phase3.2
のし掛かるような重い空気に、ジュピターは苦悶の表情を浮かべそうになっていた。そんな顔をしようものなら更なる追求がかかることは目に見えているので堪えているが、果たして隠せているかどうか。
満ちた空気が重い原因は、まずこの部屋そのものにある。幹部社員集団であるセプテット・スターの中で最も一番上に属する正真正銘のトップに部屋にいるからだ。他の星でいうところの社長か、それよりも更に強い権限を持っているかもしれない。
現の部屋の主は、机から刺さるような低い声音を浴びせてきた。
「……ターゲットを捕らえるどころか少しばかりの接触もできずに戻ってくるとはな」
「ご、ごめんねえ……」
ジュピターは深々と頭を下げた。わずかにみぞおちの辺りに電流のような痛みが走った。
自他共に認める胃腸の強さが自慢だったが、この人相手とならば話は別だ。一番上に立つ者故の容赦のなさと、圧迫感が桁違いだ。
頭を上げた先で、部屋の主のサターンは、手を動かしながら、こちらに鋭い眼光を投げかけていた。夜を思わせる紫紺の瞳は鋭利な刃物のようで、濃い紫髪がそれを際立たせている。目は逸らされないのに、手元はずっと忙しなく動いている。
何十枚もの書類が置かれた机の上で、備え付けられたコンピューターと、ホログラムで浮かび上がる映像のキーボードを両手で叩いている。タイピングは正確で、つっかえる様子を見せない。一度ちらりと手元に目を落としてから、すぐにサターンは紫の目を上げた。
「あの、ウラノス君が勝手なことして向こうの星にある重要なものを壊しちゃったらしいので、事後処理をしようと思ったんだ。でも着いたらプルートちゃんから、もう壊れたことそのものが町に出回っているので、今直したらもっと騒ぎが大きくなるからすぐ戻ってこいって連絡が入って。作戦とか全然考えていなかったから、ターゲットを探す時間もなくて、その……」
だん、と一際大きいタイピングの音が響いた。ジュピターの口からは台詞が出てこなくなり、息しか漏れなくなった。
「謝罪の言葉を考えている暇があるなら、その時間を、策を練るなり行動に移すなり、少しでも組織に役立つことをしろ」
手を止めたサターンが、人を殺せそうな目で射貫いてくる。はい、とジュピターはただ頷くしか出来なかった。
「……やっぱり僕は、ここで皆さんの役に立てる気がしないよ。そもそも僕はファーストスターの出身ではないし、だからこの星の文化や社会の考え方とも合わないんじゃないかなあ……」
「セプテット・スターを選ぶ基準は実力だけだ。お前には、力がある。技量がある。セプテット・スターが務まると見抜いた、先代の目に狂いはないだろう。ジュピターのコードネームを継いだのなら、それに見合う働きをしろ」
「そ、そんなのないよ! 人を動かす力も行動力も指揮力も僕個人の力も、全部力不足だよ!」
どうしてそこまで買いかぶるのか、気が知れなかった。懸命に否定しても、サターンは聞く耳を持とうとしない。
「ならばまず結果らしい結果を出せ。全てはそれからだ」
視線を落とし、キーボードを叩き始めた。
「話は以上だ。下がれ」
時折机の書類を見ながらコンピューターとホログラムのキーボードを叩く彼の意識は、もうジュピターには向けられていなかった。これ以上何かを言っても、叱責を受けるだけに終わるだろう。はい、と相手に届くか届かないかくらいの声量で答えた後、ジュピターはきびすを返した。
「……現セプテット・スターが全員このメンバーであるからこそ、“あの計画”は遂行できる。お前は抜けてはならない人材、それを頭から忘れるな」
空気は変わらず重い。その空気よりも重たい言葉が、背後からかかった。
トップが働くこの部屋は、機械類で埋め尽くされている。正確にいうとコンピューターの類いだ。それと書類や、書籍をしまう本棚もそびえている。
サターンの意向によるこの部屋は、非常に無機質で冷たい空間だ。部屋と同じように、その主も無駄を嫌う。
重々しい音を立てて開いた自動ドアをくぐり、そのドアが閉じた瞬間、ジュピターは体中から吐き出すようにして、息を漏らした。
お腹は痛む。加えて、空く感覚がある。それに気づいたのは、ダークマター本社を出てからすぐのことだった。緊張しすぎたから当たり前だよねと、ジュピターは幾度も経験したこの感覚に対して頷いた。
後ろを向いて振り仰ぐと、そこには天まで届くかのような背の高い建物がそびえている。身長の高い建物が多く建ち並ぶ中でも群を抜いて大きく、高い。鋭利にそそり立ち、無駄と隙が無いシンプルなデザインに、有無を言わせぬ黒色。ずっと見ていると、息が詰まりそうだし、痛みもひどくなりそうだ。
その足下に建つ建物に、ジュピターは視線を移動させた。次の瞬間には、足がそこに向いていた。
四角い建物が多い近辺では珍しく、屋根のついた建物であるそこ。自動ドアをくぐると、多くのテーブルと椅子が並ぶ空間が、そこに広がっていた。
お昼時になると、この場所は人でいっぱいになる。なので天井に備え付けられたパネルで、どの席が空いているかを見られる他、予約もできる。そのパネルを見上げてみると、今は時間ではないためか、空席情報で埋め尽くされていた。
とりあえず調理場に、と歩き出したときだった。見知った顔と、聞いたことのある声が、飛び込んで来た。
「ビーナスの誰でも良さ加減はとんでもないなあ、相変わらず。男の心専門の狩人だな」
「利用できるものを利用して何がいけないの? 私は自分の美しさをよく知っているし、それが最大の武器ってことを考慮しているのよ。合理的じゃない?」
今やっと昼食にありつけたの様子の三人が、固まって座っていた。およそこのような食堂には似合わないような、そうそう足る面子であった。
「いつか刺されるんじゃないか?」
「恨みを買うようなことはしないように気をつけているし、逆恨みされそうになったときの対策もちゃんとしてあるわ。そこまで馬鹿じゃないわよ、私も。それに部下や社員やバルジの研究員にはすり寄らないようにしているし」
マーキュリーとビーナスの横で、マーズは他の二人よりも多い量の食事を摂りながら、ビーナスの言葉に相槌を打っていた。
「色目と媚びの大安売りだな、値段下げすぎると価値なくなって今に誰からも見向きされなくなるぞ……って痛い!」
だん、と真顔のビーナスが、器用にマーキュリーのすねを蹴り上げた。
「そこまで安売りしていないし、悪い噂の一つも立たないように最大限努力しているし、むしろ私は高嶺の花のようなイメージを作っているのよ。そういう努力を知らないあなたが偉そうに言わないでくれるかしら」
「そうだそうだ! でもビーナスちゃん、もし泣かされたら言ってくれ! そいつのこと、あたいが宇宙の果てまで吹っ飛ばしてやるからな!」
「あら、ありがとう」
「……たまには俺のことも庇ってくれよマーズ……」
軽くマーキュリーが机を叩くと、女性二名の眼が急激に冷えていった。
「細かい人間は嫌われるわよ? そんなんだから良いお相手が未だに見つからないんじゃないの?」
「お一人様だなあんた!」
「言っとくけど私はあなたを貰ったりしないわよ」
「あたいもお断りだな! 絶対嫌だね!」
「俺はなんでこんなに言われなくちゃいけないんだ?」
はあ、とため息を吐きながらマーキュリーが視線をうろつかせたとき、ジュピターと目が合った。慌ててジュピターは挨拶し、他の三名もすぐそれに返した。
「どうしたんですジュピター。あ、もしかしてサターンさんのお説教の帰りでしょうかね?」
「うわ、態度変えるの相変わらず上手いな……」
牽制するようにマーキュリーがマーズを睨むと、再びにこやかな笑みでジュピターに向き直ってきた。
「う、うん、そうだよ」
「結果出せとかって、言われたんじゃないのかしら?」
口元を拭きながら、ビーナスは流し目でこちらを見てきた。
「あ、当たりだよ。よくわかったね」
「あの人の口癖だものね」
「何かって言うとサターンは結果を求めてきますからねえ。私も支社の仕事で上手くいった日は何も言われないのに、上手くいかなかったらお叱りを受けてしまいます」
ああそうだ、とマーキュリーの黄色い目が、きらりと光ったように見えた。
「ジュピターさんは結構叱られていますよねえ、大丈夫ですか?」
「大丈夫……とは、言えない、かなあ」
ふふ、とビーナスが小さい笑い声を立てた。
「ハル捕獲の任務も、第五本社の社長としての仕事も、あんまり上手くいっていない様子だものね」
ジュピターは浅く俯いた。自分が人の上に立つ仕事に向いていないとは、自覚している。
ダークマターには本社があり、本社があるということは支社もある。支社といってもそれだけで普通の会社の本社よりも抜群に大きな規模であり、更にその下にも子会社や支社が存在する。セプテット・スターの主な仕事は、セプテット・スターそれぞれに割り当てられた、その支社の社長業を営むことだ。
「仕事できてないっていうなら、ウラノスもひどいと思うけどな。支社は任せられないからって、その仕事だけ先代がまだ引き継いでやってるのはなかなか異例だな」
「でも代わりにバルジを任されているけれどね。特別な才能を持っている人って素敵よね」
ビーナスはそう言うが、台詞に本気の色はまるで感じられなかった。
「ビーナスちゃん、あれが素敵か、あれが?」
「……素材はいいと思うわよ、素材はね、素材は」
「黙って仕事していれば、というやつですね。開発と研究の両方の責任者を担っているわけですから、実力はおありですよねえ。この二つに限っていえば、リーダーとしての仕事も出来ていますし」
バルジは30階建てで、15階までは開発に関する部門、そこから上の階には研究に関する部門が揃っている。両方の責任者であるウラノスは、要するに、実質現バルジのトップである。
はあ、とジュピターは嘆息した。
「僕、皆の役に立っているのかなあ……。お仕事大変だよ……」
すると。ばん、と強く肩を叩かれた。そちらを見ると、マーズがいた。
「大丈夫だろ! だってほら、あたいがなんとかできてるくらいだし!」
そうよ、とビーナスも頷く。「ほら。あなた物凄い強いじゃない。いざという局面で、頼りになる人と思ってるわよ」
ジュピターは曖昧な表情になった。確かに強いのかもしれないが、それは特別なことではない、と思った。
「頑張っていきましょうよ、仲間なのですから。お叱り受けてストレス溜まったら、宜しければ私が話を聞きますよ? 私は聞き上手ですからね」
マーキュリーがにっこりと人の良い笑みを見せた。
うん、とジュピターは頷いた。釣られて、自分も笑っていることに気づいた。
お腹の痛みが取れていた。
「ありがとう! 頑張るよ!」
三人と別れた後、キッチンに繋がるドアを開けた。食堂に負けず劣らず広い調理場内で、料理をするロボットに紛れて、何名かの人間がいた。
その内の一人が突然仕事場に入ってきた人物の存在にびっくりしたように顔を上げ、更にその顔が、もっと驚いた様子のものへと変わっていった。
ジュピターの目を見て、何か言おうと口を開け、何かを思いだしたように急いで閉じた。
「そっか、今はジュピターだっけね。えーと、ジュピター君どうしたの、突然!」
大きなその声に、わらわらとロボット以外の料理人達が集まってきた。年齢も種族もばらばらだが、皆全て、ジュピターのよく知る面々だった。たちまち、ジュピターの周囲は賑やかになった。
「ただいま~! ちょっと遊びに来たんだ~」
「何々、ちょっと大きくなっちゃったんじゃないの?!」
ばんばんと背を叩かれ、ジュピターは苦笑した。
「もう大人だから成長はしないよ~」
「にしても久しぶりだねえ、元気にしてた?」
「仕事は上手くいってる?」
まさか~とジュピターは首を振った。
「毎日大変だよ~……。だから僕ね、お腹が空いちゃったんだ。何かないかなあ?」
「出た! ジュピター君のごはんコール!」
「ジュピター君はよく食べるから大好きだよ~!」
「いつものでいいかな?」
いつもの、というのはしょっちゅう食べていた肉料理のことだ。ううん、とジュピターは名残惜しげに首を左右に振った。
「それがね、さっきまで胃が痛くてね……。気になるから、優しめのものでいいかな?」
「ジュピター君がお腹痛めた?!」
「こりゃあ一大事じゃ! 隕石でも降ってくるかもしれんのう!」
「いや、いずれこうなるってわかってたぜ。食い過ぎでこうなったんだろう!」
「うん、大当たり!」
しょうがないなあ、という声が、そこかしこで上がった。
「じゃあせっかくジュピター君が遊びに来たんだし、皆でご飯食べようか!」
誰かが言うと、賛成、という声が重なり、一つの大きな声となった。
「僕も手伝うよ! 自分で食べるんだから自分で作らなきゃね!」
「もちろんだよ。でも腕がなまってるんじゃない?」
「平気平気。覚えてるよ!」
ぽんぽんと片腕を叩いてみせると、おお~と感心深げな声が広がり、更に笑顔が広がっていった。自分が笑わせ、自分のために笑ってくれている、そうわかる笑みだった。
「じゃ、消毒しておいで!」
皆に見送られながら、ジュピターは殺菌と消毒をするための専用の部屋に入った。
その部屋にある窓を、何の気なしに見た。その向こうには空が広がっており、輝く太陽が昇っていた。
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