phase3「星のお菓子」

 宇宙船に行くと大体いつも集まる、リビングルーム。その隣の部屋に、キッチンがある。余計なものは一切置かれていないシンプルなキッチンに、未來達は集まっていた。


「うん。材料は揃った。いつでも始められる」


 アイランドキッチンの作業台の上に、幾つかの調理器具が並べられている。それらを指さしで確認していたハルが言うと、はい、と未來は頷いた。


「う、上手くいくかなあ……」

「弱気にならない! 上手くいかせるの!」


 レシピ本を開いていた穹が怖じ気づいた声を上げると、すかさず美月が横から割り込む。


「いやでも、水羊羹なんて作ったことがないし……」


 穹が開いていたページを皆に見せる。そこには、水羊羹の作り方が書かれていた。様々な和菓子のレシピが載った本。似たような傾向の本が、作業台の隅に何冊も積まれている。全て数日前、未來が古本屋で購入したものだった。


「それに未來さんが作りたい羊羹って、これに載ってるような普通のものではありませんよね?」


 未來は肯定しながら、積まれた本の中から、ある一冊を取りだした。それは、他のレシピ本とは少し趣向が異なっていた。水羊羹の画像がたくさん掲載された、水羊羹専用の本だった。


 載っている水羊羹は全て、グラデーションがかかっていたり、二層になっていたり、透明状のものだったりと、見た目に凝られた、普通とは違うものばかりだった。


「む、難しそう……」

「大丈夫だよ穹君! 大体が出来ればそれでいいんだから!」


穹はまだ何か言いたげだったが、美月が強引にそれを止めさせた。


「新しい水羊羹のお菓子、かあ。見た目が良ければそれだけで気になっちゃうし、新商品っていうのは良い方法かもしれないね」


 美月の言葉に、でしょう、と未來は親指を立てながら、数日前のことを振り返った。


 かねてから、萬月屋の店長からは、ことあるごとに新商品を考えてくれたら採用するかも、と言われていた。何年もの付き合いからのよしみか、それとも単なる社交辞令かはわからない。

 どちらにせよ、よく言われすぎるあまり、未來も本気にせず、流していた。そのせいで、この台詞をすっかり忘れていたが、数日前古本屋に行ったとき、突如として思い出した。


 本を買った後、その足で萬月屋に急ぎ、あの言葉は嘘ではないか橘に尋ねた所、「むしろお願いしたいくらい」と苦笑してきた。


 「新商品を考えたいけど、時間がどうしても無いんだ。未來ちゃんだったら、思いつかないようなお菓子を思いついてくれそうって、勝手に思っちゃってるの」と言う橘の顔には、疲れが滲んでいた。未來が萬月屋の危機に気づいているのを、察しているようだった。


「もし新商品が浮かんだら、アイデアを貸してくれないかな? 欲を言えば、完成形も持ってきてほしいかも。商品化できるって判断できたら、このショーケースに並ぶよ!」


 そう言った橘に、未來は思わず大きな声で答えてしまったのだ。「絶賛、今やろうとしているところなんです!」と。


 新商品の可能性を秘めたお菓子を作ろうと考えた際、美月や穹、ハルにも協力を仰ぐことにした。一人でも出来るかもしれないが、一人では出来なかったことも出来るようになるかもしれない、それが萬月屋の為になるかもしれないと思うと、次の瞬間には連絡を入れていた。


 次に宇宙船に集まるまでの時間を最大限使って、未來は新商品のアイデアを練った。既に土台となる大体のデザインは決まっていて、細部を考える段階にまで至っていた。

しかし、結局アイデアが完全に固まるまでにかなりの時間を有してしまい、出来上がったのは、宇宙船に集まる約束の日当日だった。


 自分で描いた絵を見せた後にどういう商品なのか説明を加えると、絵を見ていた美月は「あ、ああ、こ、これってそういうお菓子なのね。な、なるほど、なるほど」と妙に冷や汗を掻いていた。

 穹はずっと、まん丸に開かれた大きな目で、絵を凝視していた。その瞳からは、驚愕と、少々の恐怖心があったように見えた。


 ハルが無言で、未來の絵をもとに、別の紙を取り出して新しく何か描きだした。ハルが描いた新商品の絵は、まるで計画書か何かに描かれている資料のような説明的で無機的な絵だったが、そのおかげかとてもわかりやすかった。


