phase2「人気の取り戻し方」
気がつけば、若草色ののれんの下に立っていた。家に向かっていたはずなのに、いつの間にか萬月屋へと、足が歩いていたようだ。それまでの記憶がびっくりするほど曖昧で、どうやってここまで歩いてきたのか思い出せなかった。
ただ、そのまま引き返すという選択肢は無かった為、未來は引き戸を開け、中に入った。
レジ台に肘をつき、頬杖をつく橘の姿があった。目線は下を向いており、顔は見えない。肩が上下されると同時に、重苦しい響きの吐息が聞こえてきた。
「こんにちは~」
挨拶したが、橘は顔を上げない。他に人はおらず、聞こえなかったはずはない。近づいて、「あの……?」と顔を覗き込むと、夢から覚めたみたいにはっと橘の目が開かれた。
「や、やだごめんなさい、未來ちゃん! いらっしゃいませ!」
全く気づいていなかった、という風だった。妙に感じたが、とりあえず何か頼もうとし、あまり持ち合わせの無かった為、豆大福を一つ買った。未來に商品を渡すと、橘は「もしかしてだけど、何かあったのかな?」と優しく尋ねてきた。
「……元気を出したかっただけです! ここのお菓子食べると、すぐに元気になりますので!」
この店の、優しく寄り添うような甘みの和菓子を口に入れると、それだけで沈んだ心も解きほぐされ、上昇していく。昔からそうだった。物心ついた頃、母に連れられて初めてここに訪れた時から。
橘はそっか、と頷いただけで、それ以上は詮索してこなかった。これあげる、と、ショーケースからおはぎを一つ取り出してきた。
「なぜですか! いいですよそんな!」
「ううん。遠慮しないで! だって、売れ残るよりはずっといいもん」
ほら、と半ば押しつけられるように渡されてしまい、しょうがなく未來は受け取った。が、おはぎも大好きなので、胸は正直に弾んだ。
「そういえばさっき元気無かったみたいですけど、大丈夫ですか? どこか具合でも悪いんですか?」
「あ、ううん。単に退屈だっただけよ。何しろ未來ちゃんが今日初めて来たお客様だから、もう時間が余っちゃってねえ……」
世間話の一つみたいに、店長は軽い言葉遣いだった。けれども未來はその軽い言葉が、重く突き刺さった。動くことの出来ない未來に、橘は気づいた様子が無い。
ショーケースの向こうに置かれたお菓子達の量は、極端に少ない。昨日もそうだった。その前も、ずっとそうだった。
橘は、まだ何か話していた。未來は遮る形で、強引に別れの挨拶を言っておはぎの代金を置くと、何か言われる前に、飛び出すようにして店を後にした。
足が速くなる。速くする必要など無いのに、スピードはどんどん上がっていく。それ以上に速いのが、息と鼓動だ。体は冷えているのに、暑いようでもある。脳の奥がじんじんと響く。
急がなくてはいけない。その言葉以外、何も頭に浮かんでこなかった。もはや時間は残りわずかなのだと、悟りたくないのに悟ってしまった。
足と息と心臓だけが速くなるばかりで、求めている考えは何一つ浮かんでこなかった。どうすれば、が馬鹿みたいについて回る。
目の前の景色が、モノクロになったように見えてくる。その景色の中で、唯一色がついている場所があった。こんもりと茂った小さな山。学校裏にある山。その緑が目に入ったとき、足が止まった。徐々に小さくなっていく心臓の音を感じながら、未來の脳裏に、ある顔が浮かんでいた。
「お願いしますっ! もう私一人ではどうすることもできないんです! 力を貸して下さいっ!」
翌日。宇宙船のリビング内で、未來は勢いよく頭を下げた。
「待って、一体どうしたのよ!」
美月が困惑したように駆け寄り、頭を上げるよう頼んでくる。それでも下げたままでいると、「ミライ、一から説明をしてくれないか」とハルが言ってきた。
穹が勧めたソファに未來だけ腰を下ろすと、何度か深呼吸をし、意を決して口を開く。
「では結論から。……萬月屋に人を呼び込む方法を、考えてほしいんです!」
えっと、美月と穹が目を丸くさせた。ふむ、とハルがテレビ画面に映ってる口の下の方に手をやり、「経緯の説明を頼む」と事務的に聞いてくる。
未來は少し逡巡した。あの店のために、ぼやかして説明できないものかと、何度も考えた。しかし最終的に、包み隠さず話すことも決めていた。
「実は萬月屋は今、閉店してしまう危機にあるんです」
言ってしまった途端、現実が更にくっきりと見えてきた気がした。今まで少し目を逸らしていたところが、完全に見えた気持ちだ。
「閉店?!」
美月が飛び退いた。頭に片手をやり、視線があちらこちらに移動する。
「……味は最良。見た所衛生面も最良。場所も悪くない。……一体どうして?」
「私もこの前食べた意見だが、味で客足が衰えるような可能性は限りなく低い結果が出ている」
「僕も正直わかりません……。なぜです?」
未來は涙が出そうになった。ここにいる三名は少なくとも、あの店の味をわかってくれている。気を取りなす為に咳払いをし、姿勢を正す。
「今の店長さんは、三代目なんです。去年に入ってすぐ、変わりました。その店長さんが店員さんだった頃から、私とは顔見知りなんです」
説明していると、勝手にその時のことが思い浮かんでくる。物心ついてしばらく経った頃に行った萬月屋で、二代目の店長が母親と話している間、二代目の娘だと言った今の店長が、話し相手になってくれた。
「交代されてからも、味は全く変わらずなので、客足が少ない、なんてことはありませんでした。私が行っても、いつも誰かしら他のお客さんがいて、店長さんは忙しそうにしてました」
忙しそうな橘を見ていると、つい大丈夫だろうかと心配になったが、彼女本人は幸せそうだった。どんなに客でいっぱいになっても、笑顔を崩さなかった。未來にはそれが、本心からの笑みに見えた。
「でも、今年に入ってからでしょうか。突然、ぱったりと、お客さんの数が減ったんです。極端に」
最初はそういう日もあると思った。しかしそれが何回も、来る度に続けば、気のせいだと割り切ることは困難になる。それでも、見て見ぬ振りをしていた。
「昨日は、夕方行った私が、今日初めてのお客さんだと言ってました。ぽろっと零れたのでしょうけど……」
「理由はどうしてだか、わかる?」
同じく店を経営する者の子供として、美月が経営者側の目になって聞いてきた。未來はゆるゆると首を振る。
「味は本当に全く変わらずなので、それが原因ではないと思う。ただ、一つ、思い当たる節が」
脳裏に、浮かんでくるお菓子がある。小さくて儚くて、繊細でただただ美しいもの。
「練り切りのお菓子の値段が、上がったんです。その時期を境に、明らかにお客さんの数が減ってるんです」
美月と穹が、納得したように頷き合った。
「うーん、だけど、それだけでというのはなんだか……」
穹が眉を寄せると、未來は重い口を開いた。
「他のお菓子の値段は変わってない。練り切りだけなんです。でも実は、萬月屋はもともと、練り切りが目玉商品で、看板商品なんです。一代目からずっと」
ああ、と穹が目を見張り、なるほどね、と美月が頷く。
「店長さんもすぐに気づいたのか、値段を戻しました。けれどそれでもなかなか伸びなくて、今は上げたときの値段に戻っています」
「粘り強く待てば、回復したかもしれないけど……」
美月がかすかに呟く。未來は思わず、腰を浮かせた。
「でも、しょうがないんです! その分、二代目さんの時よりも、遙かに味は美味しくなってます! 材料にこだわった分、値段を上げたんです!」
想定していたよりも遙かに大きな声が飛び出た。美月はうろたえ、、目を白黒させた。
「二代目までは、気軽に手に入る練り切りというのが売りでした。それを崩したのは確かに問題かもしれません。でも、材料の全てにこだわり抜いて、計算して、洗練された、練り切りの究極体を作り上げ、完成させたのは、三代目の今の店長さんなんです! 結果、値段が上がるのは、仕方の無いことだと、私は思っているんです!」
うん、と美月は微笑した。
「ごめんね。責めたわけじゃないんだ。そうか、だから新規のお客さんを開拓しようってことね。昨日のポスターの意図がよくわかったよ」
「去ったお客さんを待っていてもしょうがないと思ったので……」
だから、と未來は立ち上がり、再び頭を下げる。
「どうかお願いします! 新規開拓の術を、一緒に探して下さい!」
心臓が早鐘を打ち鳴らしながらも吐き出した頼みは、「いいよ!」という美月の屈託ない返事に受け止められた。
「一緒に考えましょう、未來さん!」
「私も力になろう」
顔が緩んでいく。未來は首を縦に振りながら、緩みの抑えられない顔を隠せずにいた。
「よし、じゃあ急ぎのようだし、早速考えよう!」
美月はそう言うと、未來の隣のソファに座った。そのまま腕を組み、目を閉じる。向かいのソファに座ったハルと穹も、同じように腕を組み、目を閉じた。うーんという唸り声が重なる。未來は何もせず、動向を見守った。
「場所を変えるのはどうだろうか? もっと人通りの多い場所に引っ越すというのは」
ぴーんと、ハルのテレビ頭のアンテナが立つ。いえ、と未來は左右に首を振った。
「全然現実的じゃないです。多分そこまでの余裕は……」
「そうか、地球では引っ越しに手間がかかるんだったな……。建物ごと引っ越しできる家はかなり人気だから忘れていた」
「宇宙ではそれが常識なのね……」
美月に突っ込まれ、またハルは腕を組み、黙ってしまった。代わりに今度は美月が、「そうだ!」と手を鳴らす。
「未來、こういうのはインパクトなのよ」
「インパクト?」
「今の時代、見た目が映えればうなぎ登りになりやすい! とにかく斬新に、よ!」
「斬新かあ、確かにそれは良いかも」
萬月屋は伝統を守ることを第一にしているが、この辺りで革新さを取り入れてもいいかもしれない。具体案を聞こうと、身を乗り出す。
「和菓子みたいなケーキとかはどう? 見た目は完全に和菓子、食べてみると洋菓子! とか。逆でも面白いね、見た目は完全に洋菓子、食べると和菓子! でも洋菓子を知り尽くしてないと見た目似せるのは難しいかな。じゃあやっぱり前者かな? 練り切り割ってみるとあら不思議、中からスポンジとクリームが……!」
「美月。萬月屋は、和菓子の店だよ?」
「……ごめん」
思いの外低い声を発してしまった。美月がしおらしく俯いたと同時に、「そうだ!」と穹が勢いよく立ち上がった。
「インパクトが大事なら、名前! 名前で勝負ですよ!」
「名前?」
「穹、もしかしてそれって」
穹の瞳から、怪しい輝きが放たれる。
「例えば三色団子なら、“燃えやすき楔に貫かれし三つの魂”。豆大福なら“清純たる白き衣に包まれた漆黒の原罪”。あ、逆におはぎなら“闇のローブを被りし純真たる生命”とか! あとそうですね、この前の水羊羹でしたら“清き泉に沈没す」
「やめなさーーーい!!!」
美月は、耳まで真っ赤に染まった。熱弁を途中で遮られて不満げな穹に、未來は頭を下げた。
「ごめんなさい、穹君。言ってる意味が全然わからない」
「悪い意味のインパクトなのよそれは……。逆効果! 変な噂しか立たない!」
「万一流行ったとしても、一過性のものに過ぎない可能性が高い」
美月とハルからも追い打ちをかけられ、穹は撃沈のごとくソファに沈み込んだ。
「……じ、じゃあ、えと、商品名に、それぞれの商品にちなんだ、た、短歌や俳句をつけるっていうのは……?」
「穹、たまにはいいこと言うじゃない。なんでいつもそうじゃないの?」
ひどい、と嘆く穹に、未來は「それはいいね!」と拍手した。新しいし、雰囲気も壊さない。最も実行に移しやすい案に思える。
「でも穹、良いと思うけど、それを売りにするには弱い。思わず行きたくなるような、強力なインパクトが必要よ、やっぱり」
「では、質のアピールはどうだろうか」
ハルが挙手をする。「質?」と美月が訝しんだ。
「100%に近い味の保証があれば、安心して買いに来る客が増えるだろう。具体的には、こういう作りになってるから美味しくなるという説明文を作るんだ。小豆をこれくらい入れているだとか、蒸している時間を秒単位で記すとか、このタイミングでこの調味料を入れているだとかを記入して」
「レシピを堂々と出すなど言語道断だ!!!」
美月がテーブルを叩いた音が、室内に響き渡る。
「企業秘密を失念していた」
「あ、えーとじゃあ、誰でも作れる簡単な和菓子のレシピが、お菓子を買うとついてくるとか……」
また穹が代替案を出した。おお、と未來は目を丸くした。
「さっきから穹君、センスあるアイデア出すねえ!」
「えっ、あ、いや、僕はそんな……!」
「やっぱり、お家でもそんな風にアイデア出したりするの?」
すると、顔を真っ赤にして照れていた穹が、急に静かに俯いた。
「えっと、その……」
「穹はミーティアのことにはあまり興味無いのよ。お父さんやお母さんから何か新メニューの案がないか聞かれても、いつも話逸らして知らん顔するんだから。だから私が代わりに考える羽目になるの」
代わりに美月が続けた。やれやれと両手を軽く上げ、ため息を零す。
「僕は、その……」
「ま、今はその話はいいわ。で、穹の案の話だけど、確かに良い案だけどそれだと弱い。もっと強力なものが……」
美月の夢は、ミーティアを継ぐことだと言っていた。故に厳しく、身内からの意見であっても容赦が無い。
「やっぱり、見た目で映えるのが手っ取り早いんだよ」
「確かに言えている。視角に訴えることで、これは食べたらどんな味なのだろうと、探究心や好奇心が湧きやすくなる」
「そうそう。あとはSNS映えね」
「SNS……。そこではどういうものが人気なんですか?」
未來の持っている携帯は、あくまでも連絡用のものだ。インターネットのサービスは一度も使った事が無い。美月と知り合ってすぐにそれを言ったら、腰を抜かす程驚かれた。
「やっぱり斬新さが強いかなあ。デザイン性高いものも人気になりやすいかも。そうね、こうなったらうんと手っ取り早く……」
今度は美月の両目が、きらりと瞬いた。
「どーんと花火でも乗せるのはどう?! 取り扱い注意! 小さな子供は厳禁です! みたいな! あとはそうね、宝石みたいなきらきらしたものいっぱい乗せちゃうとか! うーんでもそれだとありきたりだし、やっぱり花火が一番かな! 今にも爆発寸前で、危機一髪おはぎとかそういう感じで! 食べたら口の中で爆発する団子とかも有りかも!」
「美月。君は萬月屋で事故を起こしたいんだね?」
「さすがにふざけがすぎました、ごめんなさい」
と。穹が、おもむろに立ち上がった。俯いており顔が見えない穹の口から、姉ちゃん、ととても低い声音が漏れる。
「こっちにはだめ出しする癖に、もしかして自分の意見を押し通そうとしてるんじゃないの?!」
「はあ?! 何言ってんのよ!」
「姉ちゃんの案はどうかと思うものばっかりだよ?!」
「こっちの台詞よ! そっちこそ、恥っずかしい変な名前ばっかり思いついて! センス無いのよ!」
「ええ?! あの格好良さがわからない姉ちゃんのセンスのほうがよっぽど地に落ちてるよ!」
「センスって言葉を一回辞書で引いてきてから言いな!」
「それはこっちの台詞だ!」
「やめなさい!」
ぱん、とハルが両手を叩く。二人とも黙ったが、姉弟の一触即発の空気は変わらない。また些細なことで着火し、爆発しそうだった。
「一旦解散して、各自落ち着いて考えたほうがずっと良い。ミライ、それでいいか?」
「はい、むしろそれでお願いします」
未來は深々とお辞儀する。美月と穹は睨み合ったままで、ちゃんと話を聞いているのか不明だった。
「そうだ、クラーレから伝言を頼まれている」
「……なんです?」
「良かった、とのことだ」
主語が存在せず、何を指しているのか普通はわからない。だが、未來は、すぐになんのことだかわかった。
「シロも、渡した和菓子を全部美味しそうに食べていた」
「あはは、シロさんの口に叶って良かったです!」
ゆっくり、視線を室内で回す。
「今日もお二人は、飛ぶ練習ですか?」
「シロはな。クラーレは付き添いだ。今日はココロと一緒だ」
「じゃ、私からも伝言良いですか?」
「構わない。なんだ?」
一呼吸置き、口を開く。
「また、何かオススメを持ってきますって、伝えておいて下さい」
その“また”が来るように、自分も頑張らなくてはいけない。そう心に決めた。
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