phase3.1

 バルジ内は、外とは一線を期すような、どこか独特の雰囲気があった。あらゆる数式や記号の羅列が、壁や床や天井に組みこまれているような感覚がする。


 ファーストスターの、もっと言えば宇宙の科学の中枢を担う場でもあるので、あながち間違いではないかもしれない。やはりここに来るのは、慣れそうもない。ジュピターはどこかそわそわとして、忙しなかった。


 二人の研究員が、廊下の奥からやってきて、傍を通りかかっていった。何か良い発見でもあったのか、それとも研究家か開発が上手いこと軌道に乗ったのか、表情はとても晴れやかだった。


 無機質さが漂うといっても、冷たい空間というわけではないのだ。ジュピターは知らず知らずのうちに微笑んでいた。食堂に昼ご飯を食べに来ていた客達の中に、ここの研究員達も数多くいた。皆幸せそうな顔で、美味しそうに昼食を食べていたことを、今でも忘れられない。


「ジュピターさん、バルジに何かご用ですか」


 無機質かつ、機械的な冷たさを帯びた声がした。振り向いても、前には誰もいない。視線を下に向けると、いつの間にいたのか、そこには少女が立っていた。両手で端末を持っている。無機的な藍色をした目で、じっとこちらを見上げている。


「あ、プルートちゃんこんにちは」

「はい。こんにちは」


 儀礼的に礼をし合った直後、用件は何ですかと、重ねて尋ねてきた。


「ちょっとハルのことが気になって……」

「ハルの? なぜ興味を持たれたのでしょうか。ジュピターさんは、そのような話題に興味を持つ確率が低いとみていましたが」

「ウラノス君が言ってたんだよ。ハルは凄いって。どこがどう凄いのかなって」


 なるほど、とプルートは小さく頷いた。


「ほら、セプテット・スターとしても、相手の情報は知っておくに限るじゃない?」

「失礼ながらデータを見るに、ジュピターさんの功績は、セプテット・スターとしての責務を果たしているようには見えません。

油断なさらず、精進なさったほうがいいと付け加えておきます」


 持っていた端末を両手から片手に移し、廊下の奥へと視線を投げた。


「ハルに関する資料をお探しなら、10階の特別資料室に保管されている資料を閲覧するのがお勧めです。ですが今はウラノスさんがお使いになっており、本人の意向により、他の者が入ってこられないようロックをかけております」

「や、やることが早いなあ……」


 ウラノスは幹部会議のときも、1時間遅くやってきて1時間早く帰るなどまだましなほうで、もはや欠席が当たり前となっている。出席中も堂々と睡眠促進剤を飲んで眠りにつき、質問したり意見を求められても、「面倒」の一言を返して終わる。だがこのバルジでは、そんな会社での姿からは想像もつかない行動力を発揮する。


「まあ、読んでもどうせわからないし、別にいいよ。そうだ、なんならプルートちゃんがハルについて色々教えてよ。ウラノスはハルは凄いって褒めてたけど、どこが凄いの? ……あ、なるべく簡潔にしてくれる?」

「わかりました」


 プルートは少し姿勢を正した。


「あのロボットの特に注目すべき点は、まず状況判断機能のクオリティです。先を読み、場に合った最適だと考えられる解を導き出す。ハルはロボットで難関と言われる、“空気を読む”ことを可能にしたロボットでもあるのです。とはいえ完全に周りに合った答えを出すことは難しいようですが。けれどその失敗は、これまた優れた学習機能により、補うことが可能です」


 おわかりですか、と一旦プルートは話を切った。平気だよと、ジュピターは笑顔で返す。


「次に、計算速度の高さです。ロボットというものは常に計算をしています。ありとあらゆる物や事に対して、過去の膨大な資料と照らし合わせながら、計算をします。ハルはその速度が、他のロボットと比べて段違いに速く、大体の事柄に対し、瞬時に答えを出すことができるのです。状況判断力が優れているなら、容量の問題により、計算速度は落ちる。事実普通のロボットにハルと同じレベルの状況判断機能をつけたら、計算処理速度は目に見えて落ちるでしょう。しかし、ハルというロボットは、両方の機能をキープしているのです」


 ふーむ、とジュピターは腕を組んだ。噂には聞いていたが、やはり凄い存在らしい。


「状況判断と計算速度のおかげで、ハルは自分で自分の機能のアップデートや不要な機能、足したほうが良い機能を考えて行動に移すことが出来ます。前述の通り学習能力も高く、知識を増やすことを優先目標に設定されてあるので、培った知恵により、戦略や策を練ったり、相手の裏をかくことも出来ます。この三つの機能が合わさったハルだからこそ、ダークマターの力を持ってしても、未だに捕らえることができていません」


