phase3.1

 ブーツという、砂浜の上を歩くには最も不適格な履き物を身につけているというのに、普通の地面を歩いているかのように移動できる。砂粒一つも入ってこない、白色に青いラインの入ったブーツを見ながら、一体どういう構造なんだと穹は考えた。


 むしろ通常時よりも体が軽い。夏の太陽の下にいるというのに、その日光の温度が気にならない。その、常識をゆうに超える技術力に、穹は考えることをやめた。


 紙に袋に箱に容器。様々な大きさ、様々な材質、様々な種類のゴミをトングで掴んでは、ゴミ袋の中に次々と放り投げていく。


コスモパッドで変身してゴミ拾いを行うことを提案したのは美月で、ゴミ拾いそのものの提案も美月だ。突然のことに辟易としたのは事実だが、結局こうやって流されて力を貸している自分自身にも、内心呆れていた。


砂の中に埋まっているジュースのペットボトルを取ろうとしたが、手応えが無かった。しょうがなくしゃがみ、青いグローブが嵌められた手で掴もうとする。


「穹君、大丈夫?」


 そのペットボトルが、別の人の手に握られた。その人の手は、赤いグローブを嵌めていた。


「は、はい、大丈夫です」


 穹は慌てて立ち上がりながら、未來に礼を述べた。現在の時間、ゴミ拾いのペアは美月とハル、穹と未來に分かれている。


「まさかお掃除をすることになるなんて、本当にびっくりだよね~」


拾い上げたボトルを、ひょいと袋の中に放り込んだ。袋の中から、ゴミ同士がぶつかる音がした。


「あはは……。姉ちゃんが突然奇想天外なことするのは日常茶飯事ですから」

「難しい言葉知ってるんだね!」

「い、いえ、これくらい普通です」


 両手を顔の前で振る穹を、未來はあっさりと、ううん、凄いよと重ね、自身の足下に転がる無機物をトングで次々と掴んでいった。


 黙々と作業する未來に、なんと声をかけるか、穹は振っていた手を宙にさ迷わせた。なんと返すのが正解だったか、今何を言えば最適なのか。


 結局穹も黙って、再びゴミを拾い始めながら、ハルさんに聞けばわかったのかな、と心の中で泣きそうな声を出した。


 未來とは何度も話したことがある。けれどこうやって、二人きりになるのは初めてだった。


 普段は美月という潤滑油となる存在がいるので、それなりに気安く接することができる。が、美月がいない今、何を話し、どう接せば良いのか、皆目見当がつかなかった。


 穹にとって未來は姉の友人であったし、恐らく未來にとっても、穹は友人の弟という面識しかないだろう。割と打ち解けていると思っていたのに、いざこうしてみると、早い話が、気まずかった。


「でも穹君は偉いね。寝不足みたいなのに、ずっと動いてて」


 何の前触れも無く言われたその台詞に、穹は熱された砂浜の上で温められた、ゴミを拾う手を止めた。


「よ、よく、わかりましたね」

「だってずっとあくびしているし、目もぼや~っとしているし」


 あくびはなるべく噛み殺して、どうしても出そうになったら口を開けないようにし、誰も見ていない隙を見計らってしていた。目も、自分では重いと感じているが、傍目から見たら気づきにくいはずであった。


「よく見てるんですね……。凄いなあ、未來さんは」

「本当に大丈夫? 休んだほうがいいんじゃない? 睡眠不足は一番いけないことだよ?」

「あ、ありがとうございます。けど、自分で夜更かししちゃったせいで、まあつまり自業自得なので、そんなわけには」


 あはっ、という笑い声が、突然未来の口から零れ出た。


「とは言ったけど、私もつい夜更かししちゃうんだ。写真、特に星空を撮ってると、あっという間に時間が過ぎちゃう」


未來がよく写真を撮っていることは知っていた。美月もよくそのことを話題に出すし、実際カメラを首から下げて、何かにつけてシャッターを押すところを何度も目撃している。


「写真に、そんなに夢中なのは、なんでなんですか?」


 素朴な疑問だった。穹はそれを趣味としている人ほど、写真を撮ることに一生懸命になったことはなかった。


「時間を忘れて夢中になるのは当然だよ。シャッターチャンスの瞬間って、人それぞれ。つまり私の写真は、私だけにしか撮れないものってことだもの」


 太陽が、東から昇って西へ沈むことと同じくらい、当然の理だと言わんばかりの口調だった。

どこか幼さの残る目で、未來はこちらを見つめてきた。


「穹君も、もしかして今、君だけにしか作れないものを作ってたりするのかな?」


 どうしてこの流れで、穹も、と思ったのだろうか。何か、点と点が繋がるような言動や行動をとっただろうか。思い返してみたが、それらしきものは浮かばなかった。


「……はい」


否定を紡ぐことは簡単。だが気づいた時には、難しいほうを選択していた。どこかから、カモメの鳴き声が聞こえてきた。


「実は、そうなんです」


 もし、詳細の説明を求められたら、なんといって切り抜けようか。未來の返事を待ちながら、穹はあれこれと方法を探したが、良いものが思いつかなかった。


 けれど実際の所は、説明を求められるだけならまだいい。問題は、“その後に来るであろう言葉”だ。

 しかし未來は、穹の恐れている言葉の両方も、口にしなかった。「そっかあ!」と大きく笑った。


「お互い、良いものが作れるといいね! 私、応援する!」


 トングを持っている手で、未來はガッツポーズを送ってきた。対して穹は、はい、と頷いて返した。


「僕も、未來さんが素晴らしい写真を撮れるように、応援します!」


 それまで満面の笑みだった未來が、少し真顔になった。


「穹君、前々から思ってたけど、未來でいいんだよ?」


 あ、と穹は口ごもった。ため口で呼んでいるところを想像してみたが、一瞬のうちに出来そうにないと悟った。


「な、なんとなくため口が慣れなくて……。ご、ごめんなさい」

「そっかあ、ならこのままでいっか! 呼び捨てしたくなったらいつでもそうしていいよ」


気を悪くした様子は無く、未來は再び笑顔になった。これが姉の友達の未來という人なのか、と穹は心の中で反芻した。




 この星の空の色は青い。けれどそれ以上の青さを持っているのが、この海だった。

 ぱしゃんぱしゃんと、ゆらゆらと動く青い水面が、クラーレにとっては、まるで生きているように見えた。


静かなようで忙しない海も、ざらざらした感触の粉を敷き詰めた浜辺も、爛々とした太陽の光を反射していた。それがクラーレにとって、とんでもなく目に痛く、率直に言えば不快に感じていた。

あるいは、心持ちや、状況が違えば、眩しいと感じなかったのかもしれない。眩しいと思っても、不快という感情には繋がらなかったかもしれない。


 今、クラーレは、ぺらぺらした感触のするシートと、更にゴザという名前の、地球の植物で編まれたシートの上に座っていた。砂浜に刺さるビーチパラソルの影が、いたずらに揺れ動いている。


 こんなに間近で、長時間海の全貌を眺め続けているのは初めてのことだった。波と共に、何かよくわからないものを運んでくるようだ。普段考えていることも、考えないことも、一緒になって、音と共にやって来る。どうして自分自身はここにいるのか。どうしてここにこうして座っているのか――。


 はあ、と何度目か忘れたため息を吐き出した。吐いた息はどこか粘ついた感触のする海風に溶け、どこかに運ばれていった。

 風は熱いはずだが、陰の中にいるおかげか、これは不快には感じなかった。程よく冷却され、良い具合に体を涼ませてくれる。


クラーレは顔を横に向けた。その先には、あまりにも暑くて脱いだガウンを掴んだり引っ張ったりしている、ココロの姿があった。


ばしばしと叩いたりするのはまだいい。触るだけじゃ物足りないのか、口に入れてしゃぶるのだ。汚いからやめろと何度引き剥がしても、どうしても味を確認したいのか、ガウンの布の味が気に入ったのか、頑固にやめない。なので諦めて、もう放っておいていた。


「……暑くないか? ……大丈夫そうだな」


ココロの真っ白な額に、少し汗が浮かんでいるのが見えた。そろりと触れるか触れないかの力加減で、タオルで拭った。


 頬は白いが、その髪はもっと白い。光が当たると、角度によっては透明に見える。その髪に、ハートの髪飾りがつけられていた。それは非常に、ココロに似合っていた。けれどクラーレは、内心複雑な気持ちだった。


 これはただの髪飾りではなく、ココロにとって体感温度や体内温度を最適なものに調整する機械だと、以前あのテレビ頭のロボットは言っていた。自分で作った、と。多少暑いところや寒いところにいても、体に支障は出ない機能を持つと。


 じっと見る視線に答えるかのように、ココロが顔を上げた。赤と、青。左右で異なる色を持つ両目で、じっと見つめ返される。


 クラーレは、一瞬目を見開いて、ゆっくりと視線を明後日の方向に向けた。どう反応するのがココロにとって一番か、わからなかった。口角を上げる方法も、忘れている。


今、ココロは無視されたわけだ。もしや、傷ついてはいないだろうか。ふいにそんなことが頭をおぎった。横目で見やると、ココロはガウンをほっぽり出し、はいはいして砂浜に向かって手を伸ばしているところだった。


「触ったら暑いぞ、やめろ」


 両手で抱いて上げた。ココロはきょとんとしていたが、不機嫌になった様子は幸いなかった。陽光で熱された砂を、ココロの小さくて薄い皮膚で触ったら、あっという間にその牙を剥くだろうと、容易に想像できた。


「あっちは、気持ちいいんだろうがな」


 クラーレの見る先を、ココロも見た。光を内包し、目に染みる青さを持つことを可能とさせた海が、そこに広がっている。


「お、どうした?」


 視界の端に、別の白い何かが入り込んだ。ふわふわとしている何か。名前通りの体の持ち主。シロは座っているクラーレの膝の上に飛び乗り、尻尾を振りながらこっちを見上げてきた。


「シロ、残ったのか。他の奴らといればいいのにな」


 頭の角の間を撫でると、尻尾を振る速度が上がり、背中に生える白い羽がぴょこぴょこお動いた。


「格好いい翼を持ってるな。大きくなったら、立派なプレアデスクラスターになるだろうな」


 軽く、その竜のような羽を撫でる。一見堅そうで、何も生えていないように見える羽には、指の腹で触ってみると、細かく、薄く、短い毛がびっしりと生えているのがわかる。


 シロが少し身をよじらせた。慌てて手を引っ込めた時、それを見ていたココロも両手を伸ばし、シロの両翼を掴んだ。ピイ、とシロが威嚇するような声を上げた。


「こらやめろ。シロに怒られるぞ。これはシロにとって大事なものなんだからな」


 ココロの両手に自分の両手を被せて、やんわりと引き離した。


 ココロはシロの羽が気になってしょうがないのか、事あるごとに触ろうとする。一方のシロは、羽の部分をあまり触られたくないようだ。力加減ができずにむんずと掴んだココロに対し、悪意が無いにせよ、シロは当然怒る。その声に驚くのか、ココロは泣き出してしまう。最近そういうことが多い。


「だー……」

「だめなものはだめだ」


 まだココロに警戒しているのか、しばらくシロは唸り声を上げていたが、やがてふいと背中を向けた。


 何をするんだと考えた次の瞬間のことだった。シロがぎゅむぎゅむとクラーレの体を後ろ向きで歩いたのだ。と思ったとき。突然駆け出した。


 あっとした時には、クラーレの膝から飛び出していた。白い羽が、ばたばたと忙しなく上下に揺れている。クラーレというシロの体を支えるものがなくなり、シロは宙に浮いている。しかしそれも一瞬のことで、ぼとり、という効果音が似合いそうな勢いで、ゴザの上に落ちた。


伏せの形で、尻尾も跳ねもだらんと垂れていたシロだったが、なんの前運動もなく起き上がり、再び膝の上に乗ってきた。


 駆け出す。飛び出す。落ちる。また乗る。その繰り返しだった。


 遊んでいるのかと考えていたが、どこか違う。言うならば、雰囲気だ。シロの周りを纏う空気は、きらきらとした光り輝くものではない。どちらかというと、炎に近いものがある。


 それに気づいた時、クラーレの脳内で、点と点が繋がった。


「シロ、お前空を飛ぼうとしてるんだな?」


 まるでそうだとでも言うように、シロが振り向いた。緑色の瞳が輝いていた。


「そうか、そうか。そうだな。お前の翼は、飛ぶためにあるもんな。だから触られるのが嫌だったのか?」


一回だけ、竜のような尻尾が振られた。クラーレは頷いた。


「特訓してるんだな、シロは。よし、わかった。シロ、頼りになるかわからないが、力になるよ。ココロ、お前もだ」


 ココロはくるりとクラーレの顔を見上げ、シロを見ると、偶然か否か、にこりと笑った。


「うーあー!」

「そうだ、ココロ。頑張れって言ってやれ」


 クラーレは周りを見回し、次いでシロを見た。


「シロはそうだな、もっと助走つけるのはどうだ? 高い所から一気に走って、一気に飛び出すんだ。でもこの辺りに高いものはねーな……。あの道路の上からだと高すぎだな……」


 今いるのは石垣の傍で、その石垣の上に道路がある。ちょうどいいかもしれないが、シロの体でこの高さから飛び出すのは不安点を拭えなかった。


 よし、とクラーレは服の袖を捲り、ココロとシロを下ろすと、パラソルの影から出た。


 影から出た瞬間に、一気に体感の暑さが増す。肌が燃え上がるような感触に襲われたが、クラーレは気にせずに砂をかき集め始めた。


 ココロとシロの汚れを知らない目で見つめられ続けながら出来上がったものは、砂で出来た細長い台だった。


「これを使え」


 シロもパラソルの下から出てきた。砂の台の周りを鼻をひくつかせながらぐるぐると回っている。と思うと、駆け出し、台の上に飛び乗った。そのまま、反対側の台の端まで走って行く。


「そうだ、助走つけろ。一気に飛び出すんだ。もっと羽を動かせ」


 ぽて、と砂浜の上に落ちる、砂にまみれたが、シロは体をぶるりと震わせただけで、また台の上に飛び乗った。


「コツを掴むまで何度もやる以外にはな……。いや、シロなら、絶対できるさ」

「あー!」

「ど、どうしたココロ。……ああ、退屈か。放っておいてすまん」


 無表情となったココロに、どうしたものかとクラーレは地面を見やった。すると、一本の枝が目に止まった。どこかから流れ着いたのか、細長い木の枝だ。


「お城作ってやるよ、ココロ。見ていろ」


 かき集めた砂が手を覆い、ずしりと重く感じる。けれど、不快には思わなかった。

パラソルの影ぎりぎりまで移動し、そこで作り始めた。


 脳内でイメージを組み立て、それが現実のものとなれるように、手を動かした。

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