 その日の翌日に当たる今日、ハルの絵を完成予想図とし、いざ作ろうと、こうして集まっている。


 ハルの描いた完成予想図を見ながら、未來は頭の中に新商品のお菓子の姿を思い描いてみた。


 三層の水羊羹。一番下は普通の小豆の羊羹である三層目。一層目は透明で、薄い。真ん中である二層目は、とても深い青色をしており、その中に小さな星形が浮かんでいる。


「水羊羹そのものも、この見た目も、暑い夏にぴったりね」


 横から覗き込んできた美月が、感心深げに言う。


「この二層目って、もしかして、星空がモチーフ?」

「大当たりです!」


 むろん、ただの星空ではない。あの、海で見た星空が、モデルとなっている。

 それを言うと、美月は「じゃあ天の川もいるかな?」と提案してきた。了承しながらも未來は、この星空は、ただの夏の星空ではないと、こっそり思っていた。


 けれども、言葉には出さなかった。その代わりに、心に詰めて、込めることにしたのだ。


 そうこうするうち、調理が開始された。


 一回目の製作は、気合いの入りすぎた美月が間違えて火を一気に強くしてしまい、餡子を焦がすという結果に終わった。さい先が不安に包まれたが、ハルだけ、「実験時を思い出す」と頭のアンテナをぴょこぴょこ動かしていた。


 二回目は、緊張のしすぎた穹の手元が狂い、綺麗な三層を作ることが叶わなくなった。色が混ざり合い、お世辞にも美しいとは言い難い羊羹の姿に、穹は萎縮して謝り、美月は「なんでまだ緊張してるのよ!」と怒っている。

 未來は宥めつつ、足手まといになるからと下りようとする穹に、「大丈夫だよ! 次に行こう!」といさめ、三回目に乗り出した。


 その三回目は、三度目の正直という言葉通り、大きな失敗もせず終わった。分量を間違えて入れてしまったが、ハルの見事なリカバリーで機転を利かせ、見事完成予想図通りに作ることが出来た。


 が、冷やす前、未來は何かが足りないと直感した。これではまだ、あの和菓子達と一緒に、ショーケースに並ぶことはできない。という勘。そこで、予想図そのものを、変更することにした。


 二層目をグラデーションに。一層目が寂しいから、何か乗せたほうがいいかもしれない。


 あれこれと考え、美月達の意見も取り入れつつ、未來の脳内で第二の水羊羹の姿がある程度固まった。説明してハルにまた完成予想図を書いてもらうと、二度目の案は、デザインに凝った結果、難易度が上昇したものとなっている、と忠告された。実際言葉通り、スムーズにいかなくなり始めた。


 綺麗なグラデーションにならなかったり、汚い色になったり。混ぜが足りなかったり、焦がしたり、二層目に浮かぶ星形が沈んでしまったり。


 作っているときは上手くいっていると感じても、実際にその姿を目の当たりにすると、その直感は幻想だったと思い知らされる。


 おまけに完成予想図を考えた時は、これ以上ないほど素晴らしいデザインだと思うのに、実際に作ってみると、考えた時のような感動がまるで浮かばないという事態もしょっちゅう起こる。


 おかげで未來は何度も予想図のデザインを変更する羽目になった。ああでもないこうでもないと悩み、実際に作り、また悩む。その繰り返しだった。そうこうするうち材料も尽きたので、慌てて買いに走る羽目になった。


 ハルは「実験の時の難航具合を鮮明に思い出している」と、耐えず頭のアンテナを動かし続けているが、さすがに美月や穹には疲れの色が滲み始めた。申し訳なく思いながら未來が休憩を提案すると、二人はすぐに頷き、リビングへと足を向けた。


