phase4.3

 護衛ロボットの真っ黒な体躯と反して、海は煌びやかに日差しを反射していた。サングラスのような形をした両目から、赤い光が灯っている。


 美月も穹も未來も、それから目を離すことが出来なかった。目を離したら最後、あっという間に勝負がついてしまいそうな予感がした。先程まで相手をしていたロボット達とはまるで違う。強者たる空気が、ひりひりと漂ってくる。


 永遠に続くかと思われた膠着の時間は、相手が動いたことにより、崩れた。


 瞬きの合間に、黒い影が間近に迫る。相手が狙ったのは、美月だった。拳が固められるのが見える。


 防御するか、避けるか。

一瞬のことすぎて、判断が遅れた。その眼前に、穹が現れた。水色のシールドを作り上げながら、美月とロボットの間に立ち塞がる。


 堅いものどうしがぶつかり合う衝撃音が響く。次の瞬間、何かが割れるような音がこだまし、穹の体が消えた。一直線に、飛沫が上がった跡が、後ろへと続いている。


 穹は後方で、足を踏ん張らせた体勢のまま、呆然と目を瞬かせていた。それを目で追ったせいか。


「美月!」


 未來の強い声が耳に届いた。無我夢中で、美月は体を捻った。その体すれすれを、ロボットの鉄拳が掠めていった。繰り出される速度もそれによって生み出される威力も、桁違いだと肌でわかった。


 未來が飛び上がりながら、ロボットの横腹に当たる部分に、刃を突き付ける。赤い光を灯した刀は、黒い体に、沈んでいかなかった。拒否するように、当たった直後にはじき返された。


 息を飲んだ未來に、今度は拳じゃなく、長い足が突き出される。瞬時に穹の飛ばされた方角へ足を滑らせたので、直撃は免れた。だがわずかに胴体に当たったのか、苦痛の声が漏らされた。


 振り返りざま、残る美月にもキックをしようとする相手に、美月は急いで穹と未來のいるほうへと飛び退いた。ロボットから距離を取った三人とも、等しく息が荒い。


「ちょっと待って、強すぎる……。どうすれば、無理だ……」

「でも、引くわけにはいかないんだよ!」


 穹がはっとしたように、美月を見た。うん、と小さく頷く。


「僕が引きつけるから、姉ちゃんと未來さんで、後ろから同時に技を叩き込んでよ」

「だめだ、危険だよ。私が引きつけるよ、私のほうが速く移動できるもの」


 かぶりを振る未來に、いやいやと穹はコスモパッドを見せる。


「シールドで防げばその衝撃は来ますが、痛みは来ません。僕がやるのがいいです」


 それが一番適切かどうか、不明にも程がある。だが、これ以外の方法が思いつかない以上、やるしかない。美月は了承する代わりに、小さく頷いた。


 穹が駆け出したのと、ロボットが駆け出したのは、ほぼ同時だった。同時なのに、相手のほうが速かった。


 穹は真っ直ぐ進んでいく。そして体を、右方向へと舵を切った。


 急に方向を変えた標的に、敵も穹の後を目で追う。サングラスからの赤い光を受けながら、穹は体を倒し、足を交互に出す。大きくカーブを描くように海面を移動すると、青い海の上に、白い円が描かれ、すぐに消えていく。


