phase4「クラーレの秘密」

 ベイズム星の空の色は、黄色かった。外の星に出るまで、その色が当たり前だと信じて疑わなかった。別の星に来て初めて、黄色い空の色は、物凄く珍しいのだと知った。


 ベイズム星から出て新しく知ったことは、空の色だけではなかった。

植物や生物は、必ずしも“毒”を持って生まれてくるわけではないこと。人の皮膚というものは、存外薄くて柔らかいものであること。ベイズム星人が、他の人から、どう見られているのかということ。


 この地球に訪れる前に乗っていた、乗り合い宇宙船のことは、思い出そうとすれば、鮮明に思い出すことが出来る。まるで、目の前に浮かび上がったかのように……というより、その時間に戻ったかのように、錯覚できるほど、鮮明に。




 その時、クラーレは、窓際の席に座っていた。車窓の向こうには、無数もの星が浮かぶ空間が、果てしなく続いていた。その光景をクラーレは、ただぼんやりと眺めていた。何も見えない、味気ないワープ空間の景色と比べるとずっとましだが、心までは動かされなかった。彼はもう、このような星空を、いやというほど見てきた。


 船内は混んでいた。電車を模した船内の席は、ほぼ全て埋まっていた。様々な人が発する、様々な種類の声の、様々な雑談が、耳に絶え間なく入ってくる。

 どうでもいいと思っていても、途切れることはない。クラーレは吐息を漏らした。クラーレにとって周辺の声は、ノイズのように、音であって音の形をしていなかった。


 クラーレは一人、膝の上に置いている銀色のトランクを、今一度しっかり抱きかかえた。


 隣の席には、誰も座っていなかった。向かいの席には、赤ちゃんを抱っこした母親と父親が座っていた。

 日帰り程度の小さな荷物を見るに、同じ旅人というわけではなさそうだった。宇宙船に乗り込むとき、日帰り程度の小さな荷物を預けているのをちらりと見た。


 両親はすっかり眠りこけていたが、赤ちゃんは起きていた。先程からずっと、赤ちゃんの真っ直ぐな視線を受けている。


 最初は無視していた。そうすればいずれ飽きて、自分ではない、別のものを見始めると考えていた。だが、熱い視線が離れる気配はない。


 無視を続けるのが一番だろうが、正直この熱い視線に耐え続けられる自信が無い。


 クラーレは半ば投げやりになって、トランクを開けた。中にあった小さなぬいぐるみを鷲掴みにした。別の乗り合い宇宙船に乗ったとき、キャンペーンで貰ったぬいぐるみだった。


 生物に詳しくないクラーレでも知っている生き物を模したぬいぐるみ。半ば伝説のように語られているが、確かにいることはわかっている、けれどもその全容は明らかにされていない生き物。


 デフォルメされ、キュートで親しみやすくなったデザインのプレアデスクラスターのぬいぐるみを、赤ちゃんに見えるように膝の上に置き、動かし出した。飛び跳ねさせたり、右や左に動かしたり。赤ちゃんの大きい黒眼が、ぬいぐるみの動きに合わせて、釣られている。


こんな風に人と接したのは、いつ以来だろうか。最後に人と、事務的でない会話を交わしたのは。


「お客様」


 クラーレは、ぬいぐるみを動かす手を止めた。赤ちゃんの両親が、起きる気配がした。

通路に車掌が立っていた。車掌は、クラーレのいる方角を見つめていた。え、と返しただけなのに、車掌は話を勝手に続けた。


 嫌な予感がした。車掌の浮かべている顔を、クラーレは、見たことがあったからだ。何度も。何回も。


「お客様は、ベイズム星人ですね」


 乗り合い宇宙船で出身星が聞かれることは、よくある。広い宇宙には、それだけ多種多様な生き物が存在する故に、カオスな空間が作り出される。どの星から来たのかを尋ねるのは、挨拶と同じくらいの常識でもある。


 だが、こんな風に無遠慮に聞いてくるのは、クラーレの知る限りでは、まずなかった。


 その上口調が、疑問形ではなかった。クラーレに否定させまいとする、有無を言わせぬ断定さがあった。


 こんな風に無遠慮に出身星を聞いてくる場に遭遇したことがある。


 その時聞かれていた相手は、幾つもの強盗事件に関わったとされる、凶悪な盗賊だった。


 潜伏していた星を捨て、別の星を新しい潜伏先にするつもりで人に紛れて乗り合い宇宙船に乗ったのだと、あとでニュースを見て知った。


 離陸直前になって、その容疑者に、車掌が聞いた。その容疑者の、故郷の星の名前を。

一瞬たじろいだ隙に、その容疑者の周りを、何人もの宇宙警察の紋章をつけた人物が、取り囲んだ。


 容疑者は変装をしていた。しかし、車掌が、その容疑者の顔データをよく覚えていたのが、運の尽きだった。犯人に対して違和感を覚え、よく観察し、車掌は確信した。宇宙警察に連絡を取り、到着するまでの間もっともらしい理由をつけて離陸の時間を遅らせ、見事犯人を捕えた。


 その時の宇宙船内は、パニックそのものだった。警察に囲まれているとはいえ、凶悪な犯罪者が狭い船内に乗っていたのだ。係員の誘導などまるで無視で、乗客は、我先にと出口へ押し寄せていた。その中でクラーレは、静かに、容疑者の姿を見つめていた。


 クラーレが遭遇したことのある、断定して出身星の尋ねられていた事象といえば、これ一件だけだった。


 今、二件目を、自分の身を以て、体験している。


 寝起きで朦朧としていた赤ちゃんの両親の目が、ベイズム星という単語を聞いた途端、見開かれた。周辺のざわめきも、ぴたりと止まっていた。嘘のように静かになっていた。


 全ての乗客の視線が、クラーレという一点に集中していた。


 クラーレは、頭を、ほんの数ミリだけ、縦に動かした。

小さすぎる動作を、車掌も、乗客も、向かいに座る両親も、見逃していなかった。


 車掌から、何か言われた。要約すると、お前は誰かに危害を及ぼすから、今すぐに下りろとのことだった。建前は、あくまでも丁寧な口調を崩さなかったが。

建前ではなく本音を出しているのは、乗客のほうだった。クラーレの周囲にいた乗客は、あからさまに音を立てて席から立ち上がった。


 目の前の両親も慌ただしく立ち上がった。父親のほうが、母親のほうを庇うように、体をクラーレとの間に差し込む。威嚇するような目で、クラーレのことを睨み付けながら。

 赤ちゃんが、クラーレの持つぬいぐるみをまだ見ていた。母親が口を開いた。


「だめよ、とても怖い人なんだから!」


 赤ちゃんの黒眼の中に、何かが映っている。そこに映る人物は、不気味なマスクをつけていた。マスクをつけている人物が一体誰なのか、一瞬わからなかった。


 このマスクは、少し前に立ち寄った星で、道ばたに売られていたのを強引に買わされたものであった。


 そんな暗い顔をして歩いていたら、どんな人でも逃げていくぞ。暗い顔なんか晒してないで、ぱあっと華やかなマスクでもつけてみたらどうだ。売人はそう言っていた。


 だから、クラーレは、一番不気味な造形のマスクを買った。売人は、阿呆みたいにずっと口を開けていた。


 それをつけて歩くと、マスクを着ける前よりもますます、人から避けられるようになった。それが、心地よかった。心地よいと、そう感じていたはずだ。だから、ずっとつけることにした。


 そうだ。赤ちゃんの黒眼に映っているのは、紛れもなく、自分自身だ。


 ぽとり、と床に何かが落ちた。今まで持っていたぬいぐるみだった。拾おうとは考えなかった。考えるよりも前に、赤ちゃんが泣き出したからだ。


 大きな声で泣いている。顔を赤くして、口を開けて。母親が鋭い目をクラーレに向けながら、足早に去って行った。


「お前、一体何をしたんだ!」


 誰かの怒鳴り声がする。近くからではなく、遠くから。


 さっきの母親もそうだったが、出身星がわかったからか、客が一斉に通訳機にその言語を登録したらしい。言葉がわかってしまうのは、そのせいだ。


 そこまでしておきながら、正面切って言うつもりはないらしい。じゃあ、どうして言うんだろうか。誰が言ったかわからないほど遠くから怒鳴ったところで、何になる。無駄じゃないか。堂々と前に出てきて言わないのは、報復を恐れているからか。起こるはずもない報復に。


