phase2「夏のワクワクハラハラドキドキ仲間の絆強化合宿」

 天からの祝福のような、抜けるように澄み渡った青空。そこに一点輝く太陽は夏の盛り故に真っ白な光を持っており、容赦なく地面へと照りつけてくる。精力的に活動中の蝉の鳴き声が響き渡る中、美月は家の前で、よし、と大空に対して頷いた。


「ね、眠い……」


 その隣で穹が、ふぬけた声を出しながら、ぼんやりとした目をこすった。体はふらふらとして体幹が定まっておらず、放っておいたらそのまま昏倒してしまいそうな勢いだ。


 時刻は朝の7時を少し回ったところ。美月と穹は、6時きっかりに起床していた。


「穹、昨日夜更かししたんじゃないの?」

「え、なんでわかったの?!」

「夜中まで、物音が部屋からずっと聞こえてたよ。もう、車の中でちゃんと寝ときなさいよ。これから思いっきり遊ぶんだから、体力つけとかなきゃ!」


 言いながら、美月は家の駐車場に止まっている白いワゴン車に近寄った。自家用車だが、一般的な車と比べると、だいぶサイズが大きい。というのもこのワゴン車は、もとはミーティアで使われていた、仕事用の車だった。


まだ源七が店長だった頃、宣伝や、時には料理の移動販売などでしょっちゅう使われていたと、浩美から聞いたことがある。今はもう店の車としては使われていないが、家の車としては、ちゃんと活用されている。


 車は最大で7人が乗れるが、5人家族である宮沢家が全員乗っても、座席は決して埋まらない。しかし美月は今日、本当に家の車が大きめで良かったと、心から思っていた。


 美月は今回の旅行の荷物を手に、二列目の席に乗り込みながら、後ろを向いた。一番後ろ、3列目にあたる席。そこには繋がったシートがあるのみで、誰もいない。美月は、その誰もいない空間へ、声をかけた。


「どう、乗り心地は?」


 美月と、それから穹以外の人から見たら、そこには誰もいないと認識される。。けれども、この二人は、そうでない。

 クリアモードで美月や穹といった、登録した特定の人物以外からは不可視になっているハルは、「悪くない」と短く答えた。


「地球の自動車に乗ったのはこれが初めての体験だから、興味が沸いて仕方がない。時間があるなら、この乗り物の研究をしたいところだが」


きょろきょろとテレビ頭をあちらこちらに動かすハルの腕には、定位置のようにココロがおり、隣にはシロが、物珍しそうにシートの匂いを嗅いだりちらちらと周りを見たりと、忙しなく動いている。


 ココロにも、シロにも、足下に置かれているハルの持ってきた荷物にも、全てクリアモードと同じ機能を持った、クリアカプセルがつけられている。加えて、もう一人にも。


「来てくれて本当にありがとうね。とても嬉しいよ!」


 声をかけられた相手は、俯いていた頭をびくっと跳ねさせて、煩そうに美月の顔を見ると、普段よりも更にきつくなった視線を浴びせ、また顔を下に向けた。


「……別に」


 クラーレの声は普段よりも小さく、怒っているのかと感じるくらい、とても低かった。

「ミヅキ、今のクラーレが不機嫌な理由は、ひどい低血圧に悩まされているというのが大きい」

「クラーレ、朝ご飯ちゃんと食べた?」

「勧めたのだが、気持ちが悪いからと食べなかった」

「ええ、尚更気分悪くなっちゃうよ? これあげる、昨日炊いたご飯の残りで作ったやつ」


 顔面蒼白で、目に生気が宿っていないクラーレに、美月は強引に、ラップに包まれたおにぎりを一つ手渡した。


「いらない、欲しくない」

「はいはい、食べたらしっかり寝とくんだよ」


  突き返そうとしてくるクラーレを無視しながら、美月は車から出た。


 ハル達は当たり前だが、見た目が地球人離れしすぎている。よって堂々と町の中を歩くことなどできないし、今回の旅行もそうだ。乗り物に乗って現地で落ち合う不可能なことで、間違いなく途中で騒ぎが起こる。かといって姿を透明にして電車やバスに乗るなど無賃乗車で犯罪になってしまうし、徒歩で行かせるのは現実的ではない。宇宙船で移動することはできない。残された手段は、クリアモード、クリアカプセルを使って、美月達と一緒に向かうという方法だった。


