phase5「外れるマスク」

 ミーティアでハルからクラーレのことを打ち明けられたとき、美月は何も言えなかった。


 クラーレはベイズム星という星からきた、ベイズム星人であること。

ベイズム星人は、体内に凄まじい猛毒の液体を持っており、人だけでなく、虫も、動物も、植物も、その星に生きる全ての生命が、その身に何かしらの毒性を持った体液が流れていること。


毒といっても、ベイズム星人にとっては血と同等な、生きるために必要不可欠なもの。その毒液が万一にも漏れ出ないように、生物は皆は皮膚が鋼鉄のように硬く、人間は更に、服の下に鎧のようなものを着て暮らしている。だから、一度に致命傷を負わない限りは、毒液が外に溢れ出ることはまず滅多に無いこと。


 けれども他の星の人達は、その多くが、ベイズム星とベイズム星人を恐れている。

少量でも毒が外に出れば、一帯の空気はよどみ、大地は汚れ、植物は枯れ、命は溶けて消える。ベイズム星の種族とは、そんな毒液が体内にあり、それを自在に操れるのだ。


 毒液が万が一漏れ出て他の星に被害が及ばないようにという配慮と、偏見や差別を受けないための防衛の為。ベイズム星は、その手段を持っているにも関わらず、一切他の星と関係を持たずにいる。


 なのでクラーレのように、星を出て旅をしているベイズム星人は非常に珍しいと、ハルは言っていた。その後に、だがやはり、相応のことはされてきたのだろうと、付け加えた。クラーレがあのような態度をとる、とらざるをえない、ことを。


 美月は話を聞いたとき、何も言えなかった。言葉が浮かばなかった。



 今も、同じように言葉を失っている。


ロボットが。顔の一部が。一つ目の瞳が。羽の付け根が。手足の一部分が。お腹の所々が。


 どんどん溶けていく。溶けた液が、草の生えた地面にぼとぼとと滴っていく。

ちょうど、その下を歩いていた蟻が、液体の下敷きになる。


 クラーレが、ロボットから離れた。右、左と、がくがくとした足で、後ずさりする。


 溶けた機械の一部が、クラーレの帽子にかかっていた。クラーレは、それをおざなりに手で拭いながら、先程取った鎧の一部を指に戻し、手袋を嵌めた。


「破損率80%超え。エネルギー反応がほぼ消えている……」


 ピピッと電子音を響かせ、ハルが言った。


「こ、この短時間で……?」


  横で穹が、所々どろどろになったロボットを見上げた。クラーレがふらふらと、美月達のいるこちらに向かって歩いてくる。


「ベイズム星人にしては遅いね。この程度のロボット、全部溶かすのに三十秒もかからないだろうに。あんたは三分以上かかって、全部壊せてない」

 円盤から気の抜けた声がかかった。クラーレが歩を止めた。


「……ちょっとサンプル入手させてくれねぇ……? ……ん、怒った?」


 円盤を見上げたクラーレの顔は、やはりペストマスクで覆われており、見えなかった。


「まあいい……飽きたし。この動物ももういいや」


 いいや、と同時に、ロボットの口が動いた。まだ動けるのかと美月が瞬時に身構えた瞬間、ぺっと口から灰色の球体が吐き出された。ボールかと思ったそれは、よく見たらカプセルだった。吐き出された方向にあった木に激突し、方向転換をして、ごろごろと金属の音を鳴らしながら、地面を転がっていく。


 結果、クラーレの履くブーツにぶつかり、止まった。すねの部分にあるカプセルを拾い上げたクラーレは、カプセルに一つだけついている赤いボタンを押した。


 上半分が開き、中から現れたのは、小さく丸まった、真っ白な生き物だった。クラーレはその生き物を慎重に取り出し、カプセルを乱暴に投げ捨てた。


「シロ!」


 思わず叫んでいた。シロがぴくりと頭を上げ、黄緑の目で、美月の目を見つめてきた。


「もし内部操作だったら、そのプレアデスクラスター、出てこれなかったよ」


 完全に他人事のようだ。


 マスクをしていなくても顔が見えなくなるまで、クラーレが下を向いた。そして、歩き出した。その足取りには、義務的なものが感じられた。自分の意思ではなく、シロを美月達のもとに運ぶという目的の為に歩いているようだった。


