phase5.1
手入れされた様子がない、濃い紫の髪が太陽の光に透かされ、不釣り合いに輝く。黄色の眼には、影が落ちている。
クラーレは木の根元に片足の膝を立てて、背中をもたれさせ、座り込んでいた。
もう片方の投げ出された足の上を、小さな蟻が這っていた。じっとそれを見つめているが、払おうとはしていない。
クラーレの意識が戻ったが、彼はまだ立ち上がれないとばかりに座り込み、自分がマスクをしていないとわかった途端に、顔を伏せてしまった。
シロがしきりに、クラーレの頬を舐めている。クラーレは何度も引き剥がしていたが、力がこもっていない。そのことがわかるのか、シロはめげずに舐め続けている。
美月は、声をかけなかった。穹も、未來も、ハルも、ココロが時折喃語を口にする以外は、何一つ言葉を発しなかった。
多分、皆、わかっているんだと。感じていた。
クラーレが、何かを言おうとしている。その瞬間、その時が、いつ訪れるかはわからないが、必ず来ると。
汗が頬を伝いった。体にも流れている。光を透かした葉っぱの影が、地面に模様を作り出す。蝉が合唱し、輪唱する。夏を含んだ風が、クラーレの前髪を揺らす。
何度目かに、その時は訪れた。
「あんたら、あのダークマターとドンパチやってるってのか?」
神経質そうな目を、ぎょろっと上に向け、美月やハル達を見上げてきた。
「いや、というか向こうが襲ってくるからというか……。ハルと、ハルが守ってるココロを守るためにね」
「同じことだろ」
決して志願してやっているわけでも、ましてや楽しんでいるわけでもない。美月はそう続けようとしたが、ばっさりと切られた。
片手で両目を覆い、まじかよ、信じられないといった台詞が、ぽつぽつと呟かれている。
「もしかして、ダークマターのこと、何か知ってるの?」
美月が首を傾げると、クラーレは手を外し、その下のげんなりしたような表情を見せた。
「あの会社を知らない奴は、まずいない。商品だのサービスだの、大なり小なり、世話になってるからな」
あんた一体何をしたんだと、クラーレはハルのテレビ頭を鋭い目で見上げた。
「私が、ダークマターの計画に反対したんだ。断固としてな。そうしたら、追われる羽目になった。彼らは、この宇宙を自分のものにしようとしている。好き勝手に、いじくり変えようとしているんだ」
「有り得ない。んなわけないだろ、馬鹿にしてんのか」
クラーレが嘲笑すると、ハルは首を横に振った。
「そのつもりは全く無い。言ってることは、本当の話だ。だが信じろと言われても、無理だろう。だから、信じなくても構わない。が、ここにいるミヅキ、ソラ、ミライは、戦闘のできない私とココロの為に、時折襲い来る彼らと戦ってくれている。それは紛れもない事実だ。クラーレも、自分の目で見ただろう」
クラーレは無表情になった。再び顔を伏せた後で、確かにな、と小さい声を出した。
「けれども。いくら変身をして戦闘能力が大幅に上がっていても、だ。ミヅキもソラもミライも、まだ子供なんだ。経験値が、全く足りない。私もなるべくサポートをするといっても、出来ることにも限りがあるし、どうしても限界が生じてしまう。私本人が、追われている身というのも大きい」
一体今ハルは、なんの話をしているのだろう。
美月は心の中で頭を傾げた。話の着地点が見えない。クラーレも両眉を上げながら、ハルの顔を見上げた。
「そこで、私は考えた。クラーレ、君に提案がある」
ハルは、クラーレに一歩分、近づいた。
「クラーレ。君もどうか、仲間になってくれないだろうか」
沈黙が流れた。まだやかましく喋り続けているのは、木に張り付いている蝉達のみだった。
はあ? とクラーレは言いながら、滴りそうになった汗を袖で拭った。
「断る。俺にメリットがない。あんなでかい組織を敵に回したくない。もし戦力を期待してるんなら他を当たれ。俺は体力が全然無いから囮にもなんないぞ」
「君は戦わなくていい。囮もやらせるつもりはない。やってほしいのは、この子の、ココロの世話だ」
「は……」
クラーレはココロとハルの顔を交互に見た。
「私も、ずっとココロにつきっきりというわけにはいかないんだ。ダークマター対策のために、機械を作ったり機能をアップデートしたり作戦を練ったりと、どうしても目を離さなくてはいけない時間がある。ミヅキ達もいないときがある。その間、クラーレに面倒を見てもらうと、私としては、出来ることも増えて、ずっと効率が良くなる」
