phase3.4

 14時から始まったこのゴミ拾いは、終了が18時で、一時間半ごとに交代する。

 まだまだ明るい17時に行われた三回目のじゃんけんの今回が最後のペアであり、このペアで終わったら終了となる、はずだったが。


 こんなことを考えるのは、失礼極まりないことだとわかっている。よく理解しているが、それでも穹は、抑えることができなかった。


 何か悪い事でもしたでしょうか……。今まで特に祈りを捧げたこともない神相手に向かって、穹は問うた。


 かといって、取り立てて良いことをした覚えも無い。では、これは罰なのだろうか。この、太陽の位置がやや傾きかけた空の更に上にいると言われている、神からの。


「何の用だ、人をじろじろと」

「見てません、まっっったく!」


 ひゅっと大きく息を飲んで、穹はクラーレから強引に目を離した。


 見てないのが嘘だと知っているからか、それとも態度が原因か。クラーレの鋭利な視線が、背中に突き刺さってくるようだ。


 クラーレの声は低い。ハルも低いが、それとは全然違う。威圧するような、棘がたくさんついているような、ずっと聞いていると逃げ出したくなってしまうような声だ。


 目だってそうだ。視線に棘がついている。それどころか、本当に刃物を隠し持っていそうな目をしているのだ。隙あらば、自分のことを刺してやろうと企てているかのような。


 そんな相手とペアになったのだから、何度この世の不条理と自分の運の無さに、心の中で泣き叫んだかわからない。


 背後からの刺さるような視線が無くなったので、穹はそっとクラーレを盗み見た。


 クラーレは地面にあの鋭い目を注ぎながら、もくもくとゴミ袋の中にゴミを入れていた。


 そのうち、やってやれるかと言って暴れ出すんじゃないかと思っていた。そうなった際、自分が止められる自信は無かった。


 しかしクラーレは予想と反して、作業をこなしている。顔は厳しい表情を崩さないまま、作業をこなしていく過程は静かであり、ある意味穏やかだ。


 二回目のシャッフルの時、訳あってクラーレと交代して一緒に作業したという美月は、「なんか色々厳しいこと言うけど、別に根っから怖い人じゃないから」と、怯える穹を笑い飛ばした。


 本当に、そうなのかもしれない。美月の折り紙付きであるならば、信じてもいいかもしれない。


 一瞬だけ覗き見てすぐ作業に戻るつもりが、ついクラーレの横顔を観察するようにじっと眺めていた。

 なんの予備動作もなく、クラーレが穹のほうに顔を向けた。


「言いたいことあるならとっとと言え。気になってしょうがない」

「ごごご、ごめんなさいっ!」


 その拍子に、ぼとり、と袋とトングを落とした。砂浜の上に着地したトングの金属が、太陽の光を反射して輝く。


「ああそうか。こっちはずっと言いたいことがあるんだが、言ってもいいよな?」


 その時穹は、風を受けてはためき、今にもどこかに飛んでいきそうなゴミ袋を急いで拾うことを主に考えていた。なのでクラーレの台詞をろくに聞かず、「はい」と曖昧に答えた。


「そんな露骨に嫌そうな反応するなら、なんでもっとちゃんと拒もうとしなかった?」


そう聞かれたとき、無事に手元に戻ってきた袋を拾い上げて、穹はほっとしていた。まだ中身もそこまで入っておらず重みが足りないので、すぐ飛ばされそうになるのだ。


 穹はえ、と聞き返した。クラーレは何も言わず、黙って睨み付けてきた。慌てて聞かれたことを思い返し、穹は質問の意図に、無意識の内に唾を飲み込んだ。


「ちゃんと拒否する……って、そんなことしたら、失礼ですし」

「そうかあ? こっちが目を合わせたらびくびく震えて逸らし、見てないときは逆にじろじろ見てくる。こっちの身にもなって考えられないのかよ。失礼なのはどっちだ」


 昼と比べるとだいぶ日差しの猛威は落ち着いている。それでも季節は夏であることに変わりない。暑かった。でも今頬を伝う汗は、ただの汗か冷や汗なのか判別出来なかった。


「僕は、人見知りが激しいほうで。クラーレさんが相手でなくても、大体こうなるというか……」

「その域超えてるだろ、嘘つくな」


 視線が勝手に下がっていく。その不自然さを相手は、見逃す程鈍感ではない。


「どうして嫌なことはちゃんと嫌だと言わない?」


 距離は詰められていないのに、追い詰められたような気がした。だとすると後ろは壁か、もしくは崖か。


 言わないのではない、断じてそういうことではない。

それを言葉にして吐き出す術を身につけていない穹は、ただ首を横に振るだけしかできなかった。


「なんだ? わからない」


言いたいことも、何が言いたいのかわからないことも、絶えず頭の中に浮かんで、喉の声帯の辺りに溜まっている。

渋滞を起こしてはちきれそうだというのに、出て行かないのだ。いつも。


「だんまりかよ、まあいい。だったらこっちでお前の考えてること当てる」


クラーレが重々しく長嘆した。宣告を受けたような気分だった。


「まず俺のこと怖いと思ってるだろ。何をしでかすかわからないとも。なるべくなら関わりたくないとも思ってるな」


切られているというより、射られているに近かった。クラーレの台詞は、全て正確に的を射抜いている。

 反射的に、ごめんなさい、とか細い声で謝っていた。その瞬間、クラーレのまとう雰囲気が一層鋭くなった。


「なんだ? 謝っとけばそれですむと思ってんのか?」

「ち、違いますっ……!」

「別に慣れてるからどうだっていいんだよ。ただ、とりあえず謝ればいいだろうっていう考えが気にくわねえ」


 探り、隠していたものを残らず暴くようなクラーレの目つき。穹は耐えかねて、ついに目を閉じた。


「あんた、流されすぎだろ」


 強い波音がこだました。実際に反響したのは、穹の頭の中だった。だからなのか、余計に音が大きく聞こえてならない。


「正面切って言いたいこと言ってくれたほうがまだましだ。自分の考えを持っているはずなのに口に出さなくて、ほいほい周りの言いなりになって……。隠し事されて嘘吐かれてるような気分で、こっちの気に障るんだよ。苛立ってくる」

  

穹は持ち物を力一杯握りしめることしかできなかった。袋がくしゃりと音を立て、トングの温度がどんどんぬるくなっていく。


 何を食べ、何を飲み、どう生きたら、ここまでなんの躊躇いも無く、自分の思ったことを、ちゃんと言えるようになるのだろうか。


「……だけど、これが僕なんですよ」


 穹はクラーレを見つめたかったが、体がいうことを聞かなかった。思いと反して、目線がどんどん下に下がっていった。


「あんた、そんな生き方でいいと本気で思ってんのか? だとしたらだいぶ変わってんな。不気味なくらいだ」

「でも、絶対に変わることはないので……諦めてます。……変われるものなら、変わりたいけれど」


 せめて笑おうとしたが、上手く笑えている自信は皆無だった。何か言ってくるかと待っていたが、クラーレは何も言わなかった。





 口に、中身が空っぽのペットボトルが運ばれてゆく。ぱき、ぺきという、どんな食べ物を食べた時とも違う音が、その口から聞こえてくる。ペットボトルには、綺麗に食べられた跡が残っている。