 無機質な瞳で、プルートが見上げてきた。


「一体相手にここまで時間がかかっているのは、そういうわけなのです。ジュピターさんが、日頃から疑問に感じていらっしゃることですね」

「……なんでそれを」

「ハルには遠く及ばないですが、相手の顔色や動作から何を考えているか判断するのは、私でも出来ますので」


そっかあ、とジュピターは苦く笑った。やはりこのプルートは、少女の見た目をしているが、関係無い。侮れない。


「ハルが凄いことはよくわかったよ。ありがとう。にしても、とんでもない相手を敵に回しちゃってるんだなあ、僕たちは」

「ハルの機能は、敵という立場を抜きにして見たら、ロボットの究極に到達しているといっても過言ではありません。今後の効率化のため、私にも同じような機能をつけてもらえればと考えていますが、技術的に難しいです」


 へえ、とジュピターは思わず感心深げな声を上げていた。


「ハルと同じような質を持ったロボットがいれば、ハルなど敵ではありません。今のところは、もしもの話ですが。けれども、今現在、こちらのほうが、数で圧倒的に有利です。質でも有利です。相手は、ぎりぎりのところで逃れているだけにすぎないでしょう。いずれ追い詰めることができると、私の計算ではそう結果が出ています」

「でも、人間よりも遙かに優れてるって、なんだか複雑な感じがするなあ」

「優れた人間が多く集まって、持ちうる知恵を結集させて作り出されたのがハルなのです。当然でしょう」


 温度の無い藍の瞳を、プルートは瞬きさせた。


「あそういえば、ハルはもう一つロボットにはない力を持ってるって聞いたけど、何?」


 会社でも、研究所でも、結構な頻度で耳にする噂がある。ああ、とプルートはすぐ合点がいったように頷いた。


「“好奇心”のことですね」

「好奇“心”? 心があるの?」


 言った途端、長い黒髪を揺らし、プルートは頭を横に振った。


「厳密に言うと、ハルは非ノイマン型コンピューターの持ち主なんです。自分のデータにない情報や経験を積極的に学び知ろうとするプログラムがインストールされています。

それを、人間で言う“好奇心”に例えているのであり、実際の好奇心や探究心とは異なります。そうやって得たデータを保存できるメモリの容量を持っていることからも、それを管理出来ることからも、やはりハルは他と一線を画すロボットなのです」

「そっかあ。心とかかなと思ったんだけど、心まで手に入っちゃったら、もう手につかなくなっちゃうかな」


 言った途端、長い黒髪を揺らし、プルートは頭を横に振った。


「心などハルにはありません。むしろハルに心があれば、もっと早く捕らえることができているでしょう。心の存在は合理性や客観性を失い、主観的になります。ロボットとしての立ち位置を失うのと同義です。

心は、ロボットとして見ても、この世界全体にとっても、不要なものと考えられます」


  切り捨てるようにばっさりとした物言いだった。そういうものかなあ、とジュピターは首を傾げた。


 その時。数人の研究員達が、和気あいあいとした雰囲気で、廊下からやってきた。研究員達はジュピターとプルートの姿を見ると、軽く礼をして挨拶をし、また談笑をしながら去って行った。実験の結果がこうだった、こうすればもっと良くなるかもしれない、それにあれを加えればもっと良くなるかもといったことを、断片的に話していたのを聞き取れた。


 ここには何度か来ているが、研究員達の関係性はおおむね良好そうだというのが、ジュピターの印象だ。くっつきすぎず離れすぎず、絶妙な距離を保ちながらも、ぎすぎすした雰囲気は皆無。


 いいねえ、と言おうとしたところで、「考え物です」というプルートの声が被さった。


「あれは合理性に欠けるとみられます。話し合いとは名ばかりの、単なる雑談でしょう。あのように群れることは、生産性にも響く恐れがあります」


 あれ、というのがすれ違った研究員達のことだと理解し、ジュピターは慌てて「それは違うんじゃないかな」と否定した。


「仲間と話すことはいい刺激にもなるし、なんというか、活性化されるんじゃないの? 雰囲気が悪くなったら、それこそ生産性は落ちると思うよ」

「過度なふれ合いやなれ合いは、同時に衝突を生み出すリスクを高めます。そちらのほうがよっぽど、将来的に危険ではと考えたまでです」


見上げてくるプルートの目は、子供のような見た目と反して、子供のそれとは全く違っていた。


「では、もう用件は済んだようですので、これにて。パルサーの出現予測地点を絞

らなくてはいけないので」


きっちりとした角度で礼をしたプルートは、ジュピターが何か言う前に、すたすたと去って行った。


「……はあ、難しいなあ」


 頭を掻いたジュピターは、なんとなく手持ちぶさたになった。これ以上ここにいる理由もない。


 もう一度ため息を零すと、ジュピターはバルジの出入り口に向かって方向転換した。これから行く先は、ダークマター本社だ。威圧するような、あの巨大な建物を思い起こす。なんとなく、気が重かった。

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