phase3.3

 離れた所に一時的に逃げていたハルとクラーレが、墜落したロボットの傍に駆け寄った。


美月達三人も、ジャンプから着地する。ロボットは地に落ちた今も尚、残った一枚だけの羽を、ばたばたと動かしていた。


 ハルがクラーレに、ココロを渡した。クラーレは躊躇う素振りを見せたが、結局押し切られた。ココロは急に変わった抱っこの相手に目を瞬きさせたが、見上げてクラーレの顔を視認するや、赤と青のオッドアイの目を垂れ下げ、笑顔を見せた。


 ココロと目が合ったクラーレが、ハルにココロを返そうとした腕を伸ばした。だが、すぐに、引っ込められた。


 仕方ないだろうなと、美月はハルの姿を見て納得した。


 素早い動作で、ハルの左腕が剣に変わっていた。その刃先が、自身の右腕へと刺したのだ。


右手の装甲が剥がれ、中にある複雑に組みこまれた部品が剥き出しになる。その中のコードを器用に剣で数本ちぎった。電流がちかちかと、切れた断面から流れている。


 ハルは、躊躇する様子を、一秒も見せなかった。痛覚も、恐怖という感情もないのだと、改めて実感した。


「おい、それ大丈夫なのか……?」

「問題ない。……ミヅキ、ソラ、ミライ。すまないが、頼む」


 美月、穹、未來は、倒れ伏したロボットに駆け寄った。

恐らくお腹に当たる部分であろうそこに、姉弟が並び、未來がその後ろに立つ。羽を壊したときと同じ。でも今度は羽ではなく、本体だ。


そして体に、各自で攻撃を加えていった。


 美月と穹は連打をし、一度離れて、未來が突きの攻撃をする。その繰り返しだった。


 この黒い体の内側に、シロがいるのだ。そう思うと、自然と手に力がこもる。

それに、今は余裕がある。ロボットが墜落したという余裕が。手はじんじんと痛いが、今はその痛みにも安堵すらしていた。さっきの羽への攻撃は、むだではなかったという安堵だった。


 ほんの数ミリにも満たない小さな亀裂が走った。それを見た未來が頷いた。未來の刀の先が、そこに刺された。柄を握る手に、力が入る。


 上へ、下へ。刀が動いた。わずかに、亀裂が広がった。その隙間に、美月は片手を差し入れた。


 得体の知れない怖いロボットの中に手を入れるというのはさすがに気味が悪かったが、だからといって嫌だとは思わなかった。


 機体の中は、冷たかった。けれども、熱かった。墜落のせいで異常でも起きているのだろうか。グローブ越しに、蒸気が充満しているのが蒸気が噴き出しているのが伝わった。


 掴んだ外壁の装甲を、精一杯力を入れ、横に引っ張った。一ミリも動かなかった。掴んでいる片手の手首に、もう片方の腕を添えた。


 思わず声が出てしまうほどだった。顔を真っ赤にしながら、両足を踏ん張らせ、離さまいとするので手一杯だった。


 ばき、と、装甲の一部が本体から離れた。美月の手に、その欠片が残された。

片手がやっと入るか入らないかくらいの隙間が、できていた。


「ミヅキ、充分だ。ありがとう」


 もう少し、と手をかけようとした美月の肩に、剣の状態から戻ったハルの左手が置かれた。立ち尽くす美月の前に、見慣れたトレンチコートが立ち塞がった。


 ハルは、ばち、ばち、と電流が絶え間なく自分の手を、躊躇いなく、ロボットに出来た隙間の中に、入れた。


「……シュツリョク、シュウチュウ……」


 今まで聞いたことがない声を、ハルが出した。限りなく、音に近かった。口から発せられたものには聞こえなかった。


 次の瞬間、バチバチバチと、激しい電流の音が流れた。ロボットとハルの手が繋がれている部分が、目まぐるしく白黒に点滅する。何かが焼けただれるような、しゅうしゅうという音がする。ハルは左手を胴体に当て、更に深く、手を亀裂の中に差し込んだ。


