phase2.3

 お昼時の少し前になり、ミーティアもそろそろ混み始める為、美月と穹は手伝うために一旦ハル達と別れた。

目星の付けていた料理はおおかた食べることができたので、あとは明日以降に回すことになり、実質全員の自由時間となった。


 クラーレはだるいという理由でココロとシロを連れて自分の宿泊先に行き、ハルは会場付近で建物などの地球の文化の観察、未來はフェスの取材を独自に進めるという。



 お昼時には、やはりそれまでの時間とは違い、どこの店にも行列ができる。ミーティアも例外ではなかった。けれども幸いなことに、混雑時の対応には慣れてもいる。ミーティアは、休日やお昼時やお茶の時間、店内が混むことがよくあるのだ。


 よって、客足は途絶えなくても、長蛇の列ができるということはなかった。よく店を手伝う美月と穹もこなれたもので、主に料理の包装や盛りつけ作業をしながら、手際よくこなしていった。



 ピーク時を無事に過ぎて、客足も落ち着いた頃、二人は再び自由時間になった。涼んでくると言って、穹はフェス会場内で出店されているアイスクリームを買いに向かい、美月は、会場内を歩き回り始めた。


 太陽の日差しは強く、じりじりと焼け付くような暑さである。たまに風は吹くが、全く涼しいものではなく、調理の際の熱い湯気と相まって、正直不快な風だった。


 途中自販機で買った水を飲みながら、美月は右に左にとゆっくり視線を動かしながら、歩を進めていた。


 どのようにお客となる人物を呼び込むか。メニューのデザインは。人気の理由は。美月が見ているのは、主にそのような部分だった。


 こんな偵察をするのは、ミーティアの為もあるが、もう一つ訳が存在した。


 次、このようなグルメフェスに参加するとき。将来、ミーティアに新メニューが追加されたりなどで、コンセプトが変わるとき。


 この偵察と分析は、きっと役に立つだろうと考えていた。その「次」や「将来」というのは、美月がミーティアを継いだときのことを指している。


先程の食事の時もそうだ。つい楽しんで終わりになりそうになったのが幾度もあった。それを堪えて、美月は味からデザインに至るまで、慎重に観察し、分析し、自分なりに答えを求めていた。


食べ歩きを好むのは、食べることが大好きだから、というのももちろんだが、それ以上に、勉強の為が大きい。


 ミーティアを、両親の代で終わりにさせたくない。ましてや自分の代で終わりになるなど、もっと嫌だと思っている。


 あの店は大好きな場所だ。ずっとそう思っていたが、ここ最近、更に大切に感じるようになっていた。


 ハルとの距離を近づけ、クラーレの心をほんの少しだけ溶かしてくれた空間。こんな魔法みたいな出来事を起こさせる力が、あの場所には満ちている。


その魔法を人知れず求めている、まだ見ぬ未来のお客様達の為にも。ミーティアを、永遠のものにしたい。そう夢見ている。そしてその夢が叶うかどうかは、自分の手にかかっている。


だから勉強、特に理数科目をやるくらいなら料理の勉強をしていたいなあ、と願っているが、今のところこの夢は許される気配はない。


 以前ハルから勉強を教えて貰ったとき、将来の夢である料理人と今している勉強と何の関係があるんだと思わずぼやいたところ、大いにあると、その必要性と因果関係について長々と説明された。その時のハルは、高い身長も味方して、威圧感が凄まじかった。


 一瞬勉強のことが頭に浮かんだが、強引に外に追い出した。今は数字や専門用語よりも、料理のことを考えてないと時間が勿体ない。美月は次の店に行くため、歩き出した。




 歩き疲れてきたので、ちっとも優しくしてくれない陽光から逃れようと、先程皆で食事を摂ったコーナーの空いていた席に座り、パラソルの下で涼んでいたときだった。

観察して得た経験を自分が将来継いだときに活かせないかと思案しながら、会場内を何とはなしに眺めていると、ふとよく見知った後ろ姿が目についた。


 休憩中と思しき弦幸と、弦幸と同じ年ぐらいで、父よりも体格の良い男性がいる。誰だったろうかと眉をひそめた直後、あっと思い出した。


 今回のフェスの主催者の一人で、ミーティアをフェスに誘ってきた、弦幸の友人だ。公民館から会場に向かう途中で、顔を合わせた。汐澤と名乗ったその男性は、人の良さそうな、親しみやすい雰囲気だった。


 距離は近いが、人の多さのせいで、向こうは美月に気がついていないようだ。


 喧噪に紛れて、「フェスはどうだ? 困ってることはないか?」「いや。説明会のおかげで、わからないところも無いし、順調だ」との会話が聞こえてくる。


 話の内容や二人の雰囲気からして、ばったり会って話し始めたばかりのようだった。


「しかし久しぶりだなあ。あとで差し入れするが、よければ今度店に食べに来てくれ。潮彩堂だ」


 潮彩堂はこのフェスにも出店している。クラーレが一番最初に食べたいなり寿司を買った店がそうだ。普段は寿司屋だが、今回は握り飯中心に売っている。美月もいなり寿司を食べたが、油揚げはふっくらしていて甘いのが印象に残る、大変美味しい味だった。


「……ちょっと浮かない顔してるけど、どうしたんだ?」


 片手に持っていたペットボトルを持ち替えながら、弦幸が尋ねたのが耳に入った。会うのは久しぶりだと言っていたが、わかるのだろうか。そう思ったのは美月だけでないようで、汐澤本人も「よくわかったな」と軽く仰け反った。


「知っての通りうちは本来寿司店だからな。悩みがあるんだ」

「……あのことか?」


 人目を気にするように、弦幸の声が小さくなった。汐澤が神妙に頷いた。


「あそこ見たのか。そうだ。最近ますますひどい。もともと海流の影響もあってこの辺りの浜辺にはゴミが漂着しやすかったが、あそこは一番ひどい。しかも近頃は、明らかな家庭ゴミも増えてきた」


 周りの喧噪が一瞬遠くなった。美月は息を飲み、二人の会話に最大限意識を集中させた。


「あの浜辺は海水浴場じゃないし、しかも町の裏手に当たる部分でもあるから、人目につきにくい場所だ。誰が始めたのかわからないが、ここ数年ですっかり不法投棄場になってる」


苦々しい顔で、汐澤が腕を組んだ。


「あのあたりにある食べ物屋は、景観のおかげで客足が遠のいてるという話だ。だが海水浴場の人が集まりやすい浜辺とは違って、積極的に掃除も行ってくれない。観光客が集まりやすい海水浴シーズンについでで行われる程度で、あとはほったらかしだ」


 舌打ちしそうになったようだが、人気ひとけがあるからか、堪えるのが見えた。


「定期的に拾ってはいるが、翌日には拾った以上のゴミが増えてるんだから話にならない。だが、やらないと、あの浜辺はゴミで埋まる」


「もしかして、このフェスの目的って……」


ああ、と汐澤が大きく頷いた。


「資金確保のためだ。掃除や片付けの」


 ぽん、と汐澤は弦幸の肩を叩いた。


「市のホームページのコメントにでも意見箱にでも、ゴミのこと書いてくれると嬉しい。外からの明確なアクションが無きゃ、多分動いてはくれないだろうからな」


 弦幸がわかったと承諾し、その後二言三言会話を交わして、二人は離れた。その様子を遠くで眺めているように感じながら、美月は白いテーブルを見つめていた。


 パラソルの影が、テーブルの上に落ちる。それを見ているようで、実は見ていなかった。影だけでなく、どこも見ていなかった。目線はテーブルに注がれていて、心の視線は、別方向に向けられていた。


 青い水面が目に浮かぶ。揺れる波は白い。目の前にはないはずなのに、くっきりと見える。


 外からの明確なアクション。その一言が、延々とこだましていた。


「あれ、もしかして君、宮沢の」


 人影が落ち、顔を上げると、先程まで会話を盗み聞きしていた相手が、目の前に立っていた。慌てて美月は立ち上がり、こんにちはと挨拶を交わし合った。


「確かいなり寿司を買いに来てくれてたよな。ありがとうな! どうだったか?」


「とても美味しかったです! 甘くてふっくらしていて、酢飯も酸っぱすぎなくて」


「そうか、ありがとう! もし都合が合えば、今度は寿司を食べに来てくれ。本職は寿司店なんだ」


さっき聞いたので知ってますと言いそうになり、すんでで口をつぐんだ。


「どのお店も美味しい料理ばかりで、こんなに楽しいグルメフェスは初めてです!」


「うおお、それはありがたい! 主催者の一人として鼻が高いよ!」


 汐澤はぐるりと会場を見渡した。


「この町は案外知られていないが、旨いものの宝箱だ。一人でも多くの人に、それをわかってもらいたかった」


 故郷びいきだなと、大きく口を開けて笑い声を立てる。


「どこも日々、より美味しくを第一に、研究を続けている。やり方は異なえど、勉強と研究の毎日だ。皆頑張っている。努力して、しかも旨いものを誕生させているという結果を出しているんだから、余計に凄いんだ」


 汐澤が少し目を伏せてきた。そうですか、と美月は相槌をうった。


 たとえ頑張ってそれに見合う結果を出せていたとしても、景観という外からの効力によって、報われない店があることをさっき知ってしまった身としては、汐澤は今どのような気持ちだろうかと感じた。


「ライバルだが、仲間として、この町の、同じ料理人達のことが大好きだが、君はどうだ? 好き、か?」


 美月は間髪入れずに、大きく頭を縦に振った。


「はい、大好きです! 今日、大好きになりました!」


 汐澤は、そうか、と心から安心したように破顔した。


「このフェス、続けて下さい。私がミーティアを継いだとき、店として参加したいので!」


「そう言われると嬉しいな! 最大限頑張ってみるぞ! 応援しているよ、未来のミーティアの店長さんよ!」


「私の代になっても、その後もずっと、ミーティアを続けたいので! 守りたいので! 大好きなので! フェスも続けて下さい!」


「宮沢は幸せ者だな!」


 汐澤が自身の腰に手を当て、また大きく笑った。


「君はミーティアが。自分はこの町の料理屋が大切だ。お互い、未来永劫続くよう、努力していこうな!」


 はい、と頷く美月の胸中で、ある思いが、みるみるうちに固まっていっていた。

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