「回収、めんどくさいや」


 え、と美月は円盤を見上げた。なぜか、体の血の気が引いていく感覚がした。


 円盤の下にあるロボットから、光が漏れ出した。

溶け出して、出来た隙間の数々から、光線が溢れ出る。


 ハルが穹の、未來が美月の手を、同時に掴んだ。振り向きざま、ハルと未來は駆け出した。


 直後のことだった。轟音が唸り渡った。


 何事かと美月が振り向いたときには既に、ロボットの真っ黒い巨体は、どこにもなかった。


 美月が見たものは、その巨体が木っ端微塵になって、欠片が四方八方に散らばっている瞬間の姿だった。見たこともない、見覚えのない、小さな部品がたくさん宙を舞っている。


 その中を、同じようにして空を飛んでいる者がいた。

着ているガウンがばたばたとはためき、被っていた帽子が落ちる。


 クラーレは、ロボットから離れた美月達がいる近くの木に、背中から激突し、ばさりと地面に落ちた。

組んだ両腕の真ん中に、シロがいた。シロはピイピイと、クラーレの顔を見ながら、ひっきりなしに鳴いていた。


「寝たいから帰るわ。んじゃ。また」


 クラーレに駆け寄ろうとした美月達を遮るように、ウラノスの声が降りかかった。また、という部分が、脳内で繰り返し再生され、美月は軽く頭を抑えた。


 円盤をしっかり見上げた頃にはもう、ジグザグに空を飛びながら小さくなっていくところだった。搭乗主の態度とは裏腹に、それは非常に素早く、あっという間に見えなくなった。