未來が真顔でハルの顔を見、次いでクラーレの目を見ると、静かに肩を落とした。
「君は一切戦いに参加しなくて構わない。ココロの世話と、シロの世話。この二つを頼みたいんだ。もちろん、いつまでもというわけではない。君は先程、大量の毒液をロボットにかけただろう。見た所、そのせいでだいぶ体力が落ち、体調も悪化してる。療養し、回復するまでの間だけでいい。回復したら、別の星に移動するなりなんなりすればいい。……どうだろうか」
ハルさん、と穹が遠慮がちに手を伸ばした。美月はなんとなく、この後ハルが言う言葉が、わかった。
「どうか、力を貸してはくれないだろうか」
予想が的中した。クラーレの瞳孔が開いた。
クラーレは緩慢に首を下に向けた。後頭部を手で抑え、睨み上げてきた。
「体治して、地球を出て行って、そのあと、俺がダークマターにあんたのことを包み隠さず全部チクる。そうしたらどうするんだ。そっちのほうが俺にメリットがあった場合、やりかねないぞ」
うんうんと、穹がハルの後ろで何度も頷いた。未來は牽引するような目をクラーレに向けた。美月個人としては、クラーレがそんなことをする姿を想像できなかった。
「悪いがその場合の対策も、考えてある。嘘を吐いた場合も、体内の温度変化などで、すぐに見破ることができるからな」
クラーレははあーと、長いため息を吐いた。頭に手を添え、紫の髪を掻きむしった。
ピイ、とシロがのぞき込み、自分の黄緑の目と、クラーレの黄色い目を合わせた。
クラーレが、だらりと両手を下げ、目を閉じた。長い沈黙が、再び下りてきた。
迷っているのだろうか。でもそんな風にも見えない気がする。
美月は蝉の声が、少しだけ小さくなったように聞こえた。
シロが、クラーレの頬を舐めようとした。クラーレは、顔を両手で覆って、それを拒んだ。
「見ただろ」
小さく、低い声だった。故に一つの単語に聞こえず、一瞬美月は、クラーレがなんと言ったかわからなかった。
「……聞いただろ」
あ、と穹が声を出した。美月がそちらを向くと、穹は慌てた様子で自分の口を塞いだ。
「宇宙は広い。特異な性質を持った種族も数多くいる。私もずっと旅をしてきたから、データはたくさんある。君のように、他者に攻撃性を向ける可能性のある種族ももちろんいる」
ハルは学者のする説明のように、淡々と言った。
「でも分析すると、クラーレ個人には、凶暴性も攻撃性も無いという結果が出ている」
びくり、とクラーレの体が跳ねた。顔を覆っていた手が、外された。堅固な扉が開かれるようだった。
その下にあった、瞳。それはかすかに、震えていた。
「ねえ、クラーレ」
瞳だけが、わずかに美月のほうを向いた。
「シロを助けてくれて、ありがとう」
クラーレの口が、震えながら開いた。どうして、と、口の形が動いた。
「だって、助けてくれたんだから。当然でしょ?」
目が大きく開いた。ぱくぱくと、声にならない言葉を発し続けている。何かを言いたいことは、ちゃんと伝わってくる。
と。その場の空気をほんの少しだけ震わすような、気の抜けるような妙な音が聞こえてきた。
クラーレが大袈裟に肩をジャンプさせ、自分のお腹を見た。シロが鼻を動かしながら、みぞおちの下あたりを嗅いだ。
「ねえ美月。私、喉が渇いちゃった」
未來が手で汗を拭いながら、あははと軽い調子で笑った。
と、美月は自分の脳がぴかんと光るのがわかった。
「実は私も。……じゃ、各自一旦家に戻って、ハルの宇宙船に集合しよう」
「え、どうして?」
「フライパンとかあるよね?」
「地球の物とは形状が違うが」
「いいよ。ハルんとこで、パンケーキパーティしよう!」
ええ! と穹が大きく体を仰け反らせた。
「今、今から?! ちょっと待って遅くなっちゃうんじゃ、っていうか材料とか、というか準備とか!」
「遅くなるってちゃんと言えばいいよ。材料はお父さん達から貰えばいいし、トッピングもスーパーとかで買ってけばいいじゃん」
「じゃあ、私も家から持ってくるよ!」
「ハル、いい?」
「構わない」
穹はしばらく目を白黒させていたが、もう、いつも突然すぎるんだよと、こめかみを掻きながら苦笑した。
美月は、屈み込んで、クラーレの顔を見た。
