phase4.2

 「ハル、逃げてて! クラーレ、ハルを守ってねよろしく!」


はあ?と苦々しい顔をしたが、クラーレは首を振ってその表情を消した。


「本当に行くってのか? やめとけ馬鹿か!」


あんなのを相手になんて、と、クラーレは怯え少し、苛立ち半分以上といった目で、わずかに体を震わせた。


「だね、お勉強大っ嫌いだからね!」


 親指を立ててやると、そういうことじゃないと目で訴えられた。


「ねえ、どうやって追いかければ?!」

「ジャンプは難しいよ!」


  穹と未來の声に、慌てて振り向く。


 円盤はロボット達を追ってゆっくりと、ロボット達は波飛沫を上げながら、速いスピードで海上を走っている。あのまま進めば、フェス会場すぐ近くの海にまで辿り着いてしまう。

未來の言うとおり、ジャンプは厳しいと美月は瞬時に感じた。着地した先が海では、そのまま沈んでしまう。


「でも陸だと時間が……。空飛べるか水の上走れればいいのに!」


 ああもうと地面を踏みつけたときだった。「できる」とハルがブーツを指してきた。


「ブーツについてある歯車を回しなさい。水上移動モードに切り替わる」


 水上移動という単語を耳にするや、美月は急いで屈み込んだ。ブーツについている金色の歯車をかちりと回したその直後。コスモパッドから光が飛び出し、ブーツを包んだ。光が散った後には、まるで水上スキーのような形状に変わったブーツを履いている自分がいた。


「ありがとう! じゃ!」


 その場で熱い砂を踏み、飛び上がる。着地した先にあったのは真っ青な海だった。海は美月の体を沈ませずに受け止め、体を浮かせた。


 昔、家の掃除したての床を滑って遊んだ頃を思い起こす。思い浮かべたまま、次の一歩を踏む。

 美月はスケートを滑るみたいにして、水の上を走り始めた。


「姉ちゃん待って!」

「私も!」


 背後から聞こえてきた知った声は、いつの間にか隣に並んでいた。美月は穹と未來を見、何か答える代わりに頷き、スピードを上げる。ついていくと言わんばかりに、二人も黙って、速度を上げてきた。


『皆、聞こえるか?』


 耳のすぐ傍で、水が飛沫を上げる爆音が鳴る。その中で更に近い、機械越しのハルの声がした。


『円盤の上に乗っているロボットには絶対に手を出すな。あのロボットは超高性能なタイプの護衛ロボットだ。必ずカウンターされる』


ネプチューンという司令塔本体を、というわけにはいかないようだ。もとより無理だろうなという予感はしていた。美月は波飛沫の音に負けないように、わかったと張り上げた。


『あと足以外で受け身を取ると、バランスを崩し水の中に落ちてしまう。そこを気をつけるように』


 ローラースケートの要領で、水面の上を右、左と交互に足を出していく。景色は瞬きする間に後ろに下がっていき、風の切られる感触が容赦なく肌にぶつかる。


 視界の端で、穹がわっと声を上げながら、前のめりに倒れていく姿が目に入った。青く輝く水の中に飛び込む寸前、穹の腕を掴み、後ろへと引っ張る。


 ありがとうと目で返され、瞬きで応じる。こちらも、少しでも気を抜いたら、足をもつれてしまいそうだった。


 前方に、太陽を反射してうごめく影を捉えた。ロボットの集団と、円盤だった。美月は横を向いた。海岸沿いに敷かれている道路が目に入る。

 そちらはカーブ状になっており、海側のほうが膨らんでいた。そこを超えてしばらく行くと、フェス会場に到着する。


『少なくとも相手すべき敵の数は10体。技も合わせ、ステータスに合わせて分担するように。……危なくなる前に、逃げるんだぞ』


 了解という声が、美月の口から、両隣から飛び出し、一つに重なった。


「まず私が行くよ!」


隣から大きな飛沫が上がった。未來が踏めない水を踏んで、高く飛び上がっていた。


 鞘から取り出された刀が、赤く光っている。未來の前にそびえ立つ空気が、真っ二つに引き裂くように、一刀両断される。刃は空を切り、三日月型の赤い閃光が飛び出していった。


 青い海の上に、赤い光が下りる。ロボット達の進行方向に、ちょうど光線は着水した。飛沫が上がり、水の壁を作り、行く手を阻む。白い無機物の集団の動きが止まった。


 空中でひらりと一回転しながら、未來は難なく水の上に下り立つ。やっぱり凄いなあと感心しながら、美月は自分の手を、握りしめた。


 一体のロボットの白い頭が、背後を振り返った。迫り来る美月を捉えた顔面に、黄色いグローブが嵌められた拳がめり込む。


 緩く、後ろに傾いた。虚空を掴むように藻掻く腕を、両手でがっしりと掴む。


 普段いる地面の上とは違い、ここは水上だ。浮いていても、いまいち信用の出来ない不安定な足場を懸命に踏み込んで、ぐるんと一回転する。


 美月は雄叫びを上げながら、ロボットの手を離した。支えを失ったロボットは、上方向へと宙を舞っていく。

 ぶつかった先にあったのは、悠然と大空に構える円盤の、底だった。


 大きな衝突音が響き、ロボットが一つから複数に分かれても、円盤は一ミリも動かなかった。


「ここから先には一歩も行かせないからね!」


 傘を差し、涼しげな表情をたたえたまま、ネプチューンは優雅に立っている。美月は彼女に、容赦なく人差し指を突き付けた。


「……なんて、見苦しい」


 背筋が凍り付くような調べが、小さな口から漏れ出た。ぞっとする間もなく、飛沫音が近づいてくる。二体のロボットが、足を動かさずにそのまま滑って、美月に向かってきていた。


 近さを目で計る前に、全体的に青いシルエットが、目の前に立った。

相手が、ほぼ同時に鉄で出来た拳を突き出す。穹は、コスモパッドの液晶画面とバッジを重ねた両手を、前に出した。


 がん、ごん、と堅いものとものがぶつかる音がした。ロボットの突きだした拳が、穹の作り出したシールドを殴り、後ろに下がっていく。


 わっという、不安定な声が響いた。穹も、よろめきながら、後ろに何歩か下がっていく。壁は消え、「ちゃんと防げないよ?!」と涙目になった。


「いいんだよ!」


 美月が走り出した。マントをはためかせながら、一気に距離を詰める。まだもたついているらしく、体勢を立て直している途中のロボットの胴体に、惜しげも無くパンチを埋め込んだ。右手、左手。


 そのやや奥にいたロボット相手に対し、振り向きつつのキックを与える。左足、右足。


 折り重なって倒れていくロボットの体を、海が支えた。上げた飛沫が目と口に入り、微量ながら、その塩辛さに顔をしかめた。


「矛盾に見て見ぬ振りをして、楽しいのですか?」


 美月は上を見上げた。直後、何か断続的な機械音がした。二体重なって倒れていったロボットの、上側にいたほうが体勢を立て直していた。腕が変形し、レーザーガンのような銃の形状のものに変わる。


 銃口が美月を捉える。瞬間、赤い風が吹いた。


 未來が美月の上を通って飛び上がりつつ、美月を狙うロボットの顔に、連続の斬撃を繰り広げる。


 斬った跡はつかなかった。かすかに傾いたロボットが、今度は腕の先を未來に向ける。矢先、その顔に何かがぶつかった。それは、穹のブーツだった。体勢が直る前に、穹は次のキックをお見舞いする。


「あなた方の様子からして、ロボットからの偵察報告からして、昨日とても頑張ったそうですわね。その明瞭たる結果が、今日現れたのではありませんこと?」


遠くにいた別のロボットが、またもや腕を変えた。銃の黒い穴が、美月とぴったり照らし合わせられる。


 発砲音が鳴る。ピンク色に光るレーザーが飛び出る。横に避けようと、足に力を入れた途端、柔らかい布を踏み抜くようにして、ばしゃんと片足が海の中に沈んだ。


 レーザーは、マントぎりぎりを掠めていった。再び照準が合わせられた時、もう片方の足を前に出した。踏み込みすぎた足を蹴り、一気に自分を狙う者に詰め寄る。


 胸のバッジと重ね合わせた手を、前方に鋭く押し出す。光を纏った拳は、ロボットの白い胴体に直撃した。傾きながらも防御をしてくる相手に、すかさず第二撃を打ち込む。


「よくもまあ、そこまで必死になれますわね。ハル相手なら、それでも理解できませんがまあいいとして、矛盾と愚者の集まりのお祭りに対しても」


 はあ、と吐息が頭上から降ってきた。蔑むような息づかいだった。


「何でそんなことを!」


 見上げた美月の隙を、目ざとい相手は見逃さない。気づいた時には、レーザーが発砲されていた。


 しかし強い風が吹いただけで、何の衝撃も来ない。


 代わりに、突進していく、未來の後ろ姿が見えた。真っ直ぐ構えた刃は、レーザーごとロボットを突き刺す。先方はショート音を立てながら、倒れていった。


「何か間違ったことを言いましたか? 自分達で自分達の住むところを汚し、自分達で開催した催し物から、また自分達の住むところが汚れるものを出す。矛盾の塊でしょう」


とんだ愚か者の集まりですわ。吐き捨てられた台詞は、穹の悲鳴にかき消された。


 ばっしゃばっしゃと海水を蹴散らしながら、猛然とした勢いで、穹が走っている。行き先は、どういうわけか、先程の砂浜の方向だった。が、すぐに理解した。


 穹の体を、幾多ものピンク色の光が掠めて通り過ぎていく。二体のロボットが、水の粒を蹴散らしながら、穹を追いかけていく。


 美月の前を通り過ぎていき、背中を見せた一体目のロボットに対し、容赦する気配りは出来ない。距離を詰め寄りながらの跳び蹴りをお見舞いする。


「それで困っている人達のことも知らない、それでありがとうって言いに来てくれた人達のことも知らないくせに! 知った風にして、簡単に上からものを言わないでよ!」


 穹と目配せし合いながら、美月は声を上げた。一体のロボットに、穹は前、美月は後ろから、同時にパンチを繰り出す。挟み撃ちされた二体目のロボットは、わずかに頭部が凹んだ。


 未來が後ろから加勢しにきた。振り返ったため、円盤の様子も見えた。


 ネプチューンの傘を持つ手に、力が込められていく。大きな目が、徐々につり上がっていく。


「なんですって……?」


 声が大きく揺れ動いている。唇がわなないている。


 未來の腕を、先程美月が奇襲したロボットが容赦なく掴んだ。美月の前に晒された後頭部に、両手同時に拳骨を打ち込む。そこから距離を取った直後、未來が十字斬りを決めた。


「好き勝手など、言っておりませんわ!」


 耳に直接響いてくる甲高さ。怒鳴ると言うより、声が高いあまり、叫んでいるように感じられた。腹の底の底から出てくるような、悲鳴のような怒鳴り。


「どれだけ感謝をされたところで、向こうは動きませんことよ! ただつけあがらせるだけ! いいように利用されて終わり! あなた方も向こうも、ただお互いに甘えているだけ!」


大きく叫んだ反動で、可憐な顔は歪んでいた。今まで無表情だった少女の、初めて見る大きな変化だった。


「その証拠は、あの砂浜を見れば一目瞭然ではありませんか! どうして認めない!」


未來が十字斬りした相手に対し、今度は穹が近寄った。体を回転させながら、キックを一つ、二つと繰り広げる。動きが鈍くなった相手の腕を、美月はがっしりと掴み、固定する。


「見えないところで頑張っても、誰も気づきはしない!」


頭部が凹んだロボットが近寄ってきた。水の上を滑る音が近づいた直後、持っていたロボットを振り回した。同じ種類の製品に叩きつけられたロボットは、水切り石のように海面を跳ね、もう一体のロボットごと、海岸沿いの崖に激突した。


「気づかれるには、こうして大きな行動に出るしかない!」


 ネプチューンの片足が上がる。下ろされると、だんと大きい音が生まれた。そんな彼女を、恨みがましく見上げる穹の肩は、大きく上下していた。品定めするように静かに見据える未來もまた、ふうふうと小さな息が漏れ出ている。


 美月の胸中に、嫌な予感が立ちこめていた。既に何体か相手をしている。手応えもある。


 けれど、円盤に投げた一体と、崖に投げた二体以外、全く壊れない。破損はしているが、そんなことはお構いなしに、普通に稼働している。


 動けられる敵は、あと七体もいる。七体は前方の、やや離れた海上にとどまっている。固まって、再び攻撃する機会を調べている。その頭上の円盤もまた、浮遊している。


 そこから聞こえてくる声に、美月は何度も、体を刺されるような感覚を覚えていた。尖った氷で貫かれるようにそれは痛く、刺された場所がどんどん冷え、やがては体を蝕んでいく。


 貸さなければ良い耳を貸してしまうのは、やはり、刺される前からわかっていたことのせいだからだろうか。自分の内部にうっすら芽生えていたけれど、氷で貫かれたことにより、ただ浮き彫りになっただけの痛み。


ネプチューンは、何一つ正しくないことを、言っていない。だが、それを認めることはすなわち、昨日の美月達の、否定に繋がる。


「そんなことはない!」


  だから、首を縦に振らない。ただの意地でも。


 ネプチューンの瞳孔が、大きく見開かれたように見えた。口の震えが、全身に移っている。


「うるさいっ!!!」


 地団駄を踏んでいるようだが、遠目から見れば、足踏みをしているようにしか見えない。けれどその雰囲気と迫力からして、相当な音を立てて足を鳴らしているのはわかる。


 どこか冷静な気持ちの美月は、円盤からその下に視線を移した。


「どうする? 物凄く堅いよね……」


 穹が息を整えながら、手を心臓の上で何度も上下させた。汗と海水で、顔も服もうっすらと濡れている。


「とりあえずここで待ち構えて……固まって来たら、私がなんとかして、相手を分けるよ」


 未來が、刀を構える。もう息を整え終わったのか、いつでも飛び出せるという雰囲気だった。


「集まらないうちに、叩いていくしかないか。投げ飛ばしは割と効くみたいだから、積極的に使っていくよ」

「僕は持ち上げられないよ……。やっぱり力は姉ちゃんのほうが強いようだね」


その時だった。視界に、目を疑うような景色が広がった。


 少し離れた場所にいた七体のロボット達が、突然、木っ端微塵に砕け散った。音を立てて崩れていったロボットの破片が、青い海の中に沈んでいった。


「もういい。もういい」


巨大な氷の杭が降ってきたかと思った。それは、ネプチューンの声だった。彼女は「自爆用」と書かれたスイッチを手にしていた。それを足下に叩きつけた。


「もうどうだっていい!!! 話を聞かないのなら! 好きなだけ、後悔すれば良いですわ!」


指が指される。恐らくだが、こういう気持ちなのかもしれないと、美月は感じた。王に宣告を受けられた罪人の気持ちとは。


「行きなさいっ!!!」


ネプチューンの隣で、何かが動いた。海面に下り立った黒い影を、美月は凝視した。

 それは、影では無かった。ずっと控えていた、超高性能なタイプの護衛ロボットと呼ばれた一体だった。

ハルから、手を出すなと言われた。

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