 部品が風に乗って、ころころとどこかへ転がっていく。ご神体の岩の代わりに、ロボットの残骸のようなものが、鎮座している。思い出したかのように、蝉が鳴き出す。


 シロが腕から這い出て、横たわるクラーレの周りを、落ち着かない様子で歩き回り始める。


 クラーレは、全く動かなかった。


 たくさんの蝉が鳴いているはずなのに、周りが静かになったようだった。美月は、蝉が遠い場所で鳴いているように聞こえた。


 ハルが駆け寄り、クラーレの前にしゃがみこんだ。おずおずと近寄った美月、穹、未來に、テレビ頭が振り返った。


「気を失っているだけだ」


 美月は肩を落とした。同時に、蝉の声が、間近で聞こえてきた。

 急いで美月、穹、未來は、ハルの隣まで走り寄り、クラーレの顔を覗き込んだ。


 一つに結んでいる、紫の髪。それが、ほどけてしまっていた。しかしそれ以外に、目立った怪我は無いように思える。と、感じたときだった。


 マスクが動いた。顔ではなく、マスクそのものが。下に向かって、ずるずるとずり落ちていく。あ、と思う間もなく、ペストマスクはかすかな音を立てて、地面に転がった。


 穹が息を飲む気配がした。未來は体を傾かせ、よく見るようにして覗き込んだ。

美月はゆっくりと、まぶたを上下させた。


クラーレの目が開かれた。眩しそうにきつく細められた目が、段々と太くなってゆく。

 まぶたの裏にある瞳。それは、黄色かった。


 珍しい髪と目の色以外は、地球人と全く同じ外見をしていた。ただ、とても、顔色が悪かった。7月の太陽の下に晒された肌の色は、青白かった。


 目の色も、初めて見た。黄色い目を初めて見たというわけではない。

とても暗い色をしていたからだ。陽の光が当たっているはずなのに、ほの暗かったのだ。


 焦点の定まらない目をしていたクラーレは、次の刹那、はっと見開いた。

美月は言った。


「大丈夫?」






 一人で旅をしているのだと言うと、大概の人は優しく接してくれた。


 まだ若いのにと、頼んでもいないのに世話を焼かれ、可愛がられる。どこも触られていないのに、体がこそばゆくなった。故郷の星ではなかった経験だった。


 気をよくしたから、どの星から来たのかというなんてことない質問に、素直に答える。


 そうしたら、態度が180度変わった。態度だけでなく、顔色も、目の色も、空気も、変わった。

その変化していく様を、幾度となく見てきた。


 もしかしたら次の星では、と期待していたのも、最初だけだった。

宇宙は広いのに、どこも大して変わらない。旅をしていくうち、そんな事実に気づいた。


 以降、なるべく人と接しないようにした。常に無表情で過ごした。マスクを手に入れてからは、片時も外さずに生活した。話すときは簡潔かつ無愛想な態度を心がけた。


 自分はどうやって人と会話し、過ごしていたか、すっかり忘れた。

でも代わりに、望み通り、どの星に行っても、自分に親しい態度を取ってくる者は、いなくなった。


 近寄るなと強く念じていると、外見に現れてくるようだ。

どの星に行っても、じろじろとした目を向けられるだけで、声を向けてくる者は一人としていなくなった。たまに話しかけられても、こちらの態度に動揺し、すぐに離れていく。


 本当に良かった。良かったのだ。これで。


 でも、どんなに気をつけていても、たまにばれるときがある。噂は宇宙空間をも自由に行き来する。自分の出生がばれれば、どんな努力も行いも水の泡と化す。結果、追い出される。


 その度に気づかされる。自分に居場所はない。今までも、これからも。


 そしてこの星に来た。


 山の中で出会ったテレビ頭は、ロボットだという。人間じゃないのならと、出身星を打ち明けると、やはり気にする素振りは見せなかった。無機物なら、逆に融通が利く。いくらかは安心だ。


 でも、人間なら別だ。翌日やってきた子供三人は、どこからどう見ても人間だった。二人は地球人だったが、もう一人は宇宙人だった。


 今までそうしてきたように、口を閉じて、相手からの会話にはなるべく応じずにいた。


 地球人の、少女のほうは、それでもたくさん話しかけてきた。

鋭い言葉で一蹴すれば、相手をするのを諦めるだろう。口を閉じてほしくて、遠慮無しにきついことを言ってやった。けれども返ってきたのは、ごめんなさいの一言だった。


 敵意も何も感じない。なぜだろう。息が詰まりそうだった。

 ココロという赤ちゃんと、シロというプレアデスクラスターにじっと顔を見られた結果、爆発した。


 これ以上ここにいたら、窒息する。縋るように外に飛び出たが、飛び出た先は、いつもの空間があった。


 じろじろと、好奇の眼差しや気味の悪いものを見るような視線を受け続け、宇宙警察と少し似た制服を着た大人に行く手を阻まれた。相手の言葉もわからず、自分の言葉も伝えられない。冷や汗をかいて、目眩がして、吐き気を催していたところに現れたのが、あの地球人と宇宙人とロボットだった。


 いい加減にしてほしかった。助けてもらったのに、そこでも黙りこくったまま、自分の思う感じの悪い態度をとり続けた。


 なのに、連れて行かれた先で、食事を出された。どうしてだかわからない。


 ココロという赤ちゃんが、食事を出されたあの場所で、自分に触れようとしてきた。

我に返った。それはいけないという言葉が、瞬時にして沸き上がった。


 だから、逃げたのだ。


 もし触られていたら。もしあの料理を食べていたら。きっと自分は、期待しただろう。

だけど、もう、無理だ。


 ばれた。あのロボットは、どういうわけだか自分の出身星を地球人達に伝えていなかったようだけど。途中で現れた第三者が言ってくれた。期待を抱く前で良かった。


 まぶたの裏に、湯気がほかほかと立つ、あの料理が浮かび上がった。

ほんのちょっとでもいいから、食べておくべきだった。食べたかった。


 その映像が、ふいに消えた。代わりに現れたのは、光だった。


 妙に眩しかった。目の前に何があるのか、全く見えなかった。

ぼんやりと、人影らしきものが立っている。顔を確認する前に、声が降ってきた。


「大丈夫?」


 少女の声だった。あの、ずっとずっと、聞き取れない地球語で話しかけてきた、あの子の。

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