「未來さんは?」

「私は考えてたいし、作ってたいから!」

「どうしてそこまで……?」


 美月が唖然とした様子で尋ねた。どう言ったものかと、未來は腕を組む。


「そこまでしないと伝わらないって感じるから、かな?」


 更に美月は驚いた様子になった。実際に未來も、どうしてここまで出来るのか、わからない。


 義務感に近いのかもしれない。全身全霊を注がなくてはという。あるいは、注ぎたいという、純粋な気持ちも多少はあるのかもしれない。


「ハルさんも休んでいいんですよ?」

「私は不要だ」

「じゃあ、申し訳ないのですが、まだもう少し力を貸してくれますか?」

「むろんだ」


 何度目かすっかり忘れたトライ。これまで作り、没となった羊羹全てにも、全身全霊を注いだつもりだ。


 脳内で念じるだけでは足りない。細胞の一つ一つに刻まれた思いを全て回収し、注ぐ勢いで作ったつもりだ。だが、それがちゃんと出来ているかは、自信がない。

 作業台の上の鍋と向き合いながら、ボウルと対峙しながら、一挙一動の些細な動作全てに、“気”を送る。


 萬月屋へ向かう道中での高揚感。

入るときに飛び込んでくるショーケースを見た時の、それまでの高揚感が爆発する感覚。

覗いて何を買うか考えているときの、行きとはまた違った高揚感。

今日はこれを買って、今日はこれを買わないと選択するときの、苦渋の思い。

早く食べたいと、買ったもののことばかり考えながら帰路につくときの有頂天ぶり。

お皿に並べて、口に運ぶまでの時間が、やけに長く感じる体感。

あれだけ待ち望んだのに、あっという間に食べ終わってしまったときの寂しさ。

次に行くときが楽しみだと、またわくわくした気持ちを抱えて過ごす日々。


 そして何よりも、口に入れて味わうあの時間が、あっという間にして永遠に感じるのだ。


 幸せ、嬉しい、楽しい、そういった気持ちが全て凝縮され、あの時間に詰まっている。

 生きていて良かったと、ただ純粋に思い、この世界に生まれた事実という、誰に感謝すればわからないことに対して、ありったけの感謝を述べたくなる。

何の疑問も感じずに、この星に生きていて良かったと、思うことが出来る。


 店長との何気ない会話の時間にも、和菓子を食べたときほど強烈ではないが、じんわりとした、似たような思いを感じていた。

 店長とは、いつも話が噛み合う。“ずれ”を感じない。この惑星に住む人間と、この惑星に住む人間という、“ずれ”を一切感じさせない。


 橘は、「こんなに話が合う未來ちゃんと知り合えて本当に良かった。とても楽しい!」といつも言ってくれる。

 未來もそうだ。生まれのことだとか、全て何もかも忘れて、会話を楽しむことができる。


 これらの感情全てひっくるめて、目の前の水羊羹に送る。包みきれなくて、零れてしまう代物かもしれなくても。送り続ける。


 あの店で過ごした全ての時間は、全て幸せと呼べるものだった。あれを幸せと呼ばずに、何を幸せと呼ぶのか。この星に住んでいる人間として、あの店での時間を楽しむ。その事実にも、幸せと感じたこと全てにも、ありがとうと言いたかった。


 言葉の代わりに、目に見えない形にして、その気持ちを目の前のお菓子に入れる。このお菓子が、大好きなショーケースに並ぶ姿を想像しながら。大好きな萬月屋にいっぱい人が来て、大好きな橘が笑顔になっているところを想像しながら。


 大好きを詰めて、感謝を詰める。自分がお菓子を食べたときと同じような幸せが、このお菓子を食べたその他大勢の人にも伝わってほしいと願いながら、自分の感じた幸せの全てを送った。




 休憩しに行ったと思った美月と穹は、程なくして戻ってきた。

 「聞いて下さいよ。姉ちゃん、ずっとそわそわしてたんですよ? 休憩なのに」と穹が肩をすくめ、「だって気になっちゃってさ……」と美月が苦笑する。未來は胸が一杯になって、「じゃあ、頑張りましょう!」と、やっと言うことが出来た。




 時間がかかることを想定して朝に集まった。なのに、これで良いだろう、間違いなくこれだ、これしかないという羊羹が出来上がったのは、夕方近くになってからだった。


 土台となるアイデアはもう出来ていたのに、これほどまでかかるとは未來も予想外だった。

 もはや何回挑戦し直したかわからない。体感では、ゆうに百を超えている。


 これはどうだろう、と未來が提案すると、ハルや穹や美月がここはこうしたほうが、と言う。逆にこの三人の誰かがこれは、と言うと、未來がここはこうしたい、と言う。そういう問答を繰り返しているうち、いつの間にか時は流れ去っていた。


 冷蔵庫に完成形となるであろうものを入れてやっと一息ついたとき、ハルが「やはり実験は多くの人数で行うのも、新たな可能性が開けるんだな」と言った。


「実験というか料理ですね~」

「いや。どちらも、性質は似ているんだ」

「あの、というかハルさんの冷蔵庫の中って、なんというか、めちゃめちゃに整理整頓されてますね……」

「なんか逆に気味悪い……」


 姉弟がずばり言いながら、片付けを始める。


「失敗作や没になったものが結構出ちゃいましたけど、本当に全部貰ってくれるんですか?」


 キッチンについてある食器洗浄機に食器をセットしながら未來が聞くと、「むしろ有り難いくらいなんだ」とハルが答えた。


「私は基本どんなものでもエネルギーに変換できるし、何よりシロがとにかく食べる。どんなものでも有り難い」

「おお、凄い……! ありがとうございます~! 助かります!」

「ハルさんもシロもどういう構造してるんだろうなあ……」

「というか、ぶっちゃけ、なんでも食べられるって、羨ましい」


 台を拭きつつ、真顔と低いトーンで、美月が口を開く。え、と穹が真顔で聞き返すと、「だって味をいくらでも追求し、探求できるじゃない……。無限の可能性が広がってるじゃない……!」と美月が反論した。

「シロはわからないが、私はそういう意図で付けた機能ではない」とハルが横から突っ込んでくる。


 何とも言えず未來は、ともすれば大きく笑いそうになるのを、必死で堪えた。

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