 ハルは黙っている。何も言わない。しかし、溶接部分の音が、今行われている激しさを雄弁に物語っている。


 電流と電流が激しくぶつかり合う音。まるで、叫び声や悲鳴のようだった。


 ハルさん、と穹が小さく声をかけた。怯えているようだったが、ハルに怯えているのではないようだった。今の状態が続くことが、怖いように見えた。美月も同じだった。


 大丈夫なのか、壊れたりしないのか。ハルは、今、平気なのか。本当に、痛みも何も感じないのか。


 いや、とかぶりを振った。


 信じよう。痛覚がないことではなく、ハルは大丈夫だということを。

ほとんど、自分を納得させるためでもある。


でも、信じよう。大丈夫だと。



 そのハルが、ふらりと後ろによろめいた。

嫌な予感が頭を掠めたが、ちゃんと両足で立っている。亀裂に入れていた手も、先が少し焼け焦げていたが、無事なようだ。


 が、様子がおかしい。上手くいったとか何かしら言ってくれてもよさそうなのに、ハルのテレビ画面に映る口は、一の漢字をして動かない。


 ぐら、と、何かが動く気配がした。目の前で倒れている、ロボットだった。

飛び立つ気配はない。しかし。真横になっていた体が、もとの状態の戻ろうと、動いている。お腹を下にして、また飛び立とうとしている。


 直前まで流れていた、激しい電流の音が、美月の脳内に蘇った。


「……効かない」


  脳内の電流の音に上書きされるように、ハルの台詞が、重なった。


「何やってんだ? もう諦めろよ」


  頭上から声が降ってきた。ぞんざいで、投げやりで、揶揄が含まれた、ウラノスの声だった。


「殴ろうが蹴ろうが斬ろうが工夫しようが何しようが、効かないよ」


 円盤が、徐々に高度を下げていく。下がっていくにつれ、円盤の姿が大きくなっていく。

当たり前のことだ。なのに、美月はただ、その事実が恐ろしかった。


「何でそんな必死になる……? どのみち、このプレアデスクラスターは、俺のものだ」


 美月は顔を伏せた。迫ってくる円盤の姿を、見たくなかった。台詞も、聞きたくなかった。これ以上。


「プレアデスクラスターの居場所は、ここには無い。お別れなんだよ」


 言葉の一つ一つが、重りのように、降ってくる。重り。だから、ずしりと、心の中に沈み込む。とても重い。足に力が入らなくなるほど。


 あ、と聞き覚えのある声がした。そちらに顔が向いた。穹もハルもだった。そこには未來がいて、その腕にはココロがいた。そして、クラーレがいた。


 また抱っこの主が変わり、さすがにココロはわけがわからないようだった。クラーレは、ココロと、未來をしばらく見下ろしていると、視線の先を変えた。


 一歩、また一歩と、ロボットに近寄る。亀裂の前に座り、片方の手袋を外す。美月も、穹も、未來も見た。手袋の下は、皮膚が無かった。鎧のような、鉄色の手の形をした何かが、その下にあった。


 関節の部分ごとに、ボルトのようなものがついている。人差し指の第一関節を、クラーレはつまんだ。慣れた手つきで、右や左にぐるぐると回すと、それは取れた。第一関節から先の部分が、陽の光の下に晒された。それは、肌色をしていた。一瞬だけ見えたクラーレの指先は、亀裂の中へと隠れていった。


「……全員、俺から離れろ」


 絞り出されるような、低い声だった。


 美月は、さっき聞いた、離れろという台詞を、思い出した。

あの言葉を言ったのは。


 目の前にいる、この男性だった。

苦悶に満ちた顔をしていると、マスクで顔を覆っていてもわかる、この宇宙人の。


 土を踏みながら、美月達はゆっくりと離れた。


それからすぐのことだった。


 ピーだとか、ゴオオだとか、ガアアだとか、様々な音が多用に入り交じった音が、辺りに響き渡った。


 機械のエラー音だった。ありとあらゆるエラー音が、一致集結しているかのような音だった、


 美月は耳を手で塞いだ。穹は頭ごと抱えた。大声で泣き出したココロを、ハルは体を硬直させた未來から預かり、必死にあやしだした。


 そんな最中、美月達は目撃した。

亀裂の間から、何かどろりとしたものが垂れてきている。色からして、信じられなかったが。


 どうやら、ロボットを構築している、ありとあらゆる部品が溶けたものであるらしかった。とめどなく、どくどくと、血のように流れ続けている。


 一度は起き上がろうとしていたロボットの巨体が、再び真横になった。溢れ出て、流れ続けていた灰色の液体が、ふいに止まった。


 血が止まったわけではなかった。亀裂の周辺が、溶け始めたのだ。


 固体だった装甲が、頼りない液体へと変化を始めた。

そこだけではなかった。亀裂のない様々な場所までもが、ぐにゃりと溶け、変形を始めた。

美月は痛みの残る手を、ただだらりと垂れ下げていた。


 鮮やかな黄色のグローブは、汚れていた。多分、グローブを取ったら、手が赤くなっていると思う。


 手をそんなにした、あんなに堅い堅いロボットが、今目の前で、溶け始めている。

どういう感情を抱いてこの光景を見ているのか、美月自身、わからなかった。


「……ああ、お前……」


 自分のロボットが溶かされている真っ最中だというのに、円盤からの声は、どこまでもゆっくりとしていた。


「“ベイズム星”の種族かあ」


 クラーレは、顔を上げなかった。美月の脳裏に、レストランでハルから聞いた話が、蘇った。



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