「危険だ!」「怒ってるんじゃないか?!」「下ろせ!」「みんな殺されるぞ!」


 近くに来て確認したわけでもないのに、どうして怒ってるとわかるんだろう。どうして殺されると思うのだろう。


「あなたは、この先の太陽系第三番惑星にて下車してもらいますね。文明は確認されているのでご安心を」


 機械が発するみたいな声で、車掌が言った。言われた台詞の中のどこを探しても、拒否権は見つからなかった。


 下りる準備をと言われ、クラーレは立ち上がった。乗客の目は様々だったが、全部似たり寄ったりだった。


 血を見てしまったときのように。気味の悪い虫を見つけたときのように。怪物でも見たときのように。危険な宇宙生物と出くわしたときのように。


 ベイズム星は、本当に恐れられている星なんだ。クラーレは、改めて、何度目かわからない実感をした。


 だが、訴える気はない。怒る気も悲しむ気もない。だから。恐れる気持ちは、至極全うだと思っていた。噂に、誇張はあるが、嘘はない。根本的な部分は、間違っていない。


 ベイズム星は、ベイズム星人は、確かに危険な種族なのだ。危険だと言われ、恐れられている最大の理由。


 それは、ベイズム星人の体を流れる、体液にあった。血液の更に下を流れる部分。

その体液は、空気を淀ませる。植物を枯らす。生命を溶かす。


 強力な、毒液だ。



 乗客の誰かに、車掌が質問されていた。なんでわかったのですか、と。


 車掌は答える。あの人とぶつかったとき、持っていたトランクが開き、中のものが散乱したのだと。すぐに拾って渡したのだが、後になって、一枚、手紙を拾い忘れたものを見つけたと。差出人を見て、そこがベイズム星と書かれていたと。宛先である彼の住所も、ベイズム星だったと。


 でたらめの出身星と住所を書いたのに、ばれた理由はそれか。

クラーレは、マスクの下で、自分の口が歪むのがわかった。実に自嘲的なものだった。


「仲間を呼び集める気じゃないだろうな」


 背後で、誰かが言った。


仲間とは、誰のことだろう。超人的な能力を持ってるわけでもないのに、ここに瞬時に集めることなど出来ない。というより、集めてどうするというのだろう。ここにいる人達を全員殺すとでも思っているのだろうか。何の為に?


 仲間とは、誰のことだろう。仲間など、いないのに。自分と同じ種族のいる星は、今やもう、遙か遠くにあるのだ。戻りたくても簡単には戻れないほど遠くに。

例え戻れる距離にあっても、クラーレは戻らない。戻れない。戻ることを許されていないから。


 窓の向こうを見た。青色が一番目につく星が、近づいてきていた。


 しばらくして、宇宙船が、着陸した。

 下りた先はどうやら山の中のようで、暗くて静かだった。目を閉じた状態と大差ないほどの暗さだった。瞼を下げてみると、静かだと感じていたのに、色々な音が聞こえてきた。


 何かの動物の鳴き声。気が風にそよぐ音。それらはぐるぐると周囲を飛んで、やがて一つに纏まり、クラーレに覆い被さってくるように感じた。


 目を開けて、上を見た。クラーレが振り返った時には、既に乗り合い宇宙船は、空の彼方に飛んでいた。その空は、黒かった。車窓から見た星空とは遠く及ばないが、幾多ものきらきら光る点々が目に映った。それらが、真っ黒な空に、くっついている。


 宇宙から見た時は青い星だったから、少し驚いた。この星の空の色は、こんなに暗く、黒いのだろうか。




 ベイズム星の空は、黄色い。最後にその空を見たとき、クラーレは16歳で、自分の他に、誰もいなかった。

 いるのに、いなかった。いつ戻るかもわからない旅に出るというのに、親ですら、見送りに来てなかった。


 修行の一環なのだから、甘やかしは不要。毒性を強くする方法を、外で学び、模索せよ。

 星で一番の毒性を持つ、ベイズム星の“お上”に、この旅を勧められたときに言われたことだった。


 勧めといっても、そこにクラーレの意思は関係無かった。ほとんど、命令と同じだった。


 あれから二年が経つ。クラーレはやっと18歳になった。まだ、二年しか、経っていない。


クラーレは、トランクを開けた。その中にある手紙を、取り出した。


 あの星にいた頃に、幼馴染みから貰ったものだった。幼馴染みの字が書かれた紙面を、ベイズム星の住所が書かれた紙面を、両手で持って、引き裂いた。真っ二つにして、四つにして、更に細かくちぎっても、まだ破り続けた。もう破けなくなるくらいに細かくなった後で、やっと手を離した。


 ちぎった手紙は、ぱらぱらぱらと、名前も知らぬ地のどこかへと、飛んでいった。


 ふらり、と体がよろめいた。いきなり環境の違う星に下ろされたのだ。心は平然としているが、体が驚いているのかもしれない。


 頭が痛いような気がする。目眩もする。目を閉じて、その場にうずくまる。




 幼い頃から、少しばかり体が弱かった。今思えば、それが全ての兆候だった。

あるとき倒れて病院に連れて行かれたとき、医者に言われた。体液に含まれる毒性が、非常に低い、と。


 何でもやった。何種類もの薬を飲み続けた。何回も手術を受けた。けれどクラーレの体は、強くなる気配を見せなかった。


 体液の毒性がそのまま地位や名誉に直結するベイズム星で、クラーレの存在は、あまりにも異質だった。


 親ですら持て余していたクラーレに、幼馴染みは唯一、全く変わらない態度を一貫してとり続けた。無愛想なクラーレに、いつも笑顔で接してくれていた。


 ある日突然、偉い人達がクラーレのことを取り囲んだ。連れて行かれた先で、お上に、旅をするよう言われた。


 そして、追い出された。あの星を。


 出発の日、クラーレのために用意された宇宙船がある空港に、幼馴染みの姿はなかった。


 数日前、幼馴染みが、噂は本当だったんだと友人らと言い合っていたことを、思い出した。クラーレは毒性が全然強くないという噂は。欠陥品なのだという噂は。


 その日はちょうど、クラーレが“お上”に呼び出された日だった。


 クラーレは立ち上がった。頭痛が更にひどくなった。だが、歩き出した。

喉が渇いたような気もする。気持ち悪い気もする。でも、目印も何も見えない場所を、歩き続けた。


 あの強盗犯を見つけた車掌の顔は、今でも覚えている。とても大きなことをやり遂げた緊張と、それ以上に、大きな手柄を残した高揚感が、よく現れていた。


 多分先程の車掌も、今頃同じような顔をしているのだろう。

他の乗員乗客に危害を及ぼす可能性のあるベイズム星人を見つけ、下車させたと。船と、人の命を守ったと。


 強盗犯が捕まった後、何時間か経ってやっと宇宙船が出発するとき、乗客達が言い合っていた台詞を思い出した。


 本当に良かった。安心した。下手をすれば、全員が、殺されていたかもしれない。


 多分今頃、さっきの宇宙船の乗客達は、口々に言い合っているのだ。


 本当に良かった。安心した。下手をすれば、全員が、毒で殺されていたかもしれない。


 どうして、決めつける。


 クラーレは、問いかけることを、やめていた。問うても、誰も答えを出してくれない。とる行動はただ一つ、逃げていくだけ。


ベイズム星人は、皆皆、クラーレのことを、蔑んだ目で見た。諦観した。


 ベイズム星以外の人は、皆皆、クラーレのことを、犯罪者を見るような目で見た。化け物でも見るような目で見た。




 クラーレは、もともとつけていた通訳バッジをちぎるように外し、闇の広がる森の彼方へと投げ捨てた。


 この星の住民も同じだろう。正体がわかれば、同じように自分を恐れ、攻撃し、追い出すのだろう。ならば初めから、言葉を交わす必要など無い。


 そうしてから歩き出した。山の中は真っ暗だった。歩けば歩くほど、自分が闇と一緒になっていくような感覚を覚えた。それならそれで構わないと、思った。


 あの強盗犯が、故郷の星の名前を突然として言われた時の表情を、よく覚えている。


 あんな奴にも、故郷があるのだ。車掌にも、乗客にも、故郷があるのだ。居場所があるのだ。


何もしていない。何もするつもりも無い。万一が起きないようにずっと、人から離れてきた。接しないようにした。関わらないようにした。


 そこまでしてきた。なのにどうして。


 自分には、帰る場所がないのだろう。


頭部がテレビのような箱で出来た人物と、赤ちゃんと、ぬいぐるみでないプレアデスクラスターに会ったのは、その直後だった。

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