Chapter2「夏こそ海!」

phase1「海の計画」

 7月になると、さすがに夜でも暑さが静まらなくなってくる。美月は風呂から上がった後、リビングに集まった家族が見ているテレビには目もくれず、台所の冷蔵庫に直行した。


 勢いよく冷凍庫をの扉を開くと、途端にふわんと冷気があふれ出す。心地よいその空気をかき分けながら、その奥にあるアイスを取り出そうとしたとき、「あ、そういえば」と、浩美が声をかけてきた。


「お母さんとお父さんね、来週の日曜日、綾波市に行くことになったから」

「あれ、どうかしたの?」


 美月が聞こうとしたことを、代わりに穹が尋ねた。


 綾波市は、この町から車で一時間半程かかる、海辺の町だ。小さい頃、海水浴のために家族で何度か遊びに行ったことがある。


 美月は袋を開けて、アイスバーを口に含んだ。ひんやりとしたソーダの味が広がるのを感じながら、綾波市の真っ青な海のことを、脳裏に蘇らせた。


「お父さんの料理人時代の知り合いが、今度綾波市で開かれるお祭りに、ミーティアも出店しないかと、誘ってきたんだよ」


 答えたのは弦幸だった。


「祭りといっても、お盆にやるような夏祭りじゃなくて、フェスのようなものに近いんだ。色んな食べ物屋さんが集まって、屋台を開き、自慢のメニューを振るう。せっかくだし、新しくお客さんを呼び込める良い機会なんじゃないかと思って、引き受けたんだよ」


 弦幸は壁に掛けられているカレンダーを指さした。7月13日の土曜日から15日の月曜日までの間、赤いマジックで線が引かれている。


「開催は13日から15日で、お父さん達もその間祭りに参加するんだ。その三日間は、向こうの旅館に泊まることになっている」

「15日は海の日で祝日だけど、美月と穹は留守番する?それとも一緒に来る? おじいちゃんは、家で待ってるって言うけど」

「それって、海に行くってこと?!」


 興奮したように美月は声を上げ、危うくアイスを落としそうになった。突然のことに穹も混乱したのか、忙しなく両親の顔に視線を交互に移している。


「ええ、そういうことになるわね」

「行く! 絶対行く! 海行く! 穹は?!」

「えっ、あっ、い、行こうかな! せっかくだし」


 反射的に言ってしまったような口調だったが、とにかくこれで、穹も一緒に行くことが決定した。


「あ、でもそれだとじいちゃんが一人に……」

「そうなのよね、私もそれが心配で……。お父さん、本当に大丈夫?」


 浩美は心配そうに、自分の父である源七を見た。


「家のことも他のことも全部出来るし、いつもとやることは変わりない。大丈夫じゃよ」


  源七は屈託なく笑った。それでも穹は後ろ髪を引かれているようだったが、美月は、特に大丈夫だろうと思っていた。

自由に掃除や料理をしたりするなどして家のことも一通りこなせるし、趣味やボランティアのためにちょくちょく外出したりと、70半ばというのに高い行動力を持つ祖父のことだ。むしろ三日間の一人の時間を、楽しみにしているようにも見える。


「美月と穹は楽しんでおいで。浩美と弦幸君は、存分にミーティアを宣伝してくるんだよ」

「よーし決まり決まり! 週末は海で過ごそ-!」


 アイスを落とさないよう注意を払いながら、美月は万歳した。


 あの場所に行くのは、恐らく4年か5年ぶりだ。その時の綾波市の海は、それはそれは綺麗だった。その上、とても楽しかった。どこまでも青い色が、水面の果てまで続いている海。そこで飽きるまで泳ぎ、泳ぎ疲れたら浜辺でまた飽きるまで遊ぶ。すっかり遊び疲れてもう動けなくなったその日の夜、座って星を眺めた。


 あの海は今一体、どうなっているだろうか。貝殻を拾い、お城を作った浜辺は。練習がてら泳いで、結果少し水泳が上達した、あの海は。砂の熱さと潮の香りを思い出していると、すっと音も無く、穹が隣に立った。


「行くのはいいけどさ、姉ちゃん。どうするの?」


 リビングのテレビの音量は大きく、小声で話す穹の声はまず聞こえないだろう。それでも細心の注意を払うように周囲を注意しながら、穹は耳打ちしてきた。


「何がよ」

「ハルさん達のことだよ」


 あ。という大きな声が出たが、ちょうどテレビから大きな笑い声が響いてきたので、両親や祖父には聞こえなかった。


「でもほら、宇宙船にいれば安全でしょ?」


 日々、ダークマターの追跡から逃れる為、電波妨害などを筆頭にあらゆる手段を使い、ハルは偵察の目から、宇宙船と自分の居場所を隠している。そのおかげか、先月のマーズの襲来以降は、ダークマターの面々が押しかけてくるといったようなことは起きていない。


 だが穹は、呆れたように首を振って否定した。


「ボディーガードがそんな心意気でどうするのさ。万が一ということがあるでしょ? 帰ってきた時、ハルさん達が皆いなくなってたらどうするの?」

「……一生後悔する」


 しかし、海風と波音と砂浜の脳内映像が、美月を魅惑的に手招きしているのだ。が、自分達がいたら防げたかもしれないものを、いなかったせいでハル達が捕まってしまったらと思うと、考えただけで頭を抱えたくなる。


 実際、アイスを食べ終わって自由になった両手で頭を抱え込んだときだった。特大の花火が打ち上げられたときのように、頭の中が光った。


「思いついた!」

「嫌な予感しかしないなあ……。で、何?」

「明日言うよ、ふふ、これはいいわね!」


 もしかしたら自分は天才かもしれない。風呂上がりと夏の暑さのせいか、浮かれように拍車がかかる頭を揺らしながら、美月は即興の鼻歌を口ずさんだ。そんな姉の背中を、弟はひたすらに冷ややかな目で見ていた。




 日増しに太陽の光は強くなり、温度も高くなっていく。ひとたび裏山に立ち入れば、生い茂る木々のおかげで直射日光は避けられるが、代わりに360度を蝉の声で囲まれるし、気温は変わらない。


 暑苦しい山中で、宇宙船内はいつも涼しかった。エアコンは部屋にないが、常に寒すぎず暑すぎず、絶妙な温度に保たれている。壁かどこかに、優れた空調機能でもついているのかもしれない。まさしく極楽であり天国なので、美月は梅雨頃と比べると、宇宙船に来る頻度が高まり、時間も延びていた。行ったら必ずハルから勉強の指導を受ける羽目になるのでそれは嫌だが、その後のお茶をしながらのハルの宇宙の話を聞くのは楽しかった。


 未來は美月ほどは来ていなかったが、やはり涼しいのが好きなのか、ここのところ結構な頻度で来ている。一緒に宇宙船に向かうことはあまりないので、現地でふらっと現れたところを落ち合うという感じだ。


 穹に関しては、ほぼ毎日といっても過言ではない。さすがに美月も友人らとの用事があったりなどで毎日は無理なのに、穹は一体なんなのだろうか。


 ハルに聞けば、通訳のバッジを使って、書斎の本を読んだりなどして過ごしているらしい。それと何か、こっそり隠れてやっていることがあるようだが、口止めされているからと、ハルは教えてはくれなかった。


 ともかく今日もこうして宇宙船で、美月と穹と未來が集まり、予習復習と宿題を教わってもらった後、お茶会をしている。今日のお茶受けは、美月が自分で作ったクッキーで、シンプルで飾り気のない作りだったが、各自から中々の好評を貰えた。


「ふむ……。これには、隠し味でシナモンと、ブランデーが入っているな。おかげで味に深みが増している」

「正解!」


 ハルは相も変わらず分析するだけにとどまる口ぶりだったが、隠し味とその効果をわかってもらえたことが嬉しかった。


「それはかぼちゃクッキーで、こっちは紅茶。これがチョコで、それがシナモン。あれが、ちょっとレモンが入ったプレーンね」

「美月、どれも凄く美味しいよ!」


 未來は本当に美味しそうに食べていた。手がどんどん伸びていくところを見るに、気に入ってくれたようだ。満たされた胸を、ふふんと反らした。


「今回はあんまり面白味のない見た目になっちゃったから、今度はデコレーションやアイシングに凝ったものを作ってみたいなと思ってるんだ」

「これでも充分美味しいと思うよ?」

「ほら、いつか私がミーティアを継いだときに、メニューとして出せられないかなって。研究中なんだ」


 そっかあ、と尊敬の目つきで見られると、こそばゆくなってくる。気を鎮めて紛らわすために、美月はプレーンクッキーをかじった。


 聞き心地の良い歯ごたえに、しつこくない甘さ。なかなか上手く出来たと、自分でも思う。さっきまで理系科目でフルに使って疲れ切った脳に、糖分がじんと染みた。


 が。この甘さが通じない相手が、一人いる。


「あのお、クラーレさん、お、お茶をどうぞ……」


 そ~っと、ライオンにでも近づいていくかのように、穹は部屋の隅にいるクラーレに、皆で飲んでいるお茶を持って行っていた。手の揺れはカップに伝わっており、かちゃかちゃと派手な音が立ち、紅茶の水面には波が立っている。


クラーレはナイフのような眼光を、紫の前髪の隙間から穹に浴びせてきた。隠す素振りも見せず穹はヒイッと大声を上げ、「いらないですよねそうですよねごめんなさい!」とダッシュで戻り、逃げ込むようにハルの隣に座った。


 はあーと長い息が吐き出され、クラーレの視線は下に向けられた。膝の上にはシロがおり、クラーレの手から、美月のクッキーを食べている。クッキーは美月がほぼ強引に押しつけたのだが、クラーレは一つも食べておらず、代わりにシロが食べている。シロは耳と尻尾をぱたぱたと振って、ぱくぱくと食べている。


「ねえクラーレ? せっかく美月が持ってきたクッキーを……というか人が作ってきてくれたものを食べないってどういうことですか?」


 ちょうどいい涼しさで保たれていたはずの室内が、突如ぞわっと寒くなった。美月は鳥肌立つ二の腕をさすりながら、「いや、いいんだよ未來」とそちらへ顔を向けた。


「ううん、だめだよ。ねえクラーレどうしてですか?」

「……うるさい」

「私は別にうるさくなんてしていないでしょう? クラーレの耳ってどうなってるんですか?」

「……あんた喧嘩売ってんのか」

「売ってるんじゃなくて、買ったんですけど?」

「……」

「睨んでるだけじゃわかりませんね。言いたいことがあるなら、ちゃんとはっきり言葉にして下さいよ」


 未來は雰囲気が笑っていない笑顔を身につけ、クラーレは完璧に剥き出しにされた敵意を身につけている。


「二人ともやめなさい。ミライ、やりすぎだ。それ以上はいけない。クラーレも、少しはその態度を改めるべきだ」

「煩わしい」


 穹がこれ以上大事になりませんようにと叫んでいるような顔つきをしたが、クラーレは知ってか知らずか、はっと嘲笑した。


「ここにいる連中全員嘘臭いんだよ。胡散臭いロボットにほいほいついてってる人間の構図。傍から見れば滑稽すぎんだ。あんたらは全員おかしいね」


 穹はシロに向かって「こっち来なさいシロ!」と小声で手招きし、シロは穹の言われたとおり尻尾を振りながらクラーレの膝から下りて穹の足下まで走り、ハルはこれ以上無駄だと判断したのか、はいはい中のココロのおむつ換えの準備を始め、クラーレは「もう一度言う、あんたらはおかしい」と冷笑した。


「……表出てくれない?」


 未來から笑顔が消えた。ドアへと指を指す姿から、見たことない気が発されているのが確認できた。表情と声音と雰囲気から、恐らくそれは殺気というものだと、美月は感じ取った。


「あれで怒るのか。やっぱ変だな。まるで、人間が機械に操られているように見える」

「そう、それが最後の言葉でいいんだね」


  未來がコスモパッドに手をかけ、ハルが「ミライ!」と大声を出したときだった。


 美月は勢いよく立ち上がった。だん、と足を鳴らして立ち上がった。そして目の前のテーブルを割る勢いで、両手で叩いた。食器類が甲高い音を立てた。


「由々しき事態です!!!」


  呆然とした穹と未來とクラーレの視線が集まるのを感じながら、止まらずに声を張り上げた。


「せっっっかく! クラーレが仲間になったというのに!」

「仲間にはなってない」


 ぼそっとした声は、聞かなかったことにした。そんな台詞は今、飛び出してはいないのだ。


「このバラバラさ、ギスギスさ! なんということ! これはいけない! そう思いませんか、ハル!!!」

「確かに、チームが纏まっていないというのは、ミヅキの言ったとおり、由々しきことだ」


 うんうんと、おむつ替え道具一式を手にしながら、ハルは頷いた。


「でしょう! このままでは、仲間が増えたというのに!」

「だから仲間じゃねえ」


 怒気が含まれていようが、そんなものは聞いていない、耳に入っていない。


「逆に危険! なので! 早急に! 結束力を高めねばと! 私は今! 決意しました!!!」


 人差し指を高く上げる。天井を、その更に上にある空と、太陽を指すかのごとく。


「え、姉ちゃんもしかしてそれって昨日の……」

「皆で! 海に! 行きましょう! 名付けて! 夏のワクワクハラハラドキドキ仲間の絆強化合宿!!!」

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