phase2.2
家に帰った美月は、急いで穹に事の顛末を話した。突然自室に押しかけたせいか穹は不満気だったが、話を聞いた途端、その表情はみるみるうちに愕然としたものに変わっていった。
その場で未來とハルに連絡をとった結果、これからすぐにもう一度宇宙船に集まることとなった。
急ぎ足で家を出た美月と穹が宇宙船のリビングに入ると、そこには既に神妙な面持ちでソファに座る未來と、わずかに俯くハルがいた。
クラーレはというと、部屋の隅の壁際で、ココロとシロを抱いて座り込んでおり、美月達が入ってきたのを見るや、じろっとした目を向け、すぐに顔を下げた。
「ミヅキ。単刀直入で申し訳ないが、詳細を話してくれないか」
さあ、とハルが二人をソファに勧める。着席した美月は、先程の一件を思い出しながら、なるべく詳しい説明を心がけた。
敵だが、個人的には敵対しない。ジュピターの主張の話を聞いた各自は、さすがに信じられないとばかりに、言葉をつまらせた。
「何かされなかったの? 発信器つけられたとか、後つけられてるような感覚がするとか」
「ううん、特には。本当に何もされなかった」
穹は信じられないとばかりに首を捻り、美月の全身を見た。だがそれだけでは異変が見つからなかったのか、釈然としない様子で肩を落とした。
「……危険だよ、絶対に罠だ。美月、信じちゃいけない」
未來が、膝に置かれた美月の手を握ってきた。強い力が込められていた。
「あ、もちろん気を許してはいないよ。当然」
美月ははっきりと断言した。
「ダークマターのほうが正しい……。去り際に、こんなこと言っちゃうような人だもん。正直仲間が増えたとかは思えないよ」
「でも、その人の言うこと、信じてるんじゃないの?」
じっと未來が顔を見つめてきて、美月は口から心臓が飛び出そうになった。なんでという言葉を、つばと同時に飲み込んだ。
「もう、やっぱり」
「だ、だって、嘘を吐いてるようには見えなかったし」
「誰だって嘘言うときは、嘘吐くような顔しないと思うけどな……」
ぼそりと呟いた穹よりも更に小さく、「敵ではないが、味方ではないってわけか」という声がした。そちらを見ると、クラーレが足下に置いたおもちゃで、ココロとシロに、遊んであげているところだった。
てっきり話を聞いてないものと思っていたクラーレは、顔をうつむけたまま、「あんた」と言った。
「あんただよ」
クラーレは顔を上げ、ハルを指さした。きっと黄色い目がきつく細められる。
「聞いてて思ったが、あんたは色々言わなすぎじゃないか? 自分についてきてる奴らに対して、それはないだろ。あんたには真実を言う義務があるし、こっちには真実を知る権利があると思うね。違うか?」
別に俺には言わなくてもいいけど、とクラーレは事も無げに顔を伏せ、ココロとシロの相手を再開した。
「権利。義務。真実。……か」
確認作業でもするかのように、出てきた単語をハルが発する。と、穹が顎に手を添えながら、ハルさん、と心持ち強めの口調で話しかけた。
「確かにそうだと思います。なんとなく流されてきちゃって今まで詳しいことを聞いてこなかったけど、よく考えたらそれはおかしい。クラーレさんの言うとおり、僕らにはっきり教えてほしいです。正直わからないことばかりだ」
まず、と穹は指を折り始める。
「ジュピターという人の言っていた計画の話は正しいのか。その計画というのは、具体的にどういうことか。具体的に、ハルさんは何をして、追われる羽目になったのか。……これらを教えることは、ハルさんにもメリットがあると思いますよ。対策を立てたり、色々策を編み出すことができるかもしれない」
クラーレがほう、と穹に感心深げな視線を送ったが、穹は気づかなかった。ハルはじっと腕を組んでいる。うーんという声がしたが、よくよく聞いてみると、冷蔵庫が発するような、あの機械音だった。穹はじっと、ハルの顔から目を逸らさない。
美月はハルと穹を交互に見た。
聞かないでおいて、放っておいた質問を、あっけなく穹はハルにぶつけた。真相を知る時が近づいてきていると、肌で感じる。その感触は、ひりひりとしたものだった。
だんまりを決め込むか、フリーズするか。気になるハルの反応は、思いの外変わらず、いつも通り冷静沈着だった。
「ジュピターの言ってることに間違いは無い。私はダークマターの計画に反対した。そして邪魔をした。絶対に遂行させまいとして、計画に最も重要な物を盗みだし、隠した。その居場所を吐かせるため、奴らは私を追っている」
「じゃ、その計画と、盗んだ物って?」
一歩引いて、傍観者のように眺めていた未來が、ここで口を挟んできた。柔らかめの口調だったが、諭すような響きもあった。
ハルは黙っている。しかし、自問自答している故の無言のように見える。閉じられた口が、わずかに動いている。
と。シロやココロに話すように、クラーレは目線を変えないまま、他人事のように呟いた。
「この前の巻き込まれた件で、興味無いと言えば嘘になるが……行きずりの俺ならとにかく、こいつらには教えてやったほうがいいんじゃないか。問答無用でついてきてくれてるんだろ」
一呼吸置いてから美月は、こいつらというのが自分達のことだと理解し、目を丸くした。まさかそんなことを言ってくるとは想像していなかった。
「そうだ。……確かにそうだ」
ハルが頷いた。一度顔を上げ、そして戻した。冷蔵庫のような音が強くなる。
このままなし崩しに、ことの真相を知っていいのだろうか。美月は急に、不安になってきた。心の準備など全く出来ていない。心の準備をするための準備さえも出来ていないので当然だ。だが言うのであれば、否が応でも、受け入れなくてはいけない。
穹も不安そうだった。が、自分が聞き出した手前、視線を逸らさずにハルを見ていた。未來は凜とした顔でいるが、その裏の緊張感が隠し切れていなかった。
「確かに、クラーレの言うとおりだ」
冷蔵庫の音が止まった。ハルが一つ一つ、確かめていくように、顔を動かしていった。美月。穹。未來。クラーレ。
美月はごくりと、唾を飲み込んだ。
「だが、やはり、言うことはできない」
ブラウン管のテレビ頭が、深々と下げられる。
「申し訳ない。ごめんなさい」
最初に答えたのはココロの声にならない声と、シロの鳥のような鳴き声だった。その次に答えたのが、クラーレだった。
「はあ?」
美月も、同じことを口に出したかった。ハルはクラーレに、すまないと声をかけた。
「言えば、間違いなく皆混乱する。どんなに心の準備をして備えていたとしても、混乱を要する程のものだ。ダークマターの計画も、私の行いも、それくらいの凄まじい規模なんだ」
こんこんと、ハルは自分の頭を指の関節で叩いた。
「混乱した脳で考えれば、人は間違いなく、ダークマターのほうが正しいと考える。そのような計算した。今説明すれば、ここにいる全員が90%以上の確率で、ダークマターのほうを支持する、という計算結果が出された」
美月は軽く目眩がしたように感じた。言えば、美月達は向こうに寝返る。早い話が、そういうことだ。なぜハルは、そう考えたのだろうか。
「今、説明をするのは得策ではない。どう考えてもだ。どうか許してほしい。本当にすまない。本当に、ごめんなさい」
機械的な抑揚で紡がれる謝罪の言葉が、どんどん出てくる。放っておけば、ずっとごめんなさいと言い続けそうだった。
「ハルは、本気で思ってるの? 私達が裏切るって」
依然として頭を下げているハルの顔を覗き込むように、美月も背を丸くした。けれど顔は見えない。ハルの顔が見えない。
「ありとあらゆる事象を組み合わせ、億を超えるパターンを想定した上での計算結果だ。ミヅキ達の人となりを疑うわけではないが、やはり言うのは出来ない」
はあ、と美月は息を漏らしそうになったのを飲み込んだ。怒ればいいのか悲しめばいいのか、よくわからなかった。
「けれどこれだけは言える。奴らがしようとしていることは、ただのエゴだ。自分達にとって都合のいい世界を作ろうとして、それを推し進めてるだけにすぎない。ダークマターでは、絶対に、この宇宙を平和で幸せになど、できない」
ゆっくりと顔を上げたハルは、一転力強い口調でそう断言してきた。絶対に、と付け加えた後、再び頭を下げる。沈黙が流れた。深く、重い沈黙だった。
「付き合ってられねえ……」
全ての興味を失ったかのようだった。吐き捨てたクラーレは、同じタイミングで首を傾げてきたココロとシロに対して、自分もわずかに顔を傾けてみせた。それ以上は、こちらに何も言ってこなかった。
何か弁明をするつもりなのか、ハルがクラーレに対して口を開きかけたとき、美月は軽くハルのシャツの裾を引っ張った。
「もういいよ。ダークマターって怖いし。ジュピターが敵じゃないってのは半信半疑だけど、ダークマターのほうがうんぬんについては、全然信じてない」
穹が苦笑、という表現がよく似合う笑顔を、ハルに向けた。
「僕も、向こうの言うこと信じてませんから。ここは、慎重にいくべきですよね」
「私もですよ! ダークマターからは嫌な気配がしますけど、ハルさんからは全然しませんもの!」
真顔はどこへやら、未來もすっかりいつも通りになっている。
「今、言えないだけでしょ? なら、いつかが来た時、言ってね。それまでに、心の準備をしておくから」
約束、と美月は、四文字の言葉を紡いだ。
「記憶した。必ず、近い将来、全て打ち明けると約束しよう」
「じゃ、はい」
美月は小指を突き出した。む、とハルはしばらく固まり、あ、と声を上げた。
「指切りげんまんか」
「その通り!」
差し出されたハルの小指に、美月は自分の小指を絡ませた。やはりハルの手は硬かった。金属と触っているようだ。しかし、触っているのは間違いなく、ハルの手だ。
指切りの歌を歌いながら、まあいいか、と美月は思った。事実、ほっとしていた。真実を打ち明けられないと、そう言ったとき。聞けば、何かが変わってしまう気がした。それが怖かった。何かが変わるその瞬間は、少なくとも、今であってほしくなかった。
まあ、なんとかなるだろう。ハルの手は硬くて冷たい。でも、怖いと思わない。美月にとっては、それが全てで有り、答えだ。
「穹と未來にもやってね」
「わかった」
まず穹としようとしたところを、強引に未來が片方の小指と絡ませてきて、ハルは二人と同時に指切りをした。
指切りを終えた穹と未來は、どこか納得したような、片付いたような、そんな顔をしていた。
「あ、クラーレはどうす」
「断る」
にべもなかった。もう壁に当たって後退できないのに、ずりずりと後ずさりされた。
「ファーストスターに、バルジか……」
自分の手を見つめていたハルが、ふいに呟いた。今この場にいる誰にも話しかけていないようだった。遙か遠い場所を見るかのように。遠い遠い地に対して、何かを思い出すかのように。一人言のような小さな響きだった。
「久しぶりに聞いたな」
懐かしむでも、思い出すでもなく、ただの事実を振り返っただけ。そのように見えた。後ろに何が隠されているかまでは、わからなかった。
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