 穹は、ロボットの背中まで回った。しかし相手が背中を見せていたのはほんの一秒にも満たなかった。


 振り向いてすぐ、用意されていた握り拳が穹へと猛然とした勢いで突っ込まれていく。穹は水色の半透明の壁を出しながら、小さく口を動かした。


『今だ』


 耳元から穹の声音がする。未來と頷き合い、美月は共に走り出した。


 拳と穹の距離が近づいていく様が、ストップモーションのようにゆっくりと目に映る。


 未來の刀に強い赤い光が纏われるのも、自分がコスモパッドとブローチを重ね合わせるのも、全てがゆっくりに見えた。


 赤い三日月の光が、未來の刀から現れる。それがまさに近づいてきているというのに、ロボットはまるで気づかない。


 シールドに、黒い拳がヒットする。瞬間、壁ににヒビが入り、それはガラスが割れるようにして、消失した。


 穹が大きく後退したのとほぼ同時に、ロボットの頭に、赤い光がぶつかった。頭がこちらへと回る。


「たあああああっっっ!!!」


 しかし今度ばかりは、こちらの方が速かった。少しでも威力が上がるように、声を上げる。光を纏った拳を、前に突き出す。とにかく前へ前へ。


未來の刀のビームが直撃したところに、今度は美月のパンチが深々と当たる。ぶるぶると、痺れを軽く通り越して震えのような衝撃が、手から伝わってきた。


「え……?」


 眼前に、いまだに黒い影が消えないのを見て、美月は手の痛みが一瞬意識から外れた。


 ロボットは、変わらずにそこに立っている。全くぶれず。ぶれそうになく。ほんの一ミリも、よろめく動作すら見えなかった。


「穹! 未來! 飛んで!」


ロボットの拳が固められたとき、美月は反射的に叫んでいた。


 穹がロボットの向こうで、未來が自分の横で、宙へと飛躍する。美月も空へと跳びつつ、二人の顔を交互に見た。


「未來、またビームお願い! 穹、二人同時のキック! これでいこう!」

「了解!」

「い、いけるかな……」


 穹は不安げだったが、すぐに表情を真顔に戻した。


「はあああああああっっっ!!!」


 三つの咆哮が重なり合う。なるべく足に力を入れることを意識しながら、何もない空気を踏み、その奥にいるロボットの頭頂部の更なる頂きに、狙いを定める。


 リズムを奏でるように、三人の攻撃が展開された。


 未來が刀から出したビームが、頭に当たる。

穹の両足が、大きな音を立てて、そこを踏む。

踏んだ後を、更に美月も踏む。


 直接電流を踏んだように、びりびりという衝撃が流れた。けれど、唇を噛んで、耐える。最後の駄目押しだと、足を離す前に蹴りをおまけする。


「?!」


 続いて現れた光景に、言葉どころか息も失うほかなかった。


 ロボットは、微動だにしなかった。やはりそこに佇んでいる。何事もなかったかのように。


 がっしりとした肩幅、高い身長。人間のSPと同じ、いやそれよりもずっと、強くて、堅い。


 目の赤い光が、鋭くなった。普通の大人よりもずっと長い足が、蹴りを出すときのそれに変わる。


「あぶな」


い、の口の形をしたときだった。


 一回転を躍るように、ロボットがくるりと回る。その際に沸き起こった風が、肌を撫でる。その直後。風などとは比べることすらままならないほど、強い強い、果てしない衝撃が襲ってきた。


「ぐううっ!」

「うわあっ!」

「きゃああっ!」


 先程と飛び上がったのとは全く違う形で、三人の体が同時に宙を舞う。

美月も穹も未來も、意図せず、ロボットの回りを包囲していた。その包囲は、いとも容易く破かれた。


 受け身を、の言葉が脳内に出来上がった。美月はなんとか体勢をとろうとして、目の前に地面ではなく、液体が迫っていることに気づいた。ここは、水の上だ。


 しっかり理解したときには、遅かった。


 ざぶん、と、両耳のすぐ傍で聞こえる。体中が、何かに覆われる。冷たくて、形が定まらなくて、触れなくて、けれども纏わり付いて離れないもの。目の前にきらきらとした水面が漂っており、自分の周りは全て、青色に染まっている。音は何も聞こえない。


 口を開けたとき、喉の奥に冷たい何かが大量に入り込んできた。声も、息も出てこない。頭が真っ白を通り越し、何も考えられなくなる。


「美月っ!!!」


水面から赤いものが現れ、美月の腕を強く掴んだ。

物凄い勢いで上に引っ張られる。水面の膜を突き破った直後、耳にどっと音が流れ込んできた。それは、空気の音だった。


 赤いものと思ったのは、未來の来ているジャケットの袖だった。


「危ない!」


 礼を言おうとした美月を、未來が思いっきり突き飛ばした。未來が上空に飛び上がった直後、その位置に、噴水が沸き起こった。


 しかしここに、噴水はない。それを作ったのは、ロボットの繰り出したパンチだった。


 殴れないはずの海面を、抉りとるような打撃。美月は確かに、目撃した。


 頭から海水の噴水を浴び、びっしょりと濡れた。けれど既に濡れているので、お構いなしだった。


「そうだ、穹は?!」


 なんとか足で踏ん張って体勢を立て直し、この場に見当たらない弟の姿を探す。右を見て、左を見て、前を見たときだった。青いシルエットが動いた。


 海岸沿いの通る道路。その下の崖の、更に下。穹は、そこにいた。崖の壁面には、ちょうど穹一人くらいの身長の人間が、激突したような跡があった。


 自分の肩を支えながら、穹はふらふらとした足で、立ち上がった。


 遠目で見てもわかるダメージを負った穹のことを、ロボットが見逃す理由はない。着々と距離を詰める黒い大きな体躯に、美月は駆け寄ること以外、何も思いつかなかった。


『逃げろ! 勝てない! 引け! 逃げるんだ!』


 大きな声。聞き知った声だが、その主が大声を出すところはまず見たことがない存在の、声。


 美月は反射的に、上を向いた。

崖の上の道路は、ちょうどカーブになっている。そこに、二つの人影が立っていた。


 テレビ頭にコート姿の人影が、ガードレールに身を乗り出した。


『危険だ! 逃げろ! ソラ!』


同時に、インカムから聞こえてくる。とても大きな声。ハルの大声は、久々に聞いた。


「そういうわけには、いかないんです!」


穹が一気に走り出した。次いで、風がすぐ傍を吹き抜けていった。未來が、一歩一歩大きく踏み出しながら、ロボットの背中に狙いを定めている。手の刀に、光が集まっていく。


「おい!」


 ハルの隣にいたクラーレが、背を屈め、崖の下を覗き込んだ。口は何かを言おうとしていたのか開かれたまま、次の台詞は出てこなかった。


 未來が斬りかかったのと、穹がパンチを繰り出したのは、ほぼ同時だった。

けれども、それは相手の体に届かなかった。


 敵がしたことといえば、ほんの少し体を動かしただけだった。背後に迫り来る刃を片手で掴み、パンチを片足を折って防ぐ。


 刀を掴んでいる腕が振られた。横に未來ごと投げ飛ばし、パンチを受け止めていた足は、蹴るように穹ごと吹き飛ばす。


 為す術なく、未來は青空へ、穹は崖の壁面に叩きつけられた。


「今行くから!!!」


 早くしなければ、早くしなければ。一秒でも。胸に纏わり付く言葉を抱えるように、美月は背を低くした。この一歩で、うんと近づかなくては。


 足に決意を集め、前に押し出そうとしたときのことだった。


 ふいに、誰かに呼ばれた気がした。視線をやや上に移すと、そこにはココロがいた。


 ココロは、美月を見ていなかった。いまだ穹に向かって叫ぶハルに抱っこ紐で抱かれながら、空へと両目を向けていた。周囲が大きな音に包まれている中で、非常に静かな目線だった。


 そんなことしている場合では無いと言うのに、気がついたら美月の目は上を向いていた。


 振り返った先。

青い空と、まばらに散った白い雲。顔を見せる、眩い光を纏った白い太陽。


 それは、二つ、あった。


 二つ目の太陽は、太陽よりもずっと近いところに浮いていて、真っ白な輝きを放っていた。


 その光は、ネプチューンの乗る円盤の、やや前方で、輝いていた。

彼女が手を伸ばしてもぎりぎり届かないけれど、ほんの少しジャンプすれば簡単に手に収められるくらいの距離。


 以前、一回見たその物体の名前を、美月は覚えていた。


 それは、パルサーという名前だった。

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