 生まれて初めて目の当たりにした光景に、未來は興奮を隠せない声を出した。


「ハルさん凄い! 凄いです! 凄い!」

「ゴミと呼ばれるものも、私にとっては貴重な資源に変換される」


 拍手する未來に、ハルは残りのペットボトルを口に入れた。砂もたくさんついているのに、まるで気にならないという風だ。


「ですよね! 本当にいらないものなんてこの世にありませんよね!」


トングで掴んだままのペットボトルを、未來はじっと見つめた。


「にしても本当に食べるんですねえ……!」

「ミヅキが心底不快そうな表情をするので、最近は無機物を食べたことは無かったんだがな」


 首を傾げながら言うところを見るに、ハルは美月がどうして嫌がるのかわかっていないようだ。


「まあ確かにびっくりする人もいるでしょうねえ~。インパクトが凄まじいですし。でも、それって美味しいんですか?」

「甘いとか辛いとか、そういう味は感じない。好き嫌い無く食べられるよう、味覚が無いんだ。材料と、それに基づく心理状態などは分析することができるが」


「なるほど~。では、私も」

「ミライ、やめなさい!」


トングでつまんだままペットボトルを口に入れようとしたとき、物凄い勢いでハルがそのペットボトルを奪い去った。


「でもほら、もしかしたら私、何でも食べることの出来る種族かもしれませんし!」

「内蔵やその他の臓器とその作り等から判断して、ミライはその手の種族でないことは明白だ」


 奪ったペットボトルをハル自身のゴミ袋に入れると、ハルは首を傾げてきた。


「ミライ、一体どうしたんだ? 脈の速さやその他器官諸々の動きからして、何か考え事があるように見受けられるが」

「ハルさんはなんでもお見通しなんですね~! 凄いです!」


「お見通しなのは、見ようと考えて機能を働かせたときに限る」


 なるほど、と頷きながら、未來は天を仰いだ。


「ハルさん、ココロちゃんのお父さんとお母さんって、一体誰なんですか?」


 ココロの、と言った後、ハルはわずかに停止した。機械が鳴るような音が、かすかに聞こえてくる。しばらく後で、「すまないが……」と、姿勢を正してきた。


「私にも、わからないんだ。解答を用意できなくて、本当に申し訳ない」


わからないのは知っていたと言いかけ、その台詞をそうなんですか、という言葉に置き換えた。予想していた答えだったので、落胆をせずにすんだ。


「一体どうして急に?」

「いえ、ハルさんそういえば全然ココロちゃんの親について何も言わないなと思って、ちょっと気になっただけですよ!」

「そうか。ちゃんと答えられず、すまなかった。……しかし、それだけではないだろう。ミライの考えていることは、まだ他にあるんじゃないのか?」


 高い耳鳴りが響いた。あまりにも大きくて、現実で鳴っている音ではないかと錯覚するほどだった。


 耳を塞ぎたいとは思わなかった。そこまで頭が回らなかった。息だけ漏れるばかりで、いたずらに上下してばかりの喉から、やっと声らしきものが零れた。


「私の」


気づいたら、ネクタイに手を伸ばし、軽く引っ張っていた。風が吹く。マントが揺れる。ハルのコートも揺れる。


 この風が吹き終わったら。未來は期限を定めた。


 その風は、思いの外長く吹いていた。


 ふと砂の中に、蛇のようにとぐろを巻いている、釣り糸が落ちているのが視界に入った。うっかり見落とすところだった。とりあえず、これを拾わなくてはいけない。そんな思考ができる自分が、滑稽だった。