 唯一の懸念は、何も知らない両親のことだ。だが、へまでも出さない限りは大丈夫だろう。美月は楽観的だったが、穹は真逆で悲観的だった。


「ばれずに行けるかなあ……? なんか嫌な予感がとてもするんだけど」

「大丈夫でしょ、なんとかなるって。ほら、そろそろ行く時間だよ」


 ちょうど、弦幸と浩美と、更に源七が家から出てきた。穹は慌てた様子で口を閉じた。


 忘れた荷物が無いかなど、諸々の最終確認をした後、いよいよ美月達は車に乗り込んだ。


「それでは、行ってきますね」

「お父さん、本当に気をつけてね? 何かあったらすぐ連絡して」

「わかっとるよ、浩美も弦幸君も気をつけるんだぞ」


 源七は二列目に座っている美月と穹へ、窓の向こうから話しかけた。


「美月と穹も、気をつけてな。思いっきり楽しんでおいで」

「うん、行ってくるねじいちゃん!」

「楽しんできまーす!」


 エンジンがかかり、車が発進する。見送る源七がどんどん小さくなっていくのを見ながら、美月も窓から身を乗り出し、見えなくなるまで手を振り続けた。




 白いワゴン車は、つつがなく道路の上を走っている。けれどそれは、表面上の話だ。


 運転席に座る弦幸と、助手席に座る浩美にとっては、今この車内には、美月と穹と、自分達を含めた4人しか乗っていないように見えているだろう。しかし、本当は、あと3人と、1匹が乗っている。


 美月と穹は、両親と今回の旅行に関する話を和気あいあいあとしながらも、内心は後ろの座席が気になって仕方が無かった。気が抜けば、すぐ振り返って、ハル達がどうしているか確認したくなってしまう。


 弦幸と浩美からちゃんと見えていないかどうかと、地球の車に乗って大丈夫だろうかという思いからだった。


けれど心配は無用で、全員問題なく乗れているようだった。クリアモードの状態ならば、声も対象以外には聞こえなくなるが、それでもハル達は全員あまり会話はしなかった。美月と穹の声はしっかりと周りに聞こえるのでハル達と話をするのは危ないし、クリアモード状態同士のクラーレとハルも、談笑する気配が無い。


 そもそもクラーレが、出発して早々に眠ってしまったのだ。 話しかけるなという意思表示なのか、クラーレは出会った時につけていた、あのペストマスクのようなマスクで顔を覆い、堅く腕を組んでいる。頭は壁にもたれさせたまま、ほとんど動かない。だが黙っているわけでなく、かすかに寝息が聞こえてくる。


行く前に渡したおにぎりは、包んであったラップが丁寧に畳まれて手に握られているところを見るに、ちゃんと食べてくれたようだった。


 ハルはというと、ココロやシロと一緒に、車窓にテレビ頭を近づけ、流れる景色を眺めている。


美月も真似して見てみたが、景色はすぐ移り変わっていくとはいえ、特に真新しいものも面白味のあるものも見えてこず、すぐに飽きてしまった。が、ハルはずっと眺め続け、窓から顔を一切逸らさない。その姿はまるで、初めて車に乗った、好奇心旺盛の小さい子供のようだった。実際に好奇心旺盛な子供であるココロやシロと一緒になって風景を見ているから、美月はますますそう感じた。


 しばらくすると穹も眠った為、退屈になった美月は両親同士が話をしているタイミングを見計らい、こっそり話しかけた。


「乗り心地はどう?」

「平気だ。このような感じは久しぶりだが、悪くない」


 どういう意味かと、軽く首を後ろに回し、視線で問うた。


「今まで旅をしてきたといっても、ダークマターから逃げるための旅だ。追っ手が来る可能性が最も低く、かつ万一来たとしても逃げ延びる星を目的地として定めて、計算や分析を繰り返し、探して向かうの繰り返しだった。ミスは絶対にできないし、許されない。何度もパターンを想定して、シミュレートを重ねた末に、目的地に向かうのが常だった」


 一度窓の向こうへ頭を向け、また美月のほうに戻した。


「だからこんな風に、計算も分析も何もせずに、少し長い時間乗り物に乗って目的地となる場所まで向かう。それが、とても久しぶりのことなんだ」


 どう言葉を返せばいいのかわからなかった。なので、笑顔を返した。


「今から行く先には、きっとハルが今まで見たことのないものがいっぱいあるよ」

「それは興味深い。地球の海の生態を直に見られるまたとない機会を設けてくれたことに、感謝する」


  楽しいという感情は、わからないかもしれない。けれど、地球の海がハルにとって、何らかのものを残してくれればいいなと、美月は思った。


 あの海には、浜辺にも岩陰にも浅瀬にも、見たことのない生き物がいっぱいいた。当時はわからなかった生き物も、今はハルがいるから、正しい名前を知ることができるかもしれない。それを思うと、自身の体が、夏の太陽のような高揚感に包まれていくのを感じた。


「む~む~」

「ピイ!」


 ココロが、窓の景色から顔を逸らした。ちょうど抱っこをしているハルの、トレンチコートの胸元の部分を、きゅっと掴む。その間にシロが、眠ったまま全く動かないクラーレのもとに移動した。軽く翼を動かして膝の上にジャンプし、ココロのように、胸元に両手をかける。


「う」

「ピ!」


 ココロが掴んだ場所から、何かをむしり取るような動きをした。シロが両手を、上から下に一気に動かした。


 ぽろり、と、本来聞こえないはずの擬音を立てながら、二人の胸元から何かが落ちた。床に転がったものを、美月は目を凝らして確認した。小さなカプセルが、そこにあった。


「ぎゃああああああああ!!!!!!」


 高い悲鳴が車内に響いた。そちらに視線をやると、バックミラーに、浩美の驚愕したような目が映り込んでいた。そして更にその後ろには、頭部がブラウン管テレビの形をした存在と、ペストマスクをつけた存在が、座っていた。


「ど、どうしたんだ浩美?」

「な、なにあれ!!!」


 バックミラーに今度は、浩美の後頭部が移った。代わりに先程の目は、美月のほう、美月よりも後ろに向けられた。


 ぶわっと、大きく空気の動く気配が隣から伝わってきた。穹が、浩美の視界を遮るようにして、助手席の背もたれを掴んでいた。


「ねえあの看板に書いてある文字なんて読むの! 教えてくれない!」


 穹がフロントガラスの先を指さす場所にあった看板は、あっという間に通り過ぎていった。


「うん? ごめん、読めなかった」

「弦幸、何も見ていなかったの?! い、今の何、なんなの?!」


 浩美は、顔を何が何でも後ろに向けようとした。しかし向けた先には、穹しか見えない。


「え、今のってなんだ? ……って穹、立たない、危ないぞ!」

「穹、そこ退いて!」

「ごめんなさい、テンション上がっちゃって。母さん、どうかしたの?」

「み、見なかったの?! う、後ろの席に何か、何かいたのよ!!!」

「え、何もいないよ? 姉ちゃんは何か見た?」


 美月は無言で首を振った。左右に、大袈裟に大きく振った。


「見てみなよ、何もいないよ」


 穹がもとの席に座り、浩美はがたがたと震えながら、振り返った。美月も、後ろを見た。その先にある後部座席は、空っぽで、誰も座ってはいなかった。


「あ、あれ……?」


 信じられないとばかりに浩美は目をぱちぱちと瞬きし、ごしごしと両目をこすった。


「母さん、何を見たの?」

「あ、頭がテレビをした人間と、妙な形をしたお面を着けた人間……。確かに、後部座席に座っていたはずなんだけど……」

「浩美、そんなのいるわけないだろう……」


 バックミラーで後ろを確認した弦幸が、心配そうに言った。


「そうだよ何言ってるの幻覚だよ幻だよ!」


 美月は笑い飛ばしながら、滲み出た汗を拭った。あれだけわくわくとしていて熱いくらいだった体が、今は氷点下にまで落ちている。「いるわけないいるわけない!」と何度も重ねながら、美月は後部座席のことを思った。


 そうだ。確かに座席にはいない。座席には。浩美の見たものは、確実にこの世に存在する。具体的には、後部座席の、床にいる。


「うん、やっぱりいない!」


 後部座席を覗き込み、確かめた。やっぱり、いる。床にしゃがみこみ、できるだけ背を丸めて小さくなっているハルが。寝ている途中で起こされて床に引きずられ、現実を掴み切れておらず、マスクの下で呆然とした表情を浮かべているであろうクラーレが。


「うーん……?」

「疲れてるんじゃないか? 大丈夫か?」

「そうだよ母さん疲れてるんだ! 寝てたほうがいいよ!」


 釈然としない様子の浩美だったが、主に穹に押し切られ、そうね、と頷くとシートを倒し、まだ納得しきれていない目を閉じた。


「ナイスよ……!」


 小声を心がけたつもりだったが、穹は物凄い速度で美月を振り向き、自身の人差し指を口に当てた。形相も含めて、静かに、というより、黙れ、というニュアンスが強いように思える仕草だった。


 そっと、もう一度後ろを見た。自分のクリアカプセルを触るココロの手を、ハルがたしなめているところだった。クラーレは更にぐったりとして、膝の上で好き勝手に跳んだり跳ねたりしているシロに、されるがままになっていた。二人の胸元には、間違いなく、クリアカプセルが輝いていた。

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