phase4.1

 美月は知らぬ間に、自分の足を一歩二歩と後退させていた。目の前に立つ少女は、服装、立ち振る舞い、雰囲気、どれをとっても、限りなく人形に近い、少女にしか見えない。


 けれど、まさかこの子供が、という気持ちは、浮かばなかった。


 人形のように真っ白な肌から放たれる緊張感。氷のように凍てついた双眸に宿る重圧感。小さな体から醸し出される、巨大な威圧感。

それらは全て、今まで対峙したセプテット・スターの面子の持つものと、同じ質だった。


「時間が勿体ないので、結論から仰りますわ」


恭しく、ネプチューンは、黒いレースの手袋を嵌めた右手を差し出した。純粋に、何の邪心も無く、ただ手を繋ぎ、握手を求めるように。


「ハル。わたくしに、捕まって下さいませ」


聞いているだけで、心が穏やかになるような声。差し伸べられた手の先にいるのがハルでなければ、あるいは、その手を取ってしまいそうになる声。相手の立場も台詞の意味もちゃんとわかっているのに、どういうわけか今最大の危機が訪れているということを、忘れそうになる声。


 ハルはしっかりと、ココロを抱きしめた。

「何度来ても、何度言われても、私の発言は変化しない。絶対に、断る」


確かに静かだが、ネプチューンの声とは違う、温度を感じない静かさ。その声に、はっと目が覚めるような感覚を覚えた。穹は夢から覚めたような顔をし、未來はぱちぱちと目を瞬かせた。


「……ああ、そうなのですね」


 凪いでいた海が、突如流氷のように、凍り付く。そんな声に、変化した。


「ここであなたが、首を縦に振って下されば、すぐに全部片付きましたのに」


 何かの始まりの合図のような予感を引き起こさせた。


 持っていた傘を、片手で高く掲げる。美月は目で追うと、柄の部分に、スイッチのようなものが取り付けられていることがわかった。手がずれ、見易い位置にきたことで視認できるようになったそのスイッチを、見せつけるように、ネプチューンはゆっくりと押した。


 ハルが海の方向を見た次の瞬間、波打ち際から飛び退き、海から離れた。


 すぐ目の前の、海の一部分が、ぶくぶくと泡立ち始めた。その音はどんどん大きくなっていく。泡も増えていく。


 大きな水音を立てて、海面を突き破るようにして何かが現れたとき、美月は一瞬クジラが現れたのかと感じた。


 それはトラックほどの大きさの、白色の円盤だった。この前ウラノスが乗っていたものと似ているが、それよりも球体に近く、まだデザイン性に優れている。装飾の付いた窓のようなものが見える上、その窓の格子は青色だったり、青いラインが入っていたりと、全体的に白と青が使われていて、そのコントラストが、海とよく似合っていた。


 その円盤の頂に、SPを彷彿とさせるような見た目をした、黒づくめのロボットが三体立っていた。2mはゆうに超えているであろう身長を持っている。


「残念ですわ」


 ネプチューンがゆっくりと、その台詞を再生する。ぐりっと、傘の柄の部分が回された。刹那、ネプチューンの体が宙に浮かび上がった。


 裾を翻し、重力の抵抗をものともせず、青い空を背景に、空中をブーツで踏む。

風を受けてはためいていると思った傘は、よく見るとヘリコプターのヘリのように、くるくると回転していた。


 鳥が枝に止まるのと同じくらい自然な形で、ネプチューンは円盤の上の、三体のロボットの中央に下り立った。


「大人しく捕まって下さらないのであれば、手段は問いません」


 よく通る声が、すぐ傍で話しているのかと錯覚してしまうぐらい、聞こえてくる。にわかに戦闘を覚悟した美月は、次の瞬間にはコスモパッドに指を重ねていた。


「そういえばこの近くで、妙に人が集まっていらっしゃる場所がありましたわね。何か催し物でも行われているのでしょうか」


 口は、変身をするための台詞を言おうとしていた。だが、開いたまま、塞がらなくなった。


「それは一体、どういう意味?」


 口がきけたなら言えた言葉を、未來が隣で鋭く聞いた。ネプチューンは、なんてことないという風に、右方向へ顔を向けた。


 円盤の底に穴が空き、何かが落ちてきた。それは、10体程のロボットだった。


円盤の上にいるロボットと似たような外見をしているが、色が緑で、大きさが円盤の上にいるものよりも一回り小さい。そして何より、下半身から足にかけて、まるで水上バイクのような形状になっていた。実際そのロボット達は、着水しても沈むことなく、しっかりと浮いている。


「命令です。この近くで行われている食べ物売りの祭りを、襲撃しなさい!」


ロボット達のサングラスをかけているような目が、赤く光り、すぐに消えた。


 え、と美月は声を漏らしていた。しかし零れ出た声が、自分のもののような気がしなかった。声よりも何よりも、別のことに意識を取られていた。


「な、んで……」

「嫌だというなら、ハルを渡して下さるかしら?」


間髪入れずに言われたことも、やはり動揺させた。何を言われ、どういう状況なのか、よく噛んで飲み込むことができない。


「それで、私達がはいと言うと、本気で思っているわけ?」


 未來が至極冷静に問う。美月の脳内は、嵐に遭遇した船の状態だった。


「ここでたとえ頷いても、私を捕らえようとするのだろう」

「どっちにせよ、そんなことは、さ、させませんからね!」


ハルはいつも通り何の感情もこもってない声だったし、穹もどもっていたが、しっかりと自分の考えを叫んだ。


 その中で美月だけが、ただ呆然としていた。


 一歩引いた場所で、シロを抱えながら愕然としているクラーレとも、また違う呆然さ。強いて言うなら、何も考えられない状態だった。そもそも、今自分は、何をしていたのか。何をしようとしていたのか。


「……だいぶ舐めておられるようですわね。なら本当に、見ていればよろしいですわ」


高くて可愛らしいのに、冷徹な声色が遠くなっていく。波音も風音も、離れていく。


「ロボットには全てクリアモードを搭載しておりますからね。会場の建物が勝手にどんどん壊れていって、売り物がぐしゃぐしゃになって、人々が叫び、泣き、慌て、お祭りがパニックになる様を、黙って眺めていればいいです」


目の前に見えてきたのは、昨日のフェスだった。ハル、穹、未來、クラーレ、ココロ、シロ。よく知った顔達と食べた、ごはんの味。


そのごはんを買った時、渡してくれた人の顔。父の友人が連れてきた人達の顔。

例えば、父と母が、ミーティアの将来に活かせるようにと参加したように。あのフェスには、あの人達の、様々な思いが渦を巻いている。大きさも量も異なるだろうけれど、確かに存在している。


 あの人達の心は、きっと、この町にある。


「させないっ!」


口が開いた。そこから出てきた言葉は、頭の中に浮かんだ映像を一言に凝縮したものだった。


「今フェスには、父さんも母さんもいるんだ……。一歩たりとも踏み入れさせない!」

「ハルさんは捕まえさせない、フェスの邪魔もさせない! あなたの思い通りにはいかない!」


 穹も、未來も、吐き出した。自らの思いがそこに詰まった言葉を。


「ハルにも、フェスにも、好き勝手なことはさせない!」


言った途端、体がかっと燃えるような感覚に陥ったのは、陽の光のせいではないだろう。


「……出来るものなら、やってみてごらんなさい。……行きなさい!」


 その五文字に呼応するように、今まで待機していたロボット達の目が、赤く瞬いた。一体、二体と、順番に、水の上を、飛沫を上げて、足を動かさずに滑り去って行く。円盤が率いるように、その上をゆっくり飛ぶ。両者の姿は離れ、次第に小さくなっていく。


「行かせない!」


 美月は穹と、未來の顔を交互に見た。目が合った二人は、力強く、頷いた。三人は、前を、前だけを、見据えた。


「コスモパワー、フル、チャージ!」


 三人とも、ほぼ同時とも言えるタイミングで、その言葉を紡いだ。

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