「いえ、やっぱり、また後で」


 屈み込んだ未來の頭上から、「わかった」という静かな声が、降ってきた。


 後で、は、一体いつになったら訪れるのだろうか。それまで、待っていてくれるのだろうか。


 私の故郷と思われる星はありましたか。今まで旅をしてきた星の中に。


 たった一言なのに、どうしても言えなかった。何に対して躊躇いがあるのか、正体が掴めなかった。





「皆さん! 本当にありがとうございます! お疲れ様でした!」


18時ちょうど。時間的には夜の入りかけなのにまだまだ明るい空の下、美月は砂浜に頭がぶつかると思うくらい、深々と一礼した。


「変身のおかげで、思いの外楽に掃除をすることができまして!」

「俺は疲れた」


 ぶっきらぼうに言い放ったクラーレに、先程までペアだった穹がびくりと体を震わせた。


「そう言う割には最後までちゃんとこなしたじゃない。体力ついてきてるんじゃない?」

「……他の奴と比べて、休憩を多く挟んだからな」

「無理してるよりはずっと良いことだと思うよ!」


クラーレは俯き、足下に寄ってきたシロと目を合わせた。


「で、まあ思いの外楽に掃除をすることができまして! これがその成果です!」


 美月は大きく手を振りかぶり、浜辺全体を指すように、くるりとその場で一回転した。


昼間見た時は、場違いな無機物で埋め尽くされていた砂浜。それは今や、どこにも、何も、その存在を消していた。


 我が物顔で占拠していた色とりどりの物体は消え去り、その下敷きになっていた砂が、顔を見せ、息を吹き返す様が、そこに広がっていた。

 波打ち際の音も、吹く風も、心なしか、先程よりも澄んだものに感じる。


 うわあ、と穹と未來が思わず飛び出たというような、大きな声を上げた。


「こ、こんなに綺麗だったの……?」

「凄い! 凄いよ!」


 飛び跳ねる未來に、美月はウンウンと首を縦に振った。


 熱い砂浜。光り輝く藍色と青色の海。そこを自由に吹き渡る潮風。頭の中にあった記憶の海辺が、今この瞬間、目の前に再現されていた。


 しかし、記憶と違う箇所がある。あの時いなかった人達が、今この場に立っているということだ。


「変身して掃除している私達の姿、他の人に見られちゃったかなあ?」

「まあ、一夏の夢幻ということにしておいてもらおうよ……!」

「穹君、難しい言葉知ってるんだね~! 格好いい!」

「か、格好いい……? え、えへへ……」


 照れ臭そうに笑う穹と、目を輝かせる未來。その二人に白い目を送りつつも黙って海と砂浜を眺め続けているクラーレは、口が半分開いており、かすかな声量だが、この光景に心を奪われていると思しき声が漏れ出ている。


 ハルがココロを抱っこしたまま、器用にしゃがみ、砂浜に手を伸ばした。


「これが、地球の海に住まう生き物か」


その手には、ヤドカリが乗っていた。貝殻の部分をハルに向け、慌てて逃れようとしている。


 掃除している間、浜辺の生き物をほとんど見なかった。どうしようと考えたが、単に見えていなかっただけだった。


 ゴミ拾いをスタートさせた最初は、拾っても拾っても、視界に新たなゴミが飛び込んで来て、それが尽きることはなかった。変身のおかげで肉体の疲労は感じなかったが、精神には疲労が溜まっていった。


 けれど、幾つ目かわからないゴミ袋がいっぱいになった頃から、徐々に様子が変わってきた。探さなくても勝手に見つかったゴミが、逆に探すようになっていったのだ。そのことに気づいた時には、もう、昼間の砂浜がどんなだったか忘れてしまうような光景が、広がっていた。


「ただ、全体をサーチしたところ、まだ拾いきれなかった廃棄物がある」


 うん、と美月はハルの言葉に、真顔で頷いた。


「だから本当に申し訳ないけど、明日もお願いします。でも、量は今日と比べてだいぶ選ってるから、すぐに終わると思う。終わったら、思う存分、ここで遊びましょう!」


「わかったよ。任せて!」

「美月のおかげで、滅多に出来ない体験が出来たよ~!」

「私もだ。貴重な経験を得ることができた。感謝する、ミヅキ」


 最後にクラーレが会釈なのかなんなのかわからないが、小さく頭を下げた。てっきり無反応と思っていたので、美月は目を丸くした。しかしそこにはあえて触れず、「本当にありがとうございます!」と再度頭を下げ、砂浜全体に響き渡るように感謝を告げた。


「それでハル、本当にゴミを持ち帰るの?」


 休憩所として設けたパラソルの下には、山のようなゴミ袋が積まれている。汐澤に頼んで大きめのゴミ袋をたっぷりと用意して貰ったが、全て余すこと無く使い切った。


「むろんだ。全て私のエネルギーになる。いじくりようによっては宇宙船のエネルギーにもなるだろう」


 トレンチコートに手を突っ込んだかと思うと、取り出したとき、ハルの手の中には大量のクリアカプセルがごっそり出てきた。

 いつの間にと言う間もなく、ハルはゴミ袋に近づき、一つ一つにクリアカプセルをつけていった。


「だが、全部持って帰るのは物理的に不可能だ。半分だけにしよう。ミヅキ達は、もう戻っていい。クラーレ、良ければ手伝ってくれ」

「……わかったよ」


ああその前に、と、ハルは思い出したかのように、パラソルの下に置いてあったクマのぬいぐるみを手に取り、美月の前に渡した。


「あ、返さなくて良いよ。それ、だいぶココロが気に入ってくれたみたいだし、お下がりで申し訳ないけど、あげるよ!」

「いいのか? しかしこれはもとはミヅキの……」

「今はもうココロのもの!」


 ココロに見せると、にっこりとそのタイミングで、ココロが笑った。美月とココロを見比べたハルは、ありがとう、とぬいぐるみを受け取った。

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