ペストマスクみたいなものをつけていたときは、宇宙人は皆ハルみたいに衝撃的な外見をしてるのかと驚いたが、こうして見ると、地球人とほぼ変わらない。
警戒しているような、ともすれば自分よりも幼く見える顔を、真っ直ぐに見た。
「今度は、食べてくれる?」
紫色の髪が揺れた。顔に影が一瞬だけかかった。一回、二回と、まぶたが上下した。
クラーレの頭が、一回、上下に揺れた。もしかすると錯覚かもしれないが、動いた。
「よし、じゃあ一時解散で、またハルの宇宙船に集まるってことで! ……って、あ!」
そういえば、大切なことを忘れていた。
美月は振り返った。目線の先にあるのは、もとがなんだったか全くわからない、ぐしゃぐしゃの粉々に潰れた何かだった。
「ご神体をあんな風にしてしまって、本当にごめんなさい!!!」
ぱん、と大きく音を立てて手を合わせ、本殿に向かって深々と頭を下げた。
確かにと、穹も一緒になって隣に立ち、同じように手を合わせ、頭を垂れる。
「未來もハルもクラーレもしといたほうがいいよ! 罰が当たるかもしれないからね!」
「……こいつ、その岩を食ってたぞ」
「シロ、今すぐ謝りなさい!!!」
言っても、シロはピイピイと鳴くばかりだ。美月は更に頭を下げ、知っている限りの謝罪の言葉を並べ立てた。
「ミヅキはだいぶ、非科学的なことを信じるんだな」
「罰は本当にあるの! 昔あのご神体に落書きしたらその日のうちに熱が出たのよ!」
「あのときは、僕がかわりに謝りに行ったら、すぐに治ったんだよね」
「その原因は、推測するに……」
「計算とかしなくていい! 野暮!」
「しかし、神という超常的存在がいる余地は、演算をするに……」
このハルのことも、謝っておいたほうがいいだろう。美月は再び本殿に顔を向け、頭を下げようとした。
その本殿の前に、光が浮遊していた。真っ白な、光そのものが。
え、と美月は目をしぱしぱと瞬いた。全員分の瞬きの音が、聞こえてくるようだった。
「神、様、だっ!!!」
穹が叫んだ。
そうか。なるほど。これが神様か。本物の神様か。なんとなくそういうイメージはあったけど、本当に光っているものなんだ。
様々なことが美月の頭に現れては去って行った。最後にやってきて残ったもの、それは謝るということだった。
「色々と失礼をして本当にすみませんでしたっ!!!」
「美月、頭を下げる程度じゃだめだよ!」
「あ、そうか!」
未來へ感謝の視線を送り、地面を膝につける体勢をとろうとしたときだった。
「パルサーだ!」
叫ぶと同時に、ハルが走り出した。
は、と美月は固まった。美月と穹と未來が神と思い、ハルがパルサーと呼んだ光を、よく見てみた。
真っ白な光を放っているそれは、眩しくてよくわからないが、美月の思う神のイメージにしては、少々小さかった。
パルサー。あれが?
目を凝らしたときだった。ぱっと、光が消えた。一秒前まで確かにそこにあったのに、無くなった。跡形もなく、という言い方がこれ以上無いほどの、消え方だった。
「消えた」
美月が言ってから何拍かした後、ハルが振り返った。
「あれがパルサーだ」
「ざ、残念だったね……」
「瞬発的反応機能を高めておかなくてはいけないな」
ハルは、先程までパルサーが出現していた空間を見つめた。
「こんなに早く見つかるなんて、なんか希望がわいてくるね!」
はきはきとした未來の声が横から現れた。呆然としている穹の隣で、ガッツポーズを決めている。
「うん、なんとかなりそうって感じがする!」
目の前が真っ暗になった経験も、何度かあった。しかしその度に、運がいいことに、その闇は払われてきた。
眩い夏の初めの太陽の光が、さんさんと降り注いでいる。今、目の前が真っ暗ではなく、眩しいのなら、きっとこの先も、大丈夫に違いない。
美月が振り返った。穹も振り向いた。未來も首を向けた。ハルがそちらに近寄り、ココロがにこにことした笑顔を見せた。シロが首を上げ、ピイ、と鳴いた。
そこには、ぽかんと呆けた表情のクラーレがいた。
その呆け顔がすぐに無くなり、無表情になった。
右、左。交互に、足が前に出されていく。
美月は一瞬、本当に一瞬だけ、クラーレが笑ったように、見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます