉ではなく、もっと下の、更に奥にあったとわかった。


「私の何が、わかってるって言うつもり?! 知った風なことを、上から言わないで!」


 胸にあるもの全部をぶつけるつもりで、吐き出す。一回投げ始めたら、その止め方がわからなくなった。


「どうすれば人が来てくれるのか。どうすれば、この大切で大事っていう気持ちが人に伝わってくれるのか。考えて考えて、ずっと考え続けた! でも! 全然わからなかった!」


 目線は下を向いているので、マーキュリーがどういう顔をしているかはわからない。ただ、少々たじろいでいるらしきことが、気配で伝わってきた。


「そんな簡単に、他人が簡単に言えるものじゃない! こんな苦しさ、君なんかには一生縁が無い! 一生味わえない!」


 次の言葉が込み上がってくる。これを言おうとすぐに決まった。止まらなかった。周りが何も見えない。周りがどういう状況なのか、何一つわからない。


「君は、何もわかっていない! 何も、知らない!」


 風が通り過ぎていった。肌を掠めたとき、妙に冷たい感触に、違和を感じた。そこで、風ではない、冷たい何かが、前方から流れてくる。


「……なんだと?」


 木の葉の影が、彼の顔にかかる。陰影が作られ、表情が全く見えない。


「誰が、何を知らないって?」


 その影の中に、光る部分が二つあった。


「知った風なことを、上から言わないで、と言ったな?」


 目が見開かれている。彼の黄色い双眼に、恐ろしく強い、鋭く突き立ててくるような光が宿っている。後ずさっても、光からは逃れられない。


「……そっくり返してやる。それは、お前のほうだろう。お前は、俺の何がわかってるって、言うつもりだ?」


 青い髪が、不気味なほど静かに揺れる。


 彼の片手を取り巻く空気が、わずかに揺らいだように見えた。次の瞬間、その手には、背の高い槍が握られていた。


 その槍を、片手で軽々と一回転し、持ち方を縦から横に変えた。殴りつけるように、すぐ隣に生えている木の幹へ、刃を突き刺す。穂先は深々と、茶色い樹皮の中に、沈み込まれていく。


「俺がどういう奴か。お前こそ、何も知らないだろうが」


 ああ、そうか。未來の眼前が、納得で埋まっていく。


 怖さとは真反対の位置にいる笑顔を見せている。なのにどうして、彼と向き合うと、ひりひりとした空気を味わうのか。


 目の前に立つ彼を見て、やっとわかった。巧妙な笑顔が描かれた仮面。それが剥がれ落ちた彼の顔。


 笑顔の消えたマーキュリーから、冷気が流れてくる。

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