phase4.4
目の前が明るくなったようでもあるし、暗くなったようでもある。美月は反射的に、円盤の上へと視線をやった。その上に立つ存在と、視線はかみ合わなかった。
ネプチューンは自分と同じ目線で、しかしほんの少し遠いところで輝くパルサーをじっと見ていたかと思うと、口元を手で覆った。
「あらあらまあまあ……」
ガラスが割れるような音が辺りに響いた。そちらを向くと、穹のシールドを、ロボットが豆腐のごとく割る光景が流れていた。
続けて振り下ろされそうになった拳を、未來が相手の頭に十字斬りと斜め斬りを浴びせ、対象を自分に逸らす。
間髪のところで未來がロボットからの攻撃を避けたところで、くすくすという笑い声が、いやにピンポイントで美月に行き着いた。
「なんていう幸運かしらっ……! いえそれとも、不運、なのでしょうかね?」
前を向けば、穹と未來とロボットの必死の攻防が開かれている。音が、攻防の衝撃を雄弁に物語っていた。攻防、とはいえ、穹も未來も防戦一方を強いられていた。穹はシールドを出す暇もなく攻撃を受け、助けに入ろうとした未來は今度は避ける余裕もなく、吹き飛ばされる。
上に目を向けば、変わらずに、ちかちかと白い光を瞬かせているパルサーがある。
何度交互に見た所で、それは変わらない。どちらにも行けないことも、変わらない。
「ご愁傷様ですわ」
上に手を伸ばし、前に手を伸ばしても、両方には届かない。
がこん、という音を奏で、円盤がゆっくりと動き出した。これほどまでに慈悲のない音は無いだろうと、美月は感じた。
どんなに腕を伸ばしたところで、自分の体は二つに分裂などできやしない。代わりに前か上どちらかに行ってくれる人も、探したところで誰もいない。
円盤は、のろのろとしていた。ゆっくり、呆れるほどゆっくり。よく見ていろとばかりに。着実に、パルサーとの距離を縮めている。
目の先が、闇に覆われた。その瞬間だった。
闇の中に一点、真っ白な淡い光彩を放つ何かが、見えた。
美月が駆け出した方向は、前だった。滑ることなど忘れていた。道の上を走るように、深く水上を踏む。がむしゃらに走り続ける。
「シーーーローーー!!!!!!」
ガードレールの向こうに一つ、真っ白な生き物が存在感を放っている。
目を真っ直ぐにシロの目と合わせた。美月は空に向かって指を指した。振り向いてないので見えない。けれどその先に、パルサーが輝いている。
「おね、がい!!!」
その一言に、美月はありとあらゆる全てを詰め込んだ。クラーレの腕にいるシロはとても小さい。ぎゅうぎゅう詰めの台詞を受け止めるには、あまりにも儚すぎる。
小さなシロは、小さな目を瞬きさせ、小さな頭を上下させた。受け止めると、言わんばかりに。
わずかに上を向いたシロの小さい口が、ぱかりと開かれた。
その瞬間。一秒にも満たないような、本当に刹那の出来事。シロの口から、光が溢れだした。
あまりにも眩すぎる光。周りにある光を全て吸収し、その分自身が更に輝いているのかと感じるほどの光。
シロから吐き出されたスターバースト以外の光が霞み、世界が暗くなる。
光は一直線に突き進んでいく。ネプチューンがパルサーに手を伸ばしていたすれすれを、光が横切る。
パルサーの光は、シロの光の中に入った途端、影も形も見えなくなった。パルサーを飲み込んだ光は、白い雲を突き破り、宇宙に届かん勢いで、天上に伸びていく。
その光が、徐々に薄まっていった。シロが口を閉じたとき、世界に光が戻ってきた。
軽く振り返って見る。パルサーがあった部分には、何もなかった。ただ澄み切った青い空が、何てことのないように広がっていた。
パルサーを捕まえようとした、円盤の姿も目に入った。光の中に少し入ってしまっていたのだろうか。先の辺りが消失し、綺麗な円形の一部分が、抉り取られたようになっている。もとからそういう形であったのかと感じる程、消えた跡すら残っていなかった。
すぐに視線を前に戻したので、ネプチューンがどういう反応をしていたかは見えなかった。あと一センチでも伸ばしていたら、自分の手があの円盤のようになっていたかもしれなかった者の心境。見なくても、充分にわかった。
未來は、と目線を動かすと、水面で背を縮めていた。しゃがみ込んだ体全体が、大きく上下している。刀は絶対に放さまいと握りしめているが、それを振るう力は完全に無くなっているようだった。
「うぐっ……」
穹が崖を背に、ずるずると滑り落ちていく。先程、打撃を防げずにもろに受けたのを目撃してしまった。
力なく座り込む弟と、その前に立ちはだかる黒いロボット。その差は、穹が立っていたときよりも、ずっと開いているように見えた。ロボットが壁になり、穹がよく見えない。
「穹ーーー!!!」
頭の隅で、叫んでもどうしようもないと理解していた。だからといって、止められるわけない。穹との距離がやけに遠く感じたときだった。視界の上の方で、何かが動いた。
「来るな!」
シロが、いつの間にかクラーレの足下にいた。見上げるシロを、クラーレは見ていない。 クラーレは身を乗り出し、ガードレールの下に右手を向けていた。その手には、いつも嵌められている手袋が無かった。籠手のように鉄で覆われた銀の手は、太陽の光を簡単に反射する。その人差し指の先は、銀色に包まれていなかった。
ハルが、クラーレを見た。大丈夫かと、背に手が置かれる。
クラーレは、右手の形を変えた。バン、と言って、手を銃の代わりにして、人を撃つ真似をするときの、あの手の形に。
「俺の体は、俺が一番よくわかってしまってるんだっ……!」
クラーレが右手を、左手で支える。皮膚がさらけ出された人差し指の先から、何かが垂れてきた。ちょうど陽光が無ければ見えなかったであろう程。反射の力を借りなければ、まず見えないであろうほ程、とてもとても小さいもの。
クラーレの髪よりもはるかに濃くて、はるかに濁っている。クラーレの指から垂れたその雫は、紫色をしていた。
雫は落ちていく。吸い込まれるように、吸い寄せられるように。全身黒いロボットの、黒い頭部へと。
美月はロボットに近づくために飛び上がった際、見た。
後頭部に備え付けられてある、ロボットのファン。内部の熱を冷却をするための装置。その隙間に、紫の雫がぽたりと落ちた。小さな雫は、ファンに邪魔されず、その奥に広がる真っ黒な空間へと、消えていった。
ぱしゃん、と美月は着水した。ロボットは穹に拳を振りかぶった状態のまま、停止していた。
穹が、どうにかして駆けつけられたというような未來に支えられながら立ち上がり、美月が穹の状態を確認してほっと一息ついてからも、まだロボットは動かない。そのまま石にでもなってしまったかのように、固まっている。
壊れたのかと思った次の瞬間だった。
空気が一斉に吹き出るような音が漏れた。音の源はロボットで、空気かと感じた音は実際には煙だった。体中から白煙を吹き散らすだけでは飽き足らず、ロボットはぐるぐるとその場で回転を始めた。かと思ったら千鳥足になったり、また回り出す。
煙と共に溢れ出るがーがーという耳障りなノイズが、どんどん大きくなっていく。それに伴い、煙の色が、白から黒へと変化していく。
「クラーレ、一体何を?!」
「……さあな。どっか溶けたんだろ」
ロボットの様子をじっと眺めていたクラーレは、美月に聞かれた途端、顔を逸らした。
「恐らく重要器官がやられたんだ。もう戦闘力は無いに等しい」
言いながら、ハルがガードレールに乗り出していた背を戻す。あんなに大きくを張り上げていた声は幻聴だったのか、いつも通りの冷静極まりないハルに戻っていた。
ハルが頷き、頷き返した美月は、コスモパッドと胸のブローチを重ね合わせた。
手に、淡い光が灯る。力が集まっていくからか、そこはほんのりと暖かい。
肩に、腕に、手に、全身に。力という力を込め、美月はその拳を、前に突きだした。
遠慮も無くパンチを受け取ったロボットは、大きな体をふらつかせながら、後ろに倒れていった。
どぼんという大きな音が上がる。背の高い、水の飛沫が上がる。
水上からは、しばらく煙が上がっていた。しかしそれも、薄まり、やがて見えなくなった。
最初は、しーんという音が聞こえていた。気づいた時にはその音は、波音に変わっていた。小豆の音、とはよく聞くが、やはり全然違う。
水面はどこまでも静かに揺らぎ、ロボットが浮かび上がってくる気配はまるで無かった。
「違う!!!」
美月だけでなく、そこにいる全員の視線が、上空へと集中した。その視線が交差するところに、ネプチューンがいた。
「嘘です、嘘! 絶対に! わたくしは! 決して認めません! こんなの嘘です!」
放り投げでもしたのだろうか。フリルの沢山ついた傘が、ネプチューンの横に逆さまに転がっていた。二体のSPロボットの狭間に座り込むネプチューンは、何度もかぶりを振っていた。
こんな様子のネプチューンが、次に何をしてくるか、一手先が全く読めなかった。勝負はついたが、まだ油断できない状況には変わりない。
すっかり冷静さを欠いたネプチューンは、声にならない声を喚いている。その背後を、突如穹が指さした。
「あ、あれ!」
それは、物凄いスピードで迫りくる小さな影だった。影かと思ったそれは、日光をよく反射する、ガラスの円盤だった。典型的なUFOのごとく、上半分がドームに覆われている設計をした円盤は、ネプチューンの目の前で止まった。寸分狂わず、ネプチューンの目線と同じ高さで空中停止する。
巨大な円盤と小型の円盤が並んでいる姿は、さながらクジラとその子供に見える。
巨大のほうもそうだったが、小型のほうにも、ダークマターの紋章が描かれていた。七芒星の中央に二重のハートが鎮座する社章。この小型の円盤が、新たなるダークマターからの客ということは明白だった。
美月達の間で、緊迫感が一気に高まり、漂う。しかしUFOは、そこから動かなかった。ハルにも絶対に気づいているはずなのに、まるで無視しているようだ。
「何をなさっているのです、ネプチューンさん」
留守番電話サービスに接続したときのような、合成された女性の音声が、円盤から流れた。
「なんです一体!」
ネプチューンがおもむろに顔を上げ、震える声を出す。円盤をまじまじと眺めた直後、その目が見開かれた。
「あなたは……っ!」
傘を拾い上げながら、よろめきつつも立ち上がる。
「どうして、ここにいらしたの……?」
「本来なら、体調を崩したとの報告を受け、急ぎ迎えに行くようにとの指示が出ましたので、その為にです。ですが、事情が少し変わりました。ネプチューンさん、今すぐに帰りましょう」
「なぜです!!!」
ネプチューンは、いやいやとばかりに首を振った。縦ロールの髪型がふわふわと揺れる。
呆気にとられている美月達を置いて、円盤の声はネプチューンの態度など意に介さず、冷静すぎる声を浴びせた。
「一部始終を見ておりました。リアルタイムで報告をしたところ、今すぐに出張を中断し、帰還せよとの指示が出ております」
「わたくしは! 何もできていません! このままでは気が治まらないのです! 放っておいて下さい!」
ネプチューンさん。抑揚の無い声が、ネプチューンを分断するようにきっぱりと発せられる。
「サターンさんが、直接下した指示です。それとも、命令と言えばいいでしょうか」
ハルが円盤の中を見るように、身を乗り出した。美月も目を凝らしたが、乗組員の姿は全く見えない。
「では交換条件です。今すぐに戻らないのであれば、私は金輪際、あなたからのお茶会の誘いを断り続けます」
でも、ですがと口ごもっていたネプチューンは、途端に口を閉ざした。目を閉じ、口を結び、鼻でゆっくり息を吸い込み、吐き出している。
「……仕方、ありませんわね」
その声は、最初の時のような、冷たく静かな声だった。ネプチューンは緑色の目を美月達に向けると、睨むように目を細めた。
「……せいぜいお覚悟を決めておくことですわね」
その姿が、護衛ロボットと共に、徐々に下に下がっていく。完全に船内に消え、見えなくなるまで、少女は恨みのこもった目を、逸らすことは無かった。
円盤は、巨体と反してあっという間に浮かび上がると、空の彼方にその姿を消した。
「ご迷惑をおかけして、大変申し訳ありません」
残った円盤から聞こえてきた声は、己の耳を疑うものだった。謝られているという事実に美月は目をぱちくりさせ、隣にいる穹や未來と顔を合わせる。
「ロボットの残骸は、後日必ず回収に伺いますので、ご安心下さい」
意図せず美月は息を吐き出した。さっき沈んでいったロボットや、何体か退けた際のロボットのことがずっと引っかかっていた。あの砂浜に打ち上げられたら、せっかく掃除したというのに、それこそネプチューンの言った、矛盾を起こしてしまう。ロボットを壊したのは、自分達自身だというのに。
「また、ハルも必ず回収するつもりでいますので、ご了承願います」
見上げた直後、円盤はかくかくと空の上を線を引くように瞬間移動しながら、やがて見えなくなった。
波が崖を打つ音が響く。海は太陽の光を反射して輝く。その太陽はとても激しい光を纏い、放射している。
“普通”の海の光景が、目の前に広がってきた。
「……あ! 回収なんてさせないって言うの忘れた!」
しまったあああと美月は頭を抱え、その場に崩れ落ちた。相手に言わせっぱなしなど一番屈辱的なことだ。今すぐ追いかけて三倍のことは言い返してやりたい。全く気が済まないと、己の心が喚き散らしている。
「まあまあいいじゃない、美月。なんとかなったんだもの」
刀を鞘に戻した未來が、ぽんぽんと美月の頭を優しく叩く。
胸中にはあれを言ってやりたいこれを言ってやりたいと、敵への申し立ての数々が渦巻いていたが、飲み込む代わりに立ち上がった。
「にしても、今まで大人ばかりだったのに、まさかあんな子供が向こうにいるなんて……」
ネプチューンはどう見ても、自分達より年下だ。十一か十二か、その辺りに見える。
「セプテット・スターは、実質実力と人望で選ばれる。見合った働きを認められれば、年齢も種族も一切関係ないんだ」
ハルが宇宙船の去って行った空を見ながら、そう説明した。
「一、二、三……。今日の人も含めたら六人……」
ぶつぶつとした声が、隣から聞こえてきた。穹が片手で指を折り、何やら言っていた。聞き返す前に、穹は首を上げた。
「確かセプテットって、七重奏っていう意味だったような……。ということは、七人いるんじゃないんですか?」
目線の先にはハルがいた。ハルはわずかに乗り出していた体勢を整えながら、頷いた。
「いる」
「へえ、七重奏! 穹君物知り!」
「いやあ、格好いいと思った言葉は片っ端からメモしているので……!」
拍手した未來に、穹は自慢に溢れた表情を返す。やれやれと美月は嘆息し、「その七人目って誰?」と上にいる二人に尋ねた。
「確か……」
記憶を探るように拳を顎に当てるクラーレに、ハルが割って口を開いた。
「サターンだ」
穹と未來が、ハルの顔を見た。美月はその名前を、頭の中で何度も呼んでみた。
「ひ、ひええええ、怖そう……」
「なんか凄そうな名前だ~」
会ってもいないのに、まるで本人が目の前にいるかのように、穹はがたがたと震え出した。一方未來は、どこか他人事のようにのんびりしている。
「怖そう! いや絶対に怖い! ううん、怖いだけは有り得ないな、絶対強い! 一番強いよ!」
美月も、おおむね穹と同じ意見だった。
胸の内で小さく呟くだけでも、背筋がぞっとして、骨の髄まで凍り付くような感覚に陥る。それは、最後の最後に明かされた、敵の幹部の名前だからというのが大きい。
しかしそれ以上に、大きな闇に覆われて見えないものを掴むような、おびただしい得体の知れなさがあった。
「あー……。怖いか怖くないかで言ったら充分に怖いだろうな。目つき鋭いし。あと髪が俺と同じ色だ」
「へえ~だったら見慣れていますね。目つき鋭くて髪が紫って、すぐ目の前にいますし」
「待て、どういう意味だ一体!」
未來とクラーレは火花を散らし、穹はひいひいと未だに震えている。その中でハルは一人、二機の円盤が消えていった空の向こうを、ずっと見つめていた。
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