phase2.2

 美月は実はグルメフェスそのものにも、何度か来たことがある。その時は店側ではなく、家族揃って客として訪れた。


 一度目は美月が小学校低学年頃の話だ。その頃から食べることが大好きだった美月にとって、そのフェスはまさに地上の楽園だった。

 美味しそうに写ることを第一に目的とした、食べ物の写真が貼られたメニュー看板が店ごとに立ち並ぶ。売り子による魅惑的な売り文句が響き渡る。360度を、意図せず唾が湧いてしまう匂いに囲まれる。この状況下で、冷静でいられることなどできなかった。


 その時は調子に乗ってしまい、思うように食べたいものを食べることが出来ず、ほぞを噛む事態となった。

苦い教訓を踏まえ、二度目以降は食べたいものをちゃんと考えるようにし、やがて食べる順番も考慮するなど、事前に確固とした戦略を立てていくまでになった。


 海と同じく、グルメフェスに行くのも久しぶりのことだった。今回美月にとってメインとなるイベントは海だったが、グルメフェスにも行くつもりでいた。けれども、それは二日目以降の予定だった。


初日は、眼前に広がる青い大海原で、思う存分に遊ぶ予定であった。しかし、その予定は、大きく狂ってしまった。


ハル達に開始時刻を伝え、美月と穹は説明会を終えた両親と共に、店の設営の手伝いをするために先に会場に出向いた。


 かなり広めの空き地に、出店者らがそれぞれ思い思いに設営を進めている。開場時とは違うざわざわとした喧噪があり、開場前の雰囲気は独特なものがあった。


「美月、海行くって言ってなかった?」


 ミーティアも同じく家族4人で準備をしていたときだった。突として、浩美に鋭く痛いところをつかれた。今回の手伝いを両親から頼まれたとき、美月は海という大切な用事があるからと全力で拒否をしていた。


「ふ、不足の事態があってね……」


 穹も無言で同調した。と、弦幸がどこか哀れむような、悲しそうな目をしたことに気づいた。美月は下を向き、手を動かした。


 美月は指示通りに作業をしながら、なるべく海のほうには目を向けまいとしていた。


 この会場からでも、見事な大海を観測できる。あまり風が吹いていないため、水面は穏やかに凪いでいる。


 これを視界に入れてしまうと、静かにたゆたうその海に、後ろ髪を引かれてしまうのだ。美月の場合はポニーテールになる。なまじここからだと、あの浜辺の様子が目に入らないのが、無念さに拍車をかけている。


 けれど、自分一人ごねたところで現状は絶対に変わらないし、何とかなるわけでもないのだ。ため息を最後に、美月は首を振って考えないことにした。そ




「……でもやっぱり未練は断ち切れないんだよ!」


 会場の中央に、パラソル着きのテーブルと椅子がたくさん置かれた、買った料理を食べるコーナーが設置されている。その一角で、美月は白いテーブルに、大きな音を立てて額をぶつけた。


「ごめんね、この愚痴ばっかりで……」

「とても楽しみにしていたもんね~。落ち込むのも無理はないよ」


  未來が慰めるように美月の背中を軽く叩く一方で、クラーレが下らないとでも言いたげな目を寄越してきた。


「ほら姉ちゃん、落ち込んでる暇はないよ」

「両親に頼まれたということを、ちゃんと遂行しなければならない義務がある」


ハルと穹が揃って言ってきたため、美月は岩のように重くなった頭をやっと上げた。


「そうだね。これには、皆の協力が必要なんだ。頼み事ばっかりで悪いけど、お願いします!」


 さあ行くよ、と穹を引き連れ、美月は立ち上がった。二人の手には、財布が握られている。この財布の中には、弦幸と浩美から貰ったお金が入っている。



設営も準備も終わり、あとは始まる時間を待つだけというタイミングで、両親二人は姉弟に、他の店を巡ってきてほしいと、財布を渡しながら頼んできた。ここから動けない自分達の代わりに、ライバルとなる他の店を回って、料理を食べて、技術を盗んできてほしい、と。


 もちろん二人は了承した。特に穹は、「敵陣偵察ってことかあ……!」と顔を紅潮させていた。


 パンフレットで出店している店と料理を調べ、回る店と頼むものを決め、気になるところをチェックしているうちに、いつの間にか会場内は人でいっぱいになった。既に列ができているところもあり、意図せず出遅れる形になってしまった。


 けれど本当に偵察をする場合、客観的な意見を求めるには、もっと人手があったほうがいいのではないかと、美月と穹は人混みを眺めながら言い合った。


そこで、会場に来たハル達と合流し、両親から頼まれたことを、手伝って貰えないかと、打診したのだ。


 この人気ひとけの多さのおかげで、姿を消したハルやクラーレ達と堂々と話をしても、誰も美月達に気を止めない。こそこそせずにいられるのは、気分が良かった。


 お昼時になる前に急ごうと、美月と穹は二手に分かれ、店を巡り始めた。

 ざっと見た雰囲気とパンフレットの情報からして、美月が何度か行ったような、大規模なグルメフェスとは全然違うようだ。


 会場は広いが大規模なものと比べるとさすがに出店数は少ない。その出店している店も、綾波市にて営んでいる個人店が開いているものがほとんどだった。市外から出店しているところは、ミーティアを含めても、片手で数えられるほどしかいない。


 しかしだからこそ、今まで口にしたことのない食べ物に出会う事が出来る。市一つ違っても、どういう系統の店が多く、どういう味が好まれているか、全く異なってくる。その場所の特色がよく現れた、ある意味どんな限定料理よりも貴重なものに巡り会えるというわけだ。


  屋台からは呼び込みの声が響き、その後ろでメニューを注文する人々の声が鳴る。何かを揚げるような音や、もくもくと立つ白い湯気が湧いている。流れてくる煙や湯気はどれも熱く、これは調理する側は物凄く暑いだろうなと、美月は少し気の毒に思えた。


 お父さんやお母さんは大丈夫だろうか。用意はしていたが、冷えた飲み物を持って行ったほうがいいかもしれないと、店に並びながら美月は考えた。



 用意しておいたプレートに買ったものを乗せて、再び席に戻ってきたとき、先に戻ってきていた穹が目を丸くした。


「買いすぎ!」

「半分もいってないよ?」


 穹と比べると確かにプレートの上は山盛りだが、一つの店で色んな料理を頼んだせいで、そこまで数は回っていないのに、かさが増した。


「どれも美味しそうだし、おまけに凄く安いし。ついつい目移りしちゃってさ!」


 どの店も基本的に、良心価格で売られていた。それだけでなく、看板に貼られたメニューの写真も、匂いも、実物も、揃って唾液を誘うようなものばかりなのだ。もともと空腹だったので、更に追い打ちをかけられた。


「その上ね、店の前通りかかるとね、可愛いお嬢ちゃんって呼ばれるんだよ!」

「戦略に嵌まっている……」


  穹が白い目を見せたときだった。クラーレの膝からテーブルの上に飛び乗ったシロが、大きく口を開けて、美月の買ってきたものにかぶりつこうとしてきた。なんの躊躇いもなく、プラスチック容器ごと。


「ちょっとストップ!」


シロは無機物も食べるがやはりさすがに躊躇いがあると、美月は容器を取り上げた。蓋を開け、中のメンチカツをつまんで差し出す。まだ湯気の立つカツを、シロはもぐもぐと頬張り始めた。サクサクという揚げたて特有の軽快な音がした。割り箸を使って美月ももう一つあるほうを囓ってみると、途端に口の中で肉汁が溢れだした。


「……同じの売ってたら、私の店は負けていたかも……」

「買った店って、確か普段揚げ物売ってるところだったっけ?」


 聞きながら穹も食べると、すぐに「本当だ……」という声を漏らした。


「申し訳ないけど、参考にさせてもらうわ! 皆も、ミーティアのため、冷静かつ理論的な分析をしてくれるとありがたいです!」


いいよ~と未來ははにかみ、焼き鳥の容器を手にした。何本か買った内の一本を手に取ると、とろりとした褐色のたれがしたたった。わあ、と感心深げな表情のまま一本を食べ終わると、「香ばしくて、少し焦げた苦い部分が、たれの甘さをよく引き立ててるよ!」と親指を立ててきた。


「……甘い」


 喧噪に紛れて、小さな声が美月の耳に届いた。いつの間にかクラーレがいなり寿司を手にしていて、軽く俯いていた。


「具体的にどんな風?」

「甘い」

「ダメだわからない!」


 そもそもクラーレはリポートが苦手なようだった。


 事実この後も、黙々と食べるか、たまに感想を言っても甘いかちょうどいいかくらいしか言わなかった。


リポートは分析であり、それが一番得意なのは、当然だが、ハルだった。餃子ぎょうざ焼売しゅうまいを食べると、うん、と頭部のアンテナをぴんと張らせた。


「これはなかなかの高水準だ」

「具体的にどの辺りが?」

「食べやすい一口大の大きさ、歯ごたえに不快感が無い、具の旨味や甘みを引き出せている、というところだ。もっと具体的にすると……」


 感情論が一切挟まれていないが、それが逆にわかりやすかった。普段は理屈すぎてかみ合わないことが多々あるが、今はそれがありがたく、ハルを連れてきて良かったと、美月は心から思った。


 よって一番リポートを任せていたのはハルだったが、そのリポートの話を、美月だけでなく、未來も聞いていることにしばらくすると気づいた。テーブルの上にメモ帳を広げ、ボールペンで一心不乱に何かを書き留めている。


 目線で尋ねると、ああ、と未來はペンを置いた。


「見せたり、張り出したりするつもりはないんだけど、このフェスのことをまとめて、新聞みたいな記事を書こうかなって思ってるんだ」


 見せてくれたメモには、味の感想はもとより、設営の雰囲気からメニューのデザインに至るまで、あらゆる店舗のあらゆる情報と、それに基づく未來の感想と思わしき言葉が箇条書きにされていた。


「さっき美月と穹君が買い物に行ってきてくれた間、ぐるっと会場を回ってたんだ。完成したら現役のプロのお父さんに見せて、評価を貰って、そこから少しずつ直していく予定なんだ。ハルさんにも、直したほうがいいところやこうすれば良くなるって箇所を分析してもらうつもり」


「出来る範囲のデータと容量で、精一杯の分析をさせてもらうつもりだ」


 ハルの言葉からして、既に未來との間で話をつけていたらしい。


「未來、もしかして記者になりたいの?」


単純な連想だったが、未來はカメラマンになりそうだと感じていた。未來は笑いながら、手刀を顔の前で振った。


「将来の夢というわけではないよ。まだ考え中だし。ただやるからにはちゃんとやりたいんだ。こういう記事みたいなのを書くのも、好きなことだし」


すっと、未來の表情が、一瞬だけ、どこか遠くの景色を見るような目に変化した。


「読んだ人が、内容に、興味を惹きつけられる記事を書きたいんだ」


例えるとするなら、何かを意に決しているような口調だった。少々気にかかったが、具体的にどこに引っかかったのかわからなかったので、頑張ってねとだけ送っておくことにした。


「そのメモ、私にもあとで見せてくれるかな?」

「大丈夫だけど、文字汚いよ?」

「問題ない! 私もこのフェスの店のこと、分析したいんだ。ミーティアの為にもね」


 いいよ、と未來は快活に承諾した。


「ご馳走させてもらってる身だしね。でも本当に奢りでいいの? 大丈夫?」

「貰ったお金だもん。敵陣偵察のための軍資金だしさ。気にしないでよ」


 いや、と口を挟んだのはハルだった。


「金銭の問題はちゃんとしておいたほうがいいだろう。食事の代金も、ミライに立て替えて貰った今回の宿泊代も、必ず返す」

「地球のお金持ってるの?」

「金銭の両替をする機械を作ってあるから、平気だ」


 そんなものが、と穹が少し驚いたような顔になった。ハルは本当に発明が得意なのだなと、美月は改めて感じた。


 それから食事を摂りながら、感想や分析を言い合った。それでわかったのは、綾波市はひょっとすると、美味しいものを売る店の宝庫なのではということだ。


 美月の主観だが、前回来た時には気づかなかった。買ったどの食べ物もハルに分析させればほとんど高水準で、実際に自分で食べてみても美味しいと感じる。

けれどもしかしたらそれだけではないのかもしれないなとも、わかっていた。


「これはソラの好む味ではないか?」

「わ、ありがとうございます! ……うわ、とても美味しいです!」

「穹君良かったね~! あ、これも美味しい!」

「ミライが好きな味はその系統か。記録しておく」

「どうもです~! ……ところで思ったんですけど、クラーレさんって、甘いのが好きなんじゃないですか?」

「……うるさい」

「あ~図星ですねその反応は!」

「……」

「うんうん、赤くなってるのは照れからですね。いや~良かった可愛いところもあるんですね~、ね、シロ!」

「ピ!」

「あのお、未來さん、どこからどう見ても照れてはいないようなんですが……」

「クラーレは甘味を好むのか、これもしっかり記録しておこう」

「ハルさんハルさん、どうして追い打ちかけたんです……?」


 昔、学校行事の林間学校に行ったときのことだ。


 親しい班員達と一緒にごはんであるカレーライスを作ったとき、皆勝手がわからず右往左往して、他よりも時間がかかって、それでもなんとか力を合わせて完成させた。


 その時もこんな風にカオスな空間の中、出来上がったカレーライスを食した。


言ってしまえばもっと美味しいカレーは絶対あるだろうに、美月にとっては、それはそれは美味しいものに感じた。たとえ神でも、あれ以上に美味しいものを食べたことはないだろうとまで思った。事実、あれ以上に美味しいカレーに、美月はまだ出会っていない。


 今、その時と、同じ気持ちになっていた。


 と、視線を感じた。その先を見ると、ハルに抱っこされてるココロがいた。夏の光を受けて、白い髪が透けて輝いている。赤と青の目で、こちらをじっと見つめている。


 ごめんね、とココロだけに聞こえるように、小声で言った。ココロの食べられるものは、まだこの料理の中にはない。ココロの食べられるものは、まだ限られている時期だ。


 けれどもう少し大きくなったら、自分達と同じものが食べられるようになる。この空間にココロも加わって、一緒にごはんを食べたら、もっと美味しさが倍増するのだろう。

 美月はまだ見ぬその日を思い、胸の内が高揚してくるのを感じた。

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