Chapter3「地球で暮らす宇宙人」

phase1「未來の日々」

 彼が頭の中に思い浮かべるその光景は、いつも鮮明だった。


 そこは少年にとって、全く馴染みのない場所だった。馴染みのない家具が置かれたこの部屋は、意識しなくとも少年に警戒心を抱かせた。特にその矛先が向いている相手が、まさに目の前にいた。


「だ~か~ら~ね。どうしてそんなにふてくされた顔してるのさ。ほらほら笑って笑って、私のように!」


その男性は、自分の人差し指を顔に当てた。その瞬間、見事なまでの、笑顔のお手本と言うべきような完璧な笑顔になった。

 男性は若い。けれど年端もいかない少年にとっては、おじさんも同然だ。なので投げやりにおっさんと呼んでやったら、先程の台詞が飛び出したのだ。


「ほら、ちゃんと笑顔になんないと駄目だよ? 商売と接客に、笑顔は一番大事な要なんだから。このハイテクな世の中でも、それは変わらないんだよ? ま、売り物の質も大事だけどね。笑顔素敵で質が最悪だったら絶対生き残れないからね!」


ツボに入ったのか、男性はけたけたと一人で勝手に笑い出した。一つに纏められた、長い髪が揺れる。少年は、青年の水色の髪から、鬱陶しそうに目を逸らした。


「でも、笑顔も商品の質も両方とも最高でパーフェクトだったら、大人気になれるって寸法さ! どうだい? 簡単だろう?」


背の高いその男性は、少しだけ膝を折って、少年の目の高さに近づいた。少し薄い黄色の瞳が、近くにある。明らかに子供扱いな行動に、少年の内に秘める、怒りのゲージが上がっていく。


「ま、簡単なようで物凄い難しいんだけどねこれが! 少しでも作り物の笑顔だな、って思わせたらもう駄目。いつでも本気で笑うようにしてないと。その為には、いつも笑っているに限るんだ。笑顔を真顔にするってわ、け、さ!」


 さあ笑ってごらん!と、男性は大袈裟なポーズで両腕を広げた。少年はそちらに一瞥しただけで、ぎゅっと眉根を寄せた。何に苛立っているのか少年にもわからなかった。この男性の胡散臭さが原因か、あるいは、ここに来ることになった理由が原因か。


「うん、意地でも笑わないみたいだね! じゃあいいか! 笑顔の特訓のほうが先だ!」


 男性は膝を元に戻すと、芝居がかった大きな仕草で腕を組んだ。顎を突き出し、あからさまに見下ろすようなポーズを取っている。


「君は、私の弟子になったんだよ?」


 口角が上がって、目も笑っていることには変わりない。しかしその声色は、先程と打って変わって、ふざけた様子は無かった。だから少年は、違うと言えなくなった。


「髪色も似てるし目の色も似てる。凄い偶然だよね! 運命みたい!」


 ふふふと男性は笑った。少年は、自分の髪と目の色に、恨めしさを感じた。


「君はこれから、多くのことを学ばないといけない。でも君は、まだ何も知らない。笑顔っていうのはね、キホンのキなんだ。全ての生活を、潤滑に進めるに当たって。これまずが出来ないと、私も、何一つ教えることが出来ない」


右から左へ聞き流してはいけないと、少年は反射的に感じた。内心は癪に障っていたが、それでも勘に従って耳を傾けたとき、あはっと吹き出すような声が飛び込んで来た。


「だから第一にも、素敵な笑顔を見せられるようにならないとなんっにも始まらないんだよね! ま、私くらい完成された完璧な笑顔になるのはどんなに頑張っても無理だろうけど!」


あははとお腹を押さえて心底愉快そうに笑い出した男性に、遂に少年は伏せていた顔を上げた。狐目を見開き、馬鹿にされた怒りに染まった黄色い瞳を覗かせる。


「てめえ……!」

「あ、てめえじゃないよ、私は。あ、でもそうだなあ、名前呼び捨てにされるのも癪だなあ。私の事は、大先生とでも呼んでくれればいいよ! っていうかむしろそうしてほしいかも!」


 伸びてきた手が、少年の青い髪を撫でる。だが撫でると評するには、その触り方は無造作で無遠慮だった。一発かましてやろうかとばかりに、少年の手が握られた。


「呼びたくなければそれでいいよ。今は、ね」


 拳に集まっていた力が、ふっと分散した。その声は存外柔らかく、またどこか真面目で、真っ直ぐだった。


「さて、スマイルレッスンの前に、君のこのだらしな~いぼっさぼさの髪を整えに行かないとだね! そ~れ~と~も~、それが格好いいと思っちゃってるのかな?」


 髪を一束つまんでぱっと放すと、男性は口を手で抑え、またもやくすくす笑った。


「このくそったれが!」

「ま~ったく、言葉遣いも全っ然なってないなあ。ここもお稽古つけないとか~、やれやれ。先は長そうだけど、仕込み甲斐がありそうだな~!」


両手を揉んだり擦り合わせたりしながら、男性は悪戯を企てる幼い子供のような笑みを浮かべた。


「本当に。将来が、楽しみだよ!」


その笑顔を見た時少年は、どうしてだかわからないが、ずっとこの顔を覚えていそうだなと感じた。

 当時のその直感は当たっていたと、後になって知る。




 「これが新型のパルサートラップですか……」

 取引相手の社員は、ローテーブルの上に置かれた、蓋のついた大きめの筒をしげしげと眺めた。その目が「しかし」と細められる。


「以前よりサイズが大きくなってませんか? 旧型のあれはもっと小さく、手のひらに載るくらいの箱形でしたよね?」


 予想していた言葉が出てきた、マーキュリーは、多少大袈裟に首を振った。


「全くその通りでございます。しかし、必ずしもコンパクトなサイズだからいい、というわけではないのでございますよ!」


 マーキュリーは手を伸ばし、白色の筒を持ち上げてみせた。全体的にずっしりと重く、かといって女性にもそこそこの子供にも持つことの出来る、絶妙なバランスがとられた設計になっている。


「新型パルサートラップは、ご覧のように頑丈さに重きをおいて作られました。従来のものは確かに軽く、小さい容量の中に多くのパルサーが入れられる、それは確かです。しかし、その手軽さのあまり、悪用される事態が多発しておりました。ご存知ですよね?」


 はい、と向かい側に座る相手は神妙に頷いた。相手は宇宙船を中心に扱う商社だから、その手の事件についても耳に入ってくるのだろう。


「宙賊による窃盗だとかなんだとか……」

「そうです。盗みやすいのですよ。その上利便性を重視した代償として、堅牢性が犠牲となった。故に持ち運んでいる最中に、何かの弾みでトラップが壊れてパルサーが漏れ出して……という事態も多発したわけです」


 マーキュリーはしみじみと、至極残念そうに、何度も頷いてみせた。


「従来のものは頑丈な代わりに、重い、場所をとる、持ち運べないと、不便でした。便利さを追求した結果、先の旧型のパルサートラップの原形が生まれたわけです。しかし、それも、色々なデメリットやリスクが生じてしまったわけですね。この事態をどうするか。我々ダークマターは懸命に考えました」


 さてここからだ。マーキュリーはゆっくりと息を吐き出し、ためを作った。

 そうしてから、スイッチが切り替わるように、部屋の空気の流れが変化した。否、変化させた。


「そしてその果てに! ついに! この新型パルサートラップを作り上げたのです! このパルサートラップは、従来の頑健さと旧型の手軽さが組み合わさった、まさにいいとこ取りの製品なのですよ」


 そうしてマーキュリーは、流れるように製品の説明を始めた。


 旧式と比べたトラップの持つ頑丈さや併せ持つ機能など、それがいかに凄く高性能を誇るのか、身振り手振りを交えて話した。相手からの質問にはきちんと答え、更に追加のセールスポイントも加えた。


「まず内容量もですね、旧型と比べて、ざっと計算し、実に十倍以上の貯蔵量があります。重さもそうですね。確かに旧型と比べれば重いですよ。しかし、あくまでも旧型と比べれば、です。せいぜい2Lペットボトルくらいですよ。また先も説明したように、頑丈さは折り紙付きです。また持続性もあり、最低でも100年は品質を保証できます。それでいてお値段は、旧型とほぼ変わりません! もちろん保険もききます!」


 説明を終える。挑むように、あるいは窺うように、相手の目を見る。


「どうでしょうか?」


 社員のほうは、腕を組み、じっと目を閉じていた。眉を寄せた渋い表情が、次の瞬間、ふっと和らぐ。


「いやはや……。お噂はかねがね耳にしておりましたが。さすが、マーキュリー様の手腕ですね」


 観念したように苦笑しながら、社員は一つ、頷いた。


「購入を、決めさせて頂きます」

「お買い上げ、ありがとうございます!」


 巷で完璧と評される笑みを、マーキュリーはその顔に浮かべた。


 営業が成功した瞬間は、いつも喜びや達成感を味わうものだが、この日は安堵感もあった。


 今日偶然会ったウラノスは、恐ろしく機嫌が悪かった。取りかかろうとしていた別の研究を強引に中断させて、パルサートラップの開発に当たらせたのだから、当然かもしれない。

 営業に向かうと言うと、「この俺が直々に開発したんだ……。他の研究を後回しにして、だ……。絶対に売ってこい。できなかったらお前を人造人間に変えて更に改造してやるからな」と睨み上げてきた。


 身長は自分よりも低いはずなのに、なぜか見下ろされているような感覚があった。また言っている台詞も、とてもはったりには聞こえなかった。なぜか。


 だから、無事に人造人間にならなかったことに対する安堵が、湧いているのかもしれない。


 むろん、セールスが成功したこともあるだろう。営業をすると、昔の感覚が呼び起こされて、気合いが入る。来る地球への出張にも、彼は既に自信が湧いてきていた。


 だが、今の仕事は、この新型パルサートラップの売り込みだ。


 「いつもありがとうございます、ダークマターさん」

 

 相手の社員が会釈し、笑顔を向けてくる。

 マーキュリーもそれに対し、穏やかな笑みで応える。 


 笑顔は、人と接するにおいて、本当に最も大事なものだ。彼の脳裏に、ある人間の姿が浮かんだ。その人は、どんな時でも、どんな状況に置かれても、完全無欠な笑みを浮かべてみせた人だった。








 未來は自室にて、机の上に広げたノートと向き合っていた。こういう文章で良いのかと、うーんと唸る。ペンの頭で額を叩きながら、早く父の勇一に聞きたいと思っていたが、どうも今夜は遅くなるらしい。明日の朝聞くかと、未來は諦めの息を吐き、ペンを置いた。


 ノートを引き出しにしまうついでに、未來は分厚い封筒を取り出し、中のものを見た。


 思わず、笑みが零れる。その写真は非常に多く、そのどれもが、未來に笑顔をもたらすものばかりだ。最近いっぱい出来た友人達が、写真に様々な形で写っている。その中には、つい先日行ったばかりの海での写真もあった。そろそろアルバムを用意しないとと、未來は写真をしまいながら考えた。


 あの時体験したことは、未來の中で、きらきらと光を透かすビー玉のように輝いている。


 何よりも、あの時見た星空の美しいことといったら。カメラを海には持って行ったのに、その時に限って宿に忘れたことを、心底後悔した。


 仕方ないので目に焼き付けた後、未來は帰宅して、忘れない内にと早速、あの星空を思い出しながら絵を描いた。


 出来上がった絵は完璧な再現率だと感じる、非常に満足な出来だった。だから翌日、学校で美月に見せたのだが、どういうわけだか見た途端に冷や汗を浮かべ出し、すぐしまうように言ってきた。理由を聞いても、はぐらかされた。もしかすると、あまりの再現度に驚いたのかもしれない。


数日経った今でも目を閉じると、あの夜空をありありと思い出せる。あんなに多くの星が見えるというのに、手を伸ばしても届かない。うんと遠いところに、それらはあるのだ。宇宙の、遙か遠いところに。


 つと、未來は立ち上がった。壁際まで歩いて行く。そこに付けられている電気のスイッチを押した途端、視界が真っ暗になった。明かりといったら、薄すぎる月明かりしかない。


 そのまま立っていると、闇しかなかった空間が、段々と、ぼんやりそこに置かれているものの輪郭が見えてきた。


 それを頼りに、未來は机まで歩き、一番下の引き出しを開けた。奥に押し込められている箱を、手探りで出す。蓋を開ける瞬間は、いつも軽い電流が体を流れる感覚がする。それは心理的なものか、それとも中に入っているものが原因か、いまだに不明だ。


 箱の中に座る首飾りは、闇の中で、ぼんやりと赤く光っている。地球でいう勾玉に近い形をしたその石は、中に炎を閉じ込めているようだ。月明かりを反射してではなく、石そのものが、確かに光っている。


 首飾りを手に取り、石越しに、窓ガラスに映る自分の姿を見た。未来の目は、ぼんやりと赤く光っていた。ゆらゆらと揺らめく、炎のように。


 首飾りを床に置いた。力が入っていたので、ばんという大きな音がした。足をもつれさせながら壁のスイッチまで走り、それを押す。瞬間、部屋に光が戻った。石の明かりも、全く目立たないまでに、周りが明るくなる。未來は壁を伝うように、ずるずるとその場に座り込んだ。


未來は窓の向こうを見た。完全な円形にはなっていない月が、こちらを見ていた。7月29日。未來が、恐らく、一つ歳をとる日には、満月になっていることだろう。


 本来誕生日ではない日を、毎年、誕生日として迎えている。もやもやもしなければむかむかもしない。7月29日は、未來にとって、自分の誕生日以外の何物でもない。


 けれど、自分の本当の誕生日は、一体何月何日なのだろうか。未來と名付けられた人間が産声を上げた星の暦では、一体何月何日何時頃に、どんな人のお腹から出てきたのだろうか。


 深く考えなかった年はない。けれど、気にしなかった年はない。しかしどんなに考えても、答えには永遠に辿り着かない。手を伸ばしても届くことはない、あの星のように。

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