phase3「side:ファーストスター」
自動ドアをくぐった瞬間、嫌な予感が全身を掠めていった。次の瞬間、目の前に何かが倒れてきて、派手な煙が上った。倒れたものは、本に紙の束、設計図、ロボットのおもちゃのようなものなどだった。
外装も内装も無駄が一切なく、シンプルで媚びない設計で有名な“バルジ”の研究員が住まう寮は、大体どの部屋も散らかっていると聞いた。が、この部屋の主には遠く及ばないだろう。最低限の家財道具すらごみの一つに見え、床は全く見えず、部屋の至る所に資料や本らしき物がビルのように積み上がっている。
どうこの迷宮に踏み入れたものかとジュピターが立ち尽くしていると、奥から部屋の主の声が響いた。
「……何してくれてんの。せっかく絶妙なバランスを保ってたのに」
普段物憂げで感情のわからない風に喋ることの多いウラノスが、珍しく怒ったような口だった。くすんだ灰色の髪はだらしなく伸びて寝癖でぼさぼさになっており、掻きむしる度にフケが落ちた。
「バ、バランス……? そ、それはごめんね」
「用件、早く言ってくれねえ……?」
睨みあげてくる水色の目の下には、非常に濃い隈が出来ている。ただでさえ背が低めで線の細い体格は、更に痩せてがりがりになっている。こうなっている原因を、ジュピターは知っていた。
「お腹、大丈夫?」
「今更すぎる……。別にもう平気。さすがにきつかったけどな……」
手首は細く、もう少しで骨が浮き出そうだった。その手を、ウラノスは着ている白衣のポケットに突っ込んだ。
数日前、ウラノスが件の地球と呼ばれる星に初出撃して帰ってきた夜、突然彼は腹痛と高熱に浮かされた。日頃から、彼が不摂生を送っているのも追い風になったのか、病状は重かったらしい。しかし、原因はわからなかった。薬物療法で、今日窮地からやっと救われたと聞いた。
「やっぱりあの星で、あの岩を壊したのが原因じゃないの……?」
「そんなの絶対に有り得ないね、馬鹿馬鹿し……」
ウラノスは冷笑した。他のセプテット・スターにも言ってみたが、皆同じような反応で、ジュピターの言うことは頭から否定された。
ジュピターは軽く俯き、すぐに首を振って顔を上げた。
「体力落ちてるんじゃないの? 何か食べたほうがいいよ。せっかくだし僕が栄養のあるものを作」
「こっちの時間の無駄、構うな」
ウラノスはポケットから灰色の袋に入った栄養ゼリーを取り出し、これ見よがしに音を立てて啜った。このゼリーをジュピターも一度、忙しさのあまり食事が摂れなかったときに食したことがあるが、味が濃すぎて食べられたものではなかった。
「ただでさえ体調が悪くて研究も勉強もその間できなかったのに、そんなことに時間とってる暇ないのわかるよね。え、わかんねえの……?」
「……いや、うん。そうだね、ごめん」
空っぽになった栄養ゼリーの袋を、ウラノスは後ろ手で投げた。灰色の袋は、乱雑で混沌とした部屋の中に吸い込まれていき、消えた。
「……とっととどいてよ。今からバルジに行くんだから。邪魔」
ウラノスは一度部屋の奥へと引っ込んだ。足でごみを蹴り飛ばしながら、何か探すかのように床へ視線をうろつかせ、やがてごみの中に手を突っ込むと、そこからトランクを拾い上げた。
ごめんねとジュピターはもう一度言いながら、一歩後ずさって、部屋から出た。
「相変わらず凄い部屋だなあ……」
「……掃除絶対にするなよ。全部必要なものだから」
「……さっきのゼリーも?」
「そんなのあったっけ?」
はあ、とジュピターは深く息を吐き出した。
ウラノスは一度社員食堂に訪れたとき、「選ぶ時間も待つ時間も食べる時間も全てが勿体ない、無駄の極み」と言い切って、結局頼んだ料理を食べずに出て行ったことがある。
まだジュピターが社員食堂で働いていた頃の話だ。バルジでかなりの実績を誇っていて名が知られていたことと、その風貌や態度で、来たのは一回きりだというのに、その場にいた全員に強烈な印象を与えた。ジュピターは今でも、その時のことを鮮明に思い出せる。
そうこうしてる間に、ウラノスはしわくちゃの布団が敷かれたベッドの上に置かれた端末を拾い上げ、しっかりと抱えた。
「今日はやけに急いでるみたいだけど、何かあったの?」
「まあな……。すっごい面白そうなものを見つけたからな」
「何それ?」
途端にウラノスは、いかにも面倒臭そうに舌打ちした。
「わかるよーに説明してあげると、ハルのことだよ……」
「ハルの?」
先程拾った端末を操作すると、無言でジュピターに突きだしてきた。
見てみたが、そこに映し出されていたのは、数字と専門用語の羅列だけだった。小さく、ハルの断面図と思わしき絵が表示されていた。
「動けなくってどうしようもなかったから、ちょっとターゲットのことでも詳しく調べてみようと思ったんだよ。そしたら、あいつはまあ凄い奴だっていうのがわかった。今からもっと詳しいことが書かれた資料を集めに行く。ダークマターよりバルジのほうが資料が多く残されてるって聞くし。それを元にロボット実験とかもやってみたいし」
「えーと、具体的にどう凄いの?」
「え、さっきの読んでわからなかったの?」
わからなかったです、とジュピターが小さく言うと、救いようもないな、と吐き捨ててきた。押し出すように部屋からジュピターを出すと、自身も出て、おざなりな手つきでオートロックの手順を踏んだ。
「他の親切な誰かに聞くんだな。俺は忙しいんだ。さよなら」
せかせかとという擬音が聞こえてきそうな程、素早く足を動かし出し、寮の出口に向かい始めた。
途中ですれ違った研究員らしき人が、ウラノスを見た途端驚いたように体をびくつかせ、その後思い出したようにお辞儀をした。だが、ウラノスはまるで気にとめずに、さっさとその人の前を通り過ぎた。きっと見えていないんだろうなと、ジュピターはその背中を見送った。
とりあえずこれ以上ここにいる理由もない、と、彼も比較的のんびりとした足取りで、寮から外に出た。
右、左と視線を動かしたが、うん、とジュピターは頷き、左の方向に向かった。右は、寮の敷地から出る出入り口が。左には、バルジがあるのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます