phase1.1

 顔のないハル以外の全員、目を見開き無言のままで、美月にのってくる者は誰一人としていなかった。温度差に気づかない振りをしながら、美月はどうして急に海に行こうと言い出したのか、昨晩の経緯を説明した。


「それで、夏のワクワクハラハラドキドキ仲間の絆強化合宿とは、何だ?」


 ハルが丁寧にも作戦名を反射してきた。


「皆で海行って、距離を縮めて絆を深めるのよ!」

「具体的に、どうするんだ? 合宿とは、スポーツや研究などを共にする人達が、一定期間泊まりがけを行い、能率や強化を行うものだが」

「絆を強化するんだから、つまり、遊ぶのよ!」


海があるから遊ぶのではなく、遊ぶために海がある、というのが美月の持論だった。


「青い海で泳ぎ、白い浜辺で砂遊び! そうすれば不思議と、目に見えない絆が堅くなっていく!」

「楽しそう! いいね、美月!」


 仕事をする直前の暗殺者のような目をしていた未來が、ようやくいつもの笑顔に戻ってくれた。クラーレの確執など忘れたように、目を輝かせている。


「姉ちゃんらしい作戦だなあ……。まあ、いいか」

「ミヅキの言うことは確かに理にかなっている。仲間内の結束を固めるには、共通の場所に赴き、共通の時間を過ごすことが、手っ取り早かったりするからな」


 うん、と頷き、笑うべき時と判断したのか、ハルの口角が機械的に上がった。


「宇宙船はちゃんと偵察の目から隠しておくし、私も細心の注意を払う。むしろ、外に出たほうが、敵の目から欺きやすくなるかもしれない」

「決まり決まり-!」


 室内の中心は、わっと賑やかで、まるでそこだけ光が集まったようになっていた。

「言っとくが、俺は行かない」


 氷が落とされたように、しんと静かになった。そこでやっと、部屋の片隅が、暗く、冷たい場所になっていることに気づいた。


 何言ってるの、と美月は言った。ここ数日、あまりクラーレの姿を見たことがなかった。宇宙船に来てもいつも姿が見えず、ハルに聞けば、ハルの用意した部屋に必要なとき以外は入ったっきりで、出てこないのだという。


「クラーレこそ外に出なきゃダメよ。ハルから聞いたよ、宇宙船から一歩も外に出てないって」

「せっかく良くなってきたのに、これで暑い中外出たらまた体調崩すだろ」


 いかにもだるそうに首を振り、なんでそんなこともわからないんだとばかりにため息を吐かれた。


「逆、逆! 体力つけたほうがいいし、なんならただ座って太陽の光浴びてるだけでいいんだよ!」


 こうやって、と体育座りの格好をした美月に、クラーレは無遠慮に冷たい視線を投げつけた。


「俺が行く意味無いだろ」


ゆっくりと立ち上がり、彼は美月を見下ろしてきた。


「絆とやらを強化したいとは思ってない、というか仲間じゃない、そもそも他みたいに行きたがってるわけじゃない。なんで嫌がってるところを無理矢理行かせようとする? それはただ、自分の思い通りになりたいだけの、我が儘だ」


 穹が怯えたように体を震わし、未來がかっとクラーレを睨み付けてきた。美月はそれを手で制し、首を上に向け、クラーレを見上げた。


「それもそうだね。我が儘だよ。……間違ってない」


クラーレの片方の眉がぴくりと動いた。


「……お母さんから話聞いて、この作戦が思い浮かんだ時、私、凄くうきうきした気持ちになったの。ここにいる皆で海行ったら、きっと凄く楽しいだろうなって。ハルや、ココロやシロや、クラーレに、地球の海を、自分の目で見てもらいたいなって、そう思ったの」


家族で海に行ったときには出来なかったこと、経験しなかったことが、ここにいる皆となら体験できるかもしれない。そしてそれは、この先きっと、かけがえのない大切なものになるかもしれない。美月は、そう感じたのだ。


「楽しくないと思ったら、すぐに帰っていいから。でも私は、皆と海に行ってみたい。私は、そこにクラーレもいてほしい」


 ふい、と黄色の目が背けられた。今までずっと、きつい目で睨んでいたというのに。


「……なんで、そこまで」


 発せられた声は、からからに掠れていた。


「クラーレといたら、楽しいと思うから」


  瞬きする目は、細められて怪訝そうで、不満そうだった。さすがに、この理由では納得できないのだろう。


「他の理由は……ごめん、わからないや」

「わからないって」


言う時、一度クラーレは声を詰まらせ、咳払いをした。手で口を押さえたまま、はあ、と長い吐息を吐いた。


「もういい」


 美月の横を歩き去って行く。どこに行くのかと振り向いたとき、ばたんとリビングのドアが閉められた。クラーレのほうは、振り向かなかった。


「……大丈夫かな」


 まだ体も本調子とは言い切れない様子だった。出発当日、クラーレだけがいない風景を思い浮かべながら、美月は俯いた。


「ま、平気なんじゃないかな。……本当に美月って、美月らしいね」


 しかし周囲は、全く何も気にとめていない模様だった。未來は腰に両手を当て、やれやれとばかりに笑っていた。


「体温、脈拍、呼吸から判断して、クラーレは当日、行くという選択肢を取る可能性が限りなく高い」


 床の上を、縦横無尽にはいはいするココロに近寄りながら、ハルはさらりと業務報告でもするかのように言った。


「……なんか全部ばれてるクラーレさん、可哀想だなあ」


  穹が力なく苦笑する。ばれてる、というところを美月が反芻しようとしたとき、ハルが頭部のテレビ画面をこちらに向けた。


「断言は出来ないが、恐らく大丈夫だ。美月の、全員で海に行くという願いは、叶うだろう」


 ぱっと目の前に、陽の光を反射させて輝く、真っ青な水面が見えた。そこには、穹が、未來が、ハルが、ココロが、シロが、クラーレがいる。


 美月は自分でも気づかぬうちに、ありがとう、と言っていた。出発の日が、やたらと遠く感じた。





複数名の研究員から書類を受け取り、話を聞いたプルートは、常に持ち歩いている、真っ黒な電子端末の画面に目を落とした。グラフや数字にサーチアイを走らせ、そこから導き出される解答に向けて計算をし、出力する。その出された結果が、今課せられている指示にそぐうものでなかった。更に踏み込んで演算しようとしたとき、ぱさりと耳にかけていた真っ黒な髪が垂れてきた。


 無感情に髪を再び耳にかけたところで、背後から部屋の扉が開く音が響いた。途端、室内の雰囲気がにわかに変わった。部屋にいる研究員達の間に、動揺が走っている。その空気を察せずとも、プルートは何が起きたかすぐに理解した。


 歩き方や熱反応等々、様々な事象から分析した結果、部屋に入ってきた人に向き直り、その名を口にした。


「こんにちは、ネプチューンさん」


 そこにいたのは、見た目年齢ではプルートと同じかそれよりも少し下くらいの、12歳くらいの少女が立っていた。この研究所で、プルートも場違いだが、彼女は更に場違いだった。


「ご機嫌よう、プルート」


 ネプチューンと呼ばれた少女は、フリルのたくさんついた、丈の長いスカートの裾をつまみ、うやうやしくお辞儀をした。

肩までの長さをした、薄い水色の縦ロールの髪型が弾むように揺れる。濃い緑の目は宝石のような輝きを秘めており、身に纏っている服は、紺と黒を基調にフリルとレースやリボンを多用した、人形が着るようなデザインの代物である。


「ここに何のご用ですか?」

「プルートはここにいるとお伺いしましたの」


 花の髪飾りがついたヘッドドレスを直しながら、ネプチューンは手を前で組んだ。


「私に何かご用ですか?」

「今度、わたくしが例の星に向かうことが決まりましたので、ご報告に参りましたのよ」


 うふふ、と可憐なはにかみを見せた。


「そうでございますか。しかし、申し訳ありませんが、私個人に今現在お伝えする理由が、理解できないのですが」

「あら、そんなの、プルートに真っ先にお伝えしたかったからに決まっておりますわ」


  プルートはネプチューンの行動理由がわからず、ぱちぱちと瞬きした。重ねて説明を求める前に、「わたくし、とってもわくわくしておりますのよ」と、話題を変えてきた。


「今まで何だかんだ言いつつ、例の星に行くことが出来ていませんでしたもの。今か今かと、待ちわびていましたのよ」

「ネプチューンさんは他のセプテット・スターよりもずっと年齢が幼いのです。安全面などを考慮すると、それも致し方ないかと」

「わかっておりますわ。けれど、わたくしだけ半人前のような扱いをされているようで、ずっと気分が悪かったのです」


 ネプチューンは少し口を尖らせた。が、すぐににこっと笑いかけてきた。


「それとですわね、プルート。せっかくこうしてわたくしの“出張”が決まったわけですし、これから一緒にお茶をいたしませんこと?」

「また、ですか? 二日前に、お茶をしたばかりかとみられますが」


 ネプチューンはこれまたプルートに理解できないのだが、頻繁にお茶会や買い物に誘ってくる。


 その理由というのが、ダークマターでもバルジでも外見年齢が近いのはネプチューンの他にプルートしかいないので、仲良くなりたい、というのが、わからなかった。

 どうして自分と仲良くなりたいと考えるのか、プルートはずっと分析と計算を続けても、確証を得られる答えを導き出せていなかった。


「珍しい茶葉と、有名なお茶菓子が手に入ったのです。どちらも滅多にお目にかかれない貴重な代物でございますわよ?」


 さあ、とプルートの無機物で出来た硬い手首を、柔らかく握ってきた。プルートはそれをさりげなく払いながら、丁重に頭を下げた。


「お誘い誠にありがとうございます。ですが、ただ今、手が離せない状況にありますので、申し訳ありませんが、お断りさせて頂きます」

「なぜですの?」


ふっと、ネプチューンの目の色が変わった。声音は低くなり、据わった目つきになった。


「ウラノスさんから指示を承っております。そちらのほうが優先度が高いと判断したため、申し訳ないですが、そちらのほうは日を改めさせて下さい」

「それは、わたくしのお誘いよりも、大事なことなのですか?」


「大事です。ハルの居場所を見つけ出す手がかりを探るという、とても大切な仕事です。もしうまくいけば、事態は大きく好転するのです」

「そう言って、いつまで経ってもハルは捕まっていませんわよね?」


 自身のふわふわにカールされた髪型をいじりながら、ネプチューンはまるですねたように言った。プルートはそんな彼女に、持っていた端末の画面を見せた。


「簡単に説明をさせて頂きます。ハルは、実際に自身から発せられる電磁波の周波数と、ダークマターの偵察機が観測する周波数の数字を、意図的に変えています。つまり、こちらが観測する周波数と、ハルの実際の周波数とは違うということです。ハルの潜伏先である宇宙船も、同じ原理が使われています。現時点、ハルは監視の目をかいくぐり、欺いているのです。なので今、本来の周波数を観測する方法を、探っているというわけです」


「ですが、偵察機の性能をいくら上げても、ハルのその周波数を観測できないと、大人達が言っておりましたわ」


「ダークマターの観測する偽の周波数は、例の地球という星で広く使われている、様々な電化製品から発せられる周波数と、同じになっているのです。なので観測した電磁波が、ハルなのか、それとも本当に電化製品なのか、判別がつかないのです」


 ですが、とプルートは端末を操作した。


「逆に見分け方がわかれば、ハルは無防備に近くなります。捕獲する可能性も大きく高まります。その方法を、ただ今研究中なのです。ネプチューンさん、どうかご理解下さいませ」


もう一度頭を下げると、相手は短い吐息を吐き出した。


「そんなことをせずとも、私が次の出張で、ハルのことを捕まえてご覧に入れますわ」

「自信がおありで?」

「もちろんですわ」


 ふふっと、意味ありげな笑みが一瞬だけ浮かんだ。


「ですが今回、ネプチューンさんにとって、プレッシャーが大きいものになるのではないかと推測されますが……」

「あら、わたくしは緊張なんてしていませんわよ。全て、完璧にやり遂げてみせますわ。ハルも、その仲間も、パルサーも、全て捕らえてみせます」


 体温や呼吸から分析するに、本当に緊張していないようだと、プルートは判断した。今回、ネプチューンが出向く先にある地点。そこは、パルサー出現予測ポイントになっている場所だった。しかも、出現する可能性が極めて高い、いわゆるホットスポットになっている。


「周辺の状況を把握しておくためにも、作戦を練るためにも、早めに出発して、張り込んでおきますわ。……うふふっ、それにしても楽しみですわ。そんな暇無いとわかっておりますけれど、ちょっとしたバカンス気分を味わえそうです」


 今回、ネプチューンが向かう先は、仕事でなく私用であれば、バカンスを楽しむ際に王道である場所だった。はい、とプルートは同調した。


「いつ頃出立の予定で?」

「そうですわね、今からにしましょうかしら」

「今から……ですか?」

「本当は、夜に行くつもりでしたの。出発前に、あなたとお茶をしたいなと、そう思ったのですのよ。でも断られたので、もう行ってしまいますわ」


つん、と小柄な少女は軽くそっぽを向いた。プルートは、深く深く頭を垂らした。


「そうとも知らずに、先程はご無礼を働きまして、大変失礼致しました」

「いえ、もういいのですよ。それに、やっぱり帰ってからのほうがいいですわね。帰宅したら、絶対お茶会に付き合ってもらいますわよ? 約束でございますからね?」

「はい、承知致しました」


  頷くと、ネプチューンはにっこりと、花が咲いたような、と称えられそうな微笑みを浮かべた。


「そういえば、あなたの髪、長くて素敵だと思いますけれど、不便なこともあるのではないかしら? 縛ったほうがよいのではなくて?」

「はい、確かに否めませんね」

「そうでございましょう! では、私と同じ髪型はどうかしら? お揃いですわよ!」

「ネプチューンさんと同じ、ですか。申し訳ありませんが、作業効率が良くなる可能性は低いと判断したので、申し訳ありませんがお断りさせて頂きます」


 花の咲いたような笑顔がたちまちしぼんだ。かと思うと、むっと目をつり上がらせてきた。


「もういいですわよ!」


これ見よがしに足音を立てながら、すたすたと早歩きで、ネプチューンは